不漁の真相
「それで、どんな話が聞けたんだい?」
宿に戻った櫻達はテーブルを囲んで椅子に座り、宿のサービスで出された温かいお茶を飲みながら顔を突き合わせていた。
「あぁ。取り敢えず聞けた事としては、『漁の最中に船の下を巨大な影が通り過ぎた』事、『海の色が突然部分的に奇妙な色に濁った』事、あとはさっきも言った『様子を見に潜った漁師が帰って来なかった』事だね。」
聞いた話を思い出すように天井に目を向けながら、カタリナが指折り数え大まかに述べる。
「ふぅむ。その漁師ってのは溺れたとか波に流されたとかいう可能性は無いのかい?」
「いや、それは無いだろう。なんせ魚人族だ、溺れるなんて事とは無縁の連中だよ。」
「『魚人族』?」
「あぁ。お嬢も港で見ただろう?漁師をやってた連中、あれ全員魚人族だったぞ?」
「何だって?普通の人間のようにしか見えなかったが…。」
港で見かけた漁師達を思い出す。遠目に見ただけなので細かい部分を覚えている訳では無かったものの、その姿は普通の人間と変わらないようにしか思えず首を傾げる。
「ははっ、確かに遠くから見たら余り見分けは付かないかもなぁ。髪の色も陸上じゃ殆ど黒に見えるし。でも近付いてみると特徴は解るよ。良く見ると肌はザラザラしてるし指の間にアタイらより広い水掻きが在るし、何より首の所に『エラ』が付いてる。」
カタリナはクイッと顎を上げると自らの首筋を斜めになぞって見せた。
「ほぉ~…全然気付かなかった。」
(魚人って言うから怪物映画に出て来る半魚人みたいなのを想像してた…思い込みは危ないねぇ。)
全身を鱗で覆われ耳や腕や足に鰭の付いた緑色の怪人のイメージを思い浮かべ、それを振り払うように頭を振る。
「まぁそんな訳で、魚人族は水中でも長時間の活動が出来る連中だ。溺れるなんて事はまず在り得ない。何かに襲われた可能性が高いと見るべきだろう。」
「その『何か』が、船の下を通った巨大な影かもしれないという事だね。」
「あぁ、だけどその影も、海の濁りも、其々一回程度しか目撃情報が無くて信憑性は少々疑わしいとは思う。ひょっとしたら其々関係無い事象だったかもしれないしね。後ギルドも一応覗いてみたけど、矢張り目撃情報が少ない上にその影が魔魚とは断定出来ない為か討伐依頼は出てなかったね。」
「ま、その辺はこれから調べれば追々判って来る事とは思うが…何方にしても海の中の話だねぇ。あたしらに何が出来るのやら…。」
腕を組み、う~んと眉間に皺を寄せてみるものの、中々良い考えが浮かばない。窓の外に目を向けると、既に町は夕闇の中に在った。
「取り敢えず、飯にしようか。」
「そうだね。考えてみたら町に到着してから何も食ってないや。」
櫻達は宿の受け付けで適当な食堂の情報を聞き、大通りを少し歩くと教えられた店へと入った。そこは港町らしく主に魚介系の料理を振る舞う店のようで、店内にも魚を模した木製のプレート等が飾ってある。席も4人掛けテーブルが20程も有り、それでも尚店内に窮屈さを感じさせない程の広さから普段の繁盛具合が見て取れる。
しかしそんな店内を見回してみるとテーブルに客の数は疎らで、厨房から漂ってくるのも魚では無く肉の焼ける匂いだ。
適当に空いているテーブル席に着くと、周囲の客に目を向けてみる。すると食べている料理の殆どが肉や野菜の料理で、海の幸と呼べるものは浜辺で獲れるような小さな貝や海藻の類ばかり。
(不漁で魚料理を出せるだけの余裕が無いのか…これは深刻だねぇ。)
そんな事を考えながらテーブルの上に置いてある二つ折りのメニューを手に取り開く。当然櫻には全く読めない為、横に居るアスティアが寄り添うように覗き込むと、ある事に気付いた。
「あれ、サクラ様。今このメニュー表は使えないみたいだよ?」
「何?」
「ほら、コレ。」
そう言ってアスティアが指差したのは、メニュー表に挟まれるように添えられた羊皮紙の切れ端のような物。
「『只今魚が手に入り辛くなっている為、在り合わせの材料での即席料理で対応しています』だって。」
「成程、それじゃ店員に何を出せるのか直接聞くしかないって事か。」
ふぅと溜め息を吐きメニューを閉じると、アスティアも櫻にメニューを選んでやる事が出来なかった事が不満なのか、拗ねるように櫻の肩に寄り掛かった。
「おーい、女将。今は何が食えるんだい?」
カタリナがカウンター奥へ向けて声を掛けると
「はーい、ちょっと待っとくれ!」
と忙しない声と共にパタパタと女将が顔を出し、櫻達のテーブルまでやって来た。
「はいはい、注文ね。今はちょっと訳ありでねぇ、用意出来る材料はアレとコレとソレと…ってな感じだから、お客さんがどんな物を食べたいかで即席で作らせて貰ってるんだ、済まないねぇ。」
女将が指折り用意出来る食材を挙げる。その内訳は殆どが陸の食材であり、やはり海産物で用意出来るのは先程も他のテーブルで見た小さな貝程度のようだ。櫻達は顔を見合わせる。
「それじゃアタイは肉メインの料理を適当に味付けをバラけさせて5皿、盛りは多めで。あと酒ね。」
「あたしは貝入りの野菜炒めみたいなのが出来ればそれがいいかね。」
「はいはい。そっちのお嬢ちゃん達は?」
頷き注文を暗記しながら女将はアスティアと命に目を向ける。
「ボクは分けて貰うから平気!」
「私は空腹では無いのでお構いなく。」
アスティアと命も、こういう場合のあしらい方を身に着けサっと流すと注文を終え、女将は厨房へと姿を消した。
「何処も彼処も大変だねぇ。早い事何とかしないと気がかりで旅を続けられないよ。」
テーブルに頬杖を付いて櫻が小さな溜め息を漏らす。
「ま、こういう時は少し待って様子を見てみるのも手だと思うよ?狩りなんかはジッと待つのもセオリーだ。相手が魔魚だってんなら引き揚げる為の何かが掴めるかもしれない。」
「まぁそうだねぇ。今日は腹ごしらえをして、ぐっすり眠って英気を養おう。」
そうして出て来た料理を堪能すると、櫻達は食堂を後にして宿屋へと戻り、部屋の中、ベッドへ仰向けになり満腹の腹を摩りながら満足そうな顔で天井を見る。
「いやぁ、即席の料理とは思えないくらい美味かったねぇ。」
出て来た野菜炒めは海岸で獲れたのであろう小さな二枚貝やつぶ貝を混ぜ、味付けに貝の肝と酒を合わせたものを使ったらしく海の幸の風味を存分に堪能出来る物であった。
「あぁ、ここの主人も良い店を紹介してくれたもんだね。」
「問題を解決出来れば魚も普通に仕入れられるようになって、もっと美味い料理を食えるのかねぇ?だとしたらやる気も更に起きるってもんだ。」
ペロリと唇を舐め目を細めていると、アスティアが覆いかぶさるように櫻を覗き込む。
「サクラ様ぁ、ボクもご飯欲しいなぁ。」
「あぁ、そうだね。ちょっと待っとくれ。」
そう言って身を起こすと服の肩口をズラし首筋を露わにし、アスティアを迎え入れるように両手を差し出す。
「えへへ…頂きます。」
アスティアは微笑みを浮かべ櫻の腕の中へ身体を納め、互いに抱き合うような体勢で櫻の首筋に口付けをした。
「何だかアスティア、随分甘えん坊になったねぇ?」
カタリナが幸せそうに血を吸うアスティアをニマニマと眺めながら言う。
「まぁいいんじゃないかい?歳相応って感じでさ。」
「お嬢は見た目の歳と中身が全然合ってないけどね。」
そんな突っ込みにハハハと部屋の中に笑い声が溢れるのだった。
アスティアの食事を終えると皆で風呂を借りる事にした。最早慣れた井戸の脇に設置された巨大な木桶のような浴槽と、東屋のような屋根。周囲にはトロリの木が生垣のように植えてある定番の造りだ。
だが流石に港町だけあって海風対策なのか、屋根は広めに空を覆い海側には木の板を立て並べた風除けが在り、吹き付ける風の威力を逸らすように板の上部が反れた造りになっている。
(ほ~、色々考えられてるもんだねぇ…。)
トロリの葉を手で揉みながら感心する櫻。手に山となった泡をアスティアに盛り頭から身体まで丁寧に洗うと、アスティアもお礼とばかりに泡まみれの全身を使って櫻の身体を隅々まで洗い合う。
そんな光景を鼻の下を伸ばしながら眺めるカタリナは、命と互いに洗い合いながら旅の疲れと汚れを落とし、その日を終えるのだった。
その晩。
《人類の神…聞こえますか?》
眠りの中にある櫻の意識に聞き覚えのある声が聞こえて来た。
(ん…?ファイアリス…じゃないな。この声はアマリか?)
《あぁ、聞こえるよ。お前さん、アマリだよな?》
《はぁ~い、お久しぶり。そうよ。海の神『アマリ』よ~。》
(相変わらず軽いな。)
その余りにフランクな声に櫻は少々呆れながらも気兼ね無く話が出来る相手として気持ちが楽になる。
《あぁ久しぶり。あたしの事も『人類の神』なんて堅苦しい呼び方じゃなく『サクラ』と呼んでくれて良いよ。》
《解ったわ、サクラ。》
《それで、突然どうしたんだい?》
《実は今、貴女の居る町の傍に来ているんだけど、ちょっと困った事があるのよ。それで力を貸して貰えないかなぁ~?って思ってね?》
話を聞くと、アマリは毎年この時期にはこの町の付近まで来て祭りの様子を見ているらしい。だが一年振りにこの近海に来てみると海の中の様子がおかしい事に気付いたと言う。
《あぁ、その事か。あたしらも今情報を集めている処でね。ソッチでは何が原因か解らないのかい?》
《あら、原因は解ってるわよ?》
《へっ?》
思いがけぬ答えに櫻は思わず間の抜けた声を漏らしてしまった。
《今のこの海の状況は『魔獣』の仕業よ。ソイツがこの近海で暴虐の限りを尽くしたものだから、『魚の神』がこの近辺から魚達を逃がしたのよ。お陰でその町で不漁が続いてるみたいでしょう?そのせいで私の信仰が落ちちゃいそうで困ってるのよね~。》
『はぁ~』という溜め息が聞こえて来るようなアマリの声。
(成程、魚は別に絶滅した訳じゃなく別の海域に一時的に避難しているのか…というか、信仰って…。)
《ん?今『魔獣』って言ったか?『魔魚』じゃなく?》
《いいえ、4本の足で歩く魔獣よ。ソイツは海の中を泳ぐ事も出来るのよ。それでそこが問題なんだけれど…。》
アマリが言うには、その魔獣は大陸内部に入り込むように開いた海底洞窟の奥に居るらしいのだが、その洞窟というのが入り口こそ海水が在るものの、途中から空気の在る空洞になっておりアマリの力を行使出来ないと言う事であった。
《ソイツの存在を察知して私もソイツが出て来るのを待って退治してやろうと思ってたのだけれど、どうも彼方も私の存在に気付いて警戒しているのか姿を現さなくなっちゃったのよね。出て来ないならそれはそれで良いけど、まさか私がずっとこの海域に留まって威圧している訳にも行かないし…。》
《ふむ、つまりあたしらにソイツを始末して欲しいと?》
《そういう事!話が早くて助かるわぁ。》
《まぁあたしらも町の問題を解決したいと思っていたし、その原因が排除出来るのであれば断る理由も無いからね。ただ、その海底洞窟にあたしらがどうやって入ったら良いのかって事が問題だよ。最悪裸で潜るにしても洞窟の中を照らすランタンくらいは持ち込まないと戦いにすらならないからねぇ。》
《あぁ、そこは安心して頂戴。私が何とかするから。》
《何とかって…?》
《それじゃ明日、人目の少ない朝の内に海岸横の岩場の辺りに来て頂戴。待ってるわね~。》
《あっ、おい!?》
アマリは言いたい事を言い終わるとサッサと念話を切断してしまった。
(全く…せっかちなのか何なのか、ファイアリスといい、神ってのはマイペースだねぇ。ともあれまさかの有益な情報だ、これは思いの外早く問題解決が出来そうだね。)
そんな事を思いながら、櫻は明日の朝が早いと覚悟を決めて意識を眠りの中に戻すのだった。




