第6話 王妃の説教
私はクラウス様の背中を押し、寝室のベッドに座らせた。
ふわりと沈み込むマットレスの感触。
懐かしい匂い。
数日間、主の不在で冷え切っていた寝室に、ようやく体温が戻ってきた。
「……ミズキ」
クラウス様が、膝の上のレオンを抱きしめたまま、私を見上げた。
その顔には、まだ少し戸惑いの色が残っている。
無理もない。
数分前まで「自分は息子を傷つけるだけの存在だ」と信じ込み、孤独の殻に閉じこもっていたのだから。
それが私の強襲によって無理やり引きずり出され、今こうして、恐れていたはずの息子と密着している。
「逃がしませんよ。今日はここで、朝まで家族団欒です」
私は仁王立ちで宣言し、腕組みをした。
これは説教の続きだ。
彼の中に残る最後の不安の種を、徹底的に潰しておかなければならない。
「……不思議だ」
クラウス様が、レオンの小さな手を包み込みながら呟いた。
「あんなに不安定だったレオンの魔力が、今は嘘のように静かだ。私の魔力と触れ合っているのに、反発も暴走もしない。……なぜなんだ?」
彼は自分の手を見つめる。
かつて母を傷つけ、周囲を凍らせた呪われた手。
それが今、息子の柔らかな肌を傷つけることなく、守るように包んでいる。
「それは、あなたがレオンの父親だからです」
「精神論か?」
「いいえ、魔術理論です」
私はベッドの端に座り、二人の間に手を差し伸べた。
私の指先から、淡い光の粒子が溢れ出し、クラウス様とレオンを繋ぐように漂う。
「『魔力パスの連結』をご存じですよね?」
「……ああ。魔術師同士が魔力を共有する際に行う、高度な同調技術だ。だが、赤子と無意識にそれができるはずが……」
「できているんです。無意識だからこそ」
私はレオンの頭を撫でた。
彼は気持ちよさそうに目を細め、クラウス様の胸に頭を擦り付ける。
「この子には、私の『鎮静』の魔力と、あなたの『王』の魔力が半分ずつ流れています。つまり、レオンにとってあなたの魔力は異物ではなく、自分の一部のようなもの。……一番馴染む毛布のような存在なんです」
さらに、と私は付け加える。
「私があなたに触れることで、私の鎮静効果があなたを通じてレオンにも流れます。三人で一つの回路を作るんです。……循環ポンプのように、魔力が滞ることなく巡る。だから暴走しない」
クラウス様が目を見開いた。
理屈好きな彼に、この説明はストンと落ちたようだ。
「そうか……。私の魔力は、毒ではなかったのか」
「ええ。むしろ、レオンにとっては必要不可欠な栄養素です。あなたが避ければ避けるほど、レオンは魔力不足で不安定になり、暴走していたんですよ」
私が指摘すると、クラウス様は痛そうに顔を歪め、それから深く項垂れた。
「……私は、なんて愚かなことを。息子を守るつもりが、逆に苦しめていたなんて」
「気づけたなら、それでいいです。これからは、たっぷりと補給してあげてください」
私は彼の肩を抱いた。
震えが止まる。
彼は顔を上げ、涙の跡が残る瞳で私とレオンを見た。
「ありがとう、ミズキ。君が来てくれなければ、私は一生、後悔の闇を彷徨っていたかもしれない」
「どういたしまして。……でも、罰として今夜は寝かせませんよ?」
「えっ?」
彼が驚いた顔をする。
私は悪戯っぽく笑い、ベッドにゴロンと横になった。
「嘘です。寝かせないのではなく、徹底的に寝てもらいます。……ほら、実験開始ですよ」
私はポンポンと、自分の隣のスペースを叩いた。
真ん中を空けて。
「レオンを真ん中にして、私たちが挟むんです。これで最強の魔力循環結界が完成します。名付けて『川の字フォーメーション』です」
「……また変な名前をつけたな」
クラウス様が呆れたように笑い、靴を脱いでベッドに上がってきた。
レオンを大切そうに真ん中に寝かせる。
そして、その反対側に彼が横たわる。
広いキングサイズのベッドが、急に狭く、そして温かく感じられた。
真ん中のレオンは、パパとママに挟まれて嬉しそうだ。
右を見てキャッキャと笑い、左を見て手を伸ばす。
その指先からは、もう冷たい雪も、危なっかしい火花も出ていない。
ただ穏やかで、温かい光が灯っているだけだ。
「……温かいな」
クラウス様が、レオン越しに私の手を取った。
レオンのお腹の上で、私たちの手が重なる。
「ああ、本当に。……これで証明されましたね。私たちは、離れているより一緒にいる方が強いんです」
「違いない。……もう二度と、離れないと誓うよ」
彼は私の手を握りしめ、そしてレオンの小さなお腹をそっと撫でた。
その眼差しは、王としての威厳と、父としての慈愛に満ちていた。
父のトラウマは消えた。
過去の亡霊は、家族の体温に溶かされて成仏したのだ。
レオンが大きなあくびをした。
つられるように、私もあくびが出る。
深夜の大騒動で、アドレナリンが切れてきたようだ。
「……寝ましょうか。明日は、壊れた窓の修理手配をしなきゃいけませんし」
「ああ。請求書を見るのが怖いな」
冗談を言い合いながら、私たちは目を閉じた。
魔力の循環を感じる。
私からクラウス様へ、クラウス様からレオンへ、そしてレオンから私へ。
途切れることのない愛のループ。
これなら大丈夫。
どんなに強い魔力を持っていても、この子が孤独になることはない。
私たちがいる限り、安眠は守られる。
私は満ち足りた気持ちで、深い眠りへと落ちていった。
夢の中で、成長したレオンとクラウス様が、庭を駆け回っている姿が見えたような気がした。




