目覚めの予兆
朝日が空を明るくし始めるとテントの中で櫻が目を覚ます。顔を横に向けるとアスティアはいつものように櫻の腕にしがみつき寝息を立てている。だが逆側を向くとそこにカタリナの姿は無い。
そっとアスティアの腕の中から自らの腕を引き抜き静かにテントを出ると、消えた焚き火の傍、命の膝枕で眠るカタリナの姿があった。
「昨夜はお疲れさん。」
命の肩にポンと手を置き労うように言う。
「気付いておられたのですか…?」
「カタリナが出て行った辺りでね。余程帰りが遅いならあたしも飛び出してたけど、カタリナがこっそり出て行った処を見るに大した相手じゃないと思ったんで任せたんだ。それで、どんな連中だったんだい?」
「…ただの野盗です。少々人数が多かったので疲れてしまったようですけどね。」
命は軽く微笑み、膝の上で寝息を立てるカタリナの、額にかかる髪をさらりと撫でた。
「ふふ、普段は寝顔を見られる立場だけど、たまにはこうやって見る側になるのも悪くないねぇ。」
そうして眺めていると、朝日の温かさと眩しさにカタリナはハッと目を覚ました。
「うわぁ!?お嬢!?」
覗き込む櫻と命に思わず驚き跳び起きるカタリナ。
「や、おはようさん。随分お疲れみたいだね。」
「ん…あぁ。なぁに、もう十分疲れは取れたよ。」
ぶんぶんと腕を振り回して見せるカタリナ。しかし片側の肩が思うように上がっていない事に櫻はすぐに気付いた。
『はぁ』と小さな溜め息を漏らす。
(まったく、弱みを見せるのが嫌いなんだねぇ…。)
呆れながらもその気持ちを汲み、それ以上は何も言わない。
「それじゃカタリナも起きた事だし、朝食にしようか。あたしはアスティアを起こして血を飲ませるから、その間に食事の準備は任せたよ。」
「あぁ。それじゃミコト、薪になりそうなモンを少し探してきてくれないか。」
「はい。お任せください。」
こうして其々に行動を開始する。
「アスティア、朝だよ。起きな。」
テントの中に戻った櫻はアスティアを優しく揺り起こす。
「ふぁ…おはようございます…サクラ様…。」
まだ眠気は抜けないながらも、アスティアは櫻を見ると笑顔が浮かぶ。
「あぁ、おはよう。さ、おいで。」
櫻もそんなアスティアに微笑み返すと首筋を露わにして抱き寄せ、いつもの朝の食事の光景となる。
血を飲ませた後は手首を舐めて貰い、そこにナイフで切り傷を入れ血を水筒の中へ詰める作業だ。しかしそこでフと思い立った櫻は、中身を詰め終えた水筒の口を締めるとそのまま麻酔の効いた部分にナイフを突き立て、抉り取った。
「サクラ様!?何やってるの!?」
驚くアスティアに『心配するな』とアイコンタクトを送り、超再生で失った部位を復元する。そうしてテントから出ると、鍋に具材を入れているカタリナに向けてその部位をポイと投げ渡した。
「おぉっと!?」
突然飛んで来た小さな物体に驚きつつ受け取るカタリナだったが、それが櫻の肉だと判ると思わず顔を上げた。
「傷薬だよ。少ないけどね。」
「…あ、あぁ。ありがとう。」
言葉少なく驚き呆れた表情を浮かべながらも、それを口に放り込み気持ちを受け取るカタリナであった。
食事を済ませるとキャンプを畳み、一同は荷車へと乗り込み旅を再開する。
道中は長閑な自然の草原が広がる中を、街道に沿って走るホーンスの蹄の音が軽快に鳴り渡る。時折瘴気の漂う姿が見える以外には、すれ違う隊商や旅の一団など微笑ましい遭遇が続いた。
「このまま何事も無ければ良い旅なんだがねぇ…。」
平和な光景に櫻がポツリと呟く。
「お嬢、そんな事言ってるとまた何か面倒が起きるよ?」
そう言った矢先、草むらの中から1体のボーフの魔獣が姿を現したではないか。
「…ほら言わんこっちゃない。」
「あたしのせいかい?」
呆れながら荷車を降りるカタリナに不満気な声を投げかける櫻。
「カタリナ、助けは要りますか?」
手綱を握ったままの命が声をかけるが
「いや、ちょっと試してみたい事があったんだ。丁度いいからここはアタイにやらせてくれないか。」
そう言ってカタリナは魔獣の目を見据え、自らがお前の敵だと意思を示した。その視線を感じ取ったか、魔獣もカタリナに向け姿勢を下げ威嚇するように低い唸り声を上げる。
(トツマでの、人が魔人になった事で特別な力を使ったように、アタイは使徒になった事で何か特別な力を得ているんじゃないのか?アスティアは自然と風を巻き起こし、羽根で切り裂く技を会得していた…きっと本能的なものなんだろうが、それに似た事をアタイも出来るんじゃないか?)
魔獣の攻撃を往なし躱しながら、カタリナは昨夜から気になっていた事に考えを巡らせていた。だが皮肉な事に長いハンター生活の間にその身に染み付いた戦い方は、本能とは正反対に的確に相手の動きを捉え身体を動かし、新たな扉を開かせてくれない。
「カタリナ、どうしちゃったんだろう?」
アスティアがその様子を心配そうに見守る。
(昨夜何かあったんだろうか…?)
櫻も口には出さずその様子を案じるが、カタリナの事を信じ心を読むような真似はせず戦いを見つめた。
魔獣の攻撃を躱すだけで一向に攻撃に転じないカタリナを皆が見守る中
(あ、そうだ!血だ!アスティアも普段からアレが出来る訳じゃない…血を飲まなきゃ駄目か!でも水筒は荷車の中に置きっぱなしだし、こんな程度のを相手に血をくれとも言えないよなぁ…。)
などと考えを巡らせていると
「カタリナ!後ろです!」
突然、命の声が耳に飛び込む。
ハッと気付いた時には既に遅く、振り向いた先に背後から飛び掛かるもう1体の魔獣の姿がカタリナの視界に飛び込んで来た。
(何でダンジョンでも無いこんな場所に魔獣が2体も!?まさか、魔獣が連携!?)
咄嗟に命も加勢に飛び出しては居たがとても間に合わない。その時、カタリナの感覚は危機に際し一瞬の中で高速に周囲の状況を認識し、まるで自分以外の時間が遅くなる感覚を覚える。
すると、カタリナの背筋にザワリとした感覚が走り、咄嗟に、そして無意識に掬うように爪を振り上げた。瞬間、手の先だけが獣人の状態へと変化し、その爪は魔獣の腹に切り傷を負わせ、周囲にほんの僅かな火の粉が舞った。だがその手は次の瞬間には再び通常の人の手に戻ってしまっていた。
『ギャウン!』
悲鳴を上げ草むらの中へ身を転がす魔獣。カタリナは自身が何をしたのか理解が追い付かなかったが
「カタリナ、此方は私が相手をします。何をしようとしていたのかは知りませんが、先ず片付けてしまいましょう。」
駆け付けた命の言葉に頷いて見せると目の前の魔獣目掛けて攻勢に出る。
本気を出したカタリナにボーフの魔獣1体程度では奇襲でもしない限り勝ち目は無い。勝負はほんの僅かの間に決し、そこには首をあらぬ方向に向けた魔獣の死骸が転がっていた。
「此方も片が付きました。」
命が草むらの中から魔獣の死骸を引き摺って現れる。そしてそこに転がされた身体の腹部を見てカタリナは驚いた。カタリナが切り裂いた傷口に、火傷のような跡が出来ていたのだ。
カタリナは思わず自らの手を見つめる。しかしそこにあるのはいつもの自分の手だ。
(あの時の感覚…血の力がある時にアレを思い出せればひょっとしたら…?)
グッと拳を握り締め、僅かの手応えに可能性を見出したカタリナは表情を明るくする。
「何か掴めたかい?」
櫻が荷車の上から声をかけると
「あぁ。」
満面の笑みで応えるカタリナであった。




