グラント
トーチュの町を出てから3日目の夜。他人の目が無くなり再び表れた命の禁断症状に対して、体液の譲渡行為に関してはアスティアとカタリナに説明したものの、流石にその現場を見られる事には抵抗がある為にテントを離れ、人目を避けて近場の藪の中での口づけを交わしていた。
「んっ…ん。」
悩まし気な声が命の喉から洩れる。その舌使いは流石にその為に作られたように官能的で、櫻も行為の度に身体を火照らせてしまう。そんな時は別の事を考え平常心を取り戻すのだが、
(そういえばこの処、以前程魔物と遭遇しないな…当初はひっきりなしに魔物に襲われる事を覚悟していたが、これは良い誤算と言って良いものか…。)
そんな事を考えていると、近くの藪がガサガサと音を立てた。
(何だ?…そういえば前も命とこうしている時に、あの時はミーシャが出て来たが…。)
舌を絡め合いながら音の出処を注視すると、そこから飛び出して来たのは一人の手負いの男と魔獣だ。
見ると男は軽装ながら革鎧のような物を身に纏い、その手には身の丈の半分程の長さの両刃の西洋風の剣を握っている。だが既に体中が傷だらけで、魔獣から逃れる為に藪の中を突っ切って来たようであった。
幸い身体機能に支障をきたすような深い傷は無いようで、四肢の動きに問題は見られない様子。
方や魔獣はといえば、どうやら素体となったのはボーフのようで、魔獣化したとは言ってもそのサイズは通常のバーと大差無いか、それ以下。
飛び出して来た男は櫻と命の行為を目撃すると、案の定一瞬その目を奪われるが、
「おい、危ないぞ!逃げろ!」
慌てて二人に向けて叫ぶ。だが櫻は唇を離すと、
(またこのパターンか…。)
以前の事を思い浮かべ呆れながら口元を拭い姿勢を正した。
「命、やれるか?」
「はい、問題ありません。」
櫻の言葉を受け、はだけた肩を直すとスックと立ち上がり、魔獣を見据える命。その視線に敵意を感じ取ったのか、魔獣は命目掛けて素早い動きで飛び掛かると、命の身体は軽々と押し倒されてしまった。
前足を上手く使い命の両肩を押さえ付けるようにし、今にもその首を喰らおうと大きく口を開く魔獣。
「やめろー!」
男の声が響く。しかし
「ご安心を。」
冷静な声が魔獣の下から聞こえたかと思うと、鋭利な、槍とも剣とも判らぬ刃物が魔獣の腹から背中を貫き、そのまま頭までを真っ二つに割いた。そして魔獣の亡骸の下から起き上がる、全身を返り血で染めた少女の姿に男は『ひぃっ!』と情けない声を上げると、気を失い倒れてしまった。
櫻と命は気を失いノビている男を見て顔を見合わせると、やれやれと肩を竦めて見せるのだった。
パチパチと焚火の音に男が意識を取り戻すと、それを覗き込んでいた命の姿に驚き、息を飲み込み跳び起きた。
「お。気が付いたかい。」
焚火の傍に座り火の番をしていたカタリナが気付き声をかけると、男は状況を飲み込めないように周囲を見回す。
「イッ…つ…。」
比較的大きな傷の各所に傷薬と巻き布の手当てがされている事に気付き、
「こ、ここは…?」
オドオドとした様子で命から少し距離を取りながらカタリナに問い掛けた。
「アタイらは旅のモンでね。今は野宿の真っ最中だよ。ほれ、コレでも食って落ち着きなよ。」
カタリナは木の枝から削り出した串に刺した肉を焚火で炙り焼きにした物を男に差し出す。
「あ…ありがとう…。」
恐る恐る手を差し出すと、カタリナからそれを受け取り一口齧り付き、味わうようにゆっくりと咀嚼するとゴクリと飲み込み、一つ大きく息を吐いた。
「落ち着いたかい?」
「はい…ありがとうございます。あの、これは何の肉ですか?凄く美味しいですね。」
「あぁ、それはさっきミコト…そこの娘が獲って来た魔獣の肉だよ。」
カタリナの言葉に思わず男は咽る。そして先程の光景を思い出し、何故自分がこの場に居るのかを思い出した。
「それで?お前さんは一体何をしてたんだい?装備を見た限りじゃ剣も鎧も新品みたいだし、魔物ハンターには見えないね?」
カタリナの背後のテントの中から櫻とアスティアが姿を現す。
櫻が男の頭から足元までをジロリと眺めた。その男は歳の頃は20程で身長はカタリナよりも低い。身体つきは決して貧弱と言う訳では無いものの、恐らくは戦いとは無縁の肉体労働者の身体だ。
「あ、キミはさっきの…。」
櫻と命を交互に見る男に
「いいから、質問に答えな。」
顔を赤らめ誤魔化すように櫻が語気を強めると、子供とは思えないその迫力に気圧された男がポツポツと話し始めた。
「あ、はい…。僕はアイディの町に住んでるグラントと言います。」
「アイディ?」
「はい。この街道を北に進むとある町ですよ。」
テントから少し離れた場所に見える街道を指差して見せる。
「成程。あたしらが向かってる町か。」
街道の先に目を向け櫻が呟いた。
「そうなんですか?まぁそれは兎も角、僕はその町で畑作りをして生活しているんですが、その、恋人が居まして…。」
恋人と言う言葉に顔を赤らめ頭をポリポリと掻くグラント。
「へぇ?それで、その恋人とその恰好はどんな繋がりがあるんだい?」
革鎧に剣という、とても農民には見えない姿に櫻が指差す。
「実は…その恋人というのが、僕の借りている畑の地主の娘なんです…。それでお付き合いを認めて貰おうと挨拶に行った処…。」
『お前みたいな土地も家も借り物な男に、大事な娘を任せられるとでも思っているのか!娘が欲しいなら儂に借りの無い身体になって出直して来い!』
「…と言われて追い出されてしまったのです…それ以来彼女…ステラとは顔も会わせて貰えません…。」
自分で語りながら、その現実を改めて突き付けられたグラントはガックリと肩を落とした。
「まさかそれで、金を作る為に魔物ハンターの真似事を始めたってんじゃないだろうね?」
話を聞いていたカタリナが口を挿む。
「はい。魔物ハンターは実入りが良いと聞いています。土地も家も手に入れるとなれば纏まった資金が必要なんです。これくらいしなきゃ彼女を迎えに行く事は出来ません。それとちゃんとギルドに登録もしているので真似事では無く本物の魔物ハンターですよ。」
懐からゴソゴソとギルドの認証札を取り出して見せた。
「…そういえば皆さんはハンターパーティーなのですか?其方の方も魔物に物怖じせずあっという間に倒しましたよね。」
直視するのが怖いのか、上目遣いで命に目をやる。
「ん~…まぁ、そうだね。」
カタリナが懐から認証札を取り出して見せると、櫻達も『うんうん』と適当に相槌を打った。
「皆さんお若いのに凄いですね…。」
『は~…』と感心の溜め息を漏らすグラント。
「アタイらの事はどうでもいいんだよ。それよりアンタ、仲間は居ないみたいだね?ろくに戦いの経験も無い癖に一人で魔物を狩ろうだなんて、随分魔物ハンター業を嘗めてないかい?特にアンタみたいな『人間』が、無謀もいい処だよ。」
ムッと頬を膨らませるカタリナ。自身の駆け出しの頃を思い出してか、その口調は呆れに近い物だった。
「駆け出しならリトの魔物だって一人じゃ危ない。それをボーフ相手に…。本来このくらいの相手なら中堅のハンターでも三人くらいで掛かるモンだ。考えが甘いんだよ。」
手に持つ、食糧と化した魔獣に視線を落とし、説教じみた言葉を並べる。
「そんな事を言われても…早くお金を貯めないと、いつまで経っても彼女を迎えに行けない。他人と収入を分けている余裕なんて無いんですよ!」
焦りからかグラントの語気が強まるが、カタリナはそれを物ともせず冷静に見据えた。
「まぁアンタとアタイとじゃ魔物ハンターになった経緯が違うからね、これ以上は何を言えた義理でも無いけど…金と命、どっちが大事かくらい理解出来ないようじゃ、その彼女だって幸せに出来るもんかい。」
「…っ、それは…。」
「現にアンタはミコトに助けられなきゃ命を落としていたかもしれないんじゃないのかい?それでよくそこまで強気な事を言えたもんだね?」
畳み掛けるようなカタリナの言葉にグラントは完全に言葉を失い俯いてしまう。パチパチと焚火の音だけが無言の空間に響いた。
「…まぁ、それくらいにしておきなよ、カタリナ。」
見かねた櫻が助け船を出す。
「大方その彼女の父親だって、娘を取られたく無い一心で言っただけで、まさかこんな命懸けの行動に出るなんて想像もしてなかったんじゃないのかい?」
焚火で炙られ肉汁を滴らせる肉を横目にすると
「まぁ魔獣の身体は殆ど食糧にしちまったが…幸いにも頭はそのまま残ってるんだ。これを持って行って覚悟の程を見せれば、少しは見直してくれるかもしれんぞ?」
そう言ってカタリナの横に転がっていた魔獣の頭を指差して見せた。見事に真っ二つになっているソレを見るとグラントは少し顔を青ざめさせたものの、
「それ、譲って頂けるんですか…?」
恐る恐る尋ねる。しかし、
「甘い考え起こすんじゃないよ。コイツを見つけたのはアンタだけど倒したのはミコトだ。つまり取り分は半々だよ。」
カタリナにピシャリと言われると肩を縮め項垂れ、溜め息を漏らすグラントだった。




