蟲毒の壺
鵺が倒れた事で広い空間の中は静寂に包まれていた。
アスティアの肩を借りて戻って来た櫻がランタンを手に持ち周囲を照らし出すと、どうやらこの空間こそがダンジョンの最奥であったらしく、奥へ続く道は見当たらない。
「ダンジョンが何処まで続くのか、最奥まで行ったという人は居ないという事だったが…。」
辺りに散らばる様々な生物の骨の中に、明らかな人骨を見つけ小さく溜め息を漏らす。
「最奥まで行って『戻ってこられた人』は居ない…という事だったのか。」
見れば犠牲者は一人では無い。恐らくは長い年月の間に何人もの冒険者やハンターが踏破に挑み、その実力故に最奥まで辿り着いてしまい、この正体不明の魔獣の餌食になってしまったのだろう。
これ以上の長居は無用と判断し、櫻をアスティアが、グラントをカタリナが背負う形で、荷物は腕を再結合させた命が全て担ぎ、ダンジョンを引き返す事となった。
(何か、空気が変わった気がするな…。)
初めてこのダンジョンに入った時から感じていた纏わりつくような不気味な空気が、僅かながら清浄になったように感じた。
(あの鵺を倒したからか?そもそもあの魔獣は何だったんだ…。)
「アスティア、済まないが少し眠らせてくれ。」
「うん、いいよ。サクラ様もお疲れだもんね。」
「ありがとう。」
そう言うとアスティアの肩に頭を預け、瞳を閉じる。体力の消耗が激しかった為か、母に背負われる赤子のようにスゥっと意識は闇に飲まれた。
《さて…おーい、ファイアリス?》
《は~い。お待たせ。》
秒と置かずに軽い声の返事が来た。
《いや、呼んで直ぐに返事があるのに待っては居ないがね…。まぁそれより…。》
櫻はアイディの町に到着してからの事を掻い摘んで説明すると、ダンジョンの最奥で出会った魔獣について疑問を投げかけた。
《アイツは今まで出会った魔物とは明らかに異質だった。この世界にはあんな化け物まで居るのか?》
《『ダンジョン』ねぇ…いつから人類があそこをそう呼ぶようになったのかは知らないけれど、まぁそれは置いておいて…先ずその『ダンジョン』について説明させてね。》
声だけの会話の筈なのに、何故かファイアリスが黒板を引っ張り出して来て説明を始めようとしている様子が見て取れる。
《まず、『表』と『裏』の世界は異相の異なる同じ場所に存在しているのだけれど、その大きさは多少異なっていてね、『裏』の世界はその惑星よりも一回り程小さいの。だから地下深く潜ると『裏』と重なっている部分…つまり瘴気が濃く出る部分に近付いちゃうのね。》
《何でそんなのを放置してるんだ…。》
《だってそれはこの世界が出来た時からの仕様だもの。私だって知らないわ。》
(世界の主神って言ってもいい加減なもんだねぇ…。)
《で、そういう風に瘴気が濃い場所では魔物が多く発生する事になるのだけれど、実は瘴気が影響するのは生物だけに限らないのよね。》
《…?無機物に瘴気が入り込むというヤツか?》
《ううん、『空間』が瘴気に蝕まれるのよ。すると、どうなると思う?》
《…空間が…魔物にでもなるのか?》
《惜しいわね~。せ・い・か・い・は…その空間が『表』と『裏』の世界の狭間のような場所に変質しちゃうのよ。そして、そうなった空間こそが今そこの人類が言う『ダンジョン』という訳。》
スーツにタイトスカート姿のファイアリスが教鞭を手にしている姿が櫻の脳裏を過った。
《成程、ダンジョンの定義については解った。で、それとあの化け物とは何か関係があるのかい?》
《んもぅ、せっかちさんね。》
《色っぽく言うな…。》
《ふふ。まぁそれでね、ダンジョンと化した空間は『表』…貴女が居る世界として『この世』と言っておきましょうか、そことは理が異なる空間になるの。》
《と言うと?》
《魔物達が生息しやすい環境になるのよね。大きな点としては余り食事を必要としなくなるって言うのと、魔物がその空間に惹き寄せられるって事かしら。》
《食事を?生物の本能が強化されるのが魔物の特徴と聞いていたが、それとは正反対の性質だねぇ。》
《まぁね。でも、食事を求めない代わりに、ある現象が起きるのよ。》
《勿体ぶるねぇ。》
《貴女が私の話に夢中になってくれるのが嬉しいんだもの♪》
ファイアリスの声が弾む。
《こほん。それで貴女、『蟲毒』って知ってるかしら?》
《…?あぁ、元の世界で聞いた事がある。…まさか?》
《正確には違うものだけれど、似たような事がダンジョン内で起きるのよ。》
《魔物が魔物を食う…という事か?》
《そう。ダンジョンの中では魔物が食い食われる為に集まるみたいね。そうすると…。》
《毒…いや、瘴気が濃縮されて、様々な生物を取り込み変質していく…?》
《そういう事。貴女が見たという鵺?だったかしら。それは単に偶然貴女が知っているモノと似ていただけだと思うけれど、ひょっとしたら此方の世界を感じ取った彼方の世界の誰かが描いたモノなのかもしれないわね。》
《成程…って、鵺と言ったら日本じゃ大昔の話に出て来る物の怪だぞ!?アレはそんな昔からここに生息してたってのかい!?》
《それはちょっと違うんじゃないかしら。世界を超えた知覚と言うのは、時間をも超えるのよ。だから今貴女が見ている景色を別の世界の者達は大昔に見るかもしれないし、物凄い未来に見るかもしれないわ。でもそれは其々別個の世界の事だからさして重要では無いの。》
《そういうもんなのか…二つの世界を知った身としては何だか複雑だよ。》
《それとね。その鵺とか言う魔物は恐らく、そのダンジョンの中で一番の存在だったと思うわ。だからそれを倒した事によってダンジョン内の瘴気濃度が下がったと思うの。》
《どういう事だい?》
《蟲毒の末に生まれた魔物は、瘴気の濃度の高い場所で瘴気を吸収し、吐き出し、その濃度を更に熟成させる存在になるの。それが何故なのか、何の為なのかはイマイチ解らないけれどね。だけれど、そういう存在を排除した事によって濃縮が止まり、濃い瘴気の発生源も失われた事になる。》
《そうか、アレを倒した後に空気が少しだけマシになった気がしたのは、そのせいだったのか。》
《あら、感じてたのね。流石神の身体、穢れには敏感なのね。》
《ところで、話を聞いた限りではダンジョンが消滅した訳でも無く、また蟲毒が繰り返されるという事になるが…この認識に間違いは無いかい?》
《えぇ、そうよ?》
《根本的な解決が何も出来てない…って事か。》
意識の中でも思わず頭を抱える櫻。
《でもそれは悪い事ばかりじゃないでしょう?その惑星の者達は魔物の存在を生活の一部として活用しているのだから、要は使いようよ。蟲毒の完成が困るのなら、それを人々に伝えて定期的に魔物退治をする事を教えてあげれば良いじゃない?》
《いや、それだ。そもそも何故前の神達はそれを人類に伝えていない?》
《いえ?確か前に伝えた事があった筈よ?え~っと…年で言うと約1800年くらい前かしら。》
《千…!?人類がそれだけの間情報を…真実を伝えられると思うのは流石に呑気過ぎだろう!?それじゃただの伝説になるか忘れられるのがオチだよ!》
《まぁまぁ落ち着いて。それならそれで、また新たに神の言葉として伝説が顕現するのだからもってこいじゃない。貴女が自ら神を名乗るのはちょっと良くないかもしれないけれど、使徒の者達に語らせるのは有りじゃないかしら。目撃者も生きてるんでしょう?そろそろその惑星の人類に、新たな人類の神が誕生した事を知らしめても良い頃合いだと思うわよ。》
《確かに…この世界では神の存在は確実な物だし、それ故に神の不在という事実が神という存在を畏れる事を忘れさせ、ドンパのような悪党をのさばらせる切っ掛けになっている節はある…こうして切っ掛けが出来たのは僥倖かもしれないね。》
《そういう事。あ、ほら。そろそろ町に着くみたいよ?》
《お。それじゃ最後にもう一つ質問なんだが、今回結構こっぴどくやられちまって、あのダンジョンの中にあたしをかなりバラ撒いちまったんだが…それを動物や魔物が食ったりしたら、あたしの使徒になっちまうのかい?》
《いいえ、それは無いわ。ちゃんと説明してなかったけど、人類の神の使徒になれるのは人類だけなの。破片が新鮮な内は神気が残ってるだろうから食べた者が少し浄化されたりはするだろうけれど、それで魔物化が解けたり使徒になる事は無いわ。》
《そうだったのか…それを聞いて一つ不安が晴れたよ。それじゃそろそろ起きるとするかね。質問ばかり済まなかったね。色々と聞けて助かったよ、ありがとう。》
《いいのよ~。またお話しましょうね♪》
ファイアリスの声が遠のくと同時に、櫻の意識は覚醒を始めた。
「ん…。」
「あ、サクラ様、起きた?今丁度町に到着する処だよ。」
櫻が目を覚ました事に気付いたアスティアが嬉しそうに声をかける。
先頭を歩くカタリナに目を向けると、背には未だに気を失ったままなのか、グラントが背負われ、手をブラブラとさせている。
「あぁ、ここまで背負ってくれてありがとう。もう大分回復したから下ろしてくれて大丈夫だよ。」
「えぇ~?ボクなら気にしなくても大丈夫だよ?」
「いや、お前さんだって疲れただろうに、あたしは背負ってやる事は出来ないからね、せめて負担にならないようにさせておくれ。」
アスティアの頬を優しく撫でる。
「うぅ~…はい…。」
少々不満げな声を漏らしながらアスティアは櫻を下ろすと、名残惜しそうにその手を繋いだ。櫻はそんなアスティアに応えるように微笑み、繋ぐ手にキュッと力を込めると、沈む夕日に照らされながら町へと凱旋するのだった。
作中では触れなかったのでここで補足を入れさせていただきます。
ファイアリスの言う『空間を蝕む瘴気』と言うのは、生物に取り憑いたりする『意思を持った瘴気』では無く、魔界から逃げ出したものの取り憑く身体を見つけられず霧散した瘴気の残りカスのような、言ってしまえば『魔界の空気』のようなものです。
地上であれば大気に溶け込み薄れてしまう魔界の空気が、洞窟内のような閉鎖空間では蓄積されてしまい、その濃度が高くなる事でダンジョンの初期状態が完成する訳です。
本来は作中の描写だけで伝えられれば良かったのですが、ただでさえ説明台詞だらけな本文に、これ以上説明的になるのは避けたかった事もあり、後書きでの補足となってしまいました。済みません。




