怪しい煙
風の主精霊に能力を授かり一息が済み、ようやく旅の再開です。
風の主精霊から能力を受け取り、ようやく主精霊巡りが一歩前進した櫻達一行は、荷車に揺られながら次の町へ向け街道を北上していた。
「う~ん…。」
御者席で手綱を握る命の横、アスティアの膝の上に抱き抱えられたまま、櫻は掌の上に風を巻き起こし、そよ風や疾風、小さな旋風等を操っていた。
「サクラ様、どうかしたの?」
肩越しに顔を覗かせるアスティアの口から漏れる息が櫻の耳元に掛かると、櫻は思わずゾクゾクと身体を震わせた。
「ん?あぁ…どの程度の力でどれくらいの精気を消費するのかと思ってね。」
精気…この世界で精霊の力を振るう際に消費される霊的エネルギーで、本来は『マナ』と呼ばれるらしいが、人類の間ではその呼び方はメジャーでは無いらしい。
前の戦いで精気切れを起こし昏倒した経験から、櫻はその限界値を把握しようと試みていたのだった。
だがそうして様々に風を起こしてみても、自分の中の精気がどれだけ減っているのかの実感が全く無い。
(これは一体どうやって残りを把握したらいいんだい!?)
掌をグッと閉じて風を掻き消すと、『はぁ~…』と大きく溜め息をついた。
「お嬢、そういうのは自分一人で考えずに、知ってる人に聞いてみるのが早いってもんだ。」
荷車の奥で荷袋を枕にし休んでいたカタリナが起き上がり声を掛ける。
「知ってる人って…あぁ、精霊術士にかい?」
『精霊術士』。世界に存在する様々な精霊との契約や信頼等によって、その精霊の能力を行使する事が出来る人々の事だ。
「そ。経験の長い精霊術士なら、その辺の感覚ってのも知ってるんじゃないかい?」
そう言いながら御者席へ出て来たカタリナは命の肩にポンと手を乗せ、アイコンタクトで手綱を受け取り席を代わる。
風の主精霊を祀る町『ウィンディア・ダウ』を後にして既に2日が経っていた。次の町までは凡そ後2日、直ぐに聞ける相手は居ないと櫻も肩の力を抜いて一旦その事は頭の中から追い出す事とした。
周囲を見回すと、今までの旅では西側に常に在った大きな山脈も既に無く、小高い丘や林を遠くに見る程度の開けた視界が続いていた。
そして空を見上げると、太陽は真上を過ぎ傾きかけている。
「おっと、もう昼を過ぎてたのか。一旦何処かに止めて昼食にしよう。」
「あいよ。」
櫻の声にカタリナが周囲に目を向け、適当な場所へ荷車を牽くホーンスを操る。
ホーンスとは、水牛のような角の生えた馬のような四足歩行の獣だ。良く人に懐き御し易く、力も強く足も速いという事から、良く乗り物や荷車牽きとして使われるその獣を、カタリナは見事に御して見せた。
そうして寄せた場所は、数本の木が並ぶその根本だ。周囲は草原が広がり、街道も見通せるその場所に腰を落ち着けると適当な範囲の草を踏み潰し、金属製の足高な五徳を設置する。
旅の再開の前に町で購入した物だが、一々石を集めて竈を作る必要が無いコレのお陰で食事の準備は頗る楽になったとカタリナは満足気だ。
櫻とアスティアが木の下から薪になりそうな枝を拾い集め、命が鍋で調理を開始するとカタリナは自分が食べる生肉用に狩りへと出かけて行く。
(ふふ、もうすっかりこの流れにも慣れたもんだね。)
この旅が始まった頃には思いもしない長閑な空気と頼もしい仲間達に、櫻は微笑みを浮かべるのだった。
どうやら近くに手頃な野草は無かったようでスープの具材は乾物を戻した物ばかりであったが、それでも素材の旨味が滲み出たソレは口の中を幸せにしてくれる。
ガツガツとリトの肉を生のまま貪るライカンスロープのカタリナも、時折りそのスープを啜っては満足そうな息を漏らしていた。
そんな中、櫻がふと遠くの景色に目を向けると、小高い丘の上の林の更に向こう側に煙が立ち昇る様が見えた。
「ん?何だい?あの煙は?」
櫻の声に皆がその方角に目を向ける。
「さぁ?何だろうね?あの辺には町も集落も無いと思ったけど…。」
カタリナも首を傾げる。
「気になるならボクが見て来ようか?」
櫻を膝に乗せていたアスティアが名乗りを上げるが
「いや、ここは折角だからあたしが見てみるよ。」
と櫻は手にした器を地面に置き
「アスティア、ちょっと身体を頼んだよ。」
そう言うと背中をアスティアの胸に預け、瞳を閉じた。
アスティアは嬉しそうに『うん』と頷くと、その身体を背後からきゅっと抱き締める。
『風の意識』。櫻が勝手にそう命名したソレは、風の主精霊から受け取った能力の一端であり、その名の通り意識を空を舞う風のように広げ離れた場所の様子を知る事が出来る。
ただしそうして意識を手放す関係上、身体が無防備な状態になってしまうのが欠点だ。
その能力を使い、櫻の意識が空へ舞い上がり景色が広がる。
(どれどれ…お?アレは民家…か?)
空から見える煙の出処は、ログハウスのような一軒家の傍の焚火のモノであった。
その家は周囲の木々を切り倒して建てた物なのか、周辺には切り株の残る開けた土地が有り、家の前には小さ目の畑が2つ。反と数える程も無い大きさだ。その様子からそこで何者かが生活しているらしい事が想像出来た。
意識を身体に戻した櫻はその様子を皆に伝えた。
「へぇ?一軒家ねぇ。開拓者か魔法使いかって処かね?」
「開拓者?」
カタリナの言葉に櫻が聞き返す。
「あぁ。新しく町を創れそうな場所を探して暫くその土地に逗留して、周囲の瘴気の発生状況とかを調べたりする連中の事さ。」
「成程、そんな風にして人は生活の場を広げて行っているのか…。」
「ま、そうそう新しい町に適した場所なんて発見出来るとは思えないけどね。」
感心していた櫻に首を横に振って見せる。
事実そうなのだろう。今存在している町の数々も、長年を掛けて先人達が安全な場所を地道な調査によって開拓した末の土地なのだ。今や世界中に町が存在する現状で新たな町を創る事は容易では無い筈。
「それでも未だに開拓しようという姿勢を持つ者達が居るってのは、素直に尊敬出来る事だねぇ。」
改めて人類の強さに頷く櫻であった。
「そうだ、折角だからあそこにお邪魔してみようか。」
唐突な櫻の言葉に皆が驚きの表情を見せる。
「いや、アタイは別に構わないが…お嬢は先を急ぐんじゃないのかい?」
「そりゃぁ急いだ方が良いのかもしれんがね。この程度の寄り道は誤差ってもんだろう。」
おどけたように肩を竦めて見せる。
「…それに、もし魔法使いだったりしたら、どんな研究をしてるのか確かめておかないといけないからね…。」
ちらりと命に目を向け呟いた。
『命』。そう櫻が名付けた少女は、見た目は普通の人間だがその出自は余りにも特殊だった。
旅の途中で立ち寄った『トツマ』という町で遭遇した、旅人失踪事件。その黒幕であった魔法使いによって生み出された人造人間。それが命だ。
その誕生の過程に於いて使用された素材…それは行方不明になっていた旅人達の肉、それを魔法によって加工した魔法金属だったのだ。
最初に見た『魔法使い』という存在がソレだっただけに、櫻の中で魔法使いという者は要注意人物という扱いになってしまっていたのだった。
「…ご主人様、私の顔に何か?」
命が首を傾げる。
「あぁ、いや。スープ、美味かったよ。ありがとう。」
「お粗末様でした。」
にこりと微笑む命に釣られて櫻も笑顔が浮かぶ。
(ま、命に罪は無い。今のはあたしの方が失礼だったか。)
『親しき仲にも礼儀あり』という言葉を頭の中に思い浮かべ、櫻は反省の自嘲を零した。
「それで?空から見てその一軒家までの道はあったのかい?」
カタリナが調理道具を片付けながら問う。
「ん…そう言えばコッチ側から真っ直ぐ向かえるような道は無かったかもしれんな。家の正面は向こう側を向いてたように見えた。」
そう言って一軒家が在った方角を指差して見せる。
「…となると、結構な悪路を進む事になるよ?」
荷車にポンと手を添え、カタリナは眉を顰めて見せた。
「ま、そこは多少我慢するしかないね。最悪走るのに支障が出るような地形になったら、あたしが風の能力で持ち上げてみるさ。」
そう言って櫻は指先に小さな風を起こして見せるのだった。
丘の上の林の向こう側に見えた一軒家に向かう事とした櫻達一行。
道のような物も見当たらない事から最短距離で真っ直ぐ向かおうと草原を突っ切るように荷車を走らせていた。しかし…、
「こ…れは、結構揺れ…る…ね…。」
荷車の中、縁にしがみ付くように身体を固定する櫻が、舌を噛みそうになりながら言葉を漏らす。
積まれた荷物もガタガタ、ガチャガチャと騒々しく賑やかな音を立てていた。
草原は生い茂る草花によって平坦な地に見えていたものの、いざ乗り入れてみればその地面は可也の凹凸によってまともに車輪で走行出来るものでは無かったのだ。
「だから言っただろう?」
「あぁ、すまん…ちょっと止めてくれ…さっき食ったモンを戻しそうだ…。」
櫻が顔を青ざめさせ口元を抑えると、御者席のカタリナは呆れた笑いを浮かべ、荷車を牽くホーンスの足を止めた。
「はいサクラ様、お水。」
「あぁ、ありがとう。」
アスティアが水筒を差し出すと、櫻はそれを受け取りチビリと口を付け、ほぅと息をつく。
「それで、どうする?早速お嬢の出番かい?」
既に荷車は街道と丘の中間程まで進んでしまっており、今更引き返すのも容易では無い。
「あぁ、そうだね。流石にこのまま乗って進むのはあたしが持たない。物は試しだ、やってみるよ。」
そう言うと櫻は荷車から飛び降りる。
「カタリナ、ホーンスを荷車から外して少し離しておくれ。アスティアと命も念の為に荷車から降りるんだ。」
少し気分の戻った櫻が指差しながらテキパキと指示を出すと、皆もそれに従い荷車から離れる。
これは風の能力で荷車を持ち上げる事が出来る自信のような物は有るものの、確証が持てない櫻の予防線であった。
両手を荷車に向け差し出すと意識を集中させる。柔らかい風が荷車の下方から吹いたかと思うと、それは荷車を包み込むかのように繊細な流れを持って力を増す。
『ギギッ…』と荷車が音を立て、地面から離れた。
「わぁ~…。」
「おぉ…。」
アスティアとカタリナは驚きと感心を持ってその光景に溜め息を漏らし、命は無言のままその様子を眺めるも矢張り珍しい物を見るような表情を見せていた。
(よし、イメージ通りの事が出来ている…この魂に焼き付いた風の主精霊の感覚は信じられるね。あとはどの程度コレを維持出来るのか…だが。)
体内に残る精気の残量を気にし、なるべく高空には掲げないように荷車を前進させる。
「アスティア、済まないがあたしを持って飛んでくれないかい?この地面を歩いて進むのはちょっと時間が掛かりすぎる。」
視線は荷車へ向けたまま、アスティアに声を掛けると
「うん、任せて!」
とアスティアの元気な声が返って来る。
そして櫻の両腋にアスティアの腕が差し込まれると、そのまま抱き抱え大きな羽根を背に羽ばたかせ、腕の中の櫻の身体が宙に舞い上がった。
「えへへ…。」
櫻の耳元にアスティアの嬉しそうな声が聞こえた。
「どうしたんだい?」
「ボク、サクラ様の役に立てるのが嬉しいんだ。」
「突然どうしたんだい。今までだって沢山あたしを助けてくれただろう?」
「うん…でもサクラ様、風の主精霊様の能力を使えるようになったでしょう?そしたら空だって飛べるし魔物だって倒せちゃう…ボク、居なくても良くなっちゃうんじゃないかって…。」
その声が沈んでいくのが解る。
「何だい、そんな事を考えてたのか…。」
櫻はフフッと笑みを零した。
「そんな事って…だって、ボクにしか出来ない事が無くなっちゃう…カタリナみたいに何でも出来る訳じゃないし、ミコトみたいに知ってる事も無い。そしたらサクラ様、ボクは何の為に居るの?」
「アスティア、人は何かの役に立つ事が存在意義じゃないし、仮にそうだとしてもアスティアが居る事それ自体があたしの役に立ってる。そんな事を悩む必要なんか無いさ。」
「え…?それってどういう…。」
「まさかあたしを独りにして何処かに行っちまうつもりかい?『末永く』宜しくって言ったのはお前さんだろう?」
視線は荷車を向いたままであったが、櫻のその声はとても優しくアスティアへ向けられた。
「あ…。」
「それに、あたしにおっぱいを飲ませてくれるんだろう?それが出来るのはアスティア一人だけの特権さ。」
少々照れ臭そうに言う櫻。その様子にアスティアに笑顔が戻り、肩越しに顔を寄せ頬擦りをする。
「うん。ボク、ずっとサクラ様と一緒に居るよ。要らないって言われても離れないからね?」
「あぁ、ずっと傍に居ておくれ。」
こうして櫻とアスティアだけの時間の中、荷車は無事に草原を突破し、丘の上まで運ばれたのだった。
「ふぅ…まだ行ける気もするが、余り精気を使い過ぎるのも後が怖いからここまでだね。」
荷車を下ろした丘の上で、ホーンスを牽いて来たカタリナと命と合流する。
「お疲れさん。風の精霊術は上々みたいじゃないか。これなら心配するのは精気切れだけって感じかい?」
カタリナが荷車に外傷が無いかを確認しながら周囲をぐるりと見て回る。
「あぁ、思った通りの使い方が出来て自分でも驚くくらいだよ。」
そう言って視線を林の中へと向ける。木々の間隔は荷車を通すに問題は無さそうだが、地面は案の定というべきか木々の根が張り出しまともに走らせる事は困難に見える。
「う~ん…もうひと頑張りしてみるか…?」
櫻が腰に手を添えて考える。
「いえ、ご主人様。でしたら次は私にお任せ下さいませんか?」
そう言って一歩前へ出る命。
「ん?何か手があるのかい?」
「はい。『手』が有ります。」
何やら少々意味の噛み合わない言葉と共に命は荷車の後ろへ立つと、両腕の肘を直角に曲げて姿勢を落とした。
するとその肘から先が平らな板状に変化し伸び、荷車の下へ入って行く。そしてそのまま荷車を持ち上げてしまった。
「おぉ?」
さながらフォークリフトのようなその様に櫻から思わず声が漏れる。
「成程ねぇ。これは命にしか出来ないやり方だ。」
カタリナも感心して頷く。
(確かにこれは命特有のやり方だねぇ。こういう事を自主的に出来るようになったって事も成長を感じられる…良い傾向だ。)
そんな事を考えながら、前がよく見えない命の先導をしつつ林を進む一行。
(ただ命はその身体能力だけなら血の力の無い状態の変態したカタリナと同じかそれ以上なのに、多重処理が出来ないのが弱点みたいだね。)
櫻の考えの通り、命は一つの事を処理し始めるとそれ以外の事を処理出来ないらしい。今までの戦いでもソレによる行動の遅れが見られていたのが思い浮かぶ。
(タスクの切り替え速度自体は早いんだが…まぁこれは仕方ない事か。こういう弱点はあたしらでカバーしよう。)
そうこうしていると林の中に突然開けた空間が現われ、目の前には櫻が見つけたログハウス的な一軒家が姿を見せた。
建物の周りは切り開かれ、地面も綺麗に均されている。命は静かに荷車を地面に下ろすと腕を元に戻した。
「お?ここかい?」
「あぁ、この建物の向こう側に小さな畑が二つある筈だ。…アスティア、カタリナ、念の為に血はいつでも飲めるようにしておきなよ。」
櫻の言葉にアスティアとカタリナは腰に下げた水筒に手を添え頷いて見せた。
そうして建物の正面へと歩みを進めると、櫻の言う通りに入り口の前に小さな畑が二つ姿を見せた。そして片方の畑に植えてある植物を見てカタリナはある事に気付く。
「ん?この葉っぱって…。」
言いかけた時、林の中から人影が出て来た事に気付くとハッと顔を向ける。
「おや?こんな処に女性のお客さんなんて珍しいね?」
そこに現れたのは、砂埃まみれの服を着た若い男であった。
一応【第二部】という感覚で再開する為、最初は説明的な文が多くなってしまっています。
以前にも後書きで書いた事ですが、第一部(仮称)の段階で結構やりたい事を放出した感も有り、第二部を自分的に面白く出来るかというのは悩み処です。
もしこの作品に目を留めて下さる方がいらっしゃいましたら、楽しんで頂きたいです。




