(勘違い+変貌)÷2=入口
斜陽に見守られる二人は校門を隔てて向かい合っている。
お互いに顔が赤くなっているのは夕陽だけのせいではないだろう。
「――……っ!」
予想していたこととは言え、一馬は思わずうろたえてしまう。
朔美は言った。一馬自身の『時間をください』と。
その言葉がこの状況の男女間で使われることにどのような意味を持つかをわからないほど、一馬は鈍感でも無神経でもない。ただでさえ色恋沙汰とは無縁の人生だったのだ。思わず朔美の眼を直視できなくなってしまった一馬を誰が責められよう。
ただ、今の一馬には朔美を恋愛対象として見ることはどうしてもできなかった。一人の時間を失うのが惜しいとか、友達付き合いも億劫なのに恋人付き合いなんてなどと懸念しているわけではない。いや、それも理由の一つではあるが、単純に言えば理解できないのだ。朔美が自分に好意を抱いているということに。
ここのところは一日で一番長く話す相手として定着しつつあるが、そもそも会話をするようになったのだってつい二三日前だ。
もちろん一馬もれっきとした男だ。異性からの告白が嬉しくないわけがない。今日を初告白された記念日として毎年お祝いしたいくらいだ。しかしそうした背景があるから、一馬はおいそれと返事をすることができなかった。
だが、一馬のそうした予想は良い意味でも悪い意味でも裏切られることとなる。
少し考えさせてくれ。そんな女々しい返事を口にしようしたその前に、朔美がもう一言加えた。
「夏休みの」
「……………………へ?」
緊張と羞恥で火照りきった身体に優しい風が一つ吹き抜けた。その風は夏の暖気を孕んでいるはずなのに、まるでブリザードのように感じられた。体中の熱が一気に冷め切っていくのがわかる。
「だから夏休みの栗原の時間、ちょうだいってば」
今度は不遜な物言いで、何故だか両頬に手を当て「きゃ、言っちゃったっ」と乙女のように恥じらう姿を見せる朔美。
そんな限定的な言葉に一馬は安心したと同時に、いかに自分が自意識過剰で自己陶酔に陥っていたかを痛感してしまって、思わず頭を抱えてしまった。
家に帰ったら枕に顔を埋めながら言葉にならない叫びを発するのは請け負いだ。穴があったら入りたい。ふと自分の足元にあるマンホールを開けてしまおうかと本気で考えてしまうほどだ。
「栗原?」
様子のおかしい一馬に、朔美が近づいてきて下から覗き込んでくる。
「や、すまん気にしないでくれ」
「? 変なの」
顔が真っ赤になっているのを悟られたくなくて、慌てて顔を逸らす一馬。
一つ大きく深呼吸をして、気を取り直して顔をあげる。
「そ、それで夏休みの時間って何の話だ?」
「うん、栗原夏休みさ、わたしんちでバイトするでしょ?」
「なんでもう半分決まってるみたいな聞き方なんだよ」
「どうせ暇でしょ?」
「心外だな。こんな俺にもやることくらいあるんだぞ」
「じゃあ決定ね」
「今の会話のどこに決定要素があった」
一馬はつっこみながら苦笑した。恐らくは朔美の家のそば屋のお手伝いだろうと想像がつく。しかし朔美いわく昼時の二時間しか営業しないという話なので、そんなに時間を取られることもあるまいと一馬は思った。
「まぁ別に良いけどよ」
「ホント? やった」
胸の前で小さくガッツポーズを作って、にひひと八重歯を見せる朔美に思わずドキリとさせられる。たかだかバイトの誘いを承諾したくらいでそこまで喜ばれてしまうと、どうにも調子が狂ってしまう。
立ち話もなんだと思い止まっていた足を再び動かし始めると、朔美も自転車を押しながら一馬の隣に並んだ。
「んでもね、バイトはただのきっかけ作りなんだ」
「きっかけ?」
「夏休みもさ、面白いこといっぱいしたいもん」
「それとバイトになんの関係があんの?」
朔美の言っていることがよくわからず、一馬は何の気なしに聞き返す。
すると朔美は少し恥ずかしそうに口を尖らせ、
「もお、言わせないでよ。夏休みも、あんたと一緒ならまた面白いことできるかなーって思ったってこと!」
と言って、肘で一馬の腕を小突いてきた。
朔美のその言葉は一馬に大きな衝撃を与えた。それは朔美が一馬を放課後に誘ってきたことの比にもならないくらいだ。
正直、一人の時間を堪能できる夏休みにわざわざ人に会い行くなんて面倒だと感じている部分もある。それは朔美だって同じだと思っていた。しかしそんな朔美が夏休みの大半を一馬との時間に割り当てようとしているのだ。
だから一馬は思う。
「なんだよ、なんか計画あんのか?」
「あるある、おおありだよ!」
決して朔美の想念にほだされたわけではない。
「例えばなにすんだよ?」
「んとねー、自転車でひたすら右に曲がっていくとどこに着くか! とか?」
こんな時でも一人になりたがっている自分がいるのも確かだ。
「真夏にそれは罰ゲームだろ」
「えー面白そうじゃん」
それでも最近思うことがある。
「全然面白くねえよ」
こういうのも少しは面白いのかもな、と悪戯に笑って声に出した言葉とは裏腹に一馬はそう心の中で呟いた。
二人は夏休みの計画に花を咲かせながら、夕焼けに染まる町並みのなかを自転車を押しながらゆっくりと歩いていく。
すぐそこに迫っている面倒な期末テストが終わる頃に、二人にとって色んな意味で初めてとなる夏が、もうすぐそこまで迫っていた。




