燻る力
トーチュの町を離れてから初めての夜。街道の傍に少々の木々が良い風よけになる地点を見つけ、テントを用意して食事の準備の為に火を起こしたカタリナは、パチパチと燃え盛るその炎を見つめていた。
「カタリナ、どうかしたのかい?」
そんなカタリナの様子に気付いた櫻が少々心配気に声をかけると、
「ん…?あぁ、ちょっとね。」
と、何か含みを持たせるような答えを返し、鍋に食材を入れる。
「ミーシャさんの事が気がかりなのですか?」
「え?いや、そうじゃないが…まぁそれも無くは無いかもしれないがね。」
食べられる野草を採取して来た命の不意の言葉に、カタリナは驚いたように言葉を濁し、手の動きを止め少し考え込んだ。
「ん~…まぁ隠す事でも無いか。いや、ミーシャを助けたあの日から何か身体が変…というか妙な感じなんだよねぇ。」
その言葉に櫻はハッとし、顔を上げた。
「まさか、禁断症状の間隔が短くなって来ているのか?」
「あぁ、そっち系の事じゃないんだ。アタイも良く解らないんだけど、何だか身体の芯がザワザワするって言うのかな…ドンパの屋敷が燃えているのを見た辺りから、こう…。」
カタリナは両手の指をワキワキと動かし、感覚的な物を説明しようとするのだが、上手い言葉が見つからずもどかしい表情を見せた。
「あ~、上手く説明出来ないね…済まない。」
頭を掻きながらハハッと笑う。
「…まぁ、禁断症状が悪化するような事で無くて良かったよ。で、それは自分で解決出来そうかい?」
「そうだね。自分でも何が気にかかるのかイマイチ解らない処だ。もしお嬢の助けが欲しいと感じたら、その時に頼むさ。」
「あぁ。そうしておくれ。」
櫻の言葉に頷くと、クツクツと煮立ち始めた鍋の音にカタリナが目を向け、匙でスープを掬い味見をすると『うん』と小さく頷いた。
椀にスープを取り分け櫻へ手渡す。すっかりアスティアの膝の上が定位置になった櫻は、少しふーふーと冷ましながら椀を口に運ぶと味わうように少しずつ啜る。
「お?この葉物、少し苦みがあるが、それが逆にクセになる感じだね。」
取って来てくれた命の顔を見て感想を述べると、
「はい。それは『スピナ』と言います。栄養豊富で精力剤の主原料ともなりますので、夜も長く多く頑張る事が出来ます。」
命の嬉々とした言葉に思わず吹き出しそうになった。
食事も終え、テントの中で横になる櫻とアスティアであったが、櫻は先程食べたスピナの効果なのか目が冴えて眠れずに居た。横を見るとカタリナの姿も見当たらない。恐らくは櫻と同じく寝付けずにいるのだろう。
横でスースーと可愛らしい寝息を立てるアスティアを起こさないようにそぅっとテントを出ると、番をしている命に目を向け、傍へ歩み寄る。
「カタリナは?」
「カタリナでしたら、先程あちらに行かれました。」
命が指差す先は街道とは逆側、木々を抜けた先の草原だった。櫻がそこへ向かうと、
「フッ!ハッ!フッ!」
切れの良い呼吸と共に、まるで拳法かのような型の決まった突きや蹴りを繰り出すカタリナの姿が月明かりの元に美しく舞っていた。
「ほ~、お前さん、そういう動きも出来るのか…。」
「ん?あぁ何だ、お嬢も眠れないのかい?」
櫻の少々意外という声に動きを止め、歩み寄るカタリナ。
「あぁ、あのスピナ…だっけ?あれのせいかね。」
ハハッと笑って見せると、カタリナも同じだとばかりに笑う。
「それで?今の演武は何だったんだい?」
「エンブ…?あぁ、今の型の事かい?」
櫻の言葉に少し思案したが、直ぐに察すると腰に手を当て小さく頷いた。
(演武という概念は無いのか…だがあれは見事な流れるような動きだったし、演武と言っても良いくらいだったがね。)
「あぁ。お前さんの普段の戦い方を見てると我流のようだったし、あんな型を持ってるとは知らなかったよ。」
感心したように言う櫻の言葉に、カタリナも満更では無いように照れ笑いを浮かべる。
「いや、あれは里に居た時に軽く習った程度のモンでね。実戦で使った事なんてロクに無いんだよ。お嬢が知らないのも無理は無いさ。」
「里?」
興味を惹かれ櫻が食いつく。
「アタイらライカンスロープは中央大陸の南側に里を持っててね。南と言っても広い中央大陸の中じゃ、ほんの僅かな地域だが…。大半の者は余り外界に出ずにその中で一生を終えるような所さ。まぁ最近は若い連中がどんどん外に出て行ってるけどね。」
ハハハと笑うカタリナ。その笑い声は何処か鬱憤を晴らすかのようだ。
「ま、それは良いとして、ライカンスロープってのは基本的に身体一つで戦うのが普通だ。アタイも武器の扱いは苦手だしね。それに自分達が強い種族だと自負してるもんだから、小さい頃から戦う術を教わる事も珍しくない。」
グッと握り拳を作り腕に力を込めると、ぶかぶかの服に隠れているにも関わらず腕の筋肉の隆起が判る程だ。
「だけどねぇ…実際に里の外に出て魔物ハンターになってみたらどうだい?里で習った型なんて実戦じゃ何の役にも立ちゃしない。結局形振り構わずその場を生き延びる事、そして相手を倒す事を続けてたら、何時の間にか今の戦い方が身に付いちまったのさ。」
そう言って肩を解すように腕をグルグルと回すと、首をコキコキと鳴らした。
「成程ねぇ…だけどそれじゃぁ何で今になってまた『型』を?」
草原に腰を下ろし、手持無沙汰に草を千切る。不意に吹いた風が掌の中から千切れた草を空へ運んで行った。
「うん…さっきも言ったけど、何だか身体の内から湧き上がるような、だけど燻ってるような何かが落ち着かなくてね…無性に身体を動かしたくなってさ。こういう時は相手が居なくても出来る『型』は有り難いね。」
飛んで行く草を目で追うと、そのまま月を見上げた。綺麗な月明かりは満月に近く煌々と輝く。
おもむろにカタリナは全身に力を込めると、その姿は見る見る身体を肥大化させ変態し、赤い鬣を風に靡かせる狼のような獣人の姿へ変わった。
「突然どうしたんだ、カタリナ?」
突然の事に櫻が驚いた声を出すと、カタリナは櫻をジロリと見下ろし、口角を上げ鋭い牙を覗かせた。
月明かりを背にするその姿に、櫻は思わず『ごくり』と音が聞こえそうな程に唾を飲んだ。だが、
「ぷっ。」
噴き出すようなカタリナの声に櫻は呆気に取られる。
「何だいお嬢、その顔は。アタイに捕って食われるとでも思ったかい?」
クックッと笑うカタリナに櫻の顔が赤くなった。
「いや、悪い悪い。驚かすつもりは無かったんだよ。ただ、こうも月明かりが気持ち良いと、こうして力を開放したくなっちまうのさ。アタイらライカンスロープって種族は。」
両腕を天に向けて広げ、空を見上げるカタリナ。晴れ晴れとしたようなその声に櫻はホッと安堵の息を漏らした。
「全く、驚かすんじゃないよ…また禁断症状でも出たのかと心配したってのに。」
軽く頬を膨らませる櫻。
「ハハッ、悪かったって。ただまぁ、まだ身体の中から湧き上がる衝動みたいなこの、ザワザワとした感覚が何なのか掴めないのはもどかしいねぇ。…いっそ本当にお嬢を食っちまったら何か判るのかね?」
鋭い野獣の如き眼光を向けると、ベロリと出した舌が口周りを舐める。
「…それで本当にお前さんの悩みが解けるなら、この腕の一本もくれてやるがね?」
そう言うと、櫻は真剣な眼差しで腕を差し出した。互いの視線がぶつかる。
一瞬の間。だがその時間が長く感じられた。
「ふ…、冗談だって。言っただろ?お嬢の助けが欲しい時には頼むって。今はまだその時じゃないさ。もう少し自分で考えてみるよ。」
カタリナはそう言ったかと思うと再び普段の人型へと姿を戻し、やれやれと言った風にして櫻の横へ座る。
月明かりに照らされた草原を優しい風が吹き、サワサワと草葉が揺れる。虫の声が其処彼処から聞こえる中を何語る事無く静かに時が流れた。
不意に、櫻が空を見上げ呟く。
「それにしても…。」
「あぁ…。」
「「全然眠くならないねぇ…。」」
結局、そのまま空が白むまで待っても眠気は訪れる事無く、冴えた目でテントへと戻る二人なのであった。




