前進
櫻達一行は中古の荷車の購入を完了させ、バルドーの元で幌の装着とホーンスの受け取りを済ませた。
譲り受けたホーンスは競走馬の如くガッシリとした体躯の、毛艶も素晴らしい栗毛。脚は地球の馬と比べ太くしっかりとし、頭には太く逞しい水牛のような角が生えており、凛々しい表情も相まって見るからに頼もしい。
その日の夕方を費やし町の外の草原でホーンスと荷車の走行具合を確かめると、宿に戻り出立の荷物を纏め特に問題も無くその日を終える。
そして夜が明けた。
いつものようにアスティアに血を飲ませてから櫻達も朝食を済ませ、ギルドへと向かう。
到着するとギルドの入り口には既にグラントが居り、その向こうではバルドーも何やらギルド員達と話をしていた。
「随分早いね。」
「あ、カタリナさん。おはようございます。」
声をかけたカタリナに気付いたグラントが挨拶を返す。
「いやぁ、いよいよ僕も自分の土地を持てるかと思うと気持ちが昂っちゃって、早く報奨金を貰いたくて早々に来ちゃいましたよ。」
見るとグラントの目の下にはまたしても隈が出来ていたが、その目は輝きに満ちている。どうやら今度は気分が高揚して眠れなかったようだ。
(やれやれ、遠足前の小学生みたいだねぇ。)
呆れながらも微笑ましくグラントを眺める櫻。
「まぁお前さんが居るのは理解出来るとして、バルドーの親父は何をしてるんだい?」
櫻の質問に皆がバルドーの方を向く。バルドーは未だギルド員達と何やら相談をしているようだ。
「あぁ、バルドーさんは、あのダンジョンのこれからの事で色々と相談してるみたいなんだ。」
「へぇ。動きが早いね。」
そんな話をしていると、バルドーはギルド員との話が一先ず終わったのか、グラントの元へ戻って来て櫻達に気付く。
「おう、お前さん達も来たのか。」
軽く手を上げるバルドーに櫻も上げて返した。
「あぁ、報酬を受け取ったら今日にも出発しようと思ってるからね。…それで、あのダンジョンはどうするんだい?」
「ん?グラントから聞いたのか。実はあのダンジョンの入り口付近を少し整備して、ちょいと離れた場所に監視所を設けようって話になってな。町からダンジョンまでの道も整備する計画が持ち上がったんだ。脅威になりそうな魔物が出た時に迅速に救援を送れるようにってな。」
「ほぅ…そりゃ随分大掛かりだねぇ。」
「他にもダンジョンを埋めちまおうって案も出たんだが、流石にあの深さの穴を埋めるよりなら監視の方が労力は少なく済むし、何より魔物の素材を得るに良い場所だ。悪い事ばかりじゃない。」
「そう言えば昨日貰った幌も魔獣の骨と革が使われてるんだっけ?」
「そう!頑丈だぜぇ!ちょっとやそっとじゃ破れたりしねぇ。」
「まぁそれは良いんだが、この町にそんなに戦える男は居るのかい?」
「それが問題でなぁ…。」
バルドーは腕を組み、困ったように眉を下げる。
「町の傍に流れて来る魔獣一体程度だったら町の男衆数人掛かりで倒せない事は無いが、いざ監視所に詰めるとなると交代でやるには人数が厳しい…って事で、儂も久しぶりにハンターに戻ろうと思ってるんだ。」
「お前さんが?」
「儂一人増えた程度でそんなに変わるかも判らんが、取り敢えず手探りでやってみるしかないからな。」
そう言いながらバルドーは全身に力を込めると体中の筋肉がググッと際立つ。
「おいおい、無茶して命を粗末にするなよ?娘さんが悲しむぞ?」
「なぁに、ステラも子供じゃないんだ、儂が居なくなったって生きて行けるさ。それに、儂はくたばるつもりなんて毛頭ないからな!」
ガハハと笑うバルドーに櫻はピンと来てグラントを見上げた。
(ふぅん…。)
だが櫻はそれ以上何も言うつもりは無く、視線を戻す。
「まぁ油断はしないで安全第一で作業を進めておくれよ?それじゃあたし達は報酬の受け取りに行ってくるよ。ほら、グラントも。」
「あ、はい。」
櫻達は手を振りバルドーと別れギルド内へと向かった。
カタリナとグラントが受付へ向かうと既に査定は終了していたようで、二人は早々に証明書を現金に換えると嬉々として櫻達の元へ戻って来た。
「お、お帰り。その様子だと目標額達成おめでとうって処かね?」
「はい!見てください、この金貨の数!」
グラントは嬉しそうにテーブルの上にジャラジャラと貨幣を広げて見せた。その額は何と大金貨22枚に小金貨8枚と、今までで最高の額だ。内訳としては特殊魔獣が大金貨40枚に相当したらしい。
「あれだけ苦労したのに40枚?魔人を倒した時にはもっと大金だっただろうに…。」
櫻が不満混じりに呟く。
「あの時は、自ら危険に飛び込んだ訳でも無い一般の被害者の数が尋常じゃなかったし、町にも被害が及びかねなかったから危険度が高かったせいであれだけの高額になったんだよ。普通の魔物討伐でこれなら可也の高額だよ。」
「『普通の』ならね。まぁ死体しか見ていない未知の魔物じゃ、アレがどれだけ危険か判断するのは難しいか。」
宥めるようなカタリナの説明に渋々納得する櫻。
「まぁ何はともあれ、これで畑を買い取って余りある資金を手に入れた訳だ。お疲れさん。」
「はい、ありがとうございます!こんな短期間で目標に近付けた事は本当に皆さんのお陰です。」
テーブルに頭をぶつける程に勢いよく深々と頭を下げるグラント。
「そう感謝されると悪い気はしないがね、お前さんはこれから先が大事なんだって事を理解してるんだろうね?」
「そ、それは勿論!今の畑だけに満足せずに、もっと土地を広げてバルドーさんに負けない農場を作りますよ!」
「違う!それも確かに大事だけど、お前さんの一番の目標は何だい?あのステラって娘さんを幸せにする事だろ。それが出来なきゃ今までの苦労も意味は無いんだからね。そのゴールを忘れるんじゃないよ?」
「…はい!」
大きく頷くグラントの瞳は希望に溢れ輝いていた。その表情に櫻も頷いて見せる。
「…さ、受け取るモンも受け取ったし、それじゃあたし達はそろそろ出発と行こうかね。」
「え…?もう行っちゃうんですか?」
「あぁ、本当はこの町にもそう長居するつもりじゃなかったんだが、思ったより掛かっちまったからね。」
「そ、そうだったんですか…済みません、僕の為に使徒様の旅を邪魔してしまって…。」
グラントは申し訳無く肩を落とした。
「何、気にしなさんな。あたしらが旅をするのは行く先々で人々を助ける事も含めてなんだ。こうしてお前さんと出会ったのも何かの縁さ。お陰で危険な魔獣の討伐が出来た訳だし、それにバルドーの親父にホーンスを譲って貰ったから旅の遅れは十分に取り戻せるだろうしね。」
「そうなんですか。あ…。」
何かを思いついたようにグラントが顔を上げると
「僕、ちょっとやる事が出来たのでコレで失礼しますね!」
と会釈をしてギルドを出て行ってしまった。
櫻達は何事かと顔を見合わせる。
「…ま、それじゃ行こうか。」
「そうだね。荷物は昨夜の内に纏めてあるし、あとは荷車に積み込んじまえば出発準備は直ぐだ。」
こうして宿に戻り料金を支払うと荷物を抱え部屋を後にする。立派な幌の付いた荷車の奥に荷物を積んでいると、遠くから駆けて来る影が二つ。
「あれは…グラント…と、ステラ?」
櫻が幌の中から顔を覗かせると、駆け寄ってくる二人の手には両手いっぱいの野菜が抱えられていた。
「はぁ、はぁ、まだ出発してなくて良かったぁ…。」
軽く息を切らしたグラントが呼吸を整えながら安堵の息を漏らした。
「どうしたんだい?何かやる事があったんじゃないのか?」
「はい、これがそのやる事です。」
そう言ってグラントはステラと顔を見合わせた後に両手に抱えた野菜を差し出した。
「これは…?」
「僕の畑で今採って来た野菜です。バルドーさんみたいに高価な物を贈る事は出来ませんが、どうかコレを受け取ってください。新鮮ですから3~4日程は味も保証しますよ!」
「私達の為に危険を顧みずグラントに協力して下さったそうで、どんな感謝の言葉でも足りません。本当に有り難うございました。」
ステラも深々と頭を下げ感謝の気持ちを表す。
「いやいや、そこまでされる程の事はしてないよ。それにお前さん達にとってはこれからが重要なんだ、バルドーの親父を納得させられるように頑張りなよ。」
とは言いつつ、差し出された謝礼を突き返しては失礼に当たる。櫻はカタリナと命に野菜を受け取らせると荷車の中へと収めた。
そうしてグラント達と別れの挨拶をしていると、
「おーい。」
と遠くから聞き覚えのある太い声。
その方向に皆が顔を向けると、バルドーとギルド員が小走りに駆けて来るではないか。
「何だい?また何か問題でもあったのか?」
駆けて来た割りには呼吸の乱れも無いバルドーに櫻が問う。
「いやいや、使徒様達、もう出発するんだろう?だからせめて素性を知ってる儂らくらいは見送りをしなきゃ失礼と思ってな。」
「ふふ、律儀だねぇ。だけど、有り難う。」
差し出す櫻の小さな手をバルドーの大きな手が握り返し、握手を交わす。
「それじゃ、名残惜しいがいつまでもこうしていちゃ日が暮れちまう。あたし達はもう行く事にするよ。世話になったね。」
手を振り荷車の中へ姿を消す櫻。そしてそれに続いて傍に控えていたアスティアと命も別れの挨拶を交わし荷車の中へ入ると、その御者席に座りスタンバイしていたカタリナが最後に見送る皆に手を振り、手綱を振った。
「有り難うございました!また立ち寄ってくださいね!」
見送るグラント達の声が遠くなって行く。
「グラントさんとステラさん、バルドーさんにちゃんと認めて貰えるのかな?」
アスティアが心配そうに、隣に座る櫻に問い掛ける。だが櫻はそんなアスティアに
「ふふ、心配無いさ。バルドーの親父はアレでもう認めてるようなもんだよ。」
と微笑む。
「そうなの?」
「あぁ。じゃなきゃ家を空けて二人きりにしようと思うもんかい。」
そう言ってアスティアの頭を撫でつつ、二人の行く末と町の未来に思いを馳せた。
(次にあの町に行くのは一体いつの日になるか…その時にどうなってるか、楽しみだね。)
街道の路面にゴトゴトと揺れる荷車の中、櫻は貰った野菜の中から赤い実を一つ摘まみ上げると口の中へ放り込んだ。
奥歯で噛むと、少しの抵抗の後に『ぷちゅっ』と潰れた実の中から、たっぷりの汁が溢れて来る。
「ん~、まだ少し酸味が強いけど、2~3日もすれば丁度いい感じになりそうだね。」
「お嬢の言う丁度いいってのは、多分アタイにゃ酸っぱいままだと思うけどね。」
そんな他愛無い話にも楽し気な声が上がり、荷車は街道を走る。
こうしていよいよ櫻達は第一の目的地とした風の主精霊の棲む山の麓の町へと、残す処僅かとなったのだった。




