第29話 もう嫌なんだが?
「シャーロット、聞こえるか?」
降りやまない雨の中、俺は抱きかかえたシャーロットの顔を覗き込んだ。
相変わらず返事はなかった。が、仮面の男に捕まっていた時のような苦しい表情も消えていた。それだけでほっと胸を撫でおろしたくなる。
「……ごめんな、来るのが遅くなっちまった」
聞こえないとわかっていても、言いたかった。
二日前、ディオスに向けられた悪意の餌食となってしまった彼女。モンスター化していた過去が幸いし命こそ取り留めたものの、やはり苦しかったろう。辛かったろう。なにより痛かったろう。
何の因果か、人であることをやめた訳ではないのに、突然モンスターにされ。変異個体として仲間はずれにされ。それでも危険を冒して仲間たちを助けようとしていたシャーロットが、
「……なんでこんな目に遭わなくちゃいけねぇんだよ」
彼女を抱きかかえる手に力が入った。
シャーロットが一体何をしたっていうんだ? こいつが望んでモンスターになった訳でもないのに、なぜ悪意に曝されないといけないんだ? なぜ彼女が傷つけられなけきゃいけないんだ?
誰も答えてはくれない問いに、静かに憤ることしかできない。
「ここにいたのね、デリータくん」
見上げると、半球状の穴のへりにウィズレットさんが立っていた。よく見ると誰かを抱きかかえている。彼女が斜面を降りてきた時……俺はもう言葉がでなかった。
ウィズレットの腕の中で、ボロボロに傷ついたアモネが眠っていたからだ。
「あの荷物持ちと妹さんなら大丈夫よ。外傷はひどいけど意識も戻ったし、命に別条はなさそうだわ」
「……、」
キャリーたちが助かっただけでも不幸中の幸い、と言うべきなのだろう。ここに来る前に住民へウィズレットさんへの伝言を頼んで良かった、と思うべきなのだろう。
けれど、アモネは。アモネはこんなに傷ついてしまっている。ウィズレットは申し訳なさそうに続けた。
「あなたからの伝言を受けてすぐに向かったけど……ごめんなさい、間に合わなかったわ」
心に形というものがあれば、きっと俺のは角ばっているに違いない。
そう考えてしまうほどに、俺は露骨に向けられた悪意へ反感を持っていた。
シャーロットとアモネの身に起きたことが、モンスターの味方をしていることに腹を立てた国民による襲撃であればまだ納得はいった。なにせ俺は『計画』のためにローヴェニカの人々の気持ちを煽り、『モンスターは敵である』という思想をより強固なものにするよう仕向けてきたから。それならば仕方あるまい、むしろ俺の責任だと頭を下げるだろう。
だがこれは違う。この存在していることが世界共通で認められているかのように振るまわれる悪意は性質がまったく異なる。
俺に、俺たちに危害を加えるためだけに用意された悪意なのだ。
雨脚が強まる。シャーロットの頬にいっそうたくさんの雨粒が打ちつける。
「それにしても……彼は一体何を考えているのかしらね。こんなことをしておいてただで済むとでも思っているのかしら」
済むと思っているのだろう。奴のことだ、不愉快を感じている俺を想像して腹を抱えて嗤っているに違いない。
――ふと脳内にディオスのことが浮かんだその瞬間、悪意が鮮明な輪郭を見せたような気がした。同時に俺が優先させるは『計画』の遂行よりもまず先に、故意に浴びせられる邪心をどうにかすることだとも思った。
本来であればディオスに構っている暇など惜しいくらいだ。仮面のモンスターと遭遇もできたし『計画』の準備は整ったも同然、今となっては奴の『地獄を見せる』という言葉に耳を貸す必要もない。
だが、もう黙ってはおけない。
「……ありがとな、アモネを助けてくれて」
礼を言うついでに、ウィズレットさんにシャーロットをお願いする。彼女は形の変わる不思議な氷? にアモネたちを乗せると、
「どこへ行くつもり」
「アイツんとこだ。このまま放っておく訳にはいかないだろ。二人ができるだけ早く回復できるように取り計らってくれると助かる」
短く答えてみて、「いや……」と俺は一呼吸置いた。心を浸食していく影は決してディオスの悪行だけが原因じゃないと思ったからだ。
本当は……たぶん、他でもない俺に対する失望なのだと思う。
大事な人を大事にする、守りたい人を守る――口ではたいそう立派にそう言っているが、蓋を開けてみればどうだ。アモネとシャーロットの閉じた瞳を見る。これだ。
何一つ守れてやいないじゃないか。大事になんかできてないじゃないか。
自覚すると拳に力が入った。胸の奥がじわりと熱を帯び始め、やり場なく溢れ出した不甲斐なさに視界が滲む。
俺はディオス以上に、俺自身を許せないんだ。たとえアモネやシャーロットが大丈夫だと言ってくれたとしても、俺自身が俺に憤慨しているんだ。
「これ以上は耐えられそうにないんだ」
言い直し、俺は決意の一歩を踏みしめた。
「もう見たくない。大事な人が傷つくのを黙っては見てられない」
これ以上やらせない。傷つけさせない。
今度こそ守り抜いてみせる。そう心に誓いながら。




