奪還
夢の中、櫻はまたファイアリスと会話を交わしていた。
《…ってな訳でまた面倒事に首を突っ込んじまってね。》
《お勤めご苦労様。でもそれが貴女の選んだ事なのでしょう?関わりたく無いのであれば最初に出会った時に見捨てて別れてしまえば良かったのだし、でも貴女はそれをしなかったのだから。》
《まぁね。出会った時から何かこう…助けを求めているような気がして放っておけなかったんだよ。》
《それが貴女の良い処よね~。それで、貴女はその人の母親を助けるつもりのようだけれど、捕らえているという男は殺すのかしら?》
何処か楽し気な口調でサラリととんでもない事を言う。
《随分物騒な事をストレートに聞くもんだねぇ。ま、そいつは相手の出方次第さ。そうしなくちゃならないならそうするし、しなくて済むならしないに越した事は無い。》
《あらん…もう少し悩むかと思ったのに、意外。》
《トツマの町で倒した魔人の一件のせいかね…始末しとかなきゃいけないヤツってのは居るんだって事を考えさせられた。この世界は瘴気の存在によって人々は善行を良しとしていると安心していたが、結局人は人…欲望に抗えない連中が確実に居るってのが解ったしね。》
重い気持ちながらも、それでも何処かサッパリとしたような声。
《そうよ~。そもそも瘴気に取り憑かれないように心を清らかに~なんて、人類以外はしてないもの。生物の本性は欲望に忠実、瘴気はそれを爆発させているに過ぎないわ。》
《だから獣や蟲の魔物が多いってんだろう?それは理屈では分かってるがね、あたしは人類は愚かでは無いと信じたいだけなのさ。まぁこんな愚痴みたいな話に付き合ってくれてありがとう。》
《いいのよ~。私も貴女と話すのは楽しいから。また何か話題があったら遠慮なく呼んでね♪》
楽し気に弾むファイアリスの声が遠のく。
(こうして愚痴を聞いてくれる相手が居るってのは、正直ありがたいもんだ。神様に感謝…っと。)
そうして櫻の意識は沈み、夜が明ける。
ガタガタと風に揺れる窓の音で目が覚める。
(何だ…?今日は天気が悪いのか?)
外を見ると少し強めの風が吹き、空は曇り太陽が隠れてしまっている。
(ふぅ、朝からこういう天気は何となくやる気が削がれるねぇ…まぁ天気に文句を言っても仕方ないか。)
「アスティア、アスティア…朝だよ。」
櫻はアスティアにだけ聞こえるように耳元で小さく囁く。
「ん…サクラ様、おはよう…。」
まだ眠い目が薄っすらと開くと、櫻はアスティアを抱き寄せその口を首元へ導く。アスティアもそれをいつもの事のように受け入れると自然に舌を這わせ、牙を突き立てた。
「ん…。」
櫻の口から甘い声が漏れる。
(えっ?やっぱりあの二人ってそういう仲なんだ…あんな小さいのにマセてるわねぇ…。でもキスだけなんてまだまだ可愛いわね。)
チューチューと血を吸い上げる音は、ガタガタと揺れる窓枠の音に掻き消されるものの、時折漏れる櫻の声は隣のベッドの中で既に目を覚ましていたミーシャの耳にしっかりと届いていたのだった。
程なくして全員が起床すると、カタリナが露店から適当な食事を買って来ての朝食を済ませ、いよいよミーシャの母親を救出する為の行動を開始する事に。
「それで、先ずは何から?」
輪になって部屋の床に座り込んだ一同の中で最初に口を開いたのはカタリナ。
「そうだねぇ。取り敢えず居場所を知るのに一番手っ取り早いのは、例の『ドンパ』って男の頭の中を直接覗いてみたら良いんだが…そいつが何処に居るのか調べる事からかね?」
「それなら町の西の方、金持ちの家が集まってる所にドンパの家も在るわ。普段は周りの男達に命令するだけで家から出ないヤツだし、こんな天気の悪い日には多分家の中で贅の限りを尽くしてるんでしょうね。」
ミーシャは部屋の中から見える訳も無いその家の方角を指差して見せた。
「成程?相手の家の場所は知ってる訳だ。」
顎に手を添え頷く櫻。ミーシャからドンパの家の場所と当人の容姿の説明を受けると、胡坐をかいていた膝をポンと叩き立ち上がる。
「取り敢えずは下見だね。窓のある部屋に居てくれればそこから覗けるが、もしそうでないなら何とかして姿を現してもらわなきゃならん。行ってみてから考えるとしよう。」
その言葉に一同は頷き、ミーシャを部屋に残し宿を出た。
暫し町の中を歩き、大通り沿いに西へと向かうと住宅地に入る。そのまま更に西へ進むと立ち並ぶ家屋は徐々にその豪華さを増し、辿り着いたのは高級住宅街と呼ぶに相応しい家々が立ち並ぶ一角だ。その建物は殆どが漆喰であろうか、真っ白い壁で清潔感を感じる。
「ほ~…アスティアの家みたいなデカい建物がこんなに並んでると、流石に別世界って感じがしちまうねぇ。」
「ボクの家より大きいのも彼方此方にあるね。凄い。」
きょろきょろと見まわす小さな二人はまるで御上りさんだ。
「お嬢、観光で来た訳じゃないだろう?」
呆れながらカタリナが言うと、
「そりゃぁね。だけど知識を蓄える事は悪い事じゃない。こういう場所があるという事を知れる機会というのは大事にしないとね。」
と言いつつ、櫻は少々バツが悪そうに肩を竦めて見せた。
風に靡く髪を押さえながら高級住宅街を歩くと、ミーシャに聞いた通りの場所にそれらしき屋敷を見つける。
「恐らくここで間違い無いんだろうが…ここからじゃ全く人影が見当たらないねぇ。」
しっかりとした塀と門が一行の前に立ち塞がり、入る事も叶わず屋敷の窓の中も人影は見えない。
「せめて関係者の一人でも見当たれば、そいつから情報を引き出せるんだがなぁ…。」
そう言って屋敷を見上げた時、二階の窓にチラリと動く影が一瞬見えた。櫻は周囲を見回し
「アスティア、あの建物の屋根にあたしを運んでくれないか。」
と、ドンパの屋敷の向かいにある建物の屋根を指差す。
「うん、解った。」
アスティアは二つ返事で頷くと、櫻を背中から抱き締めるように包み込み空へ飛び上がり、よろよろと風に煽られながら目的の屋根の上に降り立つと、二人はドンパ邸から見つかり辛いように屋根の陰に身を伏せ頭だけを覗かせた。
先程影が見えた部屋を見ると、そこに居たのは何とドンパ本人。
「まさか都合良く本人を真っ先に見つける事が出来るとはねぇ…。」
「ミーシャが言った通りの見た目だね。」
アスティアが言うように、ドンパの容姿はミーシャが語る通り。曰く『嫌らしい顔をした小太りの禿』と言うそのままの姿であった。その醜悪な見た目を更に加速させるのはファッションセンスの欠片も無いゴテゴテと身に着けた貴金属の装飾品。
(あれは単に金をかければ価値があると思ってるタイプだね…。)
呆れ顔を浮かべつつも取り敢えず見た目はどうでも良いと、櫻は早速ドンパに視線を合わせると読心を試みた。すると櫻はハッと息を飲み、瞳が大きく見開かれる。
「カタリナ!宿へ戻れ!ミーシャが危ない!命も一緒に行くんだ!」
屋根の上から路地に立つカタリナ達に声を飛ばす。路地から櫻達を見上げていたカタリナと命はその言葉に一瞬の間を置いたものの、何を言わんとしたかを察すると頷き駆け出した。
「サクラ様、どうしたの?」
驚いた表情を浮かべアスティアが問う。
「あのドンパって男、ミーシャの居所を既に知ってたんだ…あたしらが匿ってた事もね。だけど襲う対象の人数が多いと騒ぎが大きくなるし取り逃す確率も高くなる。何よりあたしらの素性が解らないから下手に手を出す事を避けてたらしい…昨日命が騒ぎを起こしかけた件を聞き付けて警戒したのか、見た目の割りに意外と用心深い奴だ。」
「そんな!それじゃボク達も向かった方がいいんじゃ!?」
「いや、ミーシャはカタリナと命に任せて、あたしらはミーシャの母親を救出に行こう。最悪なのは二人共があの男の手に落ちる事だ。母親の居場所も既に読んであるからそう難しい事じゃないさ。」
そう言うと櫻は屋根の上にスックと立ち上がる。アスティアもそれに倣い立ち上がると、櫻はドンパの屋敷の向こう側を指差した。
「あの屋根の向こう側に少しだけ見えている塔のようなものが在るのが判るかい?アレはドンパが所持してる倉庫のような物で、町の外にある事から人が余り近付かないのを良い事にあそこの最上階に閉じ込めているらしい。」
そう言って指したそれは、ドンパの屋敷の屋根の陰遥か遠く、町を囲う壁の外の林の中に隠れるように建つ細長い塔のような建物。
「それじゃすぐに助けに行けるね。」
「あぁ、だが塔の入り口に一人と最上階の閉じ込められている部屋の扉の前に一人、見張りを立たせているらしい。助け出す事自体はお前さんに血を与えれば簡単な事だが、取り返した事がバレるのは確実だな…。カタリナ達が間に合えば良いが。」
振り向き宿の方角を見るが、流石に目視出来る距離では無い。強くなってきた風に煽られ身体が傾くとアスティアが受け止める。
「先ずはここから降りよう?」
「あぁ、そうだね。だがその前にここで血を飲んでしまおう。そしたらそのまま塔に向かって外壁を破壊して救出だ。出来るね?」
「うん!サクラ様の血の力があれば何だって!」
アスティアの力強い言葉に櫻は表情を綻ばせ、屋根の上に座るとアスティアを抱き寄せる。露わになった首筋にアスティアの唇が触れ、吸血の儀式が始まる。
3分程も吸っただろうか。風に吹かれながらも二人の顔は紅潮し、息が上がる。
「よし、これだけ飲めば結構な時間持つ筈だな。早速行くとしよう。」
「うん、任せて!」
バサッと四枚の羽根が背中に生まれると、櫻を抱き抱えてアスティアが宙に舞う。徐々に荒れる風にも負ける事無く一直線に塔へと向かうと、ものの数十秒で到着した。
周囲が林で覆われ木々に隠されたそれはサイロのような物だったのだろうか、兎も角長らく本来の使われ方をする事も無く物置へと改築された物のようだ。
中は何階かに分かれた造りとなっているらしいが各階に空いた窓は形だけのもので、鉄格子が嵌っているだけで風が吹き曝しの状態。気候は安定しているものの最上階で捕らわれているミーシャの母も辛い環境に居る事は容易に想像出来た。
塔の周囲を上方からグルリと見て回ると、鉄格子越しに乱雑に積まれた数々の雑貨の間に人影がある事を確認する。
「よし、あれなら壁を破壊しても危険は無いな。一旦あたしを下ろしてからあそこの壁を破壊して、ミーシャの母親を連れてきてくれ。相手が何か言って抵抗するようでも問答無用でサっとな。」
「はーい。」
素直に櫻を林の中へ下ろすとアスティアは一瞬の内に最上階の高さへ飛び上がり壁際へ寄り、四枚の羽根を大きく水平に開きエックス字に広げるとその身を竜巻の如く回転させた。
すると羽根はまるで豆腐を切る包丁かのようにスパッと塔の外壁を切り裂き、煉瓦造りの壁はガラガラと音を立てて崩れた。
アスティアは自身ですらそこまで出来る事に驚いたような表情を見せたものの、ハッと櫻の指令を思い出し塔の中へ入り、乱雑な部屋の中に蹲る人影を抱えると塔から飛び出した。
「何だ!?」
塔の入り口の側で男の驚くような声と、最上階の扉の鍵を開けようと慌てている音が遠ざかる。
「サクラ様、連れて来たよ。」
アスティアがスッと地面に降り立つと、その腕に抱えられていたのはミーシャがそのまま歳を重ねればこうなるであろうという、ミーシャと瓜二つの女性。だがアスティアが手を離すとその女性はヘタリと地面に頽れてしまった。
「あ、貴女達は…?」
女性が顔を上げ櫻とアスティアを交互に見るが、
「今その話は後だ。取り敢えずこの場から立ち去らなきゃならん。」
と話を遮りアスティアに頷いて見せる。アスティアも櫻の考えを汲み頷くと、櫻と女性を其々両脇に抱え飛び立った。
「さて色々と説明しなきゃならん事もあるが、このまま宿に戻るのも危険だ。取り敢えずお前さん、何処か安全に身を隠せる場所を知らないかね?」
「え…えぇ…それなら町を南に出て少し行った辺りにウチの所有する小屋が…。」
「よし、そこに向かおう。アスティア、頼む。」
「はーい。」
ポツポツと雨が降り始めた空をアスティアは風を切るように飛び、程なくして指定の地点へと到達する。
辿り着いたのは街道からは離れた林の中にある小さな作業小屋だ。
(ここは…ミーシャと出会った場所の近くじゃないか。成程、ミーシャも逃げた先として一先ずここに身を隠そうとしていたのか。)
随分長い事使われていないようで扉を開けた途端に中の埃が舞い、三人は一斉にくしゃみをする。
「ケホッケホッ!何だいここは?」
「済みません、ここは私の祖父が野良仕事をする時に使っていた小屋でして、祖父が亡くなってからは長い事誰も使っていなかったもので…。」
小屋の中を見回すと壁も屋根もガタが来ているのだろう、其処此処に開いた隙間から外の明かりが差し込み、風が吹き込む。その言葉通り、長い間放置されていた事が見て取れる。
「ふぅん、確かにここはなかなか見つかりそうにないね。ところでお前さん…。」
「あ、済みません。自己紹介がまだでしたね。私は『シェルミー』と申します。トーチュの町で小さな娼館を営んでいる者です。」
深々と頭を下げるシェルミー。
「あぁ、その辺はミーシャに聞いてるよ。」
「まぁ!ミーシャから!?ミーシャは無事なのですか!?」
その名を聞いたシェルミーは途端に食いつくように櫻の肩に掴み掛かった。
「あ、あぁ。その…今あたしの連れの者達が向かっているが、正直正確な事は断言出来ん…。」
肩に食い込む爪の痛みに櫻の表情が険しくなる。
「あ…済みません、私、つい…。」
その表情で自身の行いに気付いたシェルミーはハッと手を離すと顔を伏せた。
「まぁ心配なのは解るがね、まず今は自分の身を考えなよ。ミーシャはお前さんの事が気がかりで町に戻って来たんだろうからね。」
その言葉にシェルミーは両手で顔を覆うと、静かに涙を流した。小屋の屋根を打つ雨音が少しずつ強くなって来ていた。




