暴風
アスティアの乳首から口を離すと、櫻はその腕の中からベッドの上へ飛び降り、安定しない足取りでアスティアに向き直る。
「アスティア、よく頑張ったね。お産なんて大の大人だって死ぬような思いでするもんなのに、そんな幼い身体で耐えるなんて凄い事だよ。」
そう褒め称えるが、その言葉はまだ口が上手くまわらないせいか赤ちゃん言葉のように舌足らずになる。
(う~ん、頭で考えてる通りに言葉が出ない…幼児ってのはこんな感じなのか…?)
「そんな!ボク、サクラ様の為なら何だってやるって言ったじゃない!だからこれくらい何でも無いし、役に立てて嬉しいくらいだよ!それにサクラ様におっぱいあげるの、何か癖になりそう…。」
まだ出産の疲れの抜け切らない表情の中、頬を赤らめエヘヘと笑うアスティアに櫻も釣られて笑顔が浮かぶ。
「さて、先ずは苦労を労いたい処なんだが…外の様子はどうなっているんだい?」
「は、はい。未だ討伐完了の報告が上がって来ておりません。恐らくまだ戦闘は続いていると思われます。」
櫻の赤ちゃん言葉に不謹慎ながら少々噴き出しそうになりつつサーリャが背筋を伸ばして答える。
「そうか。アスティア、疲れている処をまた済まないが、力を貸してくれ。」
「うん!任せて!」
力強く頷くアスティア。
「と、その前にあたしの血を飲んでおいた方が良いだろうね。ほら、おいで。」
通常の姿ですら小さい櫻が更に小さくなった両手を差し出すと、アスティアは少々遠慮がちにその首筋に舌を這わせ、牙を突き立てた。
チュウチュウと血液を吸い上げられる感覚が既に懐かしいと櫻は瞳を閉じる。
「ぷぁ。ご馳走様でした。」
牙を抜いたアスティアが傷口を舐めるが、櫻はそれを手で止めた。
「今は急ぎだ。それは無し。」
「はぁ~い…。」
そう言われては仕方ないとアスティアは残念そうな顔をしながらも素直に身を引くと、その背に四枚の羽根を出現させた。
出産によって汚れたローブをそのまま突き破り現れた羽根をバサっと扇ぎ、血の効力を確認する。
「サクラ様、行けるよ。」
「よし、それじゃ済まないが塀の外まで運んでくれないかい?」
「えっ?サクラ様も行くの?」
一人で戦線に出ようとしていたアスティアは櫻の言葉に驚いた。
「あぁ。今のあたしに何が出来るのか、何となく理解出来るんだよ。」
その言葉にサーリャが気付く。
「サクラ様、風の主精霊様との契約は無事に御済みになられたのですね?良かった…主精霊様とお会いになる前に御身に何か起きたのではないかと心配しておりました…。」
安堵の表情を浮かべるサーリャに、櫻は乾いた笑いが漏れそうになった。
(その主精霊と主神にやられたせいでこんな身体になってるんだがね…。)
突っ込みを入れたい処をグッと堪えて頷いて見せる。
「…兎も角、サッサと行くとしよう。事は早い方がいい。」
傍に乱れたベッドのシーツを掴み、身体に巻く。
「う、うん。解った。それじゃサクラ様、しっかり掴まっててね。」
櫻の小さな身体を腕に抱き、アスティアは窓から飛び立った。
「凄い…あれが神の血の力…なのですね。」
その大きな羽根の力強い羽ばたきに、サーリャは改めて櫻が神である事を認識したのだった。
塀の上空まで来たアスティアが外に目を向けると塀の傍で戦いを繰り広げるハンター達、そして遥か遠くに未だ見える魔物の群れの影。
「まだあんなに…でもどうしてあんなに離れた場所に居るんだろう?」
アスティアが目を細めてみるが良くは見えない。
「どれ、早速試してみるか。」
櫻はそう言うとアスティアに抱かれたまま目を閉じた。そうして風の主精霊の力を受け入れた時の感覚を思い出す。すると空を舞う風のように意識が広がり、周囲の景色が広がり出した。
その意識を魔物の群れの方へと向けると、その上空からの様子がまるで衛星から見える景色のように見て取れる。
そこには1列30体程の魔物がまだ5列程も控え並ぶという、悪夢のような光景が広がっていた。
(何て数だ…あたしが最初に見た時よりはるかに増えてる。だが何だ?まるで軍隊みたいに数を揃えて部隊分けされてるみたいだ…明らかに何者かの意思が介在してるねぇ。それにこれは波状攻撃で町の戦力を削る作戦…なのか…?何が目的なんだ?)
疑問は尽きないが現実として未だに厳しい状況だという事だけはハッキリとした。
「あ、カタリナ達だ!」
アスティアの声に意識を身体に戻した櫻が塀の外側根元を見ると、カタリナと命が見事なコンビネーションで魔物達を片付ける姿が見えた。
「よし、丁度いい。あそこに下ろしてくれないかい。」
「うん、任せて。お~い、カタリナ~、ミコト~。」
その声に空を見上げると、幼子を抱いたアスティアが下りて来る姿にカタリナ達は驚く。
「アスティア、身体は大丈夫なのかい?というかその子供は…。」
「サクラ様だよ!ほら。」
腕の中から櫻を下ろすと、そこに立った小さな姿の櫻にカタリナと命は茫然と言葉を失う。
「ほらほら、言いたい事はあるだろうけど、今は先ずこの状況の打破だ。」
小さいながらもその面影を色濃くし、言葉使いもまさしく櫻のそれである事から二人も今更何も言う事は無く納得するしかない。
「あ、あぁ。それで何か策はあるのかい?」
「有る…というか、やってみないと解らないが、出来る自信は有るね。」
ニカっと幼い歯を見せ笑う。
「…解った。それじゃアタイらは何をすればいい?」
櫻はちらりと二人を見るとその状態を即座に把握する。
「そうだね。アスティアは空から、戦ってる連中に退避するように声をかけておくれ。カタリナはあたしの護衛、命は動けない連中の退避を手伝うんだ。ここから正面は危険だから左右に避けるようにするんだよ。」
手振りを交えた櫻の説明を三人は頷きながら聞く。
「退避が完了したかどうかはあたしが判断する。…巻き込まれるんじゃないよ?」
「解った!」
「了解だ。」
「お任せください。」
各々がはっきりと返事をし、行動を開始する。
「みんなー!ここは危険だから正面を開けて左右に避けてー!」
空からの声にハンター達が目を向ける。何事かとその言葉を信じられない様子ではあったが、戦線を維持し続けた疲労から何か策があるのであればそれに乗る方が生存率が高いと踏んだ者達は素直に従った。
その時何故か魔物達もアスティアの声に意識を向け空を仰ぎ、動きを止めた。
傷つき倒れ動けない者は命の肩を借り、あるいは他のハンターの助けによって魔物を退けながら辛うじて退避を完了させる。
空からその様子を『風の意識』で窺っていた櫻は退避の完了を確認するとカッと目を見開き、大きく両手を広げ前方に突き出すように高らかに掲げた。
(どうすればいいのかが解る…あっちの世界で超能力をコピーした時と同じ感覚だ。これが風の能力か。)
身体の中にある力が本能の如く理解を超える。向き合わせた両の掌の間に小さな風が巻き起こると、それは形を成し旋風のようになる。それをソッと地面に置くと、掌で押し出すように手を翳した。
するとそれは最初ゆるゆると前進し始め、徐々にその大きさと速度を増し、竜巻と呼べるサイズへと成長しながら、遥か遠くに集まっていた魔物の群れ目掛けて直進する。
周囲の草木を大きくしならせ、退避した人々はその風に吹き飛ばされそうになりながら地面に身を伏せ、信じられないものを見るように竜巻を見送る。
そんな中、周辺からキラキラとした小さな者達がその竜巻の元へ集まり出した。櫻はそれらが風に属する精霊達である事を感覚で理解する。
それらは竜巻へ向け力を与え、その威力は更に強大なモノへと変化していく。荒れ狂う竜巻の中で、自然現象では起こり得ないような複雑な流れが生み出され、地面を抉りながらその速度を加速度的に上げて行った。
最早天災と言う規模まで成長した竜巻は、突撃して来た魔物諸共に隊列を成し待機していた魔物の群れの先頭に接触したかと思うと、そのまま後続の群れも巻き込み、大量の魔物が風の渦の中へと飲み込まれ巻き上げられて行く。
その威力は凄まじく、暴風の中に晒された魔物達は、あるものは切り裂かれ、あるものは引き千切られるようにその身を肉塊に変え、竜巻から弾き出され地面へと降り注いだ。
余りの光景にその場に居た者達皆が言葉を失い、一時茫然とした。
竜巻が消え、周囲の木々の騒めきも納まった頃、
「風の精霊の加護か…?」
一人のハンターがポツリと言葉を発した。するとそれに呼応するかのように周囲に居たハンター達も声を上げる。塀の上からも奇跡のような光景を目の当たりにした者達の歓声が沸き起こった。
「やった!」「助かった!」「勝ったんだ!」
口々に歓喜の声が上がり、風の主精霊への感謝の声も方々から聞こえて来た。
「も~、精霊じゃなくサクラ様の力なのに…。」
頬を膨らませながらアスティアが空から舞い降りる。
「まぁいいじゃないか。あたしがやったとしたってその力の源は風の主精霊だ。誰の手柄かなんてどうでもいい事だよ。」
宥めるように声をかけながら腰に手を当て自分の成果を改めて眺める。
竜巻が通った跡は地面も抉れ周囲の木々も幾らか折れてしまっていた。
(う~ん…力の加減が出来てない感じだ…これは強力過ぎる…。だがあの量の魔物を蹴散らすにはアレくらいの力が必要だったのも事実か。)
その力を起こした自身の手をジッと見つめる櫻。するとその身体からフッと力が抜け、ガクリと地面に膝を着いてしまった。
「あ、あれ?」
「サクラ様!?」
「お嬢!どうした!?」
「何だか…全身が…ダルい…。」
その言葉と共に櫻はバタリと倒れ、アスティアとカタリナの声が遠くなり意識を失った。
(くっ…行動の方向性を指示する程度の事は出来ても、完全に操る事はやはり不可能なのか…?あれだけ掻き集めた魔物をこうも簡単に…。いや、もっと研究を重ねれば魔物を意のままに操る事も出来るようになる筈だ…!)
闇の中、魔物の全滅を確認した影が苦々しく歯ぎしりを鳴らす。
(だが収穫は有ったな…あのヴァンパイア…神の身体を身籠るという言い伝えは本当だった。アレを手に入れる為にも、もっと確実に魔物を操る魔法の完成を急がねば…!)
影は何処とも知れぬ場所から不可思議な法を使い櫻達を…そしてアスティアを見つめ、邪な笑みを浮かべた。




