第9話 三人目の家族
(……なんて静かな朝でしょう)
目を開けると、見慣れた天蓋付きの天井があった。
砦での慌ただしい出産と、その後の魔法による急速治療を経て、私は王宮の寝室に戻ってきていた。
体はまだ少し重いけれど、痛みはない。
最高級の治癒師たちが、私の産後の肥立ちを完璧にサポートしてくれたおかげだ。
そして、私の隣には、新しい温もりがある。
「……おはよう、レオン」
私は腕の中の小さな塊に呼びかけた。
真っ白な産着に包まれた、生後数日の我が子。
名前は「レオン」と決めた。
強く、気高く、そして誰よりも愛される子になるように。
レオンは、すやすやと眠っていた。
驚くほど静かだ。
お腹が空いた時以外はほとんど泣かず、一度眠ると大砲が鳴っても起きないのではないかと思うほど深く眠る。
「……本当によく寝る子だ」
ベッドの脇から、感嘆のため息が漏れた。
クラウス様だ。
彼は椅子に座り、身を乗り出してレオンの寝顔を食い入るように見つめていた。
その顔は、かつてないほど緩んでいる。
あの冷徹な「氷の王」の面影はどこにもない。ただの親バカなパパの顔だ。
「誰に似たんでしょうね?」
「間違いなく君だ。この睡眠への執着心は、王家の血筋にはない才能だよ」
クラウス様が苦笑する。
王家には代々、「魔力過多症」という不眠の呪いがあった。
彼自身も、私と出会うまではまともに眠れぬ夜を過ごしていた。
だからこそ、心配していたのだ。
この子にも、あの呪いが遺伝していないかと。
「魔力は強いですが、安定していますね」
私はレオンの頬を指先でつついた。
柔らかい。
そして、その内側には確かに強大な魔力が脈打っている。
けれど、それは暴れることなく、静かな海のように凪いでいる。
「私の『鎮静』の魔力が、先天的に混ざり合っているのかもしれません。この子は自分で自分を癒やしながら眠れるんです」
「……奇跡だ」
クラウス様が震える指を伸ばし、レオンの小さな手に触れた。
ぎゅっ。
レオンが反射的に、クラウス様の指を握り返す。
「うっ……!」
クラウス様が口元を押さえ、涙目になった。
「握った……! 私の指を、握ってくれたぞ、ミズキ!」
「ええ、見ていましたよ。パパのことが好きみたいですね」
「ああ、どうしよう。可愛すぎて心臓が痛い」
彼は本気で胸を押さえている。
世界を救った英雄が、赤ちゃんの握力ひとつで撃沈している姿は、なんとも微笑ましく、そして平和だった。
「抱っこしてあげてください」
「えっ? い、いや、まだ心の準備が……私の魔力が強すぎて、驚かせてしまったら……」
「大丈夫です。あなたの魔力は、もうトゲトゲしていませんから」
私は笑って、レオンを彼の方へ差し出した。
クラウス様は恐る恐る、壊れ物を扱うよりも慎重な手つきで、レオンを受け取った。
ぎこちない手つき。
でも、その腕の中は、世界で一番安全な場所だ。
「……軽いな」
彼は呟き、愛おしそうに頬ずりをした。
銀色の髪が、レオンの産毛と混ざり合う。
二人はよく似ていた。
美しい顔立ちも、将来有望な魔力も。
でも、この子は孤独ではない。
最初から、愛されて、満たされて、安心して眠ることができる。
「約束通り、幸せにしましょうね」
「ああ。この子の安眠を妨げるものは、私が全て排除する。……まずは、レオン専用の騎士団を設立し、教育係には最高峰の賢者を……」
「気が早すぎます」
私が突っ込むと、彼は照れくさそうに笑った。
窓の外から、鳥のさえずりが聞こえる。
帝国軍は撤退し、国境には静けさが戻ったと報告を受けている。
ソフィア王女は「次はビジネスパートナーとして会いましょう」と言い残して帰国し、皇帝からは大量の謝罪の品と、鎮静石の注文書が届いているらしい。
世界は回っている。
昨日よりも、少しだけ良い方向へ。
「ミズキ。……君も、少し休むといい」
クラウス様が私を気遣うように言った。
レオンを抱いたまま、空いている片手で私の頭を撫でる。
「産後の体は大事だ。君が倒れたら、我が家の司令塔がいなくなってしまう」
「そうですね。……では、お言葉に甘えて」
私は枕に頭を沈めた。
眠気が、心地よい波のように押し寄せてくる。
これまでは「自分のため」に寝ていた。
でも今は、「明日のため」に寝るのだと思う。
起きたら、またこの子のお世話が待っている。
忙しくて、大変で、でも愛おしい日々が。
「おやすみなさい、クラウス様。おやすみなさい、レオン」
「おやすみ、愛しい人」
視界の端で、クラウス様がレオンをあやしながら、幸せそうに微笑んでいるのが見えた。
それが、私が眠りにつく前に見た、最高の景色だった。
恋人同士だった私たちは、夫婦になり、そして家族になった。
形は変わっても、根底にあるのは変わらない「信頼」と「安らぎ」。
私の再就職先は、不眠症の王太子の抱き枕から始まり、今や世界を救う王妃兼、新米ママへとキャリアアップを果たしたようだ。
仕事内容はハードになったけれど、報酬(幸福)は右肩上がりだ。
悪くない。
むしろ、最高だ。
私は満ち足りた気持ちで、深い眠りへと落ちていった。
いつものベッドで、新しい家族の気配を感じながら。




