潜入
藪を掻き分けアジトの入り口と思われる巨大な岩の近くまで来た櫻達は、近くの木陰に隠れ夜が更けるのを待つ。
空は木々に覆われ、星はおろか月明かりもろくに見えない。ただ只管に入り口の岩が動くのを待った。
そしてその時が訪れる。何と岩の中央に穴がぽっかりと開いたかと思うと、その穴が生き物のようにニュっと広がり中からゾンビが整然と列を成して出て来るではないか。その数は15体にも上り、3体1組のような編成で途中から別方向へ向かい歩いて行く。
(あんなに居たのか…中にも何体か残っているんだろうか?ともかくもう出て来ないようだし、入るなら今しか無いね。)
後続が途切れゾンビが出尽くしたのを確認すると、櫻はアスティアとカタリナに頷き、二人もその意を酌んで一斉に中に突入した。
すると突然背後の岩の穴が塞がり始める。驚く三人であったが既に脱出するには手遅れの状態であり、引き返す事は出来ないと踏むと奥に進む事にした。
「どうやらゾンビを出発させたら帰る時間までは入り口を塞いでおく方針のようだね。まぁ開けっぱなしじゃ人じゃなくても野生の獣が侵入する可能性もあるし当然っちゃ当然だったか。」
考えが足りなかったと反省する櫻。だが逆に考えれば朝までは後方からの不意打ちの心配が無くなったとも言える。
(まぁ最悪閉じ込められたとしても、あたしが食料になれば二人を暫くは持たせる事が出来る…プラス思考で行こう。)
幸いにも中は人工的に掘られた洞窟のようになっており、道中には原理の解らない薄明かりが照明として点いている。
「何だこりゃ…?鉋でもかけたみたいに綺麗な岩壁…一体どうやって掘ったんだか。」
多少の荒さはあるが綺麗に掘られたその壁面に軽く手を付きながら一本道のその穴の中を少し進むと、途中からはまるで巨大な施設のように道が分岐し、至る所に扉が設置されていた。
「何だいこりゃ…まさかこの扉全部ゾンビの部屋じゃないだろうね。」
恐る恐る近くの扉に耳を澄ませると密着し中の音に聞き耳を立てるが、物音は何一つしない。なるべく音を立てないように用心しながら扉を開け、僅かな隙間から中を覗くと、部屋の壁には手枷が複数設置され、用途不明の謎の器具が無造作に壁際の机上に転がっている。
(う~ん…何だか解らんが、ヤバそうだというのだけは理解出来るな…。)
念の為に他にも4~5部屋程内部を覗いてみたが其々に別の用途を持たせた部屋である以外は全く理解の及ばない物だらけであった。
途中何度かの分かれ道を勘を頼りに進むと、一際広く、そして異質な部屋に辿り着いた。その光景に櫻は言葉を失う。
(な…何だいこりゃ…まるでSF映画でも見てるみたいだ…。)
そこには壁一面に卵状の半透明カプセルのような容器が埋め込まれており、その中には人と思しき影が見えるものも有る。そしてその中の様子を確認し、机に向かい何かを書き記している一人の男の姿も見受けられた。
その男の様子からこの施設の持ち主であり、何かの研究者のようにも見受けられるが、流石に白衣のような物は身に着けておらず、それどころか何日も着替えをしていないのではないかと思われる程に汚れた衣服を身に纏い、頭髪もボサボサに乱れていた。
「なぁにあれ~?」
「お嬢、あの男は明らかに怪しいが、どうする?」
二人の言葉にハッと我に返ると
「ちょっと待ってな。今あの男の頭を覗いてみるよ。」
と不審な男に対し読心を試みる。
櫻の読心術は新しい記憶から徐々に古い記憶へと階層を下りて行くように読み取る。それ故に古い記憶を掘り起こそうとする程に掛かる時間は長くなる。だが、櫻の表情が怒りに満ち溢れるのにそう時間は必要無かった。
「…二人共、アイツをぶん殴って取り押さえろ…。」
怒気に満ちたその声に息を飲み驚く二人。だが何かを聞き返そうという気は起きず頷く。
通路の陰から様子を伺っていたカタリナが先ず飛び出し、狩りをするように男に飛び掛る。続いてアスティアが援護をしようと飛び出した時、
「うぁ!?」
という声と共にその目の前に大きな影が飛び込んで来た。カタリナだ。
力自慢のカタリナが、一見すると痩せ型の男に返り討ちに合い投げ飛ばされていたのだ。
「カタリナ、大丈夫!?」
アスティアがその身を案じて声をかけると
「あぁ、何ともない…だがアイツ…魔物だ!」
カタリナは男を見据えてそう断言する。
「何だと?瘴気は見当たらないし、あたしが読んだ記憶にもそんなもの無かったぞ…。」
「人の魔物…『魔人』は他の生き物のように瘴気が漏れて居る事は少ないんだ。知性と理性で内に押さえ込んでいるからね。だが欲望に実直な性質ってのは変わらない。お嬢が見た記憶にソレが無いってのは多分、本人自体も瘴気に取り憑かれた事に無自覚なんだろう。」
「成程、浅い部分の記憶だけしか読んで居なかったが、恐らくここ最近になって不明者が頻発し出したって事は魔人化も同じ頃に起きたのかもしれないね。」
「多分ね。で、どうする?こうなってる以上は…。」
カタリナはそれ以上言葉を続ける事は無かったが、櫻にも言いたい事は理解出来ていた。
『魔物と化した生物は殺す以外に救う手は無い』。頭では理解していた事であったが、いざ人の形をしたソレを目の前にした時にこれ程動揺するとは、自身も思いもよらなかった程であった。
悩む間も無く男が机の上に在った謎の物質を手に持つと、それは不思議な事に剣のような物に形を変え、カタリナに襲いかかって来た。
「何だ貴様らは…?どうやってここに入って来た!俺の研究の邪魔をするなぁーーーーーー!!!」
辛うじてそう聞こえる奇声を上げながら激しく剣を振り回しカタリナを追い詰める。櫻の判断を待っているカタリナは反撃もままならず徐々に部屋の隅へ追いやられていた。
(仕方無い…!)
小さな手で握りこぶしを作り覚悟を決める。
「カタリナ!やってくれ!」
「あいよ!」
櫻の言葉の意味を理解するとカタリナは拳を固め、渾身の一撃を男の腹に叩き込む。すると、
『ガキン!』
僅かなクッションを挟んで金属を叩いたような音が室内に響いたかと思うと、カタリナの拳は男がいつの間にか持っていた盾に阻まれていた。
「な、何だ!?何処から…。」
言葉を続ける必要も無く櫻は気付いた。先程まで持っていた剣が無い。
「そうか、さっきの剣になった物質…あれは自在に形を変えられるのか!…アレがヤツの研究の成果か…!?」
苦々しくそれを見つめる櫻。
だが幸いにもソレは一つしか存在しない。攻撃を繰り出し続ければ防御一辺倒になる筈だ。カタリナもそれを理解して攻撃の手を緩めない。しかし魔人と化している男は身体能力も格段に向上しているのか、カタリナの猛攻に対して的確に盾を当て逆にカタリナの拳を壊してくる。
「アスティア、血を飲め!」
「うん!解った!」
櫻の言葉に頷き、腰に下げてあった水筒に口を付けると一気に中身を飲み干す。
四枚の羽根を背に男目掛けて突進を繰り出すと、カタリナの拳を受ける事に精一杯だった男の脇にアスティアの頭突きが直撃し、男の身体を大きく突き飛ばし、壁に埋まった空のカプセルの一つを破壊する。
「カタリナも今の内に飲め!」
「解ってるって!」
カタリナも続けて水筒の血を飲み干すと全力の獣人形態へと変態し、カプセルの中に身を起こした男目掛けて爪を振り上げ襲いかかる。
しかし壁を背にし、カプセルの中に居る事によって左右も守られた男は正面からのカタリナの攻撃に耐える。盾は鉄壁の護りを誇るかのように、血の力を得た全力のカタリナの攻撃を防ぎきっているのだ。いや、盾の力だけではない。魔人と化した男の身体能力も驚異的だ。
連撃を繰り出すカタリナの隙を見逃さず、がら空きの腹部に男が蹴りを入れる。その見た目からは想像も出来ない重い一撃に一瞬カタリナの呼吸が止まり、部屋の反対側の壁まで吹き飛ばされてしまった。
『ガシャーン!』と派手な音を立ててカタリナもカプセルを破壊し、その中へ倒れる。するとその中から出てきたのは何と瘴気だ。
「ゴホッ…う、うわぁ!?瘴気!?」
慌てるカタリナに追い討ちをかけるようにカプセルの中にあった人影がぐらりと動く。
「カタリナ!後ろ!危ない!」
アスティアの声に顔を上げると、そこに居たのは全裸の男。倒れ込んでいたカタリナの丁度目の前に一物がぶら下がる形になり、カタリナは声にならない悲鳴を上げ這うようにその場から逃げ出す。
「コイツ、ゾンビか…!って事はこの周りのカプセルはまさか、ゾンビ製造器!?」
櫻は驚き周囲を見回す。カプセルは半透明で、その中もドス黒い瘴気が充満しているようで良くは見えないものの、確かに目を凝らせば全裸の男が格納されているのが見て取れる。
「男の不明者は皆こういう風にゾンビにされていたのか…!」
カプセルの中に固定されているゾンビはまだ仕上がっていないのか稼働状態になっていないのか、襲いかかってくる事は無いものの、壁一面にそれがあるという事実に櫻達は嫌悪感を隠しきれない。
「アスティア、カタリナ、ソイツを早く始末するんだ!」
「解ってるって!」
「任せて!」
二人が波状攻撃を繰り出すと男の守りが徐々に崩され始める。
「よし、これなら押し切れる!」
カタリナが渾身の一撃を加えようと腕を振り上げたその時、
「ウオオォォォーーー!!!」
男が獣のように大きな咆哮を上げると、まるで盾がその音波を増幅するかのように衝撃波を出しカタリナとアスティアを吹き飛ばした。
そしてその声に呼応するかのように周囲のカプセルが割れ、その中の瘴気が男の身体の中へ吸い込まれるように消えて行く。
一瞬の静寂。櫻達も思わずゴクリと固唾を飲んで動きの止まった男から目を逸らせずに居た。
次の瞬間。男の身体がビクビクと痙攣を始めたかと思うと、着ていた衣服を破る程の筋肉の肥大を見せ身体が巨大化した。それはカタリナの変態の比では無い、既に元の姿の面影など見る影もない程の異容と化し、洞窟の天井に頭が届くかという程だ。
「流石、魔法使いってか!瘴気の扱いは得意って訳だ!」
いつの間にか手に持っていた物質が手甲のように右腕に張り付き、その先には三本の鋭い爪が形成されていた。攻撃と防御を兼ね備え振り下ろされる男の拳を躱しながら感心したように吐き捨てるカタリナであったが、男の動きは身体が巨大になった事と反比例するように更に鋭さを増し二人に攻撃の隙を作らせない。
だが櫻は遠目にその状況を見ているだけに、攻略法が見えていた。
「二人とも、横からじゃない!上下で分担するんだ!」
その声を聞いた二人は互いに頷き合うと、アスティアは男の顔付近へ、カタリナは足元に潜り込む。
男も当然櫻の声を聞いているので二人の魂胆は理解しているのだが、巨体となった事で上下の認識に難が生じ身体のコントロールが上手く行かない。元々研究者肌の男なのだろう、戦闘に関しての勘はそこまで無いようで、頭で考え手足を動かしているように見える。
アスティアは顔面目掛けて鎌鼬を繰り出し視界を潰し、カタリナは足元から関節を中心に爪による攻撃で徐々に分厚い筋肉を切り裂いていく。
男も必死にそれらを振り払おうと手足を振り回すが、視界の利かぬ中で櫻の血によって身体能力の向上した小さな標的に攻撃が当たる筈も無く虚しく空を切る。やがてカタリナの爪が男の下半身の腱を軒並み引き裂くと、男は膝から床に崩れる。それでも必死に上半身で抵抗を続ける男ではあったものの、鎌鼬により眼球を損傷し既にダダをこねる子供と変わらない。
「哀れ…とも思わんか。カタリナ、トドメを。」
「あいよ。」
櫻の合図に頷くと、全力の突撃から腕を振り下ろし男の喉首を切り裂いた。いや、抉り取った。
『カヒュー…』と穴の開いた喉から息が漏れる音が聞こえたかと思うと、一気に血が吹き出し部屋の中を天井から壁、床まで満遍なく赤く染める。そして男はビクビクと痙攣を起こした後に肩から力が抜け、その身を床に横たえると二度と動く事は無かった。




