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狼は眠らない  作者: 支援BIS
第13話 誘拐
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「ゼプス……」

 当主であるプラド・ゴンクールの声は苦汁に満ちていた。

 レカンは剣を鋭く振って血を払い、鞘に収めて、プラドのほうを向いた。

 執事のカンネルが、厳しい気配を放ち、レカンの挙動をみまもっている。

(オレが当主を殺そうとしたら)

(かなわぬまでも一矢むくい)

(少しでも当主の命を永らえようと考えているな)

(こういうやつは)

(思わぬ出来事を引き起こすことがある)

 レカンは一歩当主のほうに進んだ。

 カンネルが殺気を放つ。

(いい殺気だ)

 カンネルの身のこなしは暗殺者というのとはちがう。

 むしろ剣士だ。

 そして、剣は持っていないが、短剣を隠し持っている。

 レカンは、その短剣の位置と形状を、〈立体知覚〉で確実に把握している。

「〈鑑定〉」

 カンネルが、はっとした。

 レカンはカンネルが隠し持っているナイフが〈鑑定〉できないかと思ったのだが、できた。

「呪いも毒もついていないようだな」

 呪いや毒がついていても、〈ザナの守護石〉と〈ハルトの短剣〉と銀の指輪を装備しているレカンには、まず効かない。

 カンネルの顔を、レカンはもう一度、じろりとみた。

 この男が誘拐のことをまったく気づいていなかったというようなことは、信じられない。

 ゼプスが部下と馬車を差し向けたことを知らなかったとは思えない。

 この男は、レカンが迷宮踏破者だと気づいたときには、もう部下と馬車は出たあとだったと言った。

 あれは、もしもあらかじめレカンが迷宮踏破者だと知っていたら、部下も馬車も出させなかったと言っているにひとしい。

 つまり、レカンが手ごわい相手でなかったら、エダをどうしてもかまわないと思っていたのだ。

 また、運ばれてきたエダに意識がないことも、当然この男は知っていたはずであり、本人の意志に反して連れてきたことは理解したはずだ。

 そのあたりを、この男は認めようとしていない。たぶん主人を守るために。

 だが、逆にいえば、レカンが何者であるかを知った今は、敵対する気がないと考えられる。

「プラド」

 レカンの呼びかけに、当主は孫の遺体から目を離し、レカンをみた。

「ノーマにはりつけてある監視を解け」

 プラドは執事のほうをみた。

「レカン様。その件については承知いたしました。ただし、誰が監視役だったのかは調べてみなければわかりません」

 カンネルは、天井の穴に目をやった。

 あそこに忍んでいた暗殺者が監視役だったと、カンネルは考えているようだ。

「今度ノーマを誰かが監視しているのをみたら、プラドとお前を殺す」

 ということは、今は殺さない、ということだ。

 カンネルにはそれが通じたようで、目をみひらいてから、胸に手をあてて深く頭をさげた。

「ありがとうございます」

「プラド。二度とエダに手出しはしないと、お前の信ずる神に誓え」

 プラドは少し考えてから、深く息を吸い、右手を肩の高さに上げて、五本の指をきれいにそろえて、手のひらを前に向けた。左手は心臓に当てられている。

「公正にして厳格なるみ父、天のいと高きところよりなべての人のわざをみそなわす裁きの神エレクスよ。われプラド・ゴンクールは汝神の前に誓う。われ及びわが家は、今後何があろうと冒険者エダの自由を奪い、その意志に反して何事かをさせることはない。もしもこの誓いを破りたるときは、わが魂を十三に引きちぎりて地獄の業火に投げ入れ、わが家を断絶させたまえ。イェール」

 〈イェール〉という言葉には、〈はい〉とか〈わかった〉とかいう意味もあるが、〈自分が確かにその言葉を述べたことを確認しそのことを宣言する〉という意味もある。レカンははじめてみたし、ここには神官もいないが、これがこの世界での誓いのやり方なのだろう。

 これで用はすんだ、と思ったとき、あることを思い出した。

「エダを気絶させた道具をみてみたい」

「は? はい。少々お待ちください」

 カンネルは部下に指示を出し、部下は急ぎ足で立ち去った。

 部屋のなかには、ゼプスの血の匂いが立ち込めている。

「レカン。あの人に〈回復〉をかけてみてもいいかな?」

 エダが言う〈あの人〉とはアリオスのことだ。

「むだだ。もう死んでいる」

「うん。そうだと思う。でも、やってみてもいいかな?」

 レカンは感動した。

 あのエダが、思いつきを実行に移す前に、やってみてもいいかな、とレカンに訊いたのである。あのエダが。

「やってみろ」

 精いっぱいやさしい調子で言ったのだが、実際に出た声は、ぶっきらぼうそのものだった。

 部屋の外に出ると、燃えていた床も壁も消火されていた。

 さすがにカンネルのような男に率いられているだけあって、この家の使用人たちは優秀だ。

 エダは、血でよごれていないほうから回り込んで、仰向けに倒れたアリオスのそばにひざまずいた。

 レカンは、〈生命感知〉に映るアリオスの赤点が消えていないことに気づいた。

(かろうじて生きているのか?)

(命冥加なやつだ)

(だがあの傷で助かるわけがない)

(それは確かだ)

 瀕死の人間でも〈神薬〉なら救えるかもしれない。そして最上級の〈浄化〉は、〈神薬〉に匹敵する効果だという。しかし、まだ正式には〈浄化〉を発動させたことさえないエダに、消えかかったアリオスの命の火を再びともせるわけはない。

「〈回復〉」

(エダの声はこんなに透き通った声だったかな?)

 レカンは、何げなく〈魔力感知〉を発動させた。エダの魔法がどう働いているか詳しくみるために。

(なにっ?)

(いったい何だ、これは?)

 エダは細くて白っぽい杖を掲げて魔法を行使している。

 その杖からは、エダの魔力が奔流のようにアリオスに流れ込んでいる。

 だが、それだけではないのだ。

 エダの全身から細い細い魔力の糸が伸びて、アリオスの体の至る所につながっている。その無数の糸から流れ込む魔力がアリオスの体をひたしている。

 降り続く雨が庭の草木をうるおし、よごれをすべて洗い流し、新たな生命の輝きを与えるように、たえまない魔力の雨が、アリオスに降りそそいでいる。

 こんな魔力の使い方は、レカンにはできない。どうやればできるのか見当もつかない。

 エダの〈回復〉は自分のそれとはまったく別物なのだと、レカンは思い知った。

(うん?)

 不自然なことがある。

 ぐるぐるとアリオスの体内をめぐる魔力が、胸のあたりに収束して、勢いを増して体中をかけめぐっているのだ。

 〈立体知覚〉で精密にみてみると、そこに小さな宝玉のような物が埋まっているのがわかった。

 レカンはその何かを鑑定してみることにした。

「〈鑑定〉」


〈名前:命根(めいこん)のしずく〉

〈品名:宝玉〉

〈恩寵:生命力維持、回復作用増幅〉

 ※胸に当てて魔力を通すと体内に取り込まれる

 ※致命的なダメージを受けたとき最低限の生命力を残す

 ※生命力が低下しているとき回復作用を増幅する


(何だこれは?)

(〈命根のしずく〉だと?)

(この世界の迷宮からはこんな物も出てくるのか!)

「う、う」

 アリオスがうめき声を上げた。

 蘇生したのだ。

 それからしばらくエダは〈回復〉をかけ続けた。

 レカンは青の中ポーションを出してエダの口に押し付けた。

 エダはそれをごくりと飲み干し、なおも〈回復〉をかけた。

 やがてアリオスの傷はふさがり、顔色も生気を取り戻し、呼吸も正常になった。

 レカンは、〈収納〉からアリオスの剣を取りだし、血にぬれない場所に置いた。

 アリオスが死んだのなら、アリオスの剣はレカンの戦利品としてよい。

 だが生き延びたのなら、この剣はアリオスに返さなければならない。

 レカンは、そう考えたのだ。

「……魔王と聖女」

 誰かがぽつりとささやいた。

 レカンは、声のしたほうをみた。

「ひいいいいいっ」

 使用人の男が真っ青になって悲鳴を上げた。

「レカン様。これを」

 執事のカンネルが、銀色の短い筒を差し出した。

 一瞬、何だろうと考え、エダの意識を奪った道具をみたいと言ったことを思い出した。

「〈鑑定〉」


〈名前:ヤックルベンドの気絶棒〉

〈品名:魔道具〉

〈効果:気絶〉

〈魔石残量:小〉

〈耐久度:良好〉


「ヤックルベンドの気絶棒?」

 レカンは、ヤックルベンドという名をどこかで聞いた記憶があったが、どこで聞いたのかこのときは思い出さなかった。

「魔石を入れて、この突起を押し込み、細い先端を相手の体に近づけると、相手が気絶します」

「ほう」

「大きな魔石を入れれば何度も使えます」

「ろくでもない魔道具だな」

 レカンは気絶棒を、カンネルに返した。

 カンネルは、少しとまどったように受け取った。レカンが魔道具を返してくるとは思っていなかったのだろう。

 だがレカンは、この魔道具が欲しかったわけではない。この世界にどういう魔道具や恩寵品があるのか、その情報を得たいだけなのだ。

 このろくでもない魔道具を作った人物とレカンとの邂逅の時が訪れるのは、ずっとのちのことである。

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― 新着の感想 ―
>あのエダが、思いつきを実行に移す前に、やってみてもいいかな、とレカンに訊いたのである。あのエダが。 ちょっとレカンさん、「あのエダ」繰り返しスギw どんだけ思いついたら直ぐ行動する子だと思ってんの…
この魔道具、今回は悪用されちゃったけど本来は安全な暴徒の鎮圧にこそ用いられんとされたモノなのでは?って思ったな。 人の多い都市部で治安を維持する為の。或いは格式高くその場にいる者に非武装を求める場面で…
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