シトレイン
その男、身なりは作業着のような素気の無い物で、身体つきはそれ程逞しくも無いが決して貧弱という程では無い。その顔つきは何とも平和そうな緩い顔をしており、それより目を惹いたのは若葉のように鮮やかな明るい緑色の髪だった。
「へぇ、エルフか。」
カタリナは平静な表情で腰の水筒に手を添えつつ、正面からその男を見据えた。
「エルフ?」
「あぁ。主に中央大陸に多く住んでる連中だけど、人間の次に数が多いから今までの町でも結構見掛けてただろう?」
(あぁ…そう言えば確かにファートの町でアスティアに教えて貰った時にも居たな。)
カタリナの説明に櫻も頷いて見せる。
(しかし、あたしの知ってるエルフってのとはちょっと違うねぇ。)
そう思いつつ視線を向けたのはその耳だ。多少人間より大きく、上部分が角ばっては居るものの、元の世界で知られるような長く尖った耳ではない。
「なぁ、エルフの耳ってのは皆そんな感じなのかい?」
思わず不躾にも疑問を素直に口にしてしまった。
「あははっ、お嬢ちゃん、エルフをじっくり見るのは初めてなのかな?うん、僕達エルフは人間と比べると少しばかり耳が大きくて尖ってるんだ。樹木の精霊に生み出された種族だからか森の中での生活が長くてね。それで音を感じる能力が高くなってこうなったと言われてるんだよ。」
屈託のない笑顔で自分の耳をちょいと摘みながら櫻の疑問に答えたその男に、櫻以外の三人も警戒心が薄れた。
「それで、君達はこんな処に一体何をしに来たんだい?荷車を牽いてるようだけど、よくこんな道も無い場所まで来れたものだね?どうも行商人という感じでは無いし…。」
男は櫻達のフリフリな服装とカタリナの粗野な服装を2~3度交互に見て首を傾げた。
道が無いと聞き驚く一同。思わず一軒家の正面へ目を向けると、確かにそこから延びるような道も見当たらず、見事に周囲は林の木々で囲われていたのだった。
「あ、あぁ。アタイらは旅のモンなんだけど、この辺から煙が立ち昇ってるのが見えたもんでさ。開拓地でも出来てるのかと思って様子を見に来てみたんだよ。」
咄嗟にカタリナが出任せを言うと、櫻もそれに倣って頷いて見せる。
「あぁ、成程。でも済まないね、ここは開拓地じゃないんだ。期待に添えなくて申し訳無い。」
「いや、此方こそ突然押しかけて来て済まない。それで、ここは一体何なんだい?」
申し訳ないと頭を掻く男に、すっかり警戒心を失った櫻は興味本位で尋ねてみた。
「ははっ、お嬢ちゃん、小さいのにしっかり受け答えが出来て偉いね。ここは僕が趣味でやってるフィールドワークの拠点でね。」
「フィールドワーク?」
「うん、ここら辺は人間が誕生するより遥か昔に存在していた、獣達の祖と呼ばれる生物の化石が出るんだよ。僕はそれを発掘するのが趣味なんだ。」
男は林の奥を指差し、活き活きとした表情を見せる。
「へぇ~…化石…。」
(やっぱりこの世界でもそういう生き物の歴史ってのはあるんだねぇ。まぁケセランみたいな突然変異が生まれるって事は当然、生物の進化がある訳だしね。)
頭の上で寛いでいる真っ白い毛玉にちょいと手を添えてみた。『それ』は一瞬ピクリとしたものの、周囲に危険な気配を感じない為か直ぐにモサァと身体(?)を沈め櫻の真っ白な頭髪と一体化してしまった。
「それにしても、開拓地でも無いって事は此処は瘴気の出る危険性があるんだろう?そんな場所に一人で、危なくないのかい?」
周囲を見回し、櫻は疑問を口にする。するとそこにカタリナが口を挿んだ。
「あぁ、それな。多分コイツはその為に栽培してるんだろ。」
そう言って指差したのは先程カタリナが気に留めた畑に生える植物だ。白い花びらの小さな花をつけたその植物は、恐らく種を植える時期をズラしてあるのか畝毎に背丈が違う。
「これは?」
「コイツは『ジョンギグ』って植物で、根っこごと全部燃やして灰にすると瘴気避けになるんだ。」
「へぇ。それじゃコレを大量に栽培すればもっと安全な土地を増やせるんじゃないのかい?」
「いや、それがコレ、効果はあんまり長持ちしないんだよねぇ。だから定住地に使おうなんて考えたらアっと言う間にその辺が煙と灰だらけになっちまう。」
「成程…そうそう旨い話は無いって事か…。」
櫻は顎に手を当て少々残念そうに眉を顰めた。
「うん、良く知ってるね。その髪の色…キミはライカンスロープかな?それなら知ってても不思議じゃないか。」
カタリナの真っ赤な髪を見て男は頷いて見せた。
「あぁ、アタイはライカンスロープのカタリナってんだ。この灰には一人旅の時には多少世話になった事があったんでね。」
「成程ねぇ。あ、そう言えば僕も名乗ってなかったね。失礼失礼。」
男はそう言って衣服に着いた土埃をパッパッと手で払うと姿勢を正した。
「僕はシトレインと言います。さっきも言った通り、ここには化石掘りで少しの間の生活拠点として留まってるんだ。それで君達が見たっていう煙だけど、それはジョンギグの灰を作る為に燃やしていた時のものだと思うよ。」
シトレインと名乗った男はそう言って焚火跡を指差して見せた。そこには既に火は消え、僅かに煙が見える灰が在った。
「コレを袋に入れて腰に下げておいたり、家の周りに撒いておくと瘴気避けになるんだ。」
そう言うとシトレインは灰を手で掬い上げて見せる。
(カタリナが言うんだから恐らく灰の効果は間違い無いんだろう…それを平然と扱うという事は瘴気に侵されている可能性は無い…か?)
櫻は少々思案を巡らせると
「なぁ、済まないがあたしらを少しの間ここに居させてくれないかい?」
と申し出た。
「「えっ!?」」
突然の事に周囲の皆が驚きの声を上げる。
「いやぁ、あたしも化石にちょっと興味が出ちゃってね。発掘現場とか、どういう生き物が居たのかとか見てみたいと思ってさ。」
「あ…あぁうん、それは構わないけど…子供にはこの環境は少し辛いと思うよ?」
「なぁに、そこは心配しなくても大丈夫だよ。な?」
そう言って後ろに控える三人に目配せをすると、皆も一瞬顔を見合わせた後に頷いて見せた。
「と言う訳で、これから少しの間宜しく。」
こうして櫻達は暫しの間この地へと足を止める事となった。
櫻達の寝泊まりはいつものようにテントと荷車を利用するという事で、シトレインには普段通りの生活をして欲しいと伝えた。以前の経験から人に瘴気が入ってもそれと気付かない場合がある事を考慮し、少々の観察が必要だと踏んだのだ。
その夜、小さな家の脇にテントを張るとそこには入らずに、四人はテントを挟んだ位置に停めた荷車の中で顔を突き合わせていた。
「それで?お嬢が何を考えてるのかは大体察しが付くが、どの程度居るつもりなんだい?」
家の中に声が届かないようにヒソヒソと話す。
「う~ん、そこを具体的には考えてなかったんだが…精々3~4日程も観察すれば危険かどうかは判断が付くだろう。折角だし、たまにはのんびりしてみようじゃないか。」
「う~…ボクはサクラ様と一緒のベッドで寝たいから早く町に行きたいなぁ。」
「私も、この僅かしかない他者の気配には身体の疼きが半端に訪れてしまいます。」
「ハハッ、お嬢、後で大サービスしてやらないとな。」
「…解ったよ。二人とも後でご褒美をあげるから、今は我慢しておくれ。」
アスティアは兎も角、命の言葉は半ば冗談のようなものと解っていたが、このような事を言えるようになった事が喜ばしいと櫻も呆れながら微笑みが浮かぶのだった。
夕食は日持ちのする乾物は温存する事としてカタリナと命で林の中へ入り、獲物と葉物を採って来て調理する事となった。既に視界の利かない程の暗がりではあったものの、カタリナの狩りの嗅覚はなかなかの物でリトを2匹捕らえる事に成功。命も食べられる野草を3種程も摘んで来た。
そうしてテントの傍で火を起こし調理を始める。皮を剥いだリトを捌いて内臓はカタリナが摘まみ食いをし、空になった腹の中に命が採って来た葉物を詰めて串を打ち炙り焼きにする。
すると暫くして焼けた肉の脂の匂いと共に内部で蒸し焼きにされた葉物の香りが漂い始め、食欲を刺激されたのか櫻の腹が『ぐぅ~』と鳴った。
「そろそろいいかな?」
カタリナが指先で『くぱっ』と腹を開いて中の様子を窺い、内部の火の通りを確認すると串から外し器に取って櫻に渡す。
「お、ありがとう。」
「熱いから気を付けなよ?」
「あぁ、いただきます。」
口に含んだ肉には葉物の香りと風味が染み込み脂のしつこさを中和し、尚且つ肉と葉物其々の味を引き立てあっている。これには櫻も思わず顔が綻んだ。
(うん、これは美味い。カタリナには悪いが今までの肉一辺倒とは比べ物にならないね。出来ればこれからもこういう風にして欲しいが…まぁ作って貰う立場で我が儘は言えんか。たまに出る御馳走という感じで楽しみにしておく程度にしておこう。)
そんな事を考えながら三分の二程を平らげ、残りをカタリナに食べて貰い夕食を終えた。
櫻とアスティア、そしてカタリナはテントに入り、命は荷車の中で身体を横たえる。シトレインは最早そこまで危険視する相手では無いと考えては居るものの、念の為に普通の人と同じように認識させておきたかった為に櫻がそう命じたのだ。
そうしてアスティアへの食事を与えると、そのまま就寝。結局警戒したものの何事も無く夜は更けて行ったのだった。




