第38-10話 お前の仲間入りなんだが?
《消去》は無事、実行された。
世界は一つだって変わりはしない。
壊されたローヴェニカも、死んだ人も、あるいは生き延びた人も。
この瞬間における何一つ、誰一人にも取り立てた変化などない。
たった一人、俺を除いて。
「……、すんげぇな、この力」
ディオスとの間合いを詰めながら、俺は両手の開閉を繰り返した。
麻薬のようだ。あれだけ気持ちが悪かった体内からは毒気がさらりと消え、むしろミントの香りでも吹き込んだような爽快感が全身の穴という穴から溢れ出す気さえしている。
不調のふの字も忘れてしまいそうな快調。体は風船のように軽い。
気を張って踏ん張らなくてはならなかった地獄が、いまや快適な環境へと変貌していた。
「……なーんてな。変わったのは環境じゃなくって」
俺自身だ。
絶好調になったその裏。つまり俺の脳内では、
『コロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセ人間を殺せ人間は殺戮対象だ人間は天敵だ人間は人類の負債だニンゲンを滅ぼセニンゲンハセカイヲコワシテイルニンゲンハ――』
こんな言葉が終わりなき歯軋りのようにギリギリとかき鳴らされている訳で。
なるほど、これが『呪縛権能』というヤツか。
むろん脳内で鳴り響く命令に従うつもりは毛頭ない。
――が、体が言う事を聞かなかった。
制御不能になった機関が暴走を始めるように、俺はその場で足を止め、くるりと身を翻し、
「……《ショウキョ》」
あろうことか。
消し続けてきた瓦礫や魔法をクレブたちのいる方向へ打ち放ってしまう。
直後それら攻撃は何かに跳ね返されたようにこちらへ返って来たが……いかんいかん、このままでは味方を攻撃する裏切り者になってしまうな。
「『呪縛権能』、消えろ」
バキギャリ‼ と頭の中で粉砕される闇の鎖。
鎖状の呪いは跡形もなく消え去り、晴れて俺は――。
もう一度きびすを返し、ディオスへ相対する。
「――魔物の仲間入り、って訳だ」
これが奇天烈な仮面との取引で得たもの。
あの男に命を与える代わりに、俺が今日まで隠し持ってきた最終兵器だ。
刹那、バネが弾け飛ぶように地面を蹴った。軸足を中心に地面に放射状の亀裂が走る。
その衝撃で空中に跳ね上がった土の雨の中を、俺は砲弾のように突き抜けた。
目指すは当然、巨大モンスターの核部分。
凄まじい速度で懐へ潜り込もうとする俺を、しかし敵も黙って見過ごすはずはなく。
「ウガァァァァァァアアアアアアッッ‼」
ディオスは全身に生える手足を固めて巨大な腕を三本四本五本六本……と作り出し、乱暴にぶんぶんと振り回す。まるで顔の前の羽虫を叩き殺すような勢いで振るわれる暴力は鉄槌のようにローヴェニカを叩き打っていく。
魔力で補強された鋼鉄の巨大ハンマーとでも想像すればいいだろう。
鉄槌が地面を叩く度、おびただしいほどの砂埃が立ち昇り、瓦礫の雨が飛散する。
「最後の悪あがきってか? いいぜ付き合ってやる!」
軌道変更を余儀なくされて地上に足をつけた俺は、立ち塞がるような巨大モンスターを見上げて。
「これで本当に最後になるぜ――かかってこいディオスッ‼」
挑発が伝わったように、ディオスは巨腕を何度も地に叩きつけた。
デリータなど殺してやる。デリータなどいなくなれ。全身の骨を粉々に砕いて筋肉を引き裂いてグチャグチャの肉塊に変えてやる――そんな意思すら感じ取れそうなほど狂暴に。
俺はそのすべてを躱し続けた。
足場は揺れるが言ってしまえばそれ以上でもそれ以下でもない。
鉄槌という物理量に押し負けて圧死を向かえない限りは、図体だけがムダに成長した魔物となんら変わりはない。
間もなく魔法が放たれる。
見る者が見れば必殺の魔法。皮膚の一部にでも触れれば一瞬で人の身が消し飛ぶような代物かもしれない。
人の身であれば、だ。
音もなく放たれた鮮烈な光条は寄り道もせず俺へ一直線に走る。
激突。
地獄の業火に焼かれるような温度が俺の全身を包み込もうとするが、しかし。
「――もう、理由がねぇんだ」
お前に屈する理由も、なにかを諦める理由も。
消す。消し飛ばす。
無我夢中で打ち放たれる火炎球も氷塊も風の刃も。
ことごとくを手の甲で弾くように消してしまう。
「――これ以上、俺の大事な人たちを傷つけさせたくもない」
もはや暴れ回る巨腕ですら、消去対象の例外ではなくなって。
鉄槌が俺の真上にやってきた時。 手足を固めたハンマーは触れずとも分解され。
一本、二本と。
心臓のモンスターの胴体からぶちぶちと腕が落下していく。
「――ここまで支えられちまった以上は応えてぇんだ」
俺の背中を押してくれる彼らの。
どんな時でも俺を支えてくれる大事な仲間たちの。
俺の力を信じて命を張ってくれた人たちの。
期待に。
「――そんで、守りたいんだ」
俺を大事にしてくれる、大事に思ってくれる人たちを。
吼える魔物。
ディオスの全身のあらゆる所から黒い雫が噴き出した。
漆黒の雨がローヴェニカに降る。
大量の黒い雫はコンクリートを、土をドロドロに溶かしていく。まるでマグマが万物を飲み込もうとするように形あるモノから形を奪っていく。
「だから守る。そのために俺はここに立ってる。そのために俺は力を使うんだ」
漆黒の雨に降られた皮膚が爛れるような熱を発する。
その痛みを消すことすら後回しにして、俺は地面を蹴りつけた。
体が一気に上空へ浮かび上がる。眼前に歪な顔面を持つ魔物が飛び込んでくる。
拳は固く固く握られた。
突然の接近に狼狽える魔物へ、俺は。
同じ力でも。モンスターに借りた強大な力でも。
使い方で価値は変わる。それが強さの本質なのだと言わんばかりに。
「――――帰ってこい、ディオス」
そしてまた会おう、元の姿で。
瞬間、固く握られた拳が心臓の中心へ突き刺さった。
同時にモンスター化の原因たるモンスター因子の存在を《消去》する。
衝撃からか、モンスターから吹き出る漆黒の雫はさらに勢いを増して噴射され。
身も竦むような絶叫、悲鳴、号哭が空へ響き。
歪な肉体から黒い光が存分に解き放たれて、間もなく。
心臓を模した巨大モンスターはその身を滅ぼした。
まるで墓標が立てられたように、そこには光の柱が現れている。
まばゆく輝く、優しく包み込むようなオレンジと金色の柱は地面に転がるディオスを囲う。
その光が天空へ届いた瞬間、闇色の空は一瞬にして晴れ渡る。
ローヴェニカを見守る真っ青な空は、新しい季節の訪れを感じさせるほどに清々しく。
深い爪痕を残す街を慰めるように優しい風を吹かせていた。
「あ。着地は……って、……はぁ」
もう自在に体をコントロールする力は残っておらず、俺は覚悟を決める。
数秒後、背面に走る鈍痛。
着地にはやっぱり失敗した。最後までこれか!




