第4話 最強の家庭教師たち
「よいか、レオン! 兄とは、即ち『盾』である!」
翌朝の庭園に、アデルバート皇帝の腹の底から出るような大声が響き渡った。
彼は腕組みをして仁王立ちし、朝日に輝く金髪を揺らしている。
その目の前には、小さなレオンが同じように腕組みをし(ようとして、腕が短くて届かずにお腹を押さえる形になりながら)、真剣な顔で頷いていた。
「たて!」
「そうだ! 妹が泣いていたら、誰よりも早く駆けつける! 妹に近づく悪い虫がいたら、全力で追い払う! それが男の、そして兄の矜持だ!」
「きょうじ!」
意味が分かっているのか怪しいけれど、レオンは目をキラキラさせて復唱している。
アデルバート様は満足そうに頷き、レオンをひょいと抱き上げた。
「筋がいいぞ。将来は帝国の将軍にでもなるか?」
「なりません。レオンは私の後継者です」
横からクラウス様が不機嫌そうに割って入る。
テラスでその様子を眺めていた私は、思わず吹き出してしまった。
「ふふ、賑やかですね。アデルバート様ったら、すっかり熱血教師ですわ」
「ええ。ですが、精神論ばかりでは妹君を守れませんわ」
私の向かいで優雅に紅茶を飲んでいたソフィア女王が、カップを置いて立ち上がった。
彼女はスノーランドの正装である白銀のドレスを翻し、男性陣の輪へと歩み寄る。
「どいてくださる? 筋肉自慢の次は、知性の時間よ」
ソフィアはアデルバートを押しのけ、レオンの前にしゃがみ込んだ。
そして、指先から小さな氷の結晶を作り出し、空中に浮かべる。
「レオン様。物理で殴るのも結構ですが、本当に大切なものを守るには、繊細な技術が必要です」
「キラキラ……」
「そう、魔法です。……わたくしが、特別に『守りの魔法』を教えて差し上げます」
ソフィアが指を振ると、氷の結晶が薄く広がり、透明なドーム状の盾となった。
美しい。
攻撃を防ぐだけでなく、中の者を優しく包み込むような形状だ。
「イメージなさい。あなたの魔力で、大切な赤ちゃんを包むのです。卵の殻のように硬く、羽毛のように柔らかく」
「たまご……ふわふわ……」
レオンが真似をして、小さな手を前に突き出す。
彼の指先から、青い魔力の粒子が溢れ出す。
今までは感情任せに放出していただけの力が、ソフィアの指導によって形を成そうとしていた。
パチッ、シュワワ……。
最初は不安定な火花だったものが、次第に薄い膜のような形に収束していく。
不格好だけれど、そこには明確な「守りたい」という意志が込められていた。
「……できました!」
数分後。
レオンの手のひらの上に、小さな、歪なシャボン玉のような結界が浮かんでいた。
すぐにパチンと弾けて消えてしまったけれど、それは確かに防御魔法の第一歩だった。
「素晴らしいわ、レオン様! 一回でコツを掴むなんて!」
「天才だ……! やはり我が息子は天才だ!」
ソフィアが手放しで褒め称え、クラウス様が親バカ全開で拍手をする。
アデルバートも「やるな小僧!」と背中を叩く。
レオンは照れくさそうに、でも誇らしげに鼻をこすった。
私はテラスから、その光景を眩しく見つめていた。
(……なんて贅沢な家庭教師たちでしょう)
帝国の皇帝に帝王学を学び、魔法大国の女王に魔法を教わる。
世界中の王族が羨むような英才教育だ。
でも、何よりも嬉しいのは、彼らが心からレオンの成長を願い、新しい家族の誕生を祝福してくれていることだ。
かつて、私は一人で戦っていた。
クラウス様も一人だった。
でも今は、こんなにもたくさんの手が、私たちを支えてくれている。
「……ミズキ、体調はどうだ?」
特訓が一段落し、クラウス様が戻ってきた。
私の膝掛けを直しながら、心配そうに顔を覗き込む。
「ええ、とてもいい気分です。皆様のおかげで、つわりの気持ち悪さも忘れていました」
「そうか。……レオンも、随分とお兄ちゃんの顔になってきたな」
「はい。頼もしい限りです」
庭では、レオンがアデルバートの肩車に乗って、高い高いをしてもらっている。
ソフィアが危なくないように魔法で補助をしている。
まるで、大きな家族のようだ。
季節は巡る。
庭の木々が色づき、やがて葉を落とし、そしてまた新しい芽吹きの季節が近づいてくる。
私のお腹も、ずいぶんと大きくなった。
最近は、座っているだけでも息が切れる。
中の赤ちゃん――ルナと名付ける予定の女の子は、レオンに負けず劣らず元気に動いている。
アデルバート様とソフィア様は、数日の滞在の後に帰国された。
「生まれたらまた来る。次は出産祝いの山を持ってな」と豪快に笑って。
静かになった離宮。
けれど、以前のような寂しさはない。
レオンは毎日、私のお腹に向かって「おにいちゃんだよ」「きょうはまほうのれんしゅうをしたよ」と報告してくれるようになった。
クラウス様は、公務を早めに切り上げ、私の腰をマッサージしながら、未来の話をしてくれる。
準備は整った。
あとは、その時を待つだけ。
ある日の夕暮れ。
空の色が、不穏な紫色に染まり始めた。
風が生温かい。
気圧が急激に下がっていくのを感じる。
「……嵐が来ますね」
私は窓の外を見上げた。
季節外れの大型台風が接近しているという予報が出ていた。
空気が重い。
その重さに呼応するように、私のお腹がキュッと張った。
予定日までは、あと数日あるはずだ。
でも、この子は空気を読む子(あるいは読まない大物)かもしれない。
「ミズキ? 顔色が悪いぞ」
クラウス様が駆け寄ってくる。
私は彼の手を握り、深呼吸をした。
「……いえ、大丈夫です。ただ、少し予感がして」
嵐の予感。
それは気象の話だけではないかもしれない。
新しい命がやってくる時は、いつだって世界を揺るがすエネルギーを伴うものだから。
レオンが不安そうに私の足元に抱きついてきた。
私は彼の頭を撫でた。
「大丈夫よ、レオン。……あなたの練習の成果、見せる時が来るかもしれないわね」
レオンはこくりと頷き、小さな手で拳を作った。
その瞳には、かつての拗ねていた色はなく、守る者の光が宿っていた。
さあ、来なさい。
どんな嵐でも、私たちは負けない。
最強の家族が、あなたを待っているのだから。




