第2話 優良顧客の来訪
「ようこそおいでくださいました、皇帝陛下。……前回お会いした時より、随分と顔色がよろしいようで」
私は離宮の迎賓館で、最高級のカーテシーと共に最大級の「営業スマイル」を浮かべた。
目の前にいるのは、北の大国ガレリア帝国の支配者、アデルバート二世。
かつて黒い魔力を纏って国境を破壊しようとした怪物は、今はすっかり毒気の抜けた、紳士的な大人の男性としてそこに立っていた。
「皮肉か? アルカディア王妃よ。私の顔色が人間に戻ったのは、ひとえに貴殿の商品のおかげだ」
アデルバートは豪快に笑い、懐から青い宝石を取り出した。
私が作った「強制安眠石」。
その輝きは少し鈍くなっている。半年間、彼の中の過剰な魔力を吸い続けてきた証拠だ。
「そろそろ寿命のようだな。最近、夜中にふと目が覚めることがある」
「それはメンテナンスの時期ですね。新品と交換いたしますわ。……もちろん、継続契約の範囲内ですので、追加料金は頂きません」
「話が早くて助かる。ここに来るまでの道中、貴殿との商談を楽しみにしていたのだ」
彼は上機嫌でソファに腰を下ろした。
隣では、クラウス様が少し呆れたような、しかし警戒を解かない目で皇帝を見ている。
「アデルバート。ここは我が国の領土だ。あまり気安く私の妻に近づくな」
「減るものでもあるまい、クラウス国王。……それにしても、平和になったものだ。半年前は殺し合い寸前だったというのに、今ではこうして茶を飲んでいる」
アデルバートがマリアの淹れた紅茶を啜る。
テーブルには、彼からの手土産である北方の珍味や工芸品が山積みになっていた。
公式な外交訪問というよりは、親戚のおじさんが遊びに来たような雰囲気だ。
「平和こそが最大の利益ですから。……ところで陛下、帝国の市場調査報告書を拝見しましたわ。出生率が回復傾向にあるとか?」
「ああ。魔力汚染が浄化され、生活が安定したおかげだな」
「素晴らしいことです。……そこでご提案なのですが、我が国で開発した最新の『魔力感知機能付きベビーベッド』、帝国でも販売してみませんか? 赤ちゃんの魔力を安定させ、夜泣きを防ぐ優れものです」
私は隙を見逃さず、新商品のカタログを差し出した。
アデルバートは目を丸くし、それから腹を抱えて笑い出した。
「ははは! 相変わらず商魂が逞しい! 転んでもタダでは起きない女だ」
「王妃たるもの、国益と育児の両立は基本ですので」
「いいだろう。サンプルを寄越せ。良ければ軍での一括採用も検討しよう」
商談成立。
私は心の中でガッツポーズをした。
これでまた、レオンのための貯金が増える。
その時、控えていた乳母が、お昼寝から目覚めたレオンを連れてきた。
「あー、うー」
レオンは機嫌よく声を上げ、私の方へ手を伸ばす。
私は彼を受け取り、アデルバートに向き直った。
「紹介します。息子のレオンです」
「ほう……これが」
アデルバートが立ち上がり、私に近づいてきた。
その瞬間、室内の空気が少しだけ変わった。
彼の纏う空気が、鋭くなったような気がする。
彼はレオンの顔を覗き込んだ。
レオンは物怖じすることなく、大きな瞳でアデルバートを見返している。
銀色の髪が揺れ、その小さな指先から、パチッ、と青い火花が散った。
「……!」
アデルバートの目が細められた。
彼は無言でレオンの頬に指を近づけ、触れる直前で止めた。
何かを確認するように、じっと魔力の波長を感じ取っている。
長い沈黙。
そして、彼は低く、独り言のように呟いた。
「……末恐ろしい魔力だ」
それは称賛ではなかった。
畏怖。
あるいは、同情にも似た重い響き。
「器に対して、力が大きすぎる。……まるで、昔の私を見ているようだ」
ドクン、と私の心臓が跳ねた。
昔の彼。
つまり、魔力過多症で暴走し、国を滅ぼしかけた怪物。
レオンが、それと同じだと言うのか。
「アデルバート」
鋭い声が割って入った。
クラウス様だ。
彼は私の手からレオンを奪い取るように抱き寄せ、アデルバートから距離を取った。
その顔は険しく、青ざめている。
「子供を脅かすような真似はやめてもらおうか。レオンは健康だ。侍医長の診断も受けている」
「脅かしてなどいない。ただ、事実を述べたまでだ」
「事実かどうかは私が判断する! ……彼はまだ赤子だ。余計な先入観を植え付けるな」
クラウス様の口調は、明らかに過剰反応だった。
普段の冷静な彼なら、外交相手の言葉をここまで感情的に否定したりはしない。
アデルバートは肩をすくめ、苦笑交じりに一歩下がった。
「悪かった。親馬鹿の逆鱗に触れるつもりはなかったよ。……ただ、気をつけた方がいい。力というものは、時に持ち主の意志を超えて牙を剥く」
意味深な言葉を残し、アデルバートは席に戻った。
クラウス様はレオンを抱きしめたまま、背を向けている。
その背中が、微かに震えているように見えた。
(……クラウス様?)
違和感が胸に残る。
彼は何をそんなに恐れているのだろう。
レオンの魔力が強いことは知っている。
でも、それは「才能」であり、私の血が入っているから制御できるはずだと、そう言っていたではないか。
アデルバートの言葉が、小さな棘となって私の心に刺さった。
『昔の私を見ているようだ』。
もし、レオンが彼と同じ道を辿るとしたら。
孤独と、破壊と、不眠の地獄を。
「……ミズキ様、ソフィア王女殿下がご到着されました」
重苦しい空気を破るように、マリアが告げた。
タイミングよく、扉が開かれる。
「皆様、お揃いのようですわね。……あら? 随分と湿っぽい空気ですこと」
現れたのは、華やかなドレスに身を包んだソフィア王女だった。
彼女の明るい声と、手土産の山を持った従者たちの登場で、部屋の空気が一気に換気される。
「ソフィア! お待ちしておりましたわ」
私は努めて明るい声を出して立ち上がった。
今は考えないようにしよう。
不安は伝染する。
私が不安になれば、レオンも不安になる。
この子は安眠の申し子なのだから、きっと大丈夫。
クラウス様も、表情を取り繕って振り返った。
けれど、その瞳の奥には、消えない暗い影が沈殿していた。
「さあ、夜会の準備をいたしましょう。久しぶりの同窓会ですもの、積もる話もありますわ」
私は手を叩き、侍女たちに指示を出した。
賑やかな夜が始まる。
けれど、窓の外の夕焼けは、どこか不吉なほど赤く燃えているように見えた。
最強の家族。
そう信じていた私たちの足元に、小さなひび割れが生じ始めたことを、私はまだ認めたくなかったのかもしれない。




