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相談をしているうちに、遅い時間になった。
ノーマは、しきりと夕食を食べていくよう勧めたが、レカンは考え事があるからと断って、エダを連れて施療所を出た。
家に帰る途中、食堂に寄った。
レカンの食べる量は、エダの食べる量の何倍もある。レカンがいくつもの料理を注文して、ワインをがぶ飲みしているかたわらで、エダはレカンの皿から少しずつ料理を取り分けては、幸せそうな顔で口に運ぶ。
「うーん。このお野菜の煮付け、すごく味がしみておいしいね。どういう手順でお料理するんだろう」
そう訊かれても、レカンに料理のことなどわかりはしない。レカンは、いいかげんな相づちを打ちながら、今日ノーマから教わった知識を頭のなかで反芻した。
今後レカンが迷宮に潜るについて、〈回復〉と赤ポーションについての情報は、きわめて重要である。今日の一日だけでも、今まで不明確であった点や、勘違いしていた点が、いくつも明らかになった。それだけに、もう少しノーマのもとで教えを受けたいという気持ちも強い。
考えてみれば、自分にかける〈回復〉と、人からかけてもらう〈回復〉に、何か差はあるのだろうか。これもぜひ訊いてみなければならない。考え始めると、あとからあとから訊きたいことは湧いてきた。
「だからやっぱり、少し深いお鍋も買わなくちゃいけないね、レカン」
「ああ、そうだな」
「レカン」
「うん?」
「今、あたいが、何を買うって言ったか、聞いてた?」
「……何だったかな?」
「もう! 人の話はちゃんと聞かなきゃだめだよ」
「お前に言われるとは思わなかった」
そう口にしながら振り返ってみると、ここ数日、エダとのあいだで、ちゃんと会話が成立していたのに気づいた。
以前は、こちらが言うことを聞こうともせず、自分の言いたいことをまくしたてた。そのくせ、自分が望んでいることや喜ぶことについては、妙に聞きつけ、そして覚えていた。
今はそうではない。こちらの言うことをちゃんと聞いて、考え、返事をしている。
口調も以前とはずいぶんちがう。
「お前」
「え?」
「お前、ほんとにエダか?」
「それはどういう意味なの?」
「その、なの、という語尾があやしい」
「あたいは、もともとこういう口調だよ?」
「オレの知ってるエダは、そうじゃない」
「それは、冒険者になろうとして無理してたんだってば」
「どうして冒険者になるのに、口調を変える必要がある」
「自分を変えたかったんだよ」
それは前にも聞かされた。強く生きられるようになりたいと言っていた。
「だから背伸びしていたんだ」
背伸びしたからといって、どうしてああいう口調や態度になるのだろうか。
「でも、まだ今は無理しなくっていい、って言ってくれたから」
あの乱暴な口調や、飛び跳ねるような話題の転換が、妙になつかしく思えている自分に気づいて、レカンは当惑した。
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「なんだって? 往診に行って〈浄化〉を発動しただって?」
「ああ。昨日のことだ。ゴンクール家という家の当主で、プラドとかいう老人にエダは〈回復〉をかけたんだが、青く澄んだ色に発光した。ノーマはそれをみて、〈浄化〉そのものだと言っていた」
「なんてこったい。こりゃ、エダちゃんの才能は本物だよ」
「えへへへへ」
「そこで笑えるところがまたすごいね」
「えへへへへ」
「ノーマは、オレとエダがしばらくこの町を離れるのがいいと言った。プラドの病状がどうなるか、十日か二十日ほどは推移をみて、対応を考えたいということだ。迷宮に行く話があるというと、ぜひ行ってこいと言った」
「なるほどねえ。エダちゃんが〈回復〉の呪文を唱えたのを、患者は知っている。だけど何日かあとには、今までの〈回復〉とちがうことに気づくと。それを上級の〈回復〉だと言い含めるわけか」
「研究の成果を総動員して、あり得べき可能性を示す、と言っていた」
「ノーマが言うんでなけりゃ、そんなことできるのかと言いたくなるところだけどね。そういうことなら、いいんじゃないかい、迷宮」
「行ってもいいか?」
「行っといで。予定より遅くなると、次の薬草採取に差し支えるけど、早くなるぶんにゃ問題はない。ニーナエへの道はわかるのかい?」
「地図は買ったが、道は描いていなかった。訊きながらいけばいいだろう」
「冒険者協会には、道を描いた地図を売ってるよ。近場の地図だけどね」
「なに?」
「道を描いた地図や、町のなかのおもだった建物がわかるような地図を売ることは、領主が禁じてる。これは、この国ができる前からのならわしでね。だけど冒険者協会じゃ、目的地にたどり着かないといけない依頼も多いだろ? だから特別に地図の販売を許されてるのさ」
「なるほど。知らなかった」
「あんた、興味のないことは、とことん気にしない人だものね」
「うむ」
「そこは威張るところじゃないよ。道を描いてない地図は、今持ってるかい?」
「これだ」
「ちょっとお貸し」
シーラはペンを取り出して、ちょこちょこと道を描き込んでくれた。そして、途中で寄れそうな村や、目印になりそうな山などを、口頭で教えてくれた。
「あの。レカン」
「どうした、エダ」
「ニケさんに連絡とれないかな」
「何か用事か?」
「何か用事かじゃないよ。あたいたち、パーティーを結成したんだよ。それなのに、ニケさんが帰ってきたら、あたいたちはいないわけでしょ? しかも一か月も。ひと言断っていくべきじゃないかな。それと、もしニケさんの予定が合うなら、迷宮探索に合流してもらってもいいし」
レカンは、残された右目を大きくみひらいて、まじまじとエダをみつめた。
シーラも、目をぱちぱちとしばたたかせながら、エダをみている。
「エダ、お前……」
「え?」
「気配りを習得したんだな」
「レカン。何かのスキルを身につけたみたいな言い方はおやめ」
「いや、そういうシーラも、かなり驚いた目でエダをみていたぞ」
「シーラさん。ニケさんは、いつごろ帰ってくるんですか?」
「エダちゃん。ニケのことを気にしてくれてありがとうよ。ニケがいつごろ帰ってくるかは、あたしにもわからないさ。でもね、ニケは迷宮には行かない」
「え?」
「ちょっと事情があってね。あたしもニケも、迷宮はきらいなのさ」
「そうなんですか。もちろん、シーラさんのようなおばあちゃんを迷宮で働かせたりしないですけど」
「おやおや。エダちゃんは、やさしいねえ。ありがとうよ」
しおらしく老人のふりをしているシーラだが、戦いになればレカンも勝てないだろう。そしてシーラの肉体年齢は若い。しかしもちろん、エダはそのことは知らない。
それにしても、迷宮は嫌いだというのははじめて知った。
シーラほどの魔法使いに、迷宮を恐れる理由があるとは思えない。凄腕の剣士でもあるのだから、なおさらだ。
いったいどんな理由で、シーラは迷宮に行かないようになったのだろう。
興味はあるが、訊こうとは思わない。いずれ知るべきときがくれば、おのずとわかるだろう。
「そうだ。シーラ」
「何だい?」
「知覚系魔法に〈図化〉というのがあっただろう。あれはどういう魔法なんだ?」
「あれは妙ちきりんな魔法でね。建物なら建物の間取りが、簡略化された図面になって頭に浮かぶのさ」
「うん?」
「建物なら、一つの建物の一つの階しか図化されない。町全体を図化することもできるけど、その場合は建物の内部は図化されない」
「ふむ。微妙な調整ができないということか?」
「まあ、そうだね。あれは迷宮で使うために存在する能力なんじゃないかと思うよ」
「ほう」
「迷宮で使うと、その階層が図化される。つまり、どこをどう通ればいいかがわかる。表示できるのは、自分がいる階層だけだ」
「あとで思い出すことはできないのだな?」
「その場所を離れたら、その場所の図をみることはできない」
「そうか。いや、実は神殿に行ったとき思ったのだ。どこを通ればいいかがわかるような能力があればなと」
「え? あんた、かなり精度の高い空間探査能力を持ってるだろ?」
「どこに壁や通路があるか程度はわかる。だが、鍵がかかっていれば通れない」
「鍵? あんたがどうして鍵なんか気にする必要があるのさ」
「どういう意味だ?」
「あんた、〈移動〉を使えるだろ? それで、高精度の探査能力もある。たいていの鍵は開けられるんじゃないかい?」
「あ」
言われてみればその通りだ。
「あの、レカン?」
「どうした?」
「あたい、先に帰るよ。お鍋も買いたいし、おうちの片付けもしたいから」
「そうか。ならば、そうするといい」
「明日から迷宮に行くんだよね?」
「うむ」
「食料とか、どのくらい買ったらいいかな」
「それはオレが買っておく」
「じゃあ、お願い。シーラさん、帰ります」
「そうかい。またおいで」
「はい。じゃあ。ジェリコ、ちょっとお別れね。元気でね」
「ほっほ」
「帰るなら、これを返しておこう」
レカンは〈収納〉から〈イシアの弓〉やエダの貴重品を取り出した。
「ありがと。あ、そうだ、レカン。一か月も留守にするんだから、しばらく行けないって、孤児院にも断っておいたほうがいいよ。じゃ」
二人と一匹は、エダが去ったドアをみつめた。
「帰ったねえ」
「うむ。新しい魔法の話なんかしたら、自分にも教えろと駄々をこねるかと思ったが」
「うほほ」
「がつがつしなくなったというか、憑き物が落ちたみたいに、おとなしくなったねえ」
「正直、少しとまどいがある」
「今まで気を張って無理をしてた、その反動だろうさ」
「はんどう?」
「木にぶら下がって前に体を振ったら、そのあとは自然に後ろに振れるだろ? そんなもんさ。そのうちまんなかへんで落ち着くから、心配はないよ」
「べつに心配はしていない」
「そうかい」
「ほっほっほっほっほっ」




