朗報
塀を飛び越え町の外。命とシェルミーが待つ小屋へと辿り着いた櫻達一行。
「お母さん!」
「シャイミー!」
互いの無事を確認するとどちらとも無く駆け寄り、その身体を愛おしく抱き締め合った。だがその時の感触でミーシャの身に纏う外套の下が裸である事に気付いたシェルミー。
「シャイミー、貴女まさか…。」
シェルミーのトラウマが想起され、顔色がみるみる青ざめる。しかし
「大丈夫だよ!危なかったけど、カタリナ達が助けてくれたんだ。」
そう言ってカタリナに振り向き、ウィンクする。
「まぁ少し怖い目には合わせちまったけどな…。」
頭を掻き少しバツが悪そうなカタリナ。
「う~ん、そのままじゃ風邪を引いちまいそうだし…命の服なら何とか着れるんじゃないかい?」
「あぁ、そうだね。ミコト、済まないけどアンタの服を一着借りるよ。」
櫻の発案にカタリナが荷物を漁ると、命はコクリと頷いて見せた。
「あぁ…何とお礼を言って良いか…。皆さん、娘を助けてくれて本当にありがとう…。」
シェルミーは声を震わせ深々と頭を下げた。
「まぁまぁ。取り敢えず救出はしたものの、これからが問題だろうからね。まず今日はもうこの小屋で過ごすとして、明日以降あの男がどういう出方をするか次第って所だ。」
櫻はシェルミーの肩へそっと手を置くと、頭を上げさせた。
「そう…ですよね。まだ何も終わってないんですもの…。」
今までの心労からかシェルミーは思考がネガティブになっているようだった。そんな様子に櫻は鼻で小さく溜め息を漏らし少し考える。
「カタリナ、取り敢えず腹ごしらえしようじゃないか。まだ干し肉は残ってたよな?皆で食い切っちまおう。」
「え?あぁ。そうだね。二人には余り美味いと思える物じゃないかもしれないけど、腹が減っちゃロクな考えが浮かばないよ。ほら、食べな。」
荷物の中から取り出した干し肉を二人に差し出すと、ミーシャがそれを受け取りシェルミーに分け与える。
(さて、この後どうなるか…天のみぞ知るって感じかねぇ。)
干し肉を奥歯で咀嚼しながら櫻は雨音の響く天井を見つめるのだった。
皆で身を寄せ合い冷えを凌ぎながら一晩を過ごすと、翌朝には昨夜までの雨が嘘のように空は晴れ渡り、暖かな日差しが小屋の扉の隙間から差し込んで来ていた。
「どうやら雨は止んだようだね。」
櫻が小屋の扉を開け、様子を伺う為に外へ出ると、朝の林の澄んだ空気が心地良い。
周囲をきょろきょろと見回し不審な人影が無いかを確認する。
(よし、追っ手の類は居ないようだね。)
「アスティア、カタリナ。町の様子を見に行こう。あの男があれからどうしたか確認だ。命はまた留守番を頼む事になるが、二人を護っててくれ。」
櫻の言葉に各々が動き出す。
「あの、気を付けてくださいね。」
シェルミーの心配そうな表情に櫻は笑顔で頷き応えた。
最早定番となった塀越えの侵入から町の中央広場へと移動すると、昨日のドンパ邸炎上は町中の話題となっていた。
「流石にあれだけ派手に燃えれば当然か。」
周囲の世間話に耳を傾けながら町の様子を眺める。すると櫻はある事に気が付いた。心なしか皆の表情が明るいのだ。
「きっと神様の罰が当たったんだ。」「風の精霊の怒りを買ったのよ。」「恨みを持ってた誰かに襲われたんじゃないのか。」
様々な憶測が飛び交う中で一つ確信が持てるのは、ドンパが人々から疎まれていたという事だった。
(これだけ嫌われていてよく今まで無事に生きていられたもんだ…この世界の人々の心根の優しさ故…って事かね?)
呆れながら周囲に聞き耳を立てていると、更に聞こえて来た話は櫻達に重大な報せとなる。
『どうやらドンパは財産の殆どを失ったらしい。』
その言葉が喧騒の中から耳に入ると、櫻達は思わず顔を見合わせた。
その後人々の話から聞こえて来た言葉を纏めるとこうだ。
どうやらドンパは他人を信用せず財産はほぼ全て自身の屋敷に保管していたらしい。それが全て昨日の火災で焼失してしまったのだが、そもそもドンパの持っている色町の半分をも牛耳る資産…それは裏で汚い手段を使い奪い取って来た物であり、その権利書も全て失ったらしいというのだ。
ドンパに付き従っていた者達も金が目当てであり人望など全くと言って良い程に無いと言い、財産を失った昨日の内に蜘蛛の子を散らすようにドンパの元から去って行ったと言う。
更には当のドンパが何やら局部に重傷を負い、当面人並みに動く事も出来ないだろうという話も広まっており、『今までの悪事のツケがまわったんだ。』と人々の嘲笑の的となっていた。
「何だか随分と評判の悪い男だったんだねぇ。よくそんなのが瘴気に取り憑かれなかったもんだ。」
「町から出なくても生活出来るような金持ちってのは腹黒いのが多いんだよねぇ。身の危険を冒す必要が無いもんだから、欲望が熟成されていくのかもしれないね。」
櫻の疑問にカタリナが答える。その声は何処か清々しい。
他人の不幸を喜ぶのもどうかと思う櫻ではあったものの、悪人には相応の報いがあってしかるべきとも思うと、この町の人々の反応は仕方なしと複雑な表情を浮かべるのだった。
町の様子を一通り窺い、町の外の小屋へ戻るとその事をミーシャ母娘に報告する。
「…という感じでね。もうドンパには何をする権力も無いだろうし、脅威は去ったと考えても良いんじゃないかね。」
櫻達の報告にシェルミーとミーシャは瞳を輝かせた満面の笑顔で抱き合った。
「やったね、お母さん!これでまた安心して娼館を再開出来るよ!」
「えぇ、そうね。お店の皆にも安心して戻って来て貰えるわ…。」
安堵に打ち震える二人の肩にカタリナがそっと手をかける。
「さ、町に戻ろう。」
櫻の声に二人も頷き、小屋を出る。
町の内外を隔てる塀の入り口まで歩くと、その内側に設けられた番兵の詰め所から一人の男が顔を覗かせ
「あれ?シェルミー…いつ外に出たんだ?それにそっちの四人は…店の新人?見た顔も居るような…?」
と間の抜けた事を言う。
しどろもどろに言い訳をするシェルミーを見ながら皆でクスクスと笑い合う。
無事町へ入り色町へ。シェルミーは自分の城とも言うべき娼館の前に立つとその建物を見上げ、その頬に涙が一滴流れた。その母の背に無言で優しく手を添えるミーシャ。
「さぁ、皆さんどうぞ中へ。」
シェルミーに促され一同は正面入り口から店内へ入ると、中は薄暗く静まり返っていた。だが其処彼処から人の気配がするのだ。
「店長…?」
小さな声が聞こえた。そう思った時、
「えっ…店長?」「無事だったの!?」「うわ~ん、怖かったよ~!」
彼方此方の物陰や部屋の中から沢山の女達が姿を現し、シェルミーに縋りつくように集まり出した。
「あぁ、皆無事だったのね。良かった…。」
一人ずつの安否を確かめるように皆の頭を撫で、額に口付けをする。
「シェルミー、この娘達は…?」
驚く櫻達。
「この娘達はアタシと同じ、この娼館に勤めてる娘達の中で、まだ自分で住む場所が無くてこの店の中で生活してる娘達なの。だからお母さんはこの店をどうしても手放す訳には行かなかったのよ。」
穏やかな声でミーシャが言う。見るとまだ幼い、アスティアと同じくらいの少女も居り、その娘に至ってはシェルミーに母としての情を抱いているようにさえ見える。
「成程ね、『家族』を護る為、か。」
櫻はその光景を優しい眼差しで眺めた。
娼館に残った娘達の話によると、シェルミーが捕らわれミーシャが町から逃げ出した後、ドンパの手の者が店の前をうろつくようになり外に出る事すら出来なかったという。それが突然姿を消した事で何かがあったと悟りはしたものの、恐怖に震え確認に出る事が出来なかったというのだ。
「そう…皆には怖い思いをさせてしまってゴメンね。」
「でも安心して!ここに居るカタリナ達がドンパを始末してくれたのよ!」
ミーシャは大きく両手を広げ櫻達一行を紹介する。
「始末って…別に殺しちゃいないからな?」
「まぁ男としちゃ死んだようなもんじゃないか?」
仰々しく紹介され、くすぐったそうに笑う。するとシェルミーの周りに居た女達が一斉に櫻達の元へと集まり、
「わぁ、凄い!綺麗なお方!」「此方の方も可愛いわ。」「私はこっちの小さい娘達が気になる~。」
櫻達は自分達に興味を持った娼婦達に圧倒された。
「ほらほら、恩人の方々に迷惑をかけちゃ駄目よ?私はこれからこの方達にお礼のおもてなしをしたいから、良かったら皆も手伝って頂戴?」
「「は~い!」」
シェルミーの一声に皆が活き活きと返事をする。
「それじゃ、カタリナ達はこっちに来て。」
ミーシャの案内で奥の部屋へ通されると、そこはVIPルームだろうか、広い部屋に丸テーブルが置かれ周囲を囲うように椅子が配された、日本の大人数用カラオケルームの如き部屋。ただカラオケルームと違うのは、巨大なベッドが用意されている点か。
(へぇ…なんだか懐かしい感じがするねぇ。)
周囲をきょろきょろと見回す。
「ふふ、珍しいでしょ?ここは特別なお客様をおもてなしする時しか使わない部屋でね、お店が出来てからほんの数回しか使われた事が無いくらいなのよ。」
自慢気に胸を張るミーシャ。
「へぇ…それじゃアタイらは特別なお客様扱いって訳だ。そりゃ嬉しいね。」
「特別も特別よ。貴女達は大げさじゃなくアタシ達の命の恩人だもの。それにアタシにとってもカタリナ…貴女は特別になったわ。今晩アタシを好きにしていいわよ、勿論タダで。」
ミーシャが胸を押し当てるようにカタリナに正面から身体を密着させ、艶のある瞳で見上げる。だがカタリナはミーシャの両肩に手を添えると
「そりゃ有り難い申し出だけどね。アタイは身も心もお嬢の物だから、その気持ちだけ貰っておくよ。」
と、その身を引き剥がした。
「ちぇ、折角サービスしてあげようと思ったのに…サクラちゃんだっけ?貴女、子供のクセにこんな器量良しを三人も侍らせるなんて、どれだけテクニシャンなのよ。」
ミーシャは唇を尖らせジトっとした目で櫻を見る。
「おいカタリナ…またそんな誤解を招くような事を…。」
悪戯っぽく笑うカタリナに呆れながら諦めに似た溜め息を漏らす櫻。そんな二人のやり取りを見るミーシャの表情に少々の陰りがある事を櫻は見逃さなかった。
その後、籠城の際に余った食材で豪華な祝いの席が設けられると、立場も年齢も関係無く皆が食事と酒で賑わい、宴は夜更けまで続いた。




