バルドー
一夜が明け、カタリナがキャンプの片付けをする傍ら、多少は睡眠を取ったものの寝不足気味に大きな欠伸を漏らすグラントの姿があった。
「何だ、寝られなかったのかい?」
櫻と、それにべったりと付き従うアスティアがグラントに近付く。
「あ、うん。ちょっと気が張ってしまって…。」
昨夜、グラントはテントの外で寝る事になったのだが、テントの入り口を命がガードするように立ち塞がりグラントの様子を窺っていた為に、緊張で熟睡出来なかったらしい。
「…あの娘、一睡もしてないみたいですけど大丈夫なんですか?」
命にチラリと視線を送り不思議そうに尋ねる。
「あ~…まぁ、あの娘は結構タフだからね。気にしなくていいよ。」
苦しい誤魔化し。しかしグラントは櫻達にそこまで興味が無い…と言うよりも、自身の事で手一杯でそこまで気を回せる余裕が無いのだろう。それ以上の追求をする事は無かった。
「お嬢、準備出来たよ。」
「あぁ、それじゃ出発しようか。」
カタリナの声に櫻が応えると、カタリナと命で荷物を背負い、真っ二つになった魔獣の頭をグラントに持たせてキャンプ地を後にした。
旅路は何の問題も無く順調に進み、小さな林を抜けると半日程度でアイディの町が見えて来た。
「へぇ、随分開けた町だねぇ。」
その町は建物の集中する商業エリアを中心に徐々に外側へ向けて住宅地が、そして町の周囲に畑が広がるという形で平野にあった。周囲の見通しはとても良く、しかし今までの町と違いソレを囲うような塀は一切無い。
「君達が何処から来たのかは知らないけど、この辺だと隣のトーチュやウィンディア・ダウみたいに塀で囲われてる町が多いから珍しいかもね。」
先導するように歩くグラントが言う。
「こんな開けた場所で無防備過ぎないかい?」
櫻は来た道を振り返ると、そのまま視界を回しぐるりと周囲を見回した。
「逆だよ。開けてるから危険なものが近付けば町まで来る前に迎え撃つ用意が出来るのさ。」
そう言ってグラントが指差したのは町の中央に高くそびえる物見櫓。その上には今も正に4人程の人影が周囲を見張っているのが見える。
(成程ねぇ。この町は農業が中心みたいだし、畑を広げる為にも下手に塀で土地を分断させるのも得策じゃないんだろうね。)
左右に畑の広がる街道を町へ向かい歩くと、一応形だけはという感じに立つ自警団員らしき人物にグラントが手を上げて軽く挨拶をする。
「何だ、グラント。もう帰って来たのか?そっちの娘さん達は誰だい?」
「あ、うん。旅の途中らしくて、案内をね。」
グラントは困り気味に笑顔を浮かべ言葉を濁したが、団員も櫻達を一目見ただけで危険は無いと判断したのか、それ以上は何も言う事も無くすんなりと町へと通した。
「平和な町だねぇ。」
周囲を見回し櫻が呟く。その言葉の通り、道行く人々の表情も朗らかで、風通しの良い町に見える。
「うん。隣町みたいな大きな町じゃないけど皆いい人達だし、魔物だってそんなに現れる事は無いからね。」
「…よくそんな場所で魔物ハンターをやろうと思えたね…。」
呆れる櫻にグラントは頭を掻きながら苦笑した。
一行はギルドへ魔獣討伐の報告に行く前に、問題の地主の家に成果を見せに行く事とした。
「それで、その地主さんってどんな人なの?」
アスティアが興味本位に聞いてみる。
「バルドーさん?う~ん…一言で言えば大らかな人…かな。僕みたいな財産の無い奴にも気前良く土地を貸してくれて、賃料もそんなに暴利に取る訳でも無く普通に生活出来るように気を配ってくれる人なんだ。」
「何だい、昨日の話とは随分印象が違うね。」
カタリナが意外というように言うと、
「それはね、一人娘のステラを溺愛してるからなんだ。彼女は奥さんを亡くしたバルドーさんにとってとても大きな心の拠り所だから…僕なんかに渡したくないって気持ちも解る気はするんだけどね…。」
話しながら自然とグラントの視線は地面に落ち、ハァ…と溜め息をつく。
「お前さん、そのステラって娘に本気なんだろ?だったら自分を卑下するのは止めな。自分で自分を認められないような男に惚れられたんじゃ、その彼女の価値まで下げる事になるんだよ?」
櫻の言葉にグラントは顔を上げ、驚いたような表情を見せた。
「キミ、小さいのに随分大人びた事を言うんだね…。でも、そうだね。彼女の為にも自分に自信を持てるように頑張ってみるよ。」
まだ少し不安が残る表情で笑顔を作って見せると、櫻達も頷いてみせた。
話をしながら歩く内に、ついに地主であるバルドーの家の前へ辿り着いた一同。その家はシンプルな平屋ながらも大きく庭も広い、いかにも金持ちといった威容を醸し出している。
グラントはゴクリと唾を飲み込むと、微かに震える手で扉をノックする。
「バルドーさん、グラントです。ちょっと宜しいですか?」
扉越しに声をかけると、中からドカドカと床を踏みしめる音が近付いて来た。
ガッと扉が開くと中から姿を現したのは、身の丈190センチはありそうな筋肉質の厳つい男。右の頬には一筋の大きな切り傷の痕が有り、良く見ると剥き出しの腕も大小様々な古傷跡が残る。
(なんだ?ボディーガードか何かか?)
櫻がその巨漢を見上げると、
「あ、バルドーさん。その、どうもこんにちは…。」
気後れするようなグラントの言葉に振り向き、再び見上げ驚く櫻。
(うえぇ?コイツがバルドー!?地主の金持ちって言うからてっきり贅肉の塊みたいなヤツかと思ってたら…成程、こんなのに威圧されたらそりゃ委縮もするわな…。)
バルドーはグラントの姿を見ると、少しホッとしたような表情を見せた…ような気がしたが、次の瞬間にはギッと目付きを尖らせるとその後ろに並ぶ櫻達に視線を向けた。
「何だ?グラント。新しい嫁候補でも紹介しに来たのか?」
不機嫌に唇を尖らせ、厳つい顔を更に険しくさせ嫌味を言う。
「ち、違います!彼女達は…。」
「アタイらは旅のモンだよ。コイツが魔獣と戦ってる処に偶然遭遇してね…協力して倒す事が出来たんで分け前を貰う為に一緒に町まで来たのさ。」
バルドーに強く出る事が出来ないグラントに代わりカタリナが口を挟んだ。
「何ぃ?コイツが魔獣を倒したってのか!?」
驚きと共にグラントの全身をジロジロと見るバルドー。しかし大した傷の無いその姿からフンと鼻を鳴らすと
「ハッ!どうせ小物だろう。女子供に、男とは言え素人が加わって倒せる程度じゃ高が知れてる。」
と腕を組み踏ん反り返った。
「へぇ、言ってくれるね?アンタ、魔獣と戦った経験あるのかい?」
その態度にカチンと来たカタリナが食って掛かる。
「あるも何も、儂はこの土地に腰を落ち着ける前は魔物ハンターをやって財を成したんだぜ?そのお陰でこうして土地を持って安定した収入を得る事が出来るようになったんだ。」
ムキっと力こぶを作り見せる。おそらくその言葉は真実であろう。とても農作業で出来る筋肉では無い。
「ふぅん…それじゃコイツを見てどう判断する?」
カタリナはグラントの持っていた包みの中から魔獣の頭を取り出すとバルドーに突き付けて見せた。
「コイツは…ボーフの魔獣か…。これをお前らだけで倒したってのか?」
驚いたようにカタリナを、そしてグラントを見る。
「そうさ。因みにアタイも魔物ハンターだ。だがね、このグラントはギルド登録こそしたようだがアンタの言う通り素人だ。アタイらが居合わせなかったら命を落としていたかもしれない相手に挑んだんだよ。」
カタリナの言葉にバルドーはグッと言葉を飲み込むように下唇を噛み締めた。
「アンタはこのグラントを殺したかったのかい?そうなってくれれば大事な娘を奪われる事も無いもんな?」
語気の強くなるカタリナ。そこに櫻が手を添え言葉を遮る。
「カタリナ、言い過ぎだよ。この男は単にグラントがそこまで思い切った行動に出ると想像出来なかっただけさ。見た目は厳ついが、そんなに冷たくなれるヤツじゃないよ。」
「お嬢…読んだのかい?」
「まさか。ただまぁ、こういう不器用な手合いは経験があるもんでね。」
図星を指されたように目が泳ぐバルドーを見上げる櫻。
「へっ…子供に何が分かるってんだ。大体、命を懸けたから何だってんだ?結果を出せなきゃ生きてようが死んでようが同じだ。借り物じゃねぇ、しっかりと根の張った生活基盤がなきゃ惚れた女を幸せになんて出来るかって事だ!」
幼い子供に知ったような口を利かれ、バルドーはキレ気味に声を荒げる。
「そんな事を言ったって、お前さんは魔物ハンターを一体何年やってこの土地を得たんだい?その年月を同じようにグラントに押し付ける気かい?」
「それは…。」
「お前さんは身を固める前にそうやって基盤が出来ていたから『自分には出来た』と言えるんだよ。自分基準じゃなく相手の気持ちになってみる事も大事な事だよ。」
櫻の言葉にバルドーの拳が握り固められて行く。
「だ、だったら!」
言葉を浴びせ続けられ我慢の限界を迎えたバルドーが吠える。
「だったらお前に将来の可能性があるって処を見せてみろ!家まで用意しろとは言わん!ギルドの管理する荒れ地を買って自分で耕せ!生活を支えられるだけの広さの自分の畑を持って、お前の甲斐性を見せろ!そうしたら…娘と付き合う事は認めてやる!」
その大声にバルドーの家の窓がパタンと開くと
「お父さん、今言った事、本当よね!?」
と顔を出したのは一人の女性。おっとりした顔立ちに美しい黒髪はおさげに結んだ純朴そうな、まだぎりぎり少女と言えるような年頃だ。
「ステラ!」
顔を上げ、その存在にパッと笑顔が浮かぶグラント。
「グラント、私、貴方を信じてる!お父さんの出した試練をきっとクリアしてくれるって!だから…だけど、無理はしないでね!」
「あぁ、キミを迎えに来るまで死んでなんかいられないからね!」
グラントが瞳を輝かせ声をかける少女、しかしその間にバルドーが割り込み二人を引き裂く。
「だ・か・ら!娘と交際したけりゃ儂を納得させるだけの成果を出してからだと言ってるだろうが!」
グィっとグラントの顔に厳めしい顔が近付くと、その威容にたじろぎ後ずさる。
「ステラもそんなはしたない真似をしないで引っ込んでなさい!」
バルドーの声にビクっと肩を震わせると、ステラは渋々部屋の中へ姿を隠し窓は閉められた。
「いいかグラント、せめてもの情けだ、期限は付けん。お前がステラを諦めるつもりが無いなら儂の出した条件をクリアして見せろ。無理だと思うなら早々に言えよ?待ちくたびれるのは御免だからな。」
そう言い放つとバルドーはフンと鼻を鳴らし家の中へと入って行ってしまった。閉じられた扉の前、残されたグラントと櫻達は互いに顔を見合わせると言葉も無くバルドーの家の前を去るのだった。




