第34話 絶望との邂逅 ☆
「クソ……クソッ! クソッッ! クソ――ッ‼」
燃えるような夕焼けも朽ちた夜。
ローヴェニカに灯る優しい明かりを背景に、鈍重な音が山道に響いていた。
岩を斬りつける音。
斬れないとわかっていても、剣を叩きつけなければ気が済まないという音。
「なんで俺が‼ 俺がデリータなんかに……ッ‼」
ありとあらゆるマイナスの感情が入り混じった肉声は、もう掠れていた。
――どれほど同じ言葉を口にしたのだろう。
そんな想像も容易にできるほど、ひどく弱った悲しい、けれど憎悪に満ちたもので。
ディオスは傷だらけの体でひたすら剣を振り続けた。
(ふざけるなよクソ野郎。俺が負けただなんてありえない……ありえない!)
思い出すのは数時間前の戦い。
己の野望のために始め、己の野望ゆえに終わった戦い。
強くなりたいと願った。そのために冒険者ランクを上げていきたかった。無能な人間と仲良しごっこしている時間などもったいなかった。
どんな期待をも越え、どんな悪でも簡単にいなせるような。
誰からの期待も裏切らない、誰からも失望されない、誰よりも頼られる――そんな冒険者に。
(なれなかった)
ディオスは頭の……いや、心のどこかでもう気付いていた。
デリータに完膚なきまでに負けた瞬間から。
否。
デリータが彼の前に現れたその瞬間から。
越えられない壁を自覚してしまった。コイツには敵わないと本能が決めてしまった。
だからこそ、抗いたかった。
最強を目指すと決めていたからこそ、デリータには絶対に負けられないと思った。
でも、負けた。
(…………、)
打ちつけられる刀身は弱々しく。音も蚊の鳴くような頼りなさで。
だんだんと。ディオスは全身から脱力していく感覚を感じていた。
「はぁ……はぁ……」
乱れた呼吸を整えるついで。彼は柄から手を離し、マメだらけの手のひらに視線を落とす。
その時ふいに思ったのだ。
「……俺はなにをしているんだ?」
冷静な頭が全身を冷ましていくように。
渦巻いていた感情も、まるで嘘みたいに消えていきそうな気がしている。
一体なんなんだ? とディオスは首をひねる。
(デリータに負けて悔しい……のか?)
いや違う。だとしたら『デリータなんかに』とは言わないだろう。
(越えられない壁を感じたことが辛い……のか?)
ディオスは彼の内面と向き合ってみた。
……不思議だ。辛いとか悔しいとかムカつくとか、そういう感情を一切持っていないような――忘れているような気がする。
ディオスはますます頭を抱えたくなった。
もしそういう強い感情を持っていないんだとしたら――自分がさっきまで口にしていた、心に宿していた気持ちはなんだったのだろう?
出口のない謎。まるで置いたはずの鍵がそこにないような感覚に気持ち悪さを覚え始めようとした、
その時。
「ヤツの仕業だ」
どこかでカラスが羽ばたいた。
暗闇から現れた突然の声に、ディオスはとっさに剣を構え、
「誰だ⁉」
「そう殺気をふりまく必要はないぞ、人間――いや、哀れな敗北者ディオスよ」
「ッ‼」
気に障ることを言いやがって、とディオスは内心で吼えていたが。
それを遥かに上回る気色悪さを彼は全身で感じていた。
(な……んだコイツは……? どんなツラしてやがる?)
暗がりの山中であることも災いし、ディオスに見える情報は極めてわずか。
わずか、だが。
「――どうした? そんなに怯えた顔をして」
「……気持ち悪ぃんだよテメェ。気安く喋りかけるんじゃねぇぞ」
口では威勢を張れていても。
体は正直だった。
奇天烈な仮面を被った男(声は完全に男のものだった)を前に、ディオスは全身から汗が噴きだすのを感じる。
剣を振って出た汗とは全く別のそれ。
(ヤバい……コイツがなにもんかは知らねぇが……)
間違いなく戦ってはいけない。それは直感でわかっていた。
――それでいいのか?
――禍々しいオーラをまとった奴なら尻尾巻いて逃げてもいいってのか?
――そんな都合のいい冒険者が最強と呼ばれる日が来るのか?
答えは、否。
「――‼」
次の瞬間、星の瞬きよりも煌めく一閃がほころびた。
疲労と激痛によって所作は粗雑そのもの。だがディオスが積み重ねてきた剣筋はたしかに美しく、あるべきものを切り落とす必殺の《支配剣》となる、
はずだった。
「どうしてこうも人間は愚かなのだ」
呆れたように仮面からため息がこぼれたかと思えば。
ぼすっ……と鈍い音が立つ。
「ぎ……」
ディオスは歯を食いしばって、
「ぎががぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ‼‼」
直後、絶叫した。
よろける体。ほとばしる熱波。
何が起きたかはわからないがただ一つわかるのは。右肩が熱い。ただただ熱い。
ディオスは右肩を押さえようとする――ない。
腕が、ない。
「あがっ……⁉」
激痛が襲ってきた。地面に落ちた右腕も見つけた。
鼓動が早まる。おぞ気がせりあがってくる。
どうにか。どうにかしなければ――!
(魔法だ、魔法で仮面をぶち殺してッ‼)
「その力をぶつける相手は我で良いのか?」
ずしり、と。仮面の言葉はディオスの胸に突き刺さった。
鉛の矢のように、そこに刺さったまま抜けないでいる。
ディオスははっとして、痛みも忘れて言葉の意味を噛みしめようとした。
「哀れな敗北者ディオスよ。貴様にはもっと憎い相手がいるのではないか?」
「……、」
「思い出せ。貴様の尊厳を踏みにじり、大衆の前で貴様に恥をかかせた男がいるだろう?」
(……ああ、無性にイライラしてくるぜ……なんなんだこれは)
気がつけばあたりは蜃気楼に覆われていた。
紫の不気味な煙がディオスと仮面を取り囲む。
そこにいればいるほど。
ディオスは胸の中に強い感情を抱くようになっていた。
「貴様が刃を向けるべき相手は誰だ?」
考える。虚ろな目で考える。
「報復すべき相手は?」
朦朧とする意識の中、彼の視界に映るのは――闇色の触手。ミミズのようにうねうねと空中を蠢いている。
でも、そんなことはどうでもいい。
なぜなら。
「思い出せ敗北者。貴様を敗北者にしたのは――一体誰だ?」
もうディオスの頭は、心は。
すっかり闇色に染まっていたのだから。
失くしかけた感情を拾いあげた彼は、もう忘れることもないようにその気持ちを抱き続けるだろうから。
決して消えない信念が、彼にはあるのだから。
「悔しいだろう? ――さぁ、手を取れ」
仮面は触手と同じ色をした手を差し出した。
ディオスはその手を――。




