シェルミーの想い
「さて、カタリナ達にあたしらがここに居る事を知らせなきゃならんが…。」
チラリとシェルミーを見ると、櫻はアスティアを手招きした。
「彼女を一人にしておくと不安だ。あたしがここで彼女と一緒に居るから、お前さんがカタリナ達を見つけてここに連れてきてくれないか?」
アスティアの耳元でヒソヒソと囁く。
「うん、解った。」
アスティアも声を抑えて頷く。
「あ、それとついでに、カタリナ達を見つけたら宿を引き払って荷物も持って来てくれないか。」
「は~い。」
アスティアの返事に櫻はその身を抱き寄せる事で応え、シェルミーからは見えないように再び血を与える。
「それじゃ行ってくるね。」
「あぁ、出来れば追っ手に尾行られないようにな。」
扉を出て行くアスティアに小さく手を振り見送る櫻。
「さて…。」
振り向きシェルミーの傍へ歩み寄ると、その脇にちょこんと座る。
「あの…貴女一体…?」
先程からのアスティアとのやりとりで、隣に座る少女が主導権を持っている事を悟ったシェルミーは、得体のしれないモノから逃れるかのように僅かに身を引く。
「あたしらは旅の途中でね、この町に辿り着くちょっと前に…丁度この近くでミーシャに会ったんだ。それで成り行きで町まで同行する事になって、そのままズルズルとここまで来た訳なんだが…。」
『ハー』と手の平に息を吐く。雨が強くなって来た事で周囲の気温が少し下がって来たようだ。
小屋の中央には過去に火を起こしたであろう場所もあったが、隠れる身としては今火を起こすと煙で所在がバレる可能性が高い。更に言えば今外から薪を集めてきても湿気ていて使い物にならないだろう。
するとそんな櫻の様子に気付いたシェルミーは、そっと両肩に手を添えたかと思うと自らの膝の上に櫻を誘導し、背中から抱き締めるように身を被せた。
「こうすれば二人とも温まれるでしょう?」
「あぁ、ありがとう。」
包み込む温かさは体温だけでは無い。身を隠さねばならぬ状況にあって尚他者を気遣える、その優しい気持ちが櫻の身体に伝わる。
「ふふ、こうしてるとシャイミーが小さかった頃を思い出すわ…。昔はお金が無くて、寒い時にはこうやって温めあったの…あの頃は貧しかったけれど、母娘二人で幸せだった…。」
「今は幸せじゃないのかい?」
「どうなのかしらね…?暮らすに充分なお金はあるし、お店の娘達とも楽しくやっていけてたわ。でもドンパに目を付けられてからは色んなものが徐々に壊され始めて、せめて皆の居場所のお店だけは護ろうと抵抗したのだけれど…。」
俯くシェルミーの髪の毛がファサっと櫻の顔に掛かった。
「他人の家の事に口を出す事じゃないかもしれないが、ミーシャの父親…お前さんの旦那はどうしたんだい?」
櫻のその言葉にシェルミーの肩がビクっと跳ね上がるのを背中越しに感じた。
「あの娘に父親は居ないわ…私だって、誰とも結婚なんてしてない…。」
ブルブルと身体と声を震わせ、シェルミーの様子がおかしくなってくる。これはマズいと櫻は身体を捻り、シェルミーを正面から抱き締めると、
「済まなかった。何か嫌な事を聞いてしまったようだね。話したくない事は言わなくていいんだ、悪かったよ。」
と、子供をあやすように背中をポンポンと優しく叩いた。
シェルミーはそんな櫻を抱き締め返すと、
「ううん、私こそごめんなさい。こんな事に付き合わせてしまっているのに…でも本当に許して…思い出したく無いの。」
そう言って櫻の肩で涙を拭った。
(何か余程の事があったのか…ミーシャにも関係がある事かもしれないし、悪いが記憶を覗かせて貰おう。)
未だ櫻の身体を抱き締め身を震わせるシェルミーに視線を向けると、その記憶の中を遡る。そして見えて来たのは、強くこびり付くように残る記憶。早く忘れたい、消し去りたいと強く思うが故に、いつまでも残り続けてしまう記憶だった。
それはシェルミーがまだ16の少女だった頃。当時は編み物などの仕事を請け負い生活しており、まだ水商売などとは無縁の世界で生きていた純粋な少女は、ある日唐突に世界の闇を見る。
路地を歩いていた所をいきなり複数の男達に取り押さえられ、人気の無い納屋へ拉致された。恐怖に泣き叫ぶと拳を頬に叩き込まれ、あまりの事に声を失うと次の瞬間には衣服を剥ぎ取られ、純潔を奪われた。
痛みと恐怖に息が出来ず意識が朦朧とする中、男達はそんな事はお構いなしに代わる代わる入れ替わりシェルミーを凌辱し、一晩中欲望の捌け口として酷使された後にその場に打ち捨てられた。
その時シェルミーは自身に起きた悲劇よりも、やっと解放された事への安堵で笑いが込み上げ大声で笑うが、その瞳からは滝のように涙が溢れ止まる事は無かった。
それから暫くの後、シェルミーは自身に別の命が宿っている事を悟る。だが頼る者の居ないシェルミーはそれを誰にも相談出来ず、遂に出産…そうして産まれたのがシャイミーだった。
後で知った事だが、シェルミーを襲った男達は旅の途中で町に立ち寄っただけの連中で、恐らくは町を出る前にとたまたま目を付けたシェルミーに暴行を働いたのだろうという。その為、誰がシャイミーの父親なのかは全く判らなかったが、幸いなのはスクスクと育つシャイミーはシェルミーと瓜二つで父親の面影など微塵も無い事であった。
だが17歳の少女が子供を育てながら生きる為には金が必要だった。そこで実入りの良い娼婦を始めたのだが、男達に襲われた記憶がトラウマとなり男性恐怖症を発症。結果、女性専門の娼婦となる。
初めは自分が生活する部屋へ客を招いて相手をしていたが、意外にもその道の才能があったのか口コミで評判が広がり、商売が軌道に乗ると商売用の部屋を持つようになり、小さな店を構える程にまでなった。
店には自分と同じ境遇の者や、単にそういう行為が好きで進んで業界に入って来た者、他にも行き場の無い者などが集まり、いつのまにかそれなりの人数を抱える店へと成長。シャイミーはそんな母親の背中を見て育ち尊敬していたらしく、『アタシもお母さんと一緒に働くよ!』と言い出したのは14の時だった。
まだ14…自分が純潔を失った歳よりも若いその年齢に当初は反対したシェルミーだったが、シャイミーの熱い想いが本物だと知った時、その意思を尊重し自分の店の仲間の一人として迎え入れる事を決め、他の娘達と同じ扱いをすると自身を律した。
それからは順調に資産を増やし経営も軌道に乗っていたのだが、その増えた資産が仇となる。色町の半分を牛耳る一大勢力の長、ドンパに目を付けられたのだ。ドンパはシェルミーの持つ資産だけでなく、シェルミー自身を、更には瓜二つの若い身体を持つシャイミーをも手に入れようとしていた。その嫌らしい目つきはシェルミーの記憶の奥底に残り続ける男達を想起させ、恐怖の対象となる。
だがそれよりも恐ろしい事…それは、愛娘シャイミーが、こんな男の手に渡る事。
『それだけはさせない。』その想いで最後の砦である娼館と土地の権利書をシャイミーに託し、いずれ状況を好転させるチャンスが訪れると信じ、その身を犠牲にして町の外へと逃がしたのだった。
(成程ね…辛い状況でも逃げずに今まで頑張って来た、強い女性だね。…だが母娘の状況を好転させるヒントは無かったか…ただ記憶を覗いてしまっただけの失礼な事をしてしまった…。)
未だに肩を震わせるシェルミーを、櫻は黙って抱き締める事しか出来なかった。
その時、バタバタと木々の枝から落ち屋根を打つ雨粒の音の中に混じり、パシャパシャと雨の中を走る足音が微かに聞こえてくる。二人はハッとし、櫻の誘導で扉の陰になるように静かに移動すると身を低くし息を殺す。
『キイィ…』と湿気と老朽化で建付けの悪くなっている扉が開くと
「あれ?誰も居ない?サクラ様~?」
アスティアの声だ。
「なんだ、アスティアか…カタリナ達とは合流出来たのか?」
扉の陰から姿を現し安堵の息を漏らす。
「あぁ。アタイとミコトは一緒だ…。」
雨に濡れた外套を捲り顔を出したカタリナ。しかしその表情は暗い。
「…その様子だと、攫われた後か…。」
「すまない、お嬢。宿に到着した時に連れ去る現場に遭遇はしたんだが、まんまと逃げられちまった…。」
グッと食いしばる奥歯がギリリと音を立てた。
「逃亡対策だったのか、思いの外大人数の男達が宿に押しかけており、追跡を妨害される形となってしまいました。」
命がカタリナをフォローするように付け加える。
「そんな!シャイミー…!」
二人の言葉にシェルミーは小屋を飛び出そうとする。しかし
「待ちなって!今お前さんが飛び出したって状況は悪化するだけなんだよ!」
櫻の強い口調での制止にビクリと身体を震わせると、その身を受け止めたカタリナの前で肩を落とした。
「間に合わなかったのは済まない。でももう一度チャンスをくれないか。今度はちゃんと連れてくるからさ。」
カタリナがシェルミーの両肩に手を添え、ハッキリとした声で断言する。櫻もその言葉に頷いて見せると、その姿にシェルミーは力なく頷くのみであった。
「さてそうなると時間勝負だね。」
櫻が腕を組み頭の中で状況を整理する。
「アスティア、ここ、頼む。」
そう言うと櫻は自らの手首を指差し、アスティアもそれに頷いて応えると櫻の腕を取りその場に唇を添えた。カタリナは荷物の中から水筒を二つ取り出し櫻へ手渡す。
シェルミーはその行動が何を意味するのか全く理解出来ずに眺めていたが、次の瞬間、櫻が自らの手首をナイフで切りつけた事に思わず息を飲み両手で口を押さえた。
「な…っ、何をしてるの!?」
慌てるシェルミー。しかし櫻は平然と血の流れ出る手首に水筒の口を当て
「驚かせたようで済まないね。だけど気にしなくて大丈夫だよ。」
と落ち着かせるよう優しい口調で宥めた。
「だ、だけど…。」
当然そんな言葉だけでは、目の前で突然手首を切る少女の意味など理解出来る筈も無い。まるでシャイミーを助けられなかった責任を感じ自害しようとしているようにしか見えなかった。
しかし、そんな考えの目の前で起きた光景に更に驚きを覚える事となった。なんと今まで大量の血を流していたその手首の切り傷が、まるで幻だったかのようにスゥっと消えると傷口の痕すら見当たらなくなったのだ。
シェルミーは自らの目を疑うと
「貴女…一体…。」
と、先程と同じ言葉、しかし全く違う意味合いで得体の知れなさに恐怖に似た感情を覚え全身を強張らせた。
「さっきも言っただろう?ただの旅人だよ。多少、他人と違う処があるってだけのね。」
ニカリと歯を見せて笑うと、櫻はそのまま二つの水筒をアスティアとカタリナに手渡す。
「あたしとアスティアとカタリナで町に戻る。命は万が一に備えてここに残ってシェルミーの警護だ。」
「はい。ところでその万が一が起きた場合には敵対者は始末して宜しいのでしょうか?」
「…まぁ相手の出方次第かな。命を奪わなくても制圧出来るならそうしてくれ。」
「承…わかりました。善処します。」
「それじゃ、行ってくるよ。」
櫻達は外套を目深に被り扉を開けると、降りしきる雨の中を出て行く。残されたシェルミーは命をチラリと見た後に再び扉を見つめ、両手を組み皆の無事を祈った。




