師弟
「それでは改めまして、先生。ワタシは先ず何をすれば良いのでしょうか?」
「先生!?」
セシリアが深々とカタリナに頭を下げると、『先生』と呼ばれたカタリナは驚きと気恥ずかしさに上擦った声を上げた。
(本当に生真面目だねぇ…これが良い処であり悪い処でもあると言った感じなのかね。)
その様子を見て面白いモノを見るようにクックッと笑う櫻。
「コホン…まぁそうだねぇ。」
気を取り直したカタリナがチラリと頭上を見上げると、木々の隙間から見える太陽が真上へ差し掛かろうとしている。
「よし、それじゃ食い物の調達にでも行くか。」
「え…?食い…?」
ピンと人差し指を立てて見せたカタリナに、セシリアは呆気に取られたような声を漏らした。
「そ、食い物。この辺ならリトは良く居るし、ボーフやボーシーなんかも居たら序でに狩れればギルドに売れるよ。」
「え?あの…ワタシは戦い方を教わりたいのですが…。」
師と認めたカタリナに強く出る事が出来ないのか、セシリアはおずおずと意見を口にした。
「いいからいいから。ほら、さっさと獲物を探しに行くよ。」
セシリアの肩に手を掛け、行動を促す。
「カタリナ、あたし達はどうすれば良いんだい?調理道具なんかは何も持って来てないよ?」
櫻が林の奥へと入ろうとするカタリナに声を掛ける。
「え…?う~ん、そうだねぇ…済まないがお嬢達は先に宿に戻っててくれないかい?アタイらが戻るのは夜中になると思うから、アタイらの夕食は要らないって女将に伝えておいて欲しいんだ。」
「あぁ、解った。油断するんじゃないよ?」
「任せときなって。『生徒』の手前、みっともない事は出来ないからね。」
グッと親指を立て、微笑む口元から覗く牙がキラリと輝いた。
「…カタリナ、可愛い娘と二人きりだからと言って妙な気は起こさないでくださいね?」
「なっ!?何言ってるんだいミコト!」
突然の言葉に慌てるカタリナを、セシリアが驚いたような目で見る。
「ふふっ、冗談です。」
クスリと微笑む命にカタリナは『ぐぬぬ』と頬を赤らめるのだった。
櫻達が去った林の中、カタリナとセシリアの二人だけが佇む。人の数が減り木々の葉擦れの音が一際大きく聞こえる気がする中で、セシリアはカタリナの顔を見上げた。
「あの、先生も男嫌いなんですか…?」
「ん?あぁ…まぁ、嫌いって程じゃないがね。一時本当に駄目だった時期も有ったけど、今は普通に接する事くらいは出来るよ。」
「そうなんですか…。ワタシはそんな風になれる自分の想像が付きません。ワタシはこのままでは駄目なんでしょうか?」
生真面目さ故か、自身の欠点について深く悩むセシリア。だがカタリナはそんな様子に軽く答えた。
「いや?別に良いんじゃないかい?」
「えっ?」
欠点は克服しろと言われるとばかり思っていたセシリアは小さく驚きの声を上げた。
「アタイも旅の中で色んな人と遇ったけど、その中にも男が駄目なヤツってのは居たよ。その理由も様々だ。でもそういう人達も別段生活に支障が出るような事も無く普通に幸せを得る事は出来る。アタイだって男の苦手は克服したとは言え、男と一緒になれるかって言われたら死んでも嫌だしね。」
その言葉にセシリアは何処か安心したような微笑みを浮かべるのだった。
「ほらほら、いい加減行くよ?腹が減っちまった。」
「あ、はい。」
カタリナが林の奥へと進み出すとセシリアもその後を少々納得の行かない顔で付いて行く事に。
「お、居た居た。」
進む先で小さく呟きカタリナが足を止めるとセシリアの動きを手で制し、静かにするようにと口元に指を添えて見せた。
その視線の遥か先に居たのは小さな獣、リトだ。その場からでは風景に溶け込み、ともすれば気付く事すら無かったソレの視界に入らないよう咄嗟に木の陰に隠れたカタリナ達の気配に気付いたのか、身体を立ち上げて周囲を警戒している。
カタリナは足元に落ちていた小枝を数本拾い上げると徐にソレをリトの向こう側へと投げる。ガサガサカラカラと激しい音がすると驚いたリトは枝が落ちた方向と逆方向へ走り出し、まるでカタリナの元へ自らが選んだように近付いて来たではないか。
近付く音に耳を傾け木の陰から飛び出したカタリナは、驚くリトに飛び掛かり見事その首元を掴むと迷いなく首を捻り仕留めて見せた。
「ほい、これで一丁上がり。」
「凄い…こんな簡単に…。」
余りに予定調和のような狩りに驚きを隠せないセシリア。
「リトは耳が良くて音の方角がはっきり判るんだ。そしてその音の出処と正反対の方向へ逃げる習性が有る。だからこうして逃がしたい方向へ誘導すれば捕まえるのは簡単なのさ。」
「はぁ…。」
「ほら、次はアンタがやってみな。」
「え?ワタシがですか?」
「当然だろう?実践は何物にも勝る勉強さ。」
早くハンターとして戦闘の技術を教えて欲しいセシリアではあったが、その不満を口に出す事はせずにリトを探す。しかしその姿を見つけるとリト側もセシリアの姿に気付き、簡単に逃げられてしまう。
「先生は良くあんな小さな獣を遠くから見つける事が出来ますね…。」
何匹目かを逃した処でセシリアがガクリと肩を落とし諦め気味に呟いた。
「ははっ、案外難しいだろう?最初はそんなモンさ。でも里の男達は毎日こういう事をやってたんだよ。」
「…ですがそれは、魔物との闘いには関係の無い技術です。」
嫌いな『男』を引き合いに出された為か、セシリアがあからさまに機嫌を損ね頬をプクリと膨らませた。
「確かに『技術』は関係無いね。だけど必要な『知識』さ。」
「知識?」
拗ねて逸らしていた視線をカタリナに向ける。
「そう。アタイらハンターが主に相手にするのはこういった獣が魔物化した魔獣だ。その殆どは『熟成』の進んでない若い魔獣で、その動きは元の獣の物が色濃く残る。勿論さっき獲ったリトの逃げ癖は魔獣となった場合には余り必要の無い知識だけど、その獣がどういう体勢からどういう動きを繰り出すかという知識は戦う上で重要なんだよ。」
手に持ったリトをプラリとさせ説明をすると、セシリアは小さく頷いて見せた。
そしてその時、『ぐぅ~』と腹の音が響いた。
セシリアは頬を染めて音の出処を押さえる。そんな様子にカタリナはフッと笑みを浮かべると手に持っていたリトをセシリアへ渡した。
「今回はアタイがもう一匹獲ってくる。そこで待ってな。」
そう言って姿を消したカタリナは、ほんの僅かの時間で戻って来たかと思うとその手には見事にリトが一匹握られていた。
セシリアはその手際に関心し、改めてカタリナの実力を認めるのであった。
カタリナが腰に差していたナイフを取り出し、リトの皮を綺麗に剥ぐとセシリアへ差し出す。それを受け取ると血の滴る生肉に瞳を爛々と輝かせゴクリと喉を鳴らすセシリア。
「里を出てどれくらいになるんだい?生のリトなんて随分食ってないだろ?」
「はい…もう60日ぶり程にもなるでしょうか。こんな新鮮な肉を手にするのは本当に久しぶりです。」
「ははっ、町では下処理されて時間の経ったのか調理された肉しか見ないもんな。自分で狩れるようになればこんな贅沢が好きな時に出来るようになるよ。どうだい?早く上達したくなるだろ?」
ガブリと豪快に肉に噛み付くカタリナに倣い、セシリアも腹からガブリと噛み付くと肉を噛み千切り、久々の新鮮な生肉の味に表情を綻ばせた。
「はい。早く狩りが出来るようになりたいです。」
口の周りを真っ赤にして微笑むその言葉に、今までの不満は一切感じられなかった。
食事を終えると二人は再び林の中を歩き出した。
リトは逃げる先に木の枝等を放って逃走先をコントロールする。ボーフは主に群れで行動し囲むように展開するので一か所を切り崩してから包囲を突破し順番に片付ける。ボーシーは一直線に突撃してくるので壁を背にしギリギリで躱した後に隙だらけの後ろを狙う。バーはまともに相手をしても割に合わないので鼻先を殴りつけて怯んだ隙に逃げる。等々…狩りをしながらその日の真夜中までカタリナの講習は続いたのだった。
真夜中になり人通りの無い路地を歩く二人。その手にはリトが3匹握られていた。
そっと宿の扉を開け、最低限の明かりだけが灯されたロビーへ静かに足を踏み入れる。すると
「お帰り。随分と遅くまで頑張ったみたいだねぇ。」
そう言って奥から出て来たのは手にランタンを持った女将だ。
「女将…まだ起きてたのか?」
「ふふ、なぁに、たまたま扉が開く音が聞こえたから起きて来ただけさ。」
そうは言うものの、出て来たタイミングから考えてその言い分は辻褄が合わない…とは思いつつも、カタリナはそれ以上何も言う事は無く微笑んだ。
「あぁ、そうそう。土産があるんだ。今日の成果って処だけど。」
カタリナは手に持ったリトをズイと突き出して見せる。
「おやおや、丸々として立派なリトだねぇ。セシリアが獲ったのかい?」
「いえ、ワタシは…。」
「あっはは、残念ながら今日の成果はアタイの獲った分だけだよ。」
セシリアは半日を費やし何の成果も挙げられなかった自分を恥じ、赤面し俯いた。
「だけど飲み込みは早い。そう遠く無くコイツの獲った獲物を土産に出来るさ。」
カタリナはポンとセシリアの頭に手を置くと、その言葉にセシリアは顔を上げカタリナを見る。
「ふふ、それは楽しみだねぇ。そうそう、ちょっとそこに座って待ってな。」
女将はリトを受け取ると厨房の奥へと姿を消した。カタリナとセシリアはロビーの隅に有るテーブル席へ座って待つと、少しして厨房から出て来た女将の手には二人分のスープ皿。
「はいこれ。温かいスープでも飲めばぐっすり眠れるよ。」
「女将さん、まさか態々これを用意して待っててくれたんですか…?」
目の前にコトリと置かれたスープを見てセシリアが驚いたように目を見開く。女将はただ微笑むと
「さて、折角の土産だ。下拵えして明日の朝食に出せるようにしておこうかね。」
と再び厨房へと姿を消したのだった。
セシリアは温かいスープをスプーンで掬い一口含むと、ほぼ半日林の中で張り詰めさせ凝り固まっていた神経がフワァと解れるかのように全身に染み渡った気がした。
「…美味しい。」
それは具の無いスープだったが、思わずそう呟いてしまう程に沢山の旨味が溶け出しセシリアの疲れた身体に必要な塩分を補給してくれる絶妙な味であった。
「ほんと、女将の料理はハズレが無いねぇ。またここに居座りたくなっちまうよ。」
カタリナも満足気に皿を持ち上げ直接口を付けてスープをあっと言う間に飲み干してしまった。
「食器はカウンターにでも置いておいておくれ。今日はもうお休み。」
厨房の奥から女将の声が聞こえる。
「あ、それならワタシが…。」
「あぁ、ご馳走様。それじゃお先に休ませて貰うよ。」
セシリアの言葉を遮りカタリナが厨房へ声を掛けると、その言葉にセシリアは驚いたようにカタリナの顔を見た。
「こういう厚意は素直に受けときな。」
「でも…。」
「アンタは何でも出来る優等生なんだろうけど、それは何でも自分でやらなきゃならない訳じゃないんだ。人に頼れる時は頼って良いんだよ。」
カタリナはそう言ってグイッとセシリアの肩を抱き寄せると、そのまま後ろ髪を引かれるようなセシリアを抱き上げた。
「ひゃぁ!?何をするんですか!?」
「おいおい、夜中だぞ?静かにしてくれよ…アンタはもう少し柔軟になりな。それも魔物ハンターには必要な条件だよ。」
カタリナの言葉にグッと口を噤み、セシリアは何も言葉を続ける事が出来ず顔を赤らめると素直にカタリナに身を任せるしか無かった。
セシリアは自分の泊まる部屋の前でカタリナから下ろされると、しおらしく小さく頭を下げ、そそくさと部屋の中へと入ってしまう。
「明日も朝食を食べたらまた林に行くからね、しっかり寝ておきなよ。」
扉越しのカタリナの言葉に返事は無かったが、カタリナはそれ以上は何も言わずに櫻達の眠る部屋へと戻り、椅子に座る命と少し目を合わせると無言で互いに小さく頷き、ベッドへと潜り込むのだった。




