第38-6話 もう動けないんだが……?
暗黒の空からはしばしば陽が射しこんでくる。
それが心臓の形を模した巨大モンスターの腕力による突風で、魔力に侵された雲すらその筋道を空けてしまうという現象を遠目に見た俺は、
「うっげぇマジかよどんな腕力してんだよ……!」
そんな独り言を呟きながら、ローヴェニカを全力で疾走する。
周囲を見渡すまでもなく、街は破壊の限りを尽くされていた。
モンスターによる瓦礫の投擲。そして気まぐれな猫があくびをするように放たれるバカげた威力の魔法。ローヴェニカという街に対して容赦なく剥かれた牙は、その鋭利で遠慮のない殺戮衝動を存分に刻み込んでいく。
走っている間にも、彼方から魔法は飛んでくる。一見すると風の刃ていどの初級魔法だがその威力は支離滅裂。まるで酸素にすら傷をつけて突き進むような突風だった。
それが火炎へと変わり。氷柱へと姿を変え。地面を溶かし尽くすような光線となって飛来することももはや見慣れた景色だ。
触れれば消滅は免れないことくらいわかる。
だから俺は細い裏道に入っては大通りへ進み、また裏道へと身を隠すように突き進んでいく。
「あーちくしょう……! どんな影響があるかわかんないから距離の《消去》もできねぇし、走るしかないってのはこんなに不便なの――⁉」
つい零れた不平を焦がし尽くすように。
シュゴッ‼ と酸素を巻き込む音を散らしながら、目の前を直線の光が通過した。
光の通り道は直後、まるで溶鉱炉が鉄を溶かすような鮮やかなオレンジを発行し溶解する。
どろぉ……と消えかけのキャンドルがのさばっていくように地面がたゆむ。
「あ、あぶねぇ……!」
目を剥き立ち止まった俺はパントマイム中のパフォーマーよろしく固まっていた。
一秒早ければ今頃この体は……と考えるだけで悪寒がぞわりと走る。
下手すると数秒は止まっていた心臓が再びその脈を打ち始めた時、俺の頭に冷静さが舞い戻ってきた。
――ここは裏道だ。人目に付きやすい大通りではなく、追跡でもしていなければ所在地も特定不能な細道だ。
にも関わらず飛んできた必殺の魔法。溶けたコンクリートが鮮烈な色を見せつけていて。
しかも、俺の体を焼き切るように打ち放たれている。
と、いうことは。
眼下の状況を察するに。この感じは。
もう、答えを弾き出す必要はなかった。
なぜなら俺が結論を導くよりも早く、鮮やかなオレンジを縦一直線に走らせた真横の建物が。
敵から俺の姿を隠してくれていた建物が、ズドン‼ と横にパックリと割れてしまったから。
轟音と砂埃に塗られた空間へ、ひとたび《消去》を実行する。
そうすれば、おのずと答えを理解せざるを得ない。
大袈裟に開けた視界に映るは、夜をも飲み込みそうな闇色の空。
その配下。
荒廃した街の中心で。我こそが爆心地だと主張するように。
人の心臓を模した三〇メートル級の魔物が佇んでいた。
数多の手足に埋もれた瞳はきっと俺を睨んでいる。
いや、確実にだ。
「……やっぱ気付かれてたってか‼」
もう隠れていても仕方がない――そう直感すると同時、俺は爆発するように地面を蹴る。
対するモンスターも標的を捕捉したためか、天上に無数の魔法陣を展開する。
彼我の距離は、直線距離で一〇〇メートルほど。
きっと襲来する攻撃の対処をしているうちに、いつの間にか縮まっているほどの距離だ。
「ンゴォォォォォォォオオオオオッッ‼‼‼」
渾沌を無理やり声にしたような絶叫が空を叩いた。
直後放たれるは無数の魔法。闇色を飾る煌びやかな魔法が炸裂する。
そのどれもを避ける。避ける。横に飛んで前に走って《消去》して。
ありとあらゆる方法で攻撃を回避していく。
けれども足は止めない。止められない。俺はたった一〇〇メートルを疾駆する。
魔法攻撃が無意味だと理解したのか、モンスターはふたたび体の上に巨大な腕を形成すると、その指先であたりの瓦礫をぐしゃりと掴み取り、
投げる。
道端のモンスターの頭部や体躯が吹き飛んだ。瓦礫に貫かれたのだ。
なおも速度を緩めようとしない飛来物は、目先の地面に着弾すると噴水をあげたように爆発した。轟音が連続したかと思えば、今度はブゥオン‼ と幾度となく唸り声をあげる手近の空気。頭上数メートルを数多の石塊が通過していく。
「のわっ……!」
付近へ着弾する度に揺れる足元。地割れのように亀裂が走り、場所によってはそのまま道路が陥没する。
バランスを崩しそうになりながら、それでも俺は足を動かすのをやめない。
前へ前へ押しのけられるように全力で走る。
――一刻も早くディオスを止めなければ。
せっかくアイツが改心したんだ。今までの行いは恥ずべきことだと、事情はあっても決して許され振舞いではないとディオスはわかったんだ。
あの場での会話を知らない者は、きっとアイツのことを白い目で見続ける。家族や恋人、大切な人を失った人は未来永劫アイツを許さないだろう。
元を辿ればディオスの責任かもしれない。
でも、それを自業自得として言い捨ててしまうのは。
自らを省みることができる少年に対し、そう見限ってしまうのは。
「……頭でわかっても感情がついてこねーんだっての……!」
衝撃で不安定になる足場でも踏ん張りながら走り続ける俺の目の前には、瓦礫が迫る。
実行する《消去》、
「いい加減目を覚ましやがれってんだよ、ディオス‼」
――に、《消去》を重ね、これまで消してきた瓦礫を一挙に放出!
それら物理の権化はやがてモンスターへ直撃、
「ぶち抜け……!」
したかのように思われた。
小さく叫んだ俺は、
間もなく喉を詰まらせる。
なんと。それら塊はモンスター手前でごつん、と鈍い音を立てて地面に墜落。そしてバラバラに粉砕されてしまい。
「ッ……?」
残り四〇メートルを駆け抜けながら考える。重力魔法でも使ったのだろうか。いやでもアイツの魔法攻撃のパターンを見る限り、ベースとなっているのは本体であるディオスの魔法だろう。
俺の記憶が正しければディオスに重力魔法は使えないはず。
であれば、《支配剣》を応用した何かなのか……?
「くそ、どうなってん――⁉」
口にしようとする刹那。
「うっ……、」
猛烈な吐き気が腹の底からせり上がってきた。
口いっぱいに広がる酸っぱさと、胃に肝臓に肺に腸を絞られるような気持ち悪さが体の中で暴れ回る。あまりに強烈に催される吐き気に、思わずその場で膝をついてしまう。
どうなってる……?
なんで体が急に重たくなった?
なんなんだこの気持ち悪さは……?
ぐるぐると回る思考に、しかし答えは出てこない。
……この際、原因などどうでもいい。
「はぁ、はぁ……《消》えろ‼」
なので自身に向けて《消去》を実行。
ありえないほどの吐き気はみるみるうちに消えて、安堵にふぅとため息をこぼしながら立ち上がろうとした瞬間、
「ぉえッ……⁉」
まるで時間が巻き戻されたように、またもや襲い来る猛烈な吐き気。
それも今度はさっきまでの不調とは比にならないほどの強さを誇り。
まずい。頭ではまずいとわかっている。
だ、が。
目の前がぼやけていく。
絵の具に水を垂らされたように思考が分散していく。
眼前にせまるモンスターの群れ。ゆっくりとその足を進めてきているのが見える。
「まず、い……ここで、くだばる、わけには……‼」
原因不明の病のような症状に、しかし抗う術などあるはずもなく。
モンスターたちの足音だけが、やけに鼓膜に響き続けて。




