クローリア
クローリア達を救助した櫻達は急いで荷車を走らせ『セガワ』の町へと戻ると、その事を町の入り口に居た番兵へ伝えた。そしてその番兵の指示に従い町医者の元へと駆け込むと、既に日も落ちた時間だというのに慌ただしくクローリアの治療が行われたのだった。
それから2日が経った。
子供達は大きな外傷も無く空腹と脱水による衰弱であった為、持ち前の若さと食欲で救助から1日でみるみる回復したものの、クローリアは崖から落ちる際に子供達を庇った傷が尾を引き未だに病院のベッドの上であった。
「いやぁ、報せを聞いた時には肝が冷えましたが…生命に別状が無いという事を聞いて安心しました。海賊の時と言い、貴女方には借りが増えてしまいましたね。」
そう言って胸を撫で下ろしたのはキースだ。当然その横にはウラコンも居る。
二人はクローリアが病院に担ぎ込まれたという噂を聞き、慌てて駆け付けたのだった。
「本当に、お嬢ちゃん方には何て礼を言ったら良いか。それにしても良くあんな魔獣がうろつく森でアタシたちを見つけてくれたね。子供達も助けて貰って、感謝しかないよ。」
ベッドの上、クローリアはまだ身動きは取れないまでも言葉を発するその様子から体力が戻った事が見て取れた。
黒髪のショートカットに整った顔立ち、二児の母とは思えないモデルのような身体は、添木に挟まれた足には念入りな巻き布が巻かれ、その他の部位にも痛々しい傷が見えるが、その声の張りは見た目からは想像の付かないような肝っ玉母さんとでも言える程にハキハキとしている。
そんな様子に櫻達は安堵の微笑みを浮かべる。
「それで、良ければ何故こんな事になったのか聞いても良いかい?」
カタリナの声に、クローリアは少し困ったように笑うと頷いた。
そして語られた事の真相。
それは数日前、子供達が食事をこっそりと残し、時折家を抜け出し何処かへ行っている事に気付いた事が始まりだったと言う。
問い詰めても恐らく答えないだろうと子供達の後を尾行たクローリアが見たもの。それは路地の突き当たり、家々の隙間に隠すように作られた小さな、粗雑な小屋の中に居た獣の子供と、それに食事を与える子供達であった。
見るとその獣はティーグの子供であった。クローリアは子供達に、この子はどうしたのかと問い質すと、数日前に町の外で遊んでいた時に見つけ連れ帰って来たのだと言う。
クローリアは子供達を叱った。生き物を可愛がり育てる事、それ自体は悪い事では無い。しかしその対象が狂暴な肉食獣のティーグでは、それが育った時に子供達、延いては周囲の人々に危険が無いとはとても言えないからだ。
そのティーグの子供を森に返して来なさいと叱ると、子供達は泣きながら抗議をしたが、結局はクローリアの剣幕に参りグズりながらもその子を抱え町を出て行った。
だがそれから、日が暮れても子供達が戻って来ない事にクローリアは不安を募らせた。森の傍まで行って放したら直ぐに戻って来ると思っていたからだ。周囲の人々に尋ねても姿を見ていないと聞くと、クローリアは居ても立っても居られず森へ向かったと言う。
森へ到着する頃には既に日も落ち辺りは暗く、ランタンの灯りを頼りに子供達の名を呼びながら森へと入ったクローリアは、遠くから聞こえた子供達の泣き声にその足を速めた。
するとそこには、数体のボーフに囲まれ木の上に逃げた子供達の姿が在った。
その光景を見た時、クローリアは頭の中が真っ白になった。
『子供達を助けなければ!』
その事だけが身体を動かし、駆け出そうとした。だがその時、ボーフの群れが突然何かに襲われたのだ。
ボーフの身体を脇腹から食い破り、周囲のボーフにも目を光らせるソレは全身から瘴気を立ち昇らせたティーグの魔獣であった。
ボーフと魔獣は争いを始め、その隙に子供達を助け出したクローリアであったが、ボーフの群れは瞬く間に魔獣に蹂躙され、その場で咀嚼され胃の中へと送り込まれる。
そんな光景に足が震えつつも子供達を抱え逃げようとしていたクローリア。しかし次に魔獣が目を付けたのは目の前の弱い存在であった。
クローリアは手に持ったランタンを魔獣に投げ付け必死に逃げた。少しの火が魔獣をひるませはしたものの、それは簡単に踏み消される。
恐怖にパニックになり方角も判らなくなったクローリア達は木々を盾にしながら逃げ惑うが海辺へと追い詰められた。そして魔獣が獲物へと飛び掛かろうとした時、クローリアの足元が崩れそのまま崖下へと転落してしまったのだ。
子供達の身を護る為に抱き締め身を丸めたクローリアであったが、落下の際に岸壁に強かに身体を打ち付け、海へ落下した時に岩場で足を折ってしまったのだった。
痛みに耐えながら子供達だけでもと周囲に救いを求めると、偶然にも海面傍に小さな横穴が開いており、そこへ這い上る事で一命を取り留めたのだと言う。
だが打ち付ける波の音、そして弱った身体では遠くを通る漁船へ助けを求める声が届かなかった。しかもまだあの魔獣がウロついていると思うと、思い切った声を出す事も憚られていた。
「そんな中で2日程も過ぎて、『アタシはもう駄目だ、子供達に辛く当たった罰が当たったんだと諦めよう。だけどせめてこの子供達だけは助けておくれ…!』って神様に祈ったんだよ。そしたら誰かの声がするじゃないか。幻聴かと疑ったけど、それでも縋る思いでありったけの声を上げたんだよ…そしたら、このお嬢ちゃんがフワっと現れてねぇ。神様が救いの手を差し伸べてくれたんじゃないかと驚いたもんさ。」
そんなクローリアの言葉に、櫻達は顔を見合わせハハハと笑った。
「お前さんは子供達の事を思って叱ったんだろう?そんな事で罰が当たったりするもんかい。もしそんな狭量な神様が居るなら、あたしがぶん殴ってやりたいくらいだよ。」
フンッとアッパーを繰り出す櫻にクローリアがクスリと笑うと、その場に居た全員の表情が綻んだ。
「フフッ、子供は怖いもの知らずだねぇ。そう言えばお嬢ちゃん達、アタシに何か用が有ったんだって?」
「あぁ、その事については僕から説明させて貰いましょう。」
そう言うとキースが一歩前へ出て経緯を語った。
「…と言う訳で、中央大陸へ渡る船の格安融通の伝手として貴女を紹介したのですが、まさかこんな事態になっているとは流石に想像出来ませんでしたよ。」
やれやれと呆れたように首を横に振るキース。しかしその表情は明らかに安堵を浮かべていた。
「アハハッ、済まないねぇ。随分と手間を掛けさせちまったみたいでさ。そういう事ならこの恩に報いる為にもアタシの知る限りの船を世話してやるよ。ッテテテ…。」
高らかに笑い声を上げたクローリアであったが、折れた足以外にも所々の骨にヒビが入っていたようで痛みに身を縮めた。
「ほらほら、まだ安静にしてなきゃ駄目じゃないか。あたしらはそんなに急いじゃいない。もう少し回復してからアテにさせて貰うから、今は身体を休めなよ。」
「お嬢ちゃん、見掛けによらず大人だねぇ。それじゃお言葉に甘えて、少し休ませて貰うとするよ。」
「あぁ、それが良い。あたしらは今日はこれで失礼するよ。」
そう言って櫻達はクローリア、そしてキース達に手を振り病院を後にし、宿へと戻った。
「さて…ああは言ったものの、動けるようになるまで何日掛かる事やらねぇ?」
ベッドに腰掛け天井を眺めながら足をプラプラとさせ呟く櫻。
「何だい、その場の勢いで言ったのかい?お嬢は案外考え無しで行動する処が有るよねぇ。」
「まぁそうなんだがね。でも急ぐ訳でも無いのも本当だし、数日この町でのんびりするのも悪く無いじゃないか。カタリナは肉料理が少ないのが不満かもしれないがね。」
そう言って悪戯っぽく笑う櫻に、カタリナは苦笑いを浮かべ、そんな様子をアスティアと命は楽し気に眺めるのだった。
そうして5日が過ぎた。
その間、クローリアの子供や病院に来る他の子供達とも打ち解け、特にアスティアは子供との付き合い方が上手く仲良くなっていた。
だが兄妹の内、兄の『サッカ』はアスティアよりも気になる相手が居た。それはあの危機的状況の中で天から舞い降りたかのように目の前に現れた少女、櫻であった。
時に大人のように凛とした、時に子供らしい屈託の無い笑顔を浮かべる表情豊かなその少女に、サッカは心惹かれて居た。
病院の前の広場にある草原へ腰掛け、アスティアと子供達の戯れを微笑ましく眺めていた櫻の前へサッカが姿を現した。
意を決したようなその表情に櫻は何事かとその姿を見上げる。しかし少年には男としてのプライドがあったのだろう。いざアプローチをしようと櫻の前へ立ち、掛けた言葉、それは余りに不器用だった。
「オマエ、そんな小さいのに精霊術が使えるなんて凄いな。気に入ったからオレの嫁にしてやるよ!」
顔を赤らめ、僅かに震える声が勇気を振り絞った事を如実に示し、目の前で告げられた言葉に櫻は呆気に取られると共に可愛らしいものを見るように微笑んだ。
「ふふっ、それは嬉しい申し出だね。でもね、あたしは母親に心配をかける男になんて靡かないんだ。あたしをモノにしたかったら、親を心配させない立派な漢になりな。」
櫻はそう言って拳をトンとサッカの胸に当てる。するとサッカは勇気を振り絞って出した言葉を拒絶されたショックからか、それとも自分の言った言葉に今更ながらに照れが生まれたのか、赤かった顔を更に真っ赤にし、手の先までも染めるとその拳をプルプルと握り締め、無言で走り去ってしまう。
「あ、お兄ちゃん!待ってよー!」
妹の『テニ』が慌てて追い掛けると、二人の姿はあっと言う間に見えなくなってしまった。
「お嬢、今のは可哀想じゃないかい?折角勇気を出して言った告白だろうに。」
隣で見ていたカタリナが呆れ気味に言う。
「ふふ、あの年頃の子供にとっての恋心なんて、大人になっちまえば夢の中の出来事みたいなもんになっちまう。あたしらは旅を続けなきゃならないし、スッパリ諦めさせた方が変な期待を持たせるより良いってもんだよ。」
(それに多分、遠からずあたしの事は忘れちまうだろうしね…。)
少し寂し気に、兄妹が走り去った道の先を見つめる。
「それでも純情な男の子の心を弄ぶような事は言って欲しく無いもんだねぇ?」
突然の背後からの声に櫻達は振り向いた。するとそこに居たのは、松葉杖のようなT字の杖を突いたクローリアだ。
「お?もう動いて大丈夫なのかい?」
「あぁ、お陰様でね。まだ彼方此方痛む所は有るけど寝たきりの生活からは解放されたよ。子供達と遊んでくれてたみたいで有り難う。」
「ふふ、なぁに、アスティアが子供の扱いが上手くてね。あたしらは特に何もしてないんだ。」
そう言って楽し気なアスティアに優しい目を向ける。
「ふぅん?あの娘がお嬢ちゃんの本命って訳だ?」
「ははっ、その辺は想像にお任せするよ。それで、もう家に帰れるのかい?」
「そうだね。まだ仕事に復帰するには早いけれど、あの子達をいつまでも放っておく訳にも行かないからさ。今日にでも帰らせて貰うよ。」
そう言ったクローリアの背後に、荷物を持ったキースとウラコンが姿を現した。
「クローリアさん、これで全部です。さ、子供達も待っていると思いますし、行きましょうか。」
「あぁ有り難う。それじゃお嬢ちゃん達、明日にでもアタシの所に来ておくれよ。命の恩人の為に良い船を手配しておいてやるからさ。」
手を振り、カツカツと石畳に杖を鳴らしながらクローリア達が去って行く。
「さて…そうなるとそろそろこの町ともお別れか。」
見送った櫻も立ち上がり、お尻をパンパンと払うと腰に手を当てググッと反るように伸びをする。
「アスティア~、そろそろ行くよ。子供達にお別れを言っておきな。」
「は~い。」
櫻の言葉に元気な返事をし、遊んでいた子供達に別れの挨拶をするアスティア。するとその周囲には子供達が集まり、前から後ろから抱き着かれ別れを惜しむように縋る姿が見えた。
(ファートの町でもあんな感じで町の人達と小さい頃からの交流をしてたんだろうねぇ。)
その光景に櫻と出会う前のアスティアの姿を想像する。
「お待たせ、サクラ様!」
タタタッと駆け寄ってくるアスティアの姿に微笑むと
「あたしに付いて来てくれて、有り難う。」
と櫻は一言の言葉を掛けた。
「?うん?」
何の事か解らず不思議そうに首を傾げながらも、櫻の感謝の言葉に笑顔が浮かぶアスティアであった。




