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二日目の夜は何の問題もなく明けた。
そして三日目である。
一度閉めた馬車のドアを、チェイニーはもう一度開けた。
「レカンさん。あなたのおかげで、無事にここまで来られました。どうしても明日中に帰り着かなければならなかったのですが、このぶんなら今日の夕刻には到着できるでしょう。あなたは恩人です。このことは決して忘れません」
「まだ着いていない」
「はい。最後までよろしくお願いします」
「わしからも、礼を言わせてくれ。あんたは、ほんとに大した冒険者じゃ」
なぜかエダが、レカンの後ろで得意げな顔をしていた。
馬車はしばらく山道を進んだ。
レカンが突然立ち止まった。
「レカンさん、何事ですか」
「八百歩前方に人間が四人いる。たぶん二人ずつ道の両側に隠れている」
「どうしてそんなことがわかると……いや、これは愚問でした。あなたがそうおっしゃるのなら、そうなのでしょう。で、どうしますか」
「このまま五百歩前進してほしい。そこで停止してくれ。オレが相手の出方を確かめる。オレの指示があるまで前進するな。危ないと判断したら後ろに逃げろ」
「わかりました。エイフンさん、そのようにしてください」
「……ほっほ。イェール。しかし、とんでもない索敵能力じゃの」
「盗賊かい? 今度こそ、あたいの出番だな」
「エダ。矢は三本しか残っていないぞ」
「うーっ。一人はあんたに譲るよ」
「魔法は使わないのか?」
「魔法だってえ。そんなもん、使えるわけないだろ! ばかにすんな!」
「ふむ? お前は馬車を守れ。後ろに気をつけろ」
「わ、わかった!」
五百歩進んだが、相手は動かない。
馬車を止めさせて、レカンは一人で前に出た。
〈立体知覚〉の探知範囲に入った。二人は弓を構えており、二人は抜き身の剣を持っている。四人とも木や草の陰にうまく隠れ、気配も見事に消している。待ち伏せ技術に等級があるなら、この四人は上級認定してもいいぐらいだ。
レカンは足を止めた。わずか数歩先に敵がいる。
待ち伏せしている者たちは、レカンを襲おうとしない。
つまり、通行人なら誰でも襲うというわけではないのだ。
かといって、チェイニーの馬車に気づいてから隠れたにしては早すぎる。
チェイニーの馬車が通ることをあらかじめ知っており、それを狙っていると考えるべきだろう。
そしてこの襲撃者たちは、盗賊などではない。少なくとも食い詰めた荒くれ者などではない。
経験からレカンにはわかる。この襲撃者たちはちゃんとした訓練を受けている。
兵士のような訓練を。
知りたいことは、すでに知った。もう倒していい。
抜剣しつつ右側の草むらに飛び込み、剣を構えた男の右腕を斬り落とした。
そのまま素早く五歩進んで跳び上がり、木の上で弓を構えている男の右足を斬り落とすと、着地して身をかがめ、低い姿勢のままで道の反対側の茂みに飛び込んだ。
もといた茂みに敵が悲鳴をあげながら墜落するのを背中に聞きながら木の枝を駆け上り、大きく跳躍して、弓を構えていた男の首を斬り落とした。
その勢いのまま、レカンは樹上を越えて空に躍った。
虚空から、最後の敵をみおろすと、何かを左手に持って、その先をレカンに向けている。
とっさに〈魔力感知〉を行った。反応がある。魔道具だ。
「〈風よ〉!」
突風を横から敵の左手にたたき付けた。
手に持った物の先から火の玉が飛び出して、レカンの左側を通り過ぎた。
そのままレカンは相手の真ん前に飛び降りて、首を刎ね、返り血を浴びないよう、後ろに飛びすさった。レカンは、後ろで大きな木が倒れるのを、振り向きもせず〈立体知覚〉でながめていた。
男に近寄って、火の玉を撃ち出した器具を取り上げた。
みたことのない奇妙な形をしている。その器具を〈収納〉に入れ、火の玉の飛んだ先を確かめた。
大木の太い幹が消し飛んでいる。
すさまじい威力だ。もとの世界の攻撃魔法でいえば、〈白火弾〉ぐらいの威力はありそうだ。貴王熊の外套なしにこれをくらったら、レカンでも死んでしまうかもしれない。
木の幹と葉が少し燃えているが、朝の露に湿っているため、今にも消えそうだ。火事になることはないだろう。
馬車が近づいてきた。近づいてよいとは言っていないのだが。
「れ、レカンさんっ。何が起こったんかのう。何やら火の玉のようなもんが飛ぶのがみえたが」
「敵に魔法使いがいたようだ。チェイニー」
「イェール?」
「敵四人のうち二人は怪我しているが生きている。証言させるために連れ帰るなら、縛り上げて血止めをするが」
「うーん、どうしましょうか」
「いや、チェイニーさんは急いどるんじゃろう。山賊のアジトを吐かせたいのはやまやまじゃが、あとで領主様の兵士にここまで来てもらえばええ。今は先へ行ってはどうかの」
「そうですね。そうしましょう」
「四人の男は全員冒険者章を首にかけていた。銅色だ」
「なんだって! それなら冒険者章を回収して、協会に届けないと。ちゃんとした冒険者がこんな悪事を働くなんて」
「あの、エダさん。たぶんそれは、死んだ冒険者の冒険者章か、そうでなければ盗んだものだと思いますよ」
「えっ?」
なるほど。冒険者章は本人のものとはかぎらない。だとすると、冒険者章に何の意味があるのだろう。
「もうええじゃろ。よし! 出発じゃ」
やがて道は平地へ降りた。
前方にかすかに町がみえる。
「あれがヴォーカの町です。やっとここまで帰ってきました。あれ? エイフンさん。道をはずれていますよ?」
「いやあ。町がみえたら、急に喉が渇いてのう。そこの河原で手足を洗って水を飲みたいんじゃ」
「ああ、なるほど。町に入る前に身を清めるんですね。それはいい」
レカンも馬車に合流した。
川のほとりでエイフンは馬車を止め、御者台から降りた。
「さあさあ、みんな」
「あたい、喉が渇いてたまらなかったんだ。うれしいなあ」
「ほっほっほっほっほっ。おや? チェイニーさん。降りないんですかの」
エイフンは、レカンとエダの背を押すようにして河原に誘導しながら、後ろを振り返った。
「うーん。やっぱりやめておきます。今は一瞬でもこの鞄を手から放したくないんです」
「ほっほ。それじゃ、しかたないのう。〈睡眠〉!」
たちまち、レカンとエダは崩れ落ちた。
「えっ? 今、何を?」
「眠ってもらったんじゃよ。冒険者さん二人にの」
「エイフンさん、魔法使いだったんですか」
「ほっほ。知らんかったじゃろう? 隠しておったからの」
エイフンは、懐から何かを出した。それは先ほど襲撃者が使っていた、火魔法を撃ち出す武器と同じものだった。
そしてそれがどんな威力を持つものであるのかをチェイニーは知っているようで、驚いた目でその武器をみつめ、青い顔をしている。
「そ、そんなものを、どこから」
「あるべきところからじゃよ」
「それにしても、どうして御者なんか。魔法使いなら、御者よりずっと稼げたでしょうに」
「稼いでおったよ」
「そのお金は誰が払ったんですか」
「ほっほ。ほんとの雇い主じゃな」
「ほんとの雇い主が、私を殺すよう命じたんですか?」
「殺せ、とは言われとらんな。その茶色い鞄の中身が町に届かないようにしろと言われただけじゃ」
「五年間も、私をだましていたんですか」
「ほっほ。そんなになるのかのう。わしはもともとコグルスの生まれでのう」
「コグルスですって? ボイド生まれではなかったんですか。コグルスといえば、ザイカーズ商店の本店がある場所ですが、まさか、エイフンさん」
「エイフンではなくて、マラーキスというのが本当の名前じゃ」
「れ、冷血マラーキス。処刑されたはず」
「ほっほっほっ。それにしても、わざわざ護衛に一服盛って、嬢ちゃんと狼男を護衛に仕立て上げたんじゃがのう。嬢ちゃんのほうは期待通りの役立たずじゃったが、狼男のほうは、とんだみかけ倒しじゃ。あれだけ凶悪な顔をしておって、なんであんなに気遣いができるんじゃ。雇い主の荷物を奪うこともせず、雇い主を無傷で守りきるとはのう。それどころか、念のため用意しておいた手練れ四人もあっさり始末してしもうた。おかげで自分の手をよごさねばならん。万一〈真実の鐘〉にかけられても大丈夫なように立ち回りたかったんじゃが、うまくいかんもんじゃの」
「あの四人は冒険者などではありませんでしたね。あなたの部下ですか?」
「部下というわけではないがの。今回はわしが指示を出す立場じゃった」
「以前、領主家の防壁の改修を私が請け負ったとき、仕様書と見積書が盗まれました。あれはあなたのしわざですね」
「ほっほっほっ。そんなこともやったのう。今となってはいい思い出じゃ。ではそろそろ死んでもらうかの」
「殺す前に教えてください。あなたの雇い主は、ザック・ザイカーズですか」
「そうじゃ」
「もういいですよ、レカンさん」
もういいですよ、という言葉と同時に、武器を構えたマラーキスの右腕をレカンの剣が斬り落とした。
マラーキスは左手で切断部分を押さえながら振り返り、信じられないものをみる目でレカンをみあげた。
「ど、どうしてじゃ。どうして〈睡眠〉の魔法が」
〈睡眠〉の魔法の効果は一瞬で解除されたのだが、その秘密を教える気は、レカンにはなかった。
自慢げに種明かしをすることは、ぶざまであるばかりか、危険だ。その実例を今みたばかりである。
教えるわけがなかった。
レカンは黙ったまま、剣の柄をマラーキスの首もとに打ち込んだ。




