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狼は眠らない  作者: 支援BIS
第16話 ニーナエ迷宮上層
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1


「これは何だ?」

「迷宮宿だ」

 やっと迷宮がよみがえった。

 いざ迷宮に入ろうとして、入り口の周囲に立ち並ぶ建物群に驚いた。

 その建物群のあいだを縫うように、食べ物の屋台が立ち並んでいる。

「迷宮宿とは何だ」

「迷宮を探索する冒険者は、二、三日に一度か、場合によっては毎日、地上に上がって迷宮宿に泊まる。そして屋台の食事で腹を満たし、多少の携帯食を買い込んで、再び迷宮に降りるのだ」

 この世界の迷宮には、階層転移の魔法が存在していて、魔力がある者でもない者でも、誰でも〈印〉のある階層と地上階層を一瞬で行き来できる。

 そういえば、ゴルブルの迷宮でも、地上階層で寝ている冒険者がいて奇異に思ったものだ。それに、迷宮を探索している人数に対して、迷宮で野営をしている人数が少ないので、少し不思議に思った。あれは地上に戻る頻度が高いからなのだろう。

 しかし、毎日地上に戻るとは。

 そんなことで本当にまともに迷宮探索ができるのだろうか。

 レカンはそう思いながら、女騎士ヘレスに訊いた。

「深層に潜る冒険者たちも、あまり野営はしないのか?」

「それはパーティーによるようだ。〈ジャイラ〉や〈アズカリス〉は、よく地上に戻るし、〈ベガー〉は、専属の運び屋も連れていて、比較的よく迷宮内で泊まるようだ」

「うむ。いちいち地上に出たのでは時間が無駄になるしな。迷宮のなかでたき火を囲んで食べる食事はうまいものだ」

「レカン殿」

「うん?」

「この迷宮には、薪になるような木はない」

「なに?」

「だから迷宮で寝泊まりする者も、たき火はたかない」

「なんてつまらん迷宮だ」

「そう言われても」

「まあ、とにかく一度入ってみよう。第一階層の魔獣は斑蜘蛛(ハドリン)だな。第一階梯とか第二階梯とかいうのは何だ?」

「同じ迷宮のなかで、種類は同じ魔獣だが階層ごとに強くなったり大きくなったりする場合、そういう言い方で区別する。ここの迷宮の斑蜘蛛第一階梯と、よその迷宮の斑蜘蛛第一階梯は、同じ強さではないわけだ」

「了解した。〈弱毒〉と説明書にあるが、毒はどこにある?」

「斑蜘蛛の毒は牙にある。かまれたら毒に侵されると思っていい。弱毒だが、手当をせずにいると、熱が出てきて意識がもうろうとし、それでもほっておけば死に至る」

「わかった。エダ」

「はい」

「お前は肌の露出が大きいし、服は薄い。じゅうぶんに注意して魔獣の攻撃をかわせ」

「うん」

「そして、オレが指示するまで、魔法は使うな」

「えっ。は、はい」

「蜘蛛にかまれても、薬を使え」

 この迷宮の第一階層から第十階層までは、斑蜘蛛しか出ない。そしてその下の階層は、八目大蜘蛛が続く。というより、第四十四階層まで出る魔獣のすべてが、斑蜘蛛か八目大蜘蛛のさまざまな変異種なのだ。

 ヘレスの助言のもと、この二種類の蜘蛛の毒に対する解毒剤を買ってある。ただし、深い階層の魔獣の毒は強烈なうえに即効性が高い。つまり、ある階層からは毒を無効にするか抵抗できる装備がないと進むのがむずかしい。

 エダがこんなに薄着なのは、アリオスの指示によるものだ。

 アリオスによれば、気配を隠すような動きをするためには、気配を敏感に察知する訓練から入るほかない。そのため、薄着にして肌の露出も大きな服装にしているのだ。急所は革の装備で守ってはいるが、レカンからみると、ひどくあぶなげだ。だがアリオスによれば、このほうが回避能力が上がるのだという。

 腰に差しているショートソードは、レカンが貸したものだ。左手には〈イシアの弓〉を持っている。

 両手の前腕には、革の防具を巻いている。もともとはアリオス手作りのものを巻いていたのだが、昨日アリオスがみつけて推薦した腕巻を今は巻いている。八目大蜘蛛の外皮を八目大蜘蛛の糸で網目状に補強した造りになっており、ほかの町で買えば五倍から十倍の値段がするものだという。

 小銭入れなどのよぶんなものは、すべてシーラからもらった〈箱〉に入れ、背に負っている。

「よし。迷宮に入る」

 アリオスは〈箱〉を二つ、へレスは三つ、背中に負っている。

 レカンは外套をまとっただけの気楽な格好だ。先ほどはへレスから、本当にその格好で迷宮に潜るのかと訊かれた。へレスからすると、この外套にまともな防御力があるなどとは考えられないのだろう。


2


「エダ。ここが迷宮の地上階層だ」

「うん」

「ここに一歩踏み込むと、外の声は聞こえないし、外の景色はみることができない」

「あっ、ほんとだ」

「ここは外の地上とはちがう別世界なんだ」

「うん」

「外のルールとここのルールはちがう。何がちがうか、その目で確かめろ」

「うん」

「へレス」

「うむ」

「なんでこんなに迷宮内に寝転がっているやつが多いんだ」

「よその迷宮はちがうのかな? ここで寝ているのは、迷宮宿で寝るほど金がない者だ。つまり上層の冒険者だ」

 やせこけた者が多い。まともに食っていないのだろう。


3


「これが、これが迷宮」

 エダが、第一階層の光景に感動している。

 一方、アリオスも迷宮ははじめてだということだったが、特に感銘を受けたようすはない。

 実はレカンもびっくりしている。

 こんな迷宮があろうとは想像もしていなかった。

 真っ平らなまま、どこまでも続く大地があったとしよう。

 その大地の至るところに、すり鉢状の穴を掘る。小さな穴もあれば、大きな穴もある。

 掘り残された大地が網目状につながっていて、そこが通路だ。

 すり鉢の底には、一匹か二匹の小さな斑蜘蛛がいる。

 降りてきた場所と反対側に歩いてゆけば、そこに下への階段がある。

 それがこの迷宮なのである。

 つまりこの迷宮では、降り場所も登り場所も一目瞭然であり、そのうえ、まったく戦闘をしなくても通り過ぎることができる。

 編み目状の通り道がつながっているので、他の冒険者をかわしながら進むことも容易だ。

 もっとも、この第一階層には、ほとんど冒険者がいない。あまり稼げる場所ではないのだろう。

「ふむ。へレス」

「うむ」

「この階層の魔獣のうち、素材として売れるのはどこだ」

「糸が一番高い値がつく。胴体の外皮も売れなくはないが、はぎ取りと持ち運びの手間を考えると、採取しないほうがいい」

「糸はどうやって採取する」

「怒らせてしばらくたつと糸をはく。その糸には粘りがあって、体に絡みつくとやっかいだ。蜘蛛を殺すと、糸の粘りが消える。だから、たくさん糸をはかせてから殺し、粘りが消えるのを待って採取する」

「わかった。エダ」

「う、うん!」

「力むな」

「へへ」

「まず、〈イシアの弓〉で、そこの蜘蛛を殺してみろ」

「わかった」

 エダが弓を構える。もう慣れたもので、すぐに魔力が送られて矢が生成され、ひゅんと放たれて、下方の魔獣に命中する。

「おっ。魔弓か。いい腕だ」

「いいものですね、それ」

「エダ」

「はい」

「魔石を取ってこい」

「はい!」

 見事な速度であっというまに下に降り、〈箱〉からナイフを出してさっと蜘蛛の腹を裂き、魔石を取り出すと、また、あっというまに坂を駆け上ってきた。

「取ってきたよ」

「よくやった。それは預かっておく」

 レカンは魔石を無造作に〈収納〉に放り込んだ。

 いつのまにかエダは、魔獣を殺して魔石を取る作業には習熟していたようだ。

「次は弓を使わず、ショートソードで蜘蛛を殺してみろ。そこの二匹いるところがいい」

「わかった」

 エダは背中の〈箱〉に弓をしまうと、たたたっと坂を駆け下ってゆき、苦もなく二匹の蜘蛛を殺し、素早く魔石を取り出して上がってきた。遠目には小さくみえる蜘蛛だが、足の部分を含めると、エダの頭より大きい。

 もっとも、レカンがゴルブル迷宮でみた斑蜘蛛と比べると、十分の一ぐらいの大きさしかない。

「よし。見事だ」

「えへへ」

「では次に、糸を採取してみろ」

「あ、レカン殿」

「なんだ」

「この階層の蜘蛛は、糸をはかせるのに、かなり待たなくてはならない」

「多くの量を採る必要はない。少しでいい」

「そうか。一応、この〈箱〉を素材採取用に用意してある」

「それは助かる。エダ。行ってこい」

「うん!」

 エダは下に降りて蜘蛛を刺激し、蜘蛛の攻撃をかわし続けた。

 やがて蜘蛛は立ち止まって、くるりと向き直り、エダに尻を向けてぷるぷる震え始めた。

 そしてずいぶん時間がたってから、ぴゅいっとわずかばかりの糸をはきだした。

 エダは蜘蛛を殺し、すぐさま糸を持って坂を駆け上った。

 糸を手に巻き付けたまま、しばらく待つと、粘りが消えた。

 エダは糸をヘレスが用意していた採取用の〈箱〉に入れた。

 第一階層の出口まで来たとき、レカンは振り返って目を閉じ、かすかにこうべを垂れた。

「ねえ、レカン。それ、前にもやってたよね」

「うん?」

「その、目を閉じて少し頭を下げるやつ。それ、チェイニーさんの護衛をしてたときも、バンタロイへの護衛をしてたときも、やってた。戦いのあとは、いつもやってたよね。それ、なに?」

 そう訊かれてみて、レカンは、自分のこの奇妙な習慣の意味は何かと考えた。

「礼、かな」

「礼?」

「戦いと命への」

「それ、迷宮ではみんなやるの?」

「いや。オレ以外がやるのをみたことはないな」

「そうなんだ」

 エダは、レカンと同じように、目を閉じ、今まで戦ってきた第一階層に向かって、わずかに頭を下げた。

 アリオスは黙って二人の会話を聞いていたが、同じように目を閉じ、剣の柄に左手を添えて、かすかに一礼した。

 ヘレスは、頭は下げず、右の拳を左胸にあてて、目を閉じた。

 かくして、踏破した階層へのこの奇妙な礼容は、このパーティーの習慣となったのである。


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― 新着の感想 ―
階層転移があるのでこっちの世界の迷宮では場所にもよりますが泊まり込みが普通じゃないというのもまた世界が違うというのを実感しますね とはいえベガーは泊まり込みをよくやるっぽいので迷宮内で泊まり込んで緊張…
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