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「おや、朝からどうしたんだい」
「ちょっと入れてくれ」
シーラは少しばかり迷惑そうな顔をしているが、レカンはかまわず作業部屋に入った。そして椅子に座ると、〈収納〉から巨大な魔石を取り出した。
「あ、それは」
「異世界の竜ヴルスの魔石だ。今日からしばらくゴルブル迷宮に行くので、預けておこうと思った」
「そうかい。そりゃ、わざわざすまなかったねえ。まあ、茶でも飲んでおくれ」
シーラが指先をくいと動かすと、壁際の棚の一番上にあった壷が、ふわふわと下りてきた。そこは茶葉が入った壷が並んでいるのだが、その壷の茶を飲むのはレカンにとってはじめてだった。
あり得ないほど短い時間で湯がわいた。だが、ここから茶を淹れるのにふさわしい温度まで冷まし、それからゆっくりと茶葉を湯にひたす。そこは魔法を使わずに、自然に時間がたつのを待つのだ。つまりこれからしばらく時間がある。
「シーラは呪文なしで魔法を使うが、オレにもできるだろうか」
「うーん。呪文省略かい。そうだねえ」
少し考えてからシーラは言った。
「あんた、火打ち石を打って火をつけることができるだろう?」
「ああ」
「どうして火打ち石を打ち合わせると、火がつくと思うね?」
レカンは頭のなかで答えを組み立てながら、ゆっくり回答した。
「硬い物と硬い物を打ち合わせると、火花が出ることがある。火打ち石は、打ち合わせたとき火花が出やすい石だ。だから火打ち石を打ち合わせて、火をつけることができる」
「こりゃ、驚いた。素晴らしい答えだ。あんた、研究者みたいな思考をするね。さて、それじゃあ訊くけど、硬いとは何だい? 打ち合わせるとは何をしていることだい? 火とは何だい?」
「硬いとは、ある物体がふわふわしていなくて、簡単には斬れないことだ。打ち合わせるとは、二つ以上のものをぶつけ合うことだ。火とは何かが燃えているものだ。いや、これは説明じゃなくて言い換えだな」
「質問を変えようかね。火打ち石が、あんたの体のなかにある。手で火打ち石を打つことはできない。さあ、どうやって火をつけるね?」
「〈移動〉の魔法を使う」
「いいね、いい。それはいい答えだ。だけど呪文は禁じられてる。さあ、どうやって〈移動〉の魔法を使うね?」
「……わからん」
「呪文を唱えずに魔法を発動させるには、呪文を唱えることによって起きる魔法の働きを、ぜんぶ自分の心のなかで再現しなくちゃならない。それには働きの本質を知る必要がある。火打ち石でなぜ火をおこせるのかを、根源にさかのぼって理解しなければ、呪文なしで火をおこすことはできやしない」
ジェリコが盆に何かを載せて部屋に入ってきた。
焼き菓子だ。シーラはそれを皿に盛ってレカンに差し出した。
「魔法に熟達してゆくと、やがてはすべての魔法を習得する。それは適性があるとかないとかいう次元の問題じゃない。本当に魔法を極めた者は、あらゆる魔法の本質を理解することになる。これは魔法の威力とはまたちがう話だよ」
シーラは茶を二つの椀にそそぎ、一つをレカンに差し出した。
「その段階にまで進むと、呪文なしで、〈鑑定〉なら〈鑑定〉と同じ効果のある魔法を発動することができる。ただし、最初のうちは、呪文を唱えるのに比べて十倍以上時間がかかるし、発動に失敗することもある」
机の上の巨大な魔石を、シーラはやさしい目でみた。
「呪文なしで、しかもすっと呼吸するように魔法を使うやつは、普通の人間じゃない。それは、存在そのもののありようが魔法的な基盤に立っているやつだ。本質の世界で生きているやつだ。もしもそんなやつに出遭ったら、レカン」
シーラは、こくりと茶を飲んだ。
「逃げるんだ、すぐ。たとえ相手がごく小さな魔力しか持っていないとしてもだ。そいつはあんたとは格がちがう。あんたの弱点は、まばたき一つのあいだにみぬかれて、殺されるか、もっとひどい目に遭わされるさ」
レカンは茶をすすりながら、シーラの言葉を味わった。これはシーラのとっておきの茶葉なのだろう。非常に美味であり、やすらぎを覚える味だ。
「よく覚えておく」
2
シーラの家を辞したあと、そのまま西門を出て、ゴルブルに向かった。普通に歩いてもたった二日で着くほど近いのに、ヴォーカとゴルブルを行き来する人は少ない。馬車も数えるほどしか出ていない。
昼には到着した。
最初に食料品店に寄って、迷宮で食う食料を仕入れた。もちろん日持ちのするものでなくてはならないが、あまり極端に水気を切ったものでなくてもよい。せいぜい十日程度の探索になるはずだ。店員も他の客もレカンが気になるようで、ちらちらと目線を送ってきた。
その隣に〈ポーション屋〉という看板が掛かっていたので寄ってみた。
「い、いらっしゃい」
客は少なくなかったが、ちょうどカウンターに手の空いた店員がいたので、その前に進んだ。
「赤の小ポーションは、一ついくらで買える?」
「え? 今は品薄じゃないから、標準額だよ」
「標準額とはいくらだ」
「大銀貨一枚に決まってるじゃないか。あんた、凄腕なんだろう? そんなことも知らないのかい」
「遠くから来たものでな。この土地の標準額と言われてもわからん。品薄になると値上がりするのか?」
「そうだよ。先月の真ん中はすごい品薄でさ。大銀貨一枚銀貨五枚まで値上がりしちまった」
「赤の中ポーションの標準額は?」
「大銀貨二枚」
「赤の大ポーションは?」
「大銀貨三枚。ただし大赤ポーションは、大物冒険者たちが金にあかせて買いあさるから、品薄になりやすいよ」
「なるほど。青ポーションは、大中小それぞれいくらだ」
「おんなじだよ、赤と」
ということは、チェイニーがポーションの代金としてレカンによこした金貨六枚は、それほど特別な金額ではなかったのだ。
「奧では買い取りをやっているようだな。買い取り額は決まっているのか」
「売値のちょうど半分、てのが規則だ」
「わかった。邪魔をしたな」
店を出るとき、後ろで噂話をしているのが耳に入った。
「お、おい、あれが」
「ああ、あれが〈黒衣の魔王〉だな」
「びびったぜ。すげえ迫力だよな」
「閉じた左目を開かせちゃならねえ。にらまれたやつは石化するらしいぜ」
(閉じた左目?)(まさか)(オレのことか?)
不審を感じながら店を出たとたん、〈立体知覚〉の範囲外から大声で呼びかけられた。
「おおーーーーい! レカーーーーーァァン!!」
迷宮警備隊長のダグだった。




