海神祭り
『ドカン!ドカン!』
窓枠を微かに揺らす程の賑やかな空砲の音が、眠る櫻の耳に飛び込んで来た。
薄っすらと瞼を開くと、窓際には外の様子を窺うカタリナが朝日を浴びて立っていた。
「何だい、賑やかだねぇ。」
アスティアが腕に抱き付いて寝ているので身を起こす事はせず、顔だけを動かし外に目を向ける。
「お、お嬢起きたかい。あぁ、いよいよ祭り本番だからね。ほら見てごらんよ、町の連中も朝から元気だ。」
そう言ってカタリナは窓の外を指差して見せた。しかし見るにせよ見ないにせよ、先ずはアスティアを起こさなければ身動きが取れない櫻は、昨日の出来事を思い浮かべながらアスティアの側へ顔を向ける。
(あれだけの音が鳴っても起きないってのは、中々肝が据わってるのか単に鈍いだけなのか…。)
そこには何時もと変わらぬ幸せそうな可愛らしい寝顔が在った。全く無邪気に寝息を立てるアスティアに、心配は杞憂だったと自身に言い聞かせ櫻はその小さな肩に手を掛け、優しく揺り起こす。
スゥっと瞼が開くと、櫻の顔を見たアスティアは眠い目のまま、にへらと表情を綻ばせた。
「おはよう。どうしたんだい?」
不思議そうに櫻が尋ねる。
「えへへ…サクラ様が隣に居るのが嬉しくて…。」
まだ眠そうな声で、しかしその中には確かに嬉しさが溢れていた。
「あぁ、ちゃんと隣に居るよ。さ、そろそろ起きようか。」
「うん…おはよう、サクラ様。」
身を起こした二人はそのまま窓際へ歩み寄ると、窓から町を見下ろす。大通りには昨日よりも活気が有り、祭りを目当てにやって来たのか旅人風の人々も所々に見受けられる。
「ふぅん、結構な賑わいじゃないか。活気が有るのは良い事だね。」
「それよりお嬢とアスティアは服を着なよ…いくら二階だからって裸で窓際に立ってちゃ誰に見られるか分からないよ?」
そう言うカタリナであったが、二人を見るその目は興奮に満ちてギラギラとしていたのだった。
「まぁそうだね。アスティアの朝食を済ませたら着替えて、あたしらも外に食べに行こうか。」
ベッドへ腰を下ろした櫻とアスティアは互いを抱き合うようにして身を寄せ、吸血を行う。そうして食事を終えたアスティアが傷口を舐める舌を離すと、櫻は小さく頷いて見せた。
折角の祭りと言う事で普段よりも一層可愛らしさを意識した服をカタリナが選び、櫻とアスティア、更には命にまでそれらを身に着けさせた。
「こんな服、いつの間に買ってたんだい…?」
普段アスティアが着ているような物よりも更にフリル多めに配されたゴスロリ風の服は、ご丁寧にヘッドドレスまでセットになっており、其々櫻には赤、アスティアには黒、命には緑を基調とした物が用意されていたのだった。
「わぁ~、可愛い。背中が開いてないから羽根を出せないのがちょっと窮屈な感じだけど、サイズはピッタリ!」
くるりと楽し気に一回転して見せるアスティアに、皆もほっこりとした眼差しを向けた。
「さて…また食堂に行くのも悪くは無いが、取り敢えずその辺の屋台で軽く食べてしまってからギルドへ行こうか。」
「あぁ、査定も終わっただろうし報奨金を貰って、そしたら祭り会場の屋台で本格的に腹ごしらえをしようじゃないか。」
こうして宿を出た櫻達は、途中で見かけた屋台から適当な葉物野菜と焼きテンモロを購入し、食べながらギルドへ向かった。
ギルドへ到着し狩猟ギルドの窓口へカタリナが向かうと、櫻達はテーブルの上でケセランに野菜を食べさせながらその戻りを待つ。
そして少しすると、カタリナが戻って来たのだがその表情は何処か釈然としない様子。
「どうした?カタリナ。」
「ん…?あぁ、これを見てくれよ。」
そう言って突き出したのは討伐証明書と硬貨の入った革袋だ。見ると証明書には大金貨の箇所に二桁の数字。
「え~と…確かこの数字は…30?」
「わっ、サクラ様凄い!もう数字はバッチリだね!」
「流石です、ご主人様。」
「ははっ、アスティアに教えて貰っていたしね。いい加減数字くらいは読めなきゃ。」
まるで文字を覚え始めたばかりの幼児を褒めるようなその言葉に少々顔を引き攣らせながらも、悪気は無いと理解している櫻は素直に受け止めた。
(しかし数字は十進法だから0~9の字を覚えれば良かったものの、文字に関しては難しいねぇ…。)
櫻がこの世界で言葉が通じるのは、櫻が元来持つ【読心術】が神に成った事によって強化され人類の話す言葉が理解出来、また、櫻の言葉が『神の言葉』として人類に理解出来るように変換されている事から成っている。
その為、実際に櫻が聞いている言葉が文字として書かれた場合に、その文法等が櫻の知っている物と同一とは限らないのだ。そして言葉が通じてしまうからこそ、それを解説されても理解が難しい。つまり、単語を文字の形と並びで一つずつ覚える以外に文字を理解する手が無いのだ。
(まぁこればかりは焦っても仕方ない。これから先の長い時間の内に自然と覚えて行く事だろう…。)
『はぁ』と小さく息を吐き、カタリナに目を向ける。
「それで、金額に不満が有る…と?」
「まぁね。あのギルドの調査員、素材も高く買ってくれるって言ってたじゃないか?だけど内訳を見てみたら、魔獣討伐が25で素材が5なんだよ。」
「アイディの町で魔物狩りをしていた時の素材の値に比べれば随分高額だと思うが?」
「そりゃぁ、言っちゃ悪いがあんなありきたりな魔物の素材はそこまで高値にはならないよ。でも今回の魔獣の素材はレアだ。あれだけ苦労もしたし、もっと高くなると期待してただけにねぇ…。」
やれやれと首を振るカタリナ。
「まぁ仕方ないじゃないか。あれが本当に特殊魔獣だったのかも判らないし、あたしら以外に目撃者が居ないうえに当人達の被害がほぼ見当たらない有様で、その危険性を解れというのも酷な話だ。」
事実、以前対峙した特殊魔獣『鵺』は、複数の生物が合わさったような異様な姿から死体だけでもその異質さは伝わったものであったが、今回の魔獣は一見すれば『そのような』生き物が魔物化しただけとも思えるものであった為、特殊魔獣であると認識する事は難しいものであった。
「それに、大金貨30枚なんて充分大金じゃないか。欲を出しても碌な事は無いさ。」
「一番大変な目に遭ったお嬢がそう言うんじゃしょうがないね。」
カタリナは小さな溜め息を漏らすと微笑みを浮かべ、貰った報奨金を懐の財布へとしまい込んだ。
「さて、それじゃ港に行って本格的に朝食にしようじゃないか。」
「そうだね。折角だ、この金で美味いもんを食おうか。」
ギルドを後にした櫻達は、『海神祭り』の会場である漁港へと向かった。そこには既に大勢の人々が集まり、子気味良いリズムを刻む楽器の音が響いていた。
港の岸には町の中でも見かけた鯉のぼりのような飾りを付けた船が並び、船乗り達が船を出す準備をしている。
昨夜の前夜祭にも負けない程の屋台が立ち並び、食欲をそそる良い香りが漂ってくると、軽く朝食は食べた筈のカタリナの腹が『ぐぅ~』と鳴った。
「ははっ、流石にあれだけじゃ足りなかったかな。ちょいと何か買って来るけど、お嬢は何か食べるかい?」
「ん、そうだねぇ…カタリナが食べたい物を買って来たら、そこから少し摘まませて貰おうかね。」
「分かった、それじゃ何か適当に買って来るから、そこで待っててくれ。ミコト、お嬢達を頼んだよ。」
「お任せください。」
そう言うとカタリナは人混みを掻き分け、屋台の並ぶエリアへと姿を消した。その姿を見送る櫻達、だが、カタリナの後を尾行るように追う人影の存在に、櫻達もカタリナも気付いては居なかった。
買い物を終えたカタリナが屋台の料理を肩から掌まで使い器用に持って来ると、櫻達が休んでいたテーブル席の上にトントンと並べて行く。
屋台用にシンプルに作られた木製の皿の上、肉と野菜を使った様々なバリエーションの屋台料理が並ぶが、矢張り魚料理の姿は無かった。
「う~ん、やっぱり昨日の今日で魚料理は復活しなかったか…。」
櫻が腕を組んで小さく唸る。
「一応魚料理を出してた所は在ったみたいなんだけどね、どうやら川魚を獲って来て出してたみたいなんだけど、やっぱり数が無かったらしくてさ。魚料理を目当てにしてた人達が直ぐに殺到して売り切れちまったみたいなんだ。済まないね。」
「なに、不漁の原因は解決したんだ、今度この町に来る頃には美味い魚料理が食えると思えば楽しみが増えたってもんさ。」
そう言って肉と野菜が交互に刺さった串焼きを手に取ってみる。
(調理法は焼き鳥みたいな感じだね。)
はむっと口に含んで串から引き抜き味わうように噛み締めると、肉と野菜の旨味の中にピリリとした辛味も感じる。
「ん、何だか少し辛い味もするね。」
「ん?何か変かい?これはこういうもんだよ?」
「あぁ、いや。想像してたのと少し違ったから驚いただけだよ。」
「お嬢は何だか変に先入観が有る感じだよねぇ。今までどんな食生活を送ってたんだい。」
「あはは…こういう食事はしてなかったって事だけは確かだね。」
頬をポリポリと掻き誤魔化す。
(ふぅ、本当にねぇ…先入観は捨てなきゃと常々思っては居るのに、なかなか難しいもんだよ。それにしてもこの味は胡椒の辛味に似てるね。うん、美味い。)
一口目で味を占めた櫻は二口三口と串に刺さった肉を頬張ると、顔を綻ばせその味を楽しんだ。
「サクラ様、こっちもどう?はい、あ~ん。」
サイコロステーキのような肉を葉物野菜で包んだ物を、隣に座るアスティアが爪楊枝のような短い串でプスリと刺して櫻へ差し出す。
「ん?ありがとう。」
そのままパクリと口に含むと、アスティアも嬉しそうに微笑んだ。
こうして腹ごしらえをしていると、またしても『ドカン!ドカン!』と空砲が鳴り響き、それと共に今まで鳴っていた軽快な音楽から一転、厳かに流れる水のような音楽が奏でられ始めた。
そして岸辺に設置されたステージの上に水色の羽衣を纏った女性達が上ると、音楽は盛り上がりを見せ女性達も流れるような踊りを披露する。それはまるで穏やかな海と荒れ狂う海を表現するような見事な踊りで、櫻達も食事の手を止め目を奪われるのだった。
踊りが終わり女性達が舞台を降りると、入れ替わるように旅芸人のような人々がステージに上がり観客達を楽しませ、岸に泊まっていた船達が一斉に出港し始めた。
「ん?あの船達は何処に行くんだい?」
「さぁ?アタイもこの祭りは初めてだからちょっと解らないね。」
未だにガツガツとテーブルの上の料理を食べながらカタリナも首を傾げて見せる。
「ふぅん…アスティア、ちょっと身体、頼むよ。」
「うん。」
そう言うと櫻はアスティアに身体を預け、スゥっと意識を風に乗せた。
そして船の行く先に付いて行くと、町から少し離れた所で止まった船団は積まれた野菜や果実等を次々に海へと投げ入れ始めたではないか。更には樽から酒と思しき液体をドボドボと海へ流し入れ、船員達も酒盛りを始めた。
(何だこりゃ?供え物…って事か?)
《おーい、アマリ。まだこの辺に居るんだろう?》
《えぇ、居るわよ~。どうしたの?》
《いや、今祭りの様子を見てるんだけどね…。》
櫻は今見ている光景をアマリに説明する。すると、
《えぇ、これは毎度の事よ。》
と軽い答えが返って来た。
《これは海を汚してるとかには数えなくて大丈夫なのかい?》
《えぇ、野菜や果物は海に生きる生命達の栄養になるし、お酒なんてあの程度じゃ海は汚れないわ。あれは彼らなりの海への感謝と誠意みたいなものだってちゃんと理解してるから、そこまで心配しなくて大丈夫よ。》
櫻が危惧していた事を察したのか、アマリはクスクスと笑う。
《そうか…なら良かった。お前さんは祭りを観終えたらまた海を巡るのかい?》
《そうよ~、それが海の神としての私の存在意義だもの。もうこの辺に来るのはまた一年後かしらね。》
《存在意義ねぇ…あたしも人類を護る事がそれなんだろうけど、護るって何なんだろうね。》
《貴女って結構生真面目ねぇ。そんな事深く考える必要は無いわよ。貴女が護りたいと思ったものを護って、自分が正しいと思った事をすれば良いの。それでもし度が過ぎるような事をするなら、その時は主精霊達が黙ってないわ。》
《成程、主精霊達は神のストッパーにもなってる訳だ…。自分が正しいと思う事をする…か、そう言えば獣の神も同じような事を言ってたっけな。》
《他の神々も皆好きにやってるわよ。貴女ももっと肩の力を抜いて世界を楽しみましょ。》
《あぁ、そうだね。そうさせて貰うよ。》
心の何処かで使命感のようなものを抱え込んでいた櫻であったが、このアマリの言葉に肩の荷が軽くなったような気がした。
《処でサクラ、貴女は自分が守護する人類が、この惑星で一番優れた種と思っていたりするかしら?》
《…何だい?藪から棒に?》
突然脈絡の無い話が飛び出して来た事に櫻は驚く。だがアマリはその答えを待っているようにそれ以上何も言葉を続けない。
《う~ん…難しい質問だねぇ。確かに優れていると言えなくも無い…が、それは見方次第だろう。人は道具を使って様々な事を行う、これは人類の優れた点だ。だけど獣の力にも、植物の生命力にも、魚の泳ぎにも、人は敵う事は無い。一番なんてこの世には無いさ。》
櫻の答えにアマリは押し黙った。
《…アマリ?どうかしたのかい?》
《ううん。変な事聞いてごめんね~。フフッ、貴女が人類の神になってくれて良かったわ。それじゃ私はそろそろ行くわね。また何処かで会いましょ。》
先程までの何処か重苦しい雰囲気は既に無く、いつもの明るいアマリの声が意識に響く。
《あ…あぁ?息災で…って言うのも変か?また何処かでね。》
そうして念話が切れると、突然轟音と共に船団の前に大きな水柱が立ち上がり、漁船の数倍はあるアマリが姿を現した。そして『風の意識』となっている櫻に向けニコリと微笑み手を振ると、再びその身は海水となり海へ溶けたのだった。
船団の船員達、そして遠くで見ていた港の人々もその姿に一斉にザワつき、軽いパニックになっていた。
(全くあの神様は…人目に付きたくないとか言ってた割りには、その場のノリで生きて(?)るねぇ。…あたしもあれくらい呑気でも良いのかもしれないね。)
フフッと笑い、意識を身体へと戻す。
「あ、サクラ様、お帰りなさい。」
「あぁ、ただいま。」
ぎゅぅっと櫻の身体を抱き締めていたアスティアの声に笑顔で応えると、海を見る。周囲は神の顕現に大騒ぎとなっていたが、その騒めきの中から聞こえる多くの声は神の姿を目にした事への感動や興奮の言葉であった事から、人々の海の神への信仰は危惧する事も無いだろうと櫻は安堵するのだった。
程無くして、沖へ出ていた船も港へ戻って来た事で『海神祭り』本番は終わりを迎え、後にはその余韻を楽しむ者達で個々にどんちゃん騒ぎを行う者達だけが残ると港から人の波は引いて行き、船乗り達も明日からの漁業の再開へ向け船の整備を始めた。
「楽しいお祭りだったね~。」
人の減った港を見回し、アスティアは少しだけ寂しそうな声を漏らす。
「そうだねぇ。アマリが毎年見に来る気持ちも解る気がするよ。大部分は人の娯楽の為の騒ぎのようではあったけど、海への感謝を忘れていないのが良かったね。」
「それにしても、最後のアマリ様の顕現は驚いたねぇ。」
既にその姿を目にするのは三度目のカタリナであったが、未だに興奮が残るような声を出した。
「ははっ、まさかあんな派手に姿を見せるとはね。まぁ、朝に人に目撃されて噂になってしまっていたから今更という気持ちもあったのかもしれんが、良いサプライズになったみたいだし結果オーライだね。」
今は沖に出ている船も無い静かな海原に目を向け、アマリの笑顔を思い出し微笑む櫻であった。




