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一行は第三十五階層に転移し、戦闘を少なめにして第三十五階層を通り過ぎ、下に降りる階段に入った。
「第三十六階層からは、八目大蜘蛛の中位種が出る。〈睡眠〉〈猛毒〉〈溶解液〉〈石化〉〈爆炎〉を使う厄介な相手だ」
いつものように、ヘレスが説明を始めた。
「蜘蛛自体は色がちがうだけで、ここまでの階層と能力も大きさも、そう変わらない。〈睡眠〉〈猛毒〉〈溶解液〉も、ここまでの階層と同じと思っていい。問題は、〈石化〉と〈爆炎〉だ。この二つのせいで、難易度が跳ね上がる」
「蜘蛛の大きさや硬さや基礎能力は、第三十五階層とまったく同じと思っていいんですか?」
「いや、そういうわけではない。第三十一階層から第三十五階層までは、能力は同じだが、一階層降りるたびに手ごわくなった。あれと同じ程度の差がある」
「了解しました」
「〈石化〉は、白い息のようなものを吹き付けてくる。かわせば問題ないし、盾で受けても問題ない。〈石化〉の影響を受けるのは、肉体だけだからな」
「〈石化〉は呪いによる状態異常なのか?」
「そうだ。だから、呪い抵抗の装備があれば対抗できる。というより、呪い抵抗がなければ戦えない」
「あるいは状態異常耐性の装備だな」
「ははは。そんなものがあればいいんだがな」
「ないのか?」
「状態異常全般に対する耐性装備など、私は聞いたことがない。アリオス殿はあるか」
「ありません、と答えておきます」
「含みのある言い方だな。まあいい。〈石化〉は呪い抵抗の装備で対抗できるが、白い息を目に浴びてしまうと、しばらく目がみえなくなる。これは呪い抵抗があっても防げない」
「ほう」
「〈爆炎〉は、粘りけのある唾のようなものを吹き付けてくるのだが、これが体にあたったり地に落ちると爆発して炎を吹き上げる。焼けるし、熱いし、目がくらむ。至近距離に着弾すると吹き飛ばされる。直撃されると、ただではすまない」
「〈石化〉と〈爆炎〉は、どの程度の頻度で撃ってくる?」
「〈石化〉は、侵入者の姿をみたら撃ってくる。頻度はよくわからない。〈石化〉ばかり撃ってくることもあれば、〈爆炎〉ばかりのときもある。ただ〈爆炎〉は、せいぜい十歩ぐらいしか届かないので、近づかなければ撃ってこない」
「続けざまに撃てるんだな?」
「〈石化〉も〈爆炎〉も、続けざまに撃てる。ただ、どちらも、十発前後で弾切れになるようで、そのあとしばらくのあいだは撃たない」
「ヘレス」
「何だろうか」
「お前、盾は使わないのか」
「もともとは使う。だが、今回迷宮探索にあたっては、攻撃力を重視して、この剣を使わせてもらうことになった。この重さだと、私の腕力では片手ではうまく使えない。だから盾は置いてきた」
思い切りのいいことだ。
だが、これでわかった。
ヘレスの動きに、わずかなぎこちなさを感じていたのだ。
攻撃は思い切りがよいのだが、回避が少し物足りない。
体が盾を使った戦い方に慣れているせいだったのだ。
(本人の選択だからこれでいいといえばいいのだが)
本当にこのままでいいのか。
そのことが引っかかった。
(待てよ)
(オレ自身はどうなんだ?)
レカンが今回の迷宮探索で、自由に思い切り実力を出しているかといえば、そんなことはまったくない。
周りに配慮し、周りのようすをみながら戦っている。
こんな戦い方でいいのか?
いいわけがない。
こんな戦い方で強敵に挑むのは、死ににいくようなものだ。
(強敵とは誰だ)
(オレの敵とは誰だ)
決まっている。
迷宮の主だ。
最下層に独り棲み、挑戦者の訪問を待ち続ける最強の魔獣だ。
そこにたどり着くのを目標とし、各階層で自分を磨き込んでゆくのだ。
その姿をもって、アリオスに戦いとは何かを教えればいい。
ヘレスを鍛え直してやればいい。
戦いのなかで、エダは学ぶべきことを学べばいい。
何を学ぶかは本人次第なのだ。
まずもってやるべきは、レカン自身が迷宮の主への挑戦者として恥ずかしくない戦いをみせることなのだ。
実際に主に挑戦するか、また最下層への到達がまにあうかは、また別の問題だ。
まにあうと信じて今日を戦う。
そういう一日一日を積み重ねてゆけばよい。
そのうえで今回は挑戦を断念してもよい。
まにあわなければ諦めて帰ればよい。
ただ、今日は。
今日という一日は。
最下層の魔獣との戦いに向け、その一歩を刻むのだ。
4
どのくらいの時間、黙考していたのだろうか。
全員がレカンのほうをみて、階層突入の指示を待っている。
「皆に言っておく」
静かに言葉を発しながら、レカンはおのれの全身すみずみが、荒々しく震え立つのを感じた。
「ここからオレは本気を出す」
感覚が研ぎ澄まされ、体内の奥深くから力があふれてくる。
「ついてこれる者だけがついてこい」
呼吸は胸深く入り、大気の恩寵が身をひたしてゆく。
「ともに戦えるものだけがともに戦え」
今や戦いの準備は調った。
「この一歩は」
音を立て、力強く大地を踏みしめ。
「迷宮の主に続く一歩だ」
レカンは第三十六階層に分け入った。
ただちに〈生命感知〉が階層全体の情報を伝える。
人がいないことがわかる。
今、この階層にいる冒険者は、この四人だけなのだ。
だが、この情報では足りない。
「〈図化〉」
レカンは、唱えたこともない呪文を唱え、使ったこともない魔法を使った。
脳裏にこの階層の図が浮かぶ。
どこが通れてどこが通れないか。
どの道をゆけば敵に遭い、どの道をゆけば遭わないか。
図がレカンに教えてくれる。
不思議なことに、今ならこの魔法を使えるということに、レカンはわずかの疑問も持たなかった。
ざっ、ざっ、ざっ、ざっ。
ブーツが音を立てて砂をかむ。
レカンは迷いなく、そそりたつ岩の壁のあいだを進んでゆく。
そしてそこに敵がいた。
「〈炎槍〉!」
この魔獣に光熱系魔法は効かない、とヘレスは言った。
その言葉を疑ったわけではない。
それでも今はこうするべきだと、戦いの勘が教えたのだ。
光の槍は、魔獣の顔面を直撃した。
激しい爆発音が響き、槍は砕け散って四方に散った。
ただし魔獣も無事ではすまない。
顔面は大きくひび割れて、首に向かってねじ込まれたようにつぶれている。
巨大な身体は機能をうしなったかのように動かない。
そしてレカンは魔法を放った次の瞬間飛び出しており。
〈アゴストの剣〉が真正面からたたき付けられて魔獣の頭部を割り砕いた。
がくがく、がくがく、と巨体が揺れ。
崩れ落ちた。
「やったー。さすがレカン」
振り返ればエダがぐるぐるこぶしを回している。
アリオスとヘレスは、あぜんとした顔で立ち尽くしている。
レカンは魔獣の八本の足を斬り落とし始めた。
アリオスが手伝ってくれた。
ヘレスがぽつりとつぶやいた。
「光熱系攻撃魔法は効かない、と聞いていたのだが。いや、実際に通用しないのをこの目でみたのだが」
レカンはその言葉には答えず、黙々と作業を続けた。
斬り落とした足をさらに関節で切り分けてゆく。
「レカン殿の〈炎槍〉で試したわけではなかった。使い手がちがえば、魔法というのはこれほどちがうものなのか。なるほど。人の話はうのみにできない」
エダは作業用の手袋をはめ、毒袋を取りだして入れ物に収めた。
「〈移動〉」
レカンは魔石を取り出し、次の戦いに歩みを進めた。




