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採取場所は全部で四か所だった。四か所目では、木の実ばかりを採取した。
十一日目にヴォーカの町に帰還した。
レカンは、〈灯光〉〈着火〉に続いて〈引寄〉の魔法を習得した。
これは、ごく軽い物品をごく近距離で、ふわふわと自分のもとに引き寄せることができる魔法なのだが、正直何の役に立つのかわからない。
ただ、これは空間系魔法の初級魔法であり、これを使いこなせるようになると、他の有用な空間系魔法を習得できる可能性が開ける。
中級魔法である〈移動〉は、魔力量があれば重い物も動かせるし、風を起こしたり、穴を掘ったりできる、非常に応用範囲の広い魔法だという。
同じく中級魔法である〈浮遊〉は、重量物を軽量にしたり、空中に浮かべることができる。
〈移動〉と〈浮遊〉を合わせると、自分の体を空高く浮かび上がらせることもできる。
上級魔法である〈障壁〉は、空間に魔力の壁を作って物理攻撃を防ぐ魔法だ。わずかな魔力でも恐るべき防御力を持たせられるらしい。魅力的な魔法である。
同じく上級魔法である〈交換〉は、大きさと重さが同じくらいの物品や生き物を、距離に関係なく入れ換える魔法だ。手紙を置く場所さえ決めておけば、遠く離れた場所と一瞬で手紙をやりとりすることもできる。ヴォーカの町のシーラの家には、シーラと同じぐらいの大きさと重さを持つ樽が置いてあって、いつでも入れ換えることができる。つまり、事前に準備をしておけば、世界中のどこにでも、一瞬で飛んでいける能力なのだ。さらに最上級の知覚系魔法が使えるようになれば、事前の準備なしでも交換対象を設定できるという。ただし、〈障壁〉や〈交換〉を覚えられるのは、空間魔法に適性がある者のうちごく一部だという。
〈着火〉や〈灯光〉は、魔力があればほぼ誰でも覚えられる魔法だが、〈引寄〉は適性がないと覚えられないという。せっかく空間系魔法に適性があることがわかったのだ。習得できるかぎりの魔法を習得したい。
11
帰ってから三日間は、採取してきた素材の下処理に忙殺された。素材は大量にある。朝早くから夜遅くまで作業しても終わらない。レカンは三日間、泊まり込みを命じられた。寝る場所はジェリコの部屋だ。馬と寝泊まりするのは慣れているが、猿と寝泊まりしたのははじめてだった。
老女の姿に戻ったシーラは、食事をしようとしなかった。レカンの食事はジェリコが買ってきてくれた。こっそり小さな酒の壷を渡されたときには、ジェリコに強い友情を感じてしまった。
三日間かけて下処理は終わった。苔は泥を取り、木の実は外の皮を取って、それぞれ薬液にひたし、薬草は土を払って束にして逆さに吊った。
今や作業部屋もジェリコの部屋も、張りめぐらされた紐に吊られた薬草で、頭から上の空間が占領されている。どうしてこんなに部屋の天井が高いのかと思っていたが、薬草を吊り下げるためだったのだ。
シーラは自分も〈浮遊〉で浮かぶことができるし、〈移動〉で薬草の束を浮かばせることもできる。天井から三層に敷き詰められた薬草は、実に壮観である。家は薬草の匂いで埋め尽くされた。
身長の高いレカンは、いつも頭を下げながら移動しなくてはならなかった。
四日目の朝から、薬効の高くない部位を使った〈魔獣よけポプリ〉の作成が始まった。これはそんなに急がなくてもいい作業らしいが、魔法薬に使わない部分は床や机の上に所狭しと並んでいるので、片づけないことには足の踏み場もない。
作ったポプリは二種類である。
一つ目のポプリは、八種類の薬草で作った。これは、狼鬼族、猪鬼族、猿鬼族、熊鬼族、虫禍族、蛇凶族、樹怪族、幽鬼族に効果がある。つまり、迷宮以外で出遭う魔獣のほとんどに効き目がある。魔獣は匂いを嫌って近寄らない。効果は絶対とはいえず、興奮状態にある魔獣や飢えた魔獣は襲ってくることもあるが、それでも相当の安全性を確保できる。燃やせばすさまじい効果があり、興奮状態にある魔獣も追い払える。
二つ目のポプリは、二十一種類の薬草で作った。これは一つ目のポプリよりずっと強力で、しかも、空魚族、岩塊族、泥奇族、魂鬼族にも効果がある。竜種にもある程度効果がある。つまり、水妖族を除くあらゆる魔獣に効果がある。高い効果を持つのは、希少な薬草を巧みに配合していることもさることながら、込める呪文に秘密がある。
二日間かけて二種類のポプリを大量に作り、小袋に詰めて樽に入れていった。一種類五樽、計十樽分のポプリができた。この十個の樽は、作業部屋の奥の倉庫に置いた。倉庫には空の樽のほか、炭や薪やさまざまな道具がしまってある。
それはいいのだが、倉庫の奥がシーラの部屋である。つまり、この十個の樽をどこかにやらないと、シーラは歩いて寝室に行くことができない。実際昨晩は、〈浮遊〉で樽を飛び越えていた。
「さてと。じゃあ売りに行こうかね」
今のレカンは外套も着ておらず、剣も吊っていない。服も戦闘用のものではなく、ザイドモール家でもらったものである。こんな格好で町に出るのは気が進まなかったが、しかたがない。
「ジェリコがこっちの樽で、レカンがこっちの樽だよ」
「今さらの話だが、ジェリコにはポプリが効かないのか?」
「みてなかったのかい。ジェリコには〈変身〉の魔法をかけた。一時的に匂いを感じなくさせてるんだ」
〈変身〉という魔法は自分自身にしか使えない魔法だと説明されたはずだが、シーラのレベルになると話がちがうのだろう。
シーラは、ジェリコとレカンに、一つずつ樽を持たせた。
ジェリコが担当するのは上等のほうのポプリで、レカンが担当するのは効力の弱いポプリである。もちろん、運搬中に家猿や家狼を恐慌状態にしないように、しっかりとふたをしてある。
しかし、こんな樽をもって、あの狭い路地を通れるのだろうか。
そんなことを考えていると、ジェリコは樽をもってさっさとドアの外に出た。
ただしそのドアは玄関に続くドアではなく、炊事場と井戸がある場所に出るドアだ。ジェリコはそこからさらに庭の奧に進んでいく。不思議に思いながらも、レカンはジェリコについていった。
薬草というか毒草に埋もれるようにして便所があるのだが、その斜め後ろの壁に、木の杭が二列に埋め込んである。
ジェリコは左手で樽を抱え、右手と強力な両足で、ひょいひょいと杭を使って壁を上り、あっというまに高い壁の上に乗った。
そして、手招きをした。
レカンは、壁を駆け上ろうかと思ったが、このレンガ作りの壁は、あまり頑丈そうではないので、崩れてしまうかもしれないと判断し、杭を使うことにした。
数歩後ろに下がり、助走を付けて杭を駆け上った。だが上りきるには少し勢いが足りなかったので、最後には風の技能の力を借りた。
「〈風よ〉!」
ジェリコはひょいっと、隣の建物の屋根に飛び移った。そして、ひょいひょいと次から次に、別の建物に飛び移り、最後には崩れかけた壁を使って地上に降りた。続いてレカンも地上に降りた。
「ごくろうさん。最初の店に行くよ」
そこにはシーラが待っていた。
12
立派な店に到着した。
たかが薬屋がこんな立派な店を持っているというのは驚きだ。だが店は非常に繁盛している。
出入りしている人々の身なりがよい。入口は大きく開け放たれていて、何人もの客に、それぞれ店員が応対している。
シーラをみた店員が店の奧に声をかけると、店主が飛び出してきてシーラを迎えた。
「よく来てくださいました。今日か明日かと心待ちにしておったのです。ささ。どうか奧でお茶でも」
「茶はいいよ。五日間ほとんど寝ていないんでね、早く帰りたいんだ。すぐに品物を引き取ってほしいんだけどね」
「はい! それはもう。この樽二つですな」
「取りあえずは魔獣よけのポプリを二種類だね」
「おお! ポプリだけで二樽も! 今回は大変量が多いですなあ。いやあ、まことにありがたい」
「あとのものは後日納品するよ。ああ、そうそう。こっちの狼みたいな顔をしたでかぶつは、レカンというのさ。あたしの弟子さね」
「シーラ様のお弟子!?」
「この次はこやつが来るかもしれないから、よろしくね。それから、今日渡すポプリは、詰めたばかりで水気が抜けていないからね。最低ひと月は水気を抜いてから売るようにしな」
店主の指示を受け、使用人たちが樽から袋を出した。そして数を数え、店主は代金をシーラに支払った。
その金額の多さにレカンは目をむいた。店が客に売るときの値段はさらに高いはずであり、そこまでの価値がこんなポプリにあるのか、疑問に思った。
そんな調子で計五軒の店を回った。もう夕刻である。
あとの四軒の店も、最初の一軒に劣らず立派な店構えだった。だが、客層は五軒でそれぞれ異なっているように感じた。
逆にいえば、客層の異なるさまざまな店で、ひとしく丁重に迎えられたシーラは、やはりこの町で特別な地位にいる薬師なのだ。
五軒目の店を辞し、わずかばかり歩いた路上で、シーラはレカンに告げた。
「レカン。今日はこれで帰りな。明日と明後日は休みにするよ。あたしは寝る。……いや、ちょいとお待ち」
少し考えて、こう言った。
「あんた、迷宮に行きたいと言ってたね」
「うむ」
「知ってると思うけど、一番近い迷宮までは歩いて二日だ。あんたなら半日もかからないってことさね」
「ゴルブル迷宮だな」
「行っといで。薬草の水気が適度に抜けるには十日かかる。苔と木の実は、もうちょいかかる。十日間休みにしよう。あたしは十日間寝る。そのあとは二旬ばかり休みなしになるよ」
シーラは、給料だと言って、レカンに金貨を一枚渡したのだった。
「第4話 薬草採取」完/次回「第5話 ゴルブル迷宮」




