142
冊子はまだ続いていたけど、結花奈はそこで読み上げるのをやめて、顔を上げた。
「……」
「……優姉、黙ってないで、試してみなよ」
「え、な、なにを、試せって?」
結花奈の真剣な声音に、私は馬鹿みたいに聞き返す。
「そうだね、例えばこの机。魔法陣を使わずに、バラバラにしてみてよ」
わかってる。わかってるんだ。今の文章の意味がわからないほど、馬鹿ではない。
一番重要なのは、異世界からの召喚は奇跡で、帰るには奇跡を起こすしかない。召喚魔法陣から現れたら、奇跡は起こせなくなる。
つまり結花奈には奇跡は使えない。そして、私には使えるかもしれないということだ。だって私は、魔法陣をくぐらなかった。
理屈で言えばだけど。そもそも本当に異世界人であるというだけで、奇跡を起こせるのかわからない。
だから魔法ではなく、望むだけで叶うという奇跡を起こせるか、私は確認しなければならない。
「……わかったわ」
私は机に手を当てる。
「…バラバラになれ。…………何も、起きないわね」
ほら、無理だった。だってそもそも、望めばなんでも叶うなら、私が今まで帰還魔法陣がつくれなかった理由がわからない。
「奇跡なんて、私にできるわけないわ」
「ユウコ、やめて。本当はわかってるんでしょ? 嘘をつくのはやめて」
「え、な、なによ。シューちゃんまで」
「ユウコは奇跡を起こしたことがあるよ。そのことを、忘れちゃった?」
それは……もちろん、覚えている。
シューちゃんと出会って、魔法のことを全然知らなくて、魔法陣を一つも持っていない時から、私には一つの魔法がつかえた。
今まではただ、元々何かしら私の中に魔法陣みたいなものがあったのだろうとか、よくわからないからと適当に納得していた。
「……どうして、嘘をつくの? ユウコはずっと帰りたがっていたじゃない。私のことなら、気にしないで」
「……」
でも、だって、そんな。急に、実は帰れますなんて言われても、どうすればいいのかわからない。
怖い、と思った。
シューちゃんと離れたくない。シューちゃんに気を使ってるとかじゃなくて、シューちゃんの意志とか関係なくて、私が嫌だ。
シューちゃんと離れなければいけないと思うと、苦しいくらいで、でも、帰りたいという気持ちがなくなったわけじゃない。
帰りたい。日本に帰りたい。この世界はけして嫌なところではない。だけど、どうしても日本を捨てることは考えられない。
特別、両親や友人、食事といった特定のものが枷となっているのではないと思う。あの人のために、あれがあるから、そう言うのは思いつかない。だけどどうしても、帰りたいと思う。思ってしまう。
「優姉、帰ることができるからって、帰らなきゃいけないわけじゃない。それに今すぐじゃなくていいんだ。ただ、確かめておく必要はある」
「……」
「大丈夫。事実を事実として認めることは、何かを決断することじゃない。ほら、願ってみて。絶対にできると信じて。それだけでいい」
わかっている。隠しておくことなんてできない。そして私自身、まだ確証はない。確かめなければならない。
できるのか、できないのか。
私はもう一度、机に触れる。
できる。できるはずだ。あの時は無我夢中だった。他のことを考えず、疑問を持たず、当たり前のこととして、願う。
「バラバラになれ」
手のひらに触れていた感触が消える。足下にはパーツごとにわかれて重なり合う机だった木材があった。
「……結花奈、シューちゃん、ごめんなさい。私、何も考えてなかったわ」
「今から考えればいいよ。とりあえず、あがろうか」
ずっと帰るために方法を探していた。でも全然見つからなくて、なのにあっさり見つかって、心の準備どころか、何もできていなかった。
シューちゃんといつか離れなければいけないとは思っていたけど、それは本当にいつか、遠いいつかだと、いつの間にか思いこんでいた。
私自身が本当にどうしたいのか、どうすべきなのか、わからなくなってしまった。
私の判断で、今ここにある何もかもが変わってしまう。それはすごく、恐ろしい。怖くて、たまらない。
○
完全にびびってるな。
私は優姉の手を握って先導しながら、心の中で小さくため息をついた。
優姉の考えなしなところがここで裏目に出たことは、ある意味予想通りだ。いつも考えたふりをしてしっかりしてます、みたいな顔をしてるけど、そんなことない。むしろ行き当たりばったりだ。
だから優姉が土壇場になってびびってしまうのは予想通りだ。だけどこの場合は、優姉の判断が大きい。
どちらにしろ、帰るかどうかは優姉に委ねるつもりだったけど、あからさまな形として優姉にかかったから、想定外のプレッシャーに余計にぶるってるようだ。
「……」
無言で私の手を強く握り返しながら、優姉は黙って私について階段をあがる。
シュリもキイも黙っている。シュリは思ったより落ち着いているようだ。
メンタル的には優姉よりずっと強い方だけど、さすがに取り乱すと思っていた。でも優姉を促していたし、少なくとも表面上普段通りにできる程度には冷静だ。
家を出て、キイが鍵をかけ直す。ひとまずこの村での主目的は達成した。もうこの家に入ることはないだろう。
「キイ、さっきも言ったけど、私らが勇者とか異世界人なのは秘密にしてね」
「ああ、わかっている。信頼してくれ」
「信頼してるよ」
ただ顔を合わしていた程度ではない。たった2ヶ月ほどだけど、朝から晩まで顔をつき合わせていたんだ。十分にキイの性格は理解したつもりだ。
だから今更キイに言うことはない。むしろシュリについていてあげてほしい。言わないけど。
「ごめん、シュリ。私、優姉連れてちょっと歩いてくるね」
「…うん。大丈夫だよ」
「ユカナ君、これを」
「これ……持ち出しちゃ駄目なんじゃないの?」
キイは私が部屋の本棚の方へ戻しておいたさっきの暴露本を持ってきていたらしい。
私に差し出してくるので受け取るけれど、どういうつもりだ? お母様に怒られるよ。
「どうせ君たち以外には読めないんだ。まだ最後まで読んでいないんだろう? 村にいる間は持っていてもいいことにする。私が決めた」
「そんな権限ないでしょ。…あんがと」
続きが気になっていた部分もあるので、ありがたく借りておくことにする。
「さて、じゃあまた、後で」
○




