海底洞窟の脅威
「ダンジョンだって?」
カタリナは櫻の言葉に周囲を警戒し身構えた。
『ダンジョン』…それは主に地下の空間に現れた瘴気が、取り憑く身体を得る事が出来ず霧散した際に、残った魔界の成分が溜まり大気が汚染され、魔界と似通った状態になる事で生まれる特殊な空間だ。
その状態まで変質した空間には魔物が引き寄せられ、互いを捕食し合い特殊な魔物へと変化、更にはソレがダンジョン内の瘴気濃度を濃縮し始めるという現象が発生するのだ。
「あぁ、アイディの町の近くに在ったヤツよりは濃度が低いが、この感覚はあそこと同じだ。」
「って事は、まさかこの奥に居るのは『特殊魔獣』なのか…?」
「解らないが、その可能性は考えていた方が良いだろうね。」
櫻の真剣な眼差しと言葉に、アスティアとカタリナはコクリと小さく唾を飲み心構えを整える。
(しかし…ダンジョンってのは確か本来地下牢の意味だったと思ったが、元の世界でゲーム用語として地下迷宮のような意味合いになって、更にこの世界の誰かがそのイメージを受信したのかその名が付くようになった感じなのかね…言葉の変遷とは不可思議なものだねぇ。)
そんな事を考えながらランタンの灯りに照らし出された周囲を見回す。
(だけどこりゃぁ、迷宮と言うには余りにもただの広い空間だねぇ。)
その感想の通り、その地下洞窟は広い一本の穴が只管に奥へ続くトンネルのような構造をしており、緩やかな傾斜が上へ向かっていた。
「この穴、何処まで続いてるんだろう…?」
アスティアが櫻に縋り付きながらポツリと零す。
「判らん…が、恐らくアマリにここまでの道を開けて貰う前からこの空間には空気が有ったようだし、地上の何処かと通じてる事は確かなんだろう。兎に角進んでみるしか無いね。」
櫻はそう言って止まっていた足を一歩踏み出し、アスティア達もその後に続くように進み出した。
奥へ進むとその道中には、地中に生息する生物が変化した魔蟲や、地中を移動する性質の小型の獣が変化した魔獣が姿を見せ、その度にカタリナと命によって討伐される。
「こんな小物程度なら一体ずつ出て来てくれりゃそれ程苦労も無いが、流石ダンジョン。数が多いねぇ。」
「カタリナ、油断は禁物ですよ?」
「解ってるって。それにもし何かあったらミコトがカバーしてくれるのを信じてるしね。」
そう言ってお道化たように肩を竦め小さく舌を出して見せるカタリナに、命は呆れたように微笑んで見せた。
(ふぅん…この二人、ウィンディア・ダウでの戦いの頃から随分と相性が良くなった感じだねぇ。頼もしい限りだ。)
二人のやり取りに櫻は小さく微笑むと、その時、頭上のケセランがプルプルと震え出した。
《サクラ、こわいのいる。コッチにきてる。》
《何だって?》
ケセランの言葉に櫻が洞窟の奥の闇の中に目を凝らす。すると奥の方から、ドシン…ドシン…という重い足音と、ズルズルと何かを引き摺る音が聞こえて来た。
《ケセラン、お前さんは何処か安全そうな場所に身を隠しておくんだ。》
《わかった~。》
身構える櫻の頭上からぴょんと飛び降りたケセランは、ぴょこぴょこと地面の上を跳ねて岩壁の小さな窪みの中へ身を隠した。
「アスティア、カタリナ、どうやら例の魔獣が出て来たようだ。血を飲んでおきな。」
「うん、解った!」
「あいよ!」
二人は櫻の指示に従い腰に下げていた水筒を手に取ると、喉を鳴らし一気に飲み切った。アスティアは4枚の羽根を出現させ、カタリナは獣人形態への変態を済ませ身構える。
そうして準備万端の一同の前に闇の中から姿を現したソレは、ゴツゴツと、そしてトゲトゲとした暗い緑色の体表にギョロリとした半分飛び出したような眼球、そして大きな口と太い尻尾を持った巨大な四足歩行の魔獣であった。
その大きさはその口に櫻を一飲みに出来る程で、目の前の獲物を見据え何を考えているのか喉を動かしている。
(何だこりゃ!?鰐!?いや…イグアナ!?知ってる動物に似ている特徴は其処彼処に有るが、あたしの知識には無い生物だね…。)
地球に居る爬虫類の特徴を併せ持ったようなその見た目に驚きを隠せない。
「何コレ!?ボクこんな獣知らないよ!?」
「アタイもだ!お嬢、今回は何か知らないのかい!?」
「あたしを動物博士みたいに言うんじゃないよ。流石にコレが何なのかサッパリだ、済まんね!」
(『鵺』の時は伝承の知識が有ったから何とか対処出来たが…コレに関しちゃ見た目から想像するしか無いか…。)
四人は攻撃を集中されぬように少々の間隔を開け、正面にカタリナと命、左右に櫻とアスティアという風に魔獣を囲むように展開する。すると魔獣の半球の眼は其々別個にギョロギョロと動き櫻達の動きを追い始めた。
(性質は爬虫類と同じようなものか?)
牽制の意味を含め、先制攻撃とばかりに櫻が片手を振り上げると、その手の先から風の刃が生み出され魔獣目掛けて真っ直ぐに飛んだ。
しかし魔獣はそんなものは気にしないとばかりにソレを身体で受けると、硬い表皮に当たった風の刃は虚しく空に溶けてしまった。
「何て硬さだ…。」
呆れて呟くと、続けて二度三度と徐々に威力を上げつつ放つ。すると今度は複雑な凹凸の堅い外皮に弾かれ無軌道に拡散した風が威力を消し切れずに洞窟の壁に当たり、壁面がパラパラと零れ落ちた。
(これは…下手に強力な攻撃をしてはマズいかもしれんな…。)
洞窟の崩落を危惧し、これ以上の威力上昇は避けると櫻は牽制に徹する事にした。すると魔獣の興味が櫻へ向いたのか、その巨体を櫻の方へと向け始めた。
(チャンス!)
『ここだ』とカタリナが爪の先に炎を纏わせ飛び掛かる。
だがその動きも感情の無い瞳はしっかりと捉えていた。その巨体と先程までの緩慢な動きからは想像もつかない素早さで、櫻へ向きかけていた身体を向き直すように首を振ると、ウゴウゴと喉を動かしガパリと大きな口を開き、突然何かを吐き出したではないか。
「んなっ!?」
咄嗟にカタリナは両腕をクロスさせ顔面への直撃を避けるが、吐き出された何かを全身に浴びてしまった。
「なん…だっ…?こりゃ…!?」
体中を濁った黄色い粘液が滴るカタリナが、その場にガクリと膝を落とし片手を着いた。その身体を支える腕がガクガクと震える。
「カタリナ!大丈夫か!?」
慌てる櫻の声にカタリナは返事をしようとするが、口をパクパクとさせるばかりで身動きすら取れずに居た。
(何だ!?身体が痺れて自由が利かない…!毒!?油断したか…!)
己の不甲斐無さに魔獣を見据え歯を食いしばる。そんなカタリナを狙ったか、再び魔獣が大きく口を開ける。
「させません!」
「お前の相手はボクだよ!」
命がカタリナの前へ飛び出し、アスティアが身体を回転させ鋭い羽根による攻撃を加えるが、その硬い表皮には擦り傷程度のダメージしか与える事が出来ない。
両手を剣と盾に変化させた命がカタリナを庇うように魔獣の前へ立ち、その剣と化した右腕を構え攻撃に転じようとした時、再び魔獣の喉がウゴウゴと動く。
「命!また何か吐き出すぞ!」
「ご安心を。私に毒は効きません。」
そう言って剣を振り抜こうとした。
すると魔獣の口から吐き出されたのは緑色の粘液だ。それは命の正面にダイレクトに浴びせられ、更には背後に居たカタリナにまで飛び散る。
「…ァァ…ゥッ…!!」
声を発する事すら難しい程に身体の自由が利かなくなっていたカタリナが苦しみの表情を見せた。
カタリナの、そして命の衣服がジュウジュウと音を立てると白煙を上げ溶けて行くではないか。カタリナの手足にかかった粘液はその場に火傷のような痕を残していく。
「…っこれは!?」
命は自身の身体に掛かった液体に意表を突かれ、慌てて背後のカタリナに目を向ける。
鼻を衝く異臭に櫻は思わず顔を歪め口元を塞いだ。
「…酸だ!命!カタリナを連れて退避しろ!」
「承知しました!」
櫻の言葉を受けて命はカタリナを抱えると、魔獣に背を見せぬように後ろへ飛び退きつつ距離を取る。だが魔獣は折角弱らせた獲物を逃す訳が無い。命目掛けて長い舌を射出すると、その足を絡め捕られた命は地面へと倒れ込みカタリナを離してしまった。
投げ出され、受け身も取れず硬い地面にゴロゴロと転がるカタリナ。
「しまった…カタリナ!」
慌てて足に纏わり付く舌を切り離そうと再び腕を剣に変化させ振りかぶると、危険を察知したのか魔獣はその舌を離し口の中へと巻き取る。
その隙に命はカタリナの元へと駆け寄る。すると、カタリナは既に衣服の大部分を溶かされ、獣人形態も解け身体の彼方此方に火傷を負った状態になってしまっていた。
「あぁ…!そんな…!」
命の思考が混乱する。何かカタリナを救う手立ては無いか、周囲に目を向けるが暗い洞窟の中で自分達以外に何が在る訳も無い。するとその時、
「命!コレをカタリナに!」
その声と共に命目掛けて何かが飛んで来る。咄嗟に受け取ったソレを目にした命は一瞬我が目を疑った。それは腕、櫻の肘から先であった。
「早くソレをカタリナに食べさせるんだ!」
そう言う櫻は、恐らく風の刃で切り落としたのであろう自らの左腕を再生させながら苦痛の表情を浮かべ、それでもカタリナへの魔獣の接近をさせぬ為に風の能力を振るい、アスティアと共に攻撃を加え続けていた。
そんな櫻達に小さく頷くと、命はカタリナの身体に僅かに残った衣服を剥ぎ取り、付着している粘液を拭き取りその身体を抱き起す。
「カタリナ、ご主人様の腕です。食べられますか!?」
その声にカタリナは口をパクパクとさせるが、何を言っているのかは全く聞こえない。ただ苦痛に歪む表情がその苦しみを伝えるばかりだ。
命は考える。
(この状態は酸による外傷と、毒による筋肉の麻痺…内臓は無事の筈。ならば、流し込む事が出来れば…飲み込むだけならば出来るかもしれない…。)
徐に命は手に持った櫻の腕に噛み付くとその肉を毟り取り、口一杯に頬張り一生懸命に咀嚼し始めた。そして充分にその原型が無くなる程となった処でカタリナの口にその口を重ねる。
突然の事に驚き目を見開くカタリナだったが、その意味する処は履き違える訳も無く、命からの口移しを受け入れると自由の利かない身体に鞭打ち喉を動かした。
こくり、こくりと少しずつ口移された物が喉を通る。すると僅かにカタリナの指先がピクリと動いた。
その様子に確信を得た命は2度3度と櫻の腕から肉を口に含み、カタリナへ口移しを続けるとその身体はみるみる回復していくではないか。
グッと命の腕を掴む力強い掌。
「済まないね、助かったよミコト。」
「いいえ、お礼はご主人様にしてください。」
安堵の表情を浮かべる命にカタリナが微笑みかけ、身を起こす。
「ミコト、手を貸してくれ。」
「はい、どうぞ。」
そう言うと命は左腕を肩ごと外し、剣へと変化させカタリナに手渡した。それを受け取り、カタリナは再び身体に力を込めると火傷の痕も見当たらない美しい筋肉質の裸体からザワザワと獣の体毛が全身に生え揃い、口先が伸び身体が肥大化していく。
「よし!身体は元通りだ!行ける!」
獣人形態への変態を終えたカタリナは自身の調子を確認するように掌を握り締め頷いた。
魔獣の元へ向かうカタリナと命。その視線の先には櫻とアスティアが魔獣の正面に立たぬよう左右から息の合った同時攻撃を行い、魔獣の気がカタリナ達へ向かぬよう顔面への攻撃が続いていた。
その様子にカタリナはフッと笑みを浮かべると命に身を寄せ、
「な?あの二人は心配する事なんて無いだろ?」
と耳打ちをする。
「…そのようですね。」
命も小さく頷くとフフッと笑う。そしてカタリナと共に駆け出し、右腕に剣を創り出すとカタリナの動きに合わせ共に振り上げた。
「お嬢、アスティア、アタイらも混ぜな!」
「あぁ!コイツの外皮を何とかしてくれ!」
カタリナの手に持つ剣を見た櫻とアスティアは状況を理解し瞬時に一歩引くとカタリナ達へ道を開け、その振り下ろされる剣が魔獣の首元から生える前足の付け根に切り傷を負わせた。
岩をも軽々と切り裂く魔法金属の剣によりスッパリと切られた硬い外皮の中、白い肉が姿を現す。だが深さが足りない。その太く頑丈な前足は骨まで達する事無く未だに健在であり、しかし魔獣は思わぬ深手に怒り狂い始めた。
『グオオォォ!!』と大きな咆哮を洞窟の中に響かせたかと思うと、一瞬頭と尾を逆方向に振り、次の瞬間腹を軸にしての激しい横回転を始めたではないか。
「うぉ!?」
全員が飛び退き、その動きが収まるまで手を出せずに見守るしか無いと思ったその時、突如振り回された尻尾がピンと伸び、櫻に襲い掛かった。
「何!?」
予想の付かなかった攻撃に回避が遅れた櫻の身体に、回転の勢いに乗った太く強靭な鰐のような尻尾が横殴りに当たると、腕がボキボキと音を立て身体が歪む。そしてそのまま吹き飛ばされ壁面へと打ち付けられるとその衝撃から内臓が破裂したか、口から大量の鮮血が吐き出された。
「サクラ様!」「お嬢!」「ご主人様!」
三人の声に櫻の一瞬飛んだ意識が直ぐに戻る。
「っくそ…最近こんなのばっかりだね…!」
気合を入れ身体の修復を始めるが、魔獣は弱った獲物を逃すまいと舌を吐き出し、その小さな身体を絡め捕った。
「しまっ…!?」
その舌の動きは素早く、ほんの一瞬で櫻をその口の中へと引き込むとゴクリと喉を鳴らした。
「あ…あ…サ、サクラ様…。」
ガクガクとアスティアの足が震える。だが青褪めた顔が怒りに満ちるまでにそれ程の時間は掛からなかった。
「このおぉー!サクラ様を返せぇ!」
グッと足に力を込めると羽根を纏いドリルのように回転を繰り出し、魔獣に向けて渾身の突撃を繰り出す。その攻撃は魔獣の外皮によって弾かれるが、アスティアはそんな事は関係無いとばかりに何度もそれを繰り返した。
カタリナと命も傍観等する筈が無い。魔獣に向けて剣を振るものの、既に魔獣は脅威をその刃物だけと判断したようだ。注意深く動きを探る両目がギョロギョロと動き、驚く程正確な動きで見切るように剣先を躱していく。
「クソッ!デカい図体のクセにちょこまかと…!」
攻撃を当てる事が出来ずカタリナに苛立ちが募り始める。だがその時、魔獣の動きに変化が表れた。
突然に悶え苦しむように身をくねらせる魔獣。
「…何だ?」
カタリナが訝し気に眉を顰める。その様子にハッとしたアスティアは繰り返し続けた突撃を止めると、魔獣から離れた。
「サクラ様!やっていいよ!」
洞窟内に大きく響くアスティアの声。するとそれを受けたとばかりに魔獣の背中がもこりと盛り上がった。そして次の瞬間、魔獣の内側から弾けるようにその背を突き破り激しい風が巻き起こった。
それは洞窟の天井を抉る程の威力を見せ付け、魔獣の背中を軒並み吹き飛ばす。
天井から降り注ぐ岩を全身に受けながら魔獣は余りの苦痛に大きく口を開き毒液と酸をゲボゲボと吐き散らすと、眼球をギョロリと動かしその身を沈めたのだった。




