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妖術夢想  作者: 四畳半
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第5章「停止した街は何も語らずただその歴史を風化させていく」

 あの後、蓮華は『ルーさんはこちらが保護しますので心配しなくても大丈夫です。夜行君はどうしますか?』と言った。

 僕は『いや、このまま帰るよ。祀達には怪しまれないように新しい服でも買って』

 『そうですか、ではお気を付けて』

 という訳で僕は近くの古服屋で適当に安いのを買うと着替えて帰ったのだった。

 身体も洗える所は洗ったので大丈夫だったと思う。

 で、1週間後の学校にて。

 極めて早いスピードで復旧された校舎は古い部分と新しく修繕された部分の差は一切見られず、全然違和感がない。

 というかあんな大爆発が起きて死者がゼロ、怪我人が僕1人って凄いよな、と思う。

 そういえばあの男……岩鋼はどうなったのだろうか。

 まぁ生きていると思うが。

 僕は祀達に続いて教室に入った。

 今日も個性豊かな面子が馬鹿話で雑談している。

 あの流行りの曲かっこいいとかあの服ほしいとか至って平和的だ。

 やはりというか予想はしていたがルーと蓮華は居なかった。

 あの2人はいつも僕たちよりも早く教室に居るのでこれは欠席だと考えて間違いないだろう。

 早く解決して欲しいと思う。

「おはようございます」

「わん」

「にゃー」

 その声に反応したクラスメートが何人か挨拶を返す。

 人気者だなぁ。

「おはよう」

 僕も爽やかな笑みを浮かべて皆に挨拶をする。

 小さく手を振るというおまけつきだ。

 これで全員のハートをキャッチするのは容易いだろう。

 野郎のハートはいらないが男女比の激しいこのクラスで気に掛けていればリターンは少ない。

 ここは我慢しよう。

 「「「……fuck」」」

 「……うん?」

 なんか怨念の声が聞こえた。

 地獄の底から絞り出されたようなそんな声。

 僕は音源に目を向ける。

 そこには男子生徒の集団――と呼ぶにはあまりにも数が少ない。

 しかし僕を亡き者にするには十分な戦力を持った奴らが居た。

「夜行よ……俺はもう我慢できない」

「大した努力も力も無いくせにハーレムだと?」

「ふざけるのも大概にしようよ……」

「君達は一体何を言っているんだ……?」

 僕は恐る恐るそう聞き返した。

 アリスト、カサス、雅。

 皆眼をカッと見開き、血の涙を流しかねない表情だ。

 芝居ではなく、本心からのもの。

 まずい、何かが彼らをここまで変質させてしまった。

 そしてここから起きるのは簡単に予測できる。

 つまり僕の昇天。

 いや、こんな奴らに殺されてしまえば天国には行けない気がする。

 全員両手にコンパスとカッターナイフ、彫刻刀とハサミを握り、それを弄んでいる。

 危険極まりない、そして殺す気満々。

 何故唐突にこうなったのだ、と考えるがやはり『アレ』の影響か何かなのだろうか。

「俺は……ずっと悩んでいたんだ。どうしてこの美形な俺がモテないのかと。黒髪巨乳処女と付き合えないのかとな」

 それはお前が処女厨だからだ、というツッコミを僕は飲み込む。

 アリストの角みたいな前髪は鋭く天に向かって屹立している。

 そこに何かダークエネルギー的な何かが纏わり付いていた。

 闇落ちしているようだ。

「しかしつい最近お前の部屋で語り合った際、解ったんだよ……この世界には満たされる者が居る以上、その犠牲となる者が居るという事を。そして俺たちはその満たされない者だという事を知った。だから俺達は満たされた者であるお前を亡き者にし、その幸福おw奪ってやるんだよ……」

「待て、落ち着いて深呼吸をするんだ。僕は争いを望んでいな」

「お前の事情など知らん……気に食わないからやる、それだけだ」

 カサスは静かにそう告げた。

 平和的解決は不可能、という事か。

 僕は唇を噛み、じり……とゆっくり後退る。

 彼らも僕に合わせて近づいてきた。

 まずい、それはまずい。

 僕は他のクラスメートに視線を向けて、助けてくれ、とアピールする。

 しかし雑談に夢中になっている彼女達はこちらの危機的状況に気づいていない。

 正に絶体絶命。

 僕は自分の記憶から何か使えそうな情報を探し出す。

 しかし出てくるのは桃色の思い出ばかり。

 着替えに遭遇とか風呂場でバッタリとか。

 こんな情報で勝てる筈がないだろう。

 僕は自分に言い聞かせた。

 仕方ない……ここから逃げ出すしかない。

 僕はちらりと自分の後ろを見る。

 そこは教室の扉だ。

 教室の中から出るのは簡単だが問題はそれ以降。

 こいつら運動はかなり得意なので僕が簡単に捕まるのは明白だ。

 だからといってこのまま乗り切れるとは到底思えない。

 ならば一縷の望みに掛けて逃げてみるか?

 普通に考えれば無謀だろう。

 しかしこの際、迷っている場合ではなかった。

 少しでも生存確率が高い手段を取るのが常套句だろう。

 という訳で僕は逃走の準備に入った。

 姿勢を低くした僕に対し、彼らの目つきが変わる。

 警戒の目だ。

 しかしこの距離ならば僕がアクションを起こしても彼らには瞬時に対応できまい。

 そこに勝機がある。

 そうして僕は足に力を込めた。

 同時にホームルーム開始のチャイムが鳴る。

 今だ……!

 僕は教室の床を蹴った。

 そうして教室から出ると後ろ手で扉を閉める。

 これで彼らは扉を開ける為の時間が必要になる。

 その時間を利用して逃げてしまえば良い。

 所詮今の彼らは執拗に僕の血を求めるゾンビのようなものでしかない。

 扉を開けるというアクションだけでも手間取るだろう。

 僕は躓きながらも全力で長い廊下を疾走した。

「おいコラァ……! チィッ、アリスト、雅、生徒玄関に先回りして奴を仕留めろ! 俺は奴を後方から叩く!」

「了解だよ」

「フン、しくじるなよ」

 畜生、統率が取れているだと!?

 彼らを見くびりすぎていたのかもしれない。

 僕は舌打ちし、ただひたすらに階下を目指す。

 学校の階段というのは磨き上げられていてかなり滑らかだ。

 つまり走りにくい。

 後ろをちらりと確認するとカサスが恐ろしい速さで迫っていた。

 ホームルーム始まっているんだから教室に居ろよ。

 まぁ僕が言える事ではないが。

 とはいえあいつを気にしている暇はない。

 僕は咄嗟に壁に立て掛けてあった長いモップを手に取ると、それを横にして壁と壁の間に挟む。

 柄を伸縮できるからこそ使える手段だ。

 これで奴はここに来れない筈。

「甘い……! 隙間があるぞ」

 しかしカサスは余裕を崩さずに身を屈めた。

 どうやら下の僅かな隙間から突破するつもりらしい。

 確かに十分なスペースはあった。

 だけど僕にはまだカードが残っていた。

 それで突破できると思ったお前の考えの方が遥かに甘いぞカサス!

 僕は更に足元に丁度良く置いてあったバケツを掴み取る。

 中には水が入っており、とても重い。

「!」

 それで奴の顔色が変わった。

 これから何が起きるか理解したようだ。

 その通りだよ、カサス。

 僕は悪っぽくほくそ笑む。

 そうして僕は持っていたバケツの水を廊下にぶち撒けた。

 そこから起きるのは簡単。

 カサスは足を滑らせて盛大に転んだ。

 その綺麗な転びっぷりは一昔前のコントのよう。

 背中を思い切りぶつけた彼は変な声を上げながら釣られた魚のようにビクンビクンとのたうち回る。

 僕は静かに合掌するとそこからすぐに立ち去った。

 

   ×

 

「動くなよ」

 僕はピタリと動きを止める。

 1階に到着したところ、背後から声が聞こえた。

 殺気に満ちた声であり、そこには一切の容赦というものが感じられない。

 僕の殺害には躊躇しない、という事だろう。

 クラスメートながら恐ろしい男だ。

「アリスト、こんな真似はやめるんだ」

 首にコンパスの針が突き付けられている事を自覚しながら僕は言う。

 故に迂闊に動けない。

 下手な行動でもしたら僕は彼の手で絶命する事だろう。

 刺激しない方が良い、と判断して僕は彼に視線を向ける。

 彼は左手にもカッターを握っていた。

 呪いの力というのは残留したものでさえここまで人を歪めてしまうというのだろうか。

 僕は背中に薄ら寒いものを感じながら両手をあげる。

「それで良い」

 アリストは冷酷に笑った。

 見逃してくれるか?

 僕は僅かな希望を抱いて彼を見詰める。

 しかし彼はコンパスを僕の首に向けたまま何もしない。

 どかさない気か!?

「ここで死ぬがいい」

「ふざけろ……!」

 僕はアリストが油断している僅かな隙を突いて肘を叩き込む。

 素人同然の攻撃だったが至近距離だったのと彼の気が抜けていたのとで容易くアリストを沈める事ができた。

 彼は呻きながら膝をつく。

 その拍子に握っていた文房具の凶器も落ちた。

 僕はそれを見逃さず、爪先でそれらを蹴飛ばす。

 カッターやコンパスは床を滑って彼方に消えた。

「貴様よくも……!」

 アリストがこちらを物凄い形相で睨みつける。

 制服の下に包丁とかナイフを隠していてもおかしくないくらいの気迫だ。

 彼はゆっくりと立ち上がると詰襟の下から何かを取り出す。

 それは細く鋭いスクリュードライバーだった。

 どんだけ凶器を隠し持っているんだよ、と僕は恐怖を通り越して呆れた。

「消え去れ現実充実者……! 幸せなバレンタインもクリスマスも過ごせないようにしてくれるわ!」

「待つんだ、アリスト。話せばわかる。だから深呼吸しよう、落ち着くんだ。冷静になって握っているそれを見よう。それはなんだ? ドライバーだ。ネジの締緩作業を行うための道具だぞ。決して刺し殺す為の凶器じゃ――」

 僕の頬を何かが掠めた。

 一筋の血が流れる。

 僕は口を開けたまま固まった。

 ほんと、容赦しないなコイツ。

「次は本気でやる」

 僕は後ろに後退る。

 しかしすぐに壁に当たって動けなくなってしまった。

 アリストが嗜虐的な笑みを浮かべる。

 この時を待っていた。

 僕は彼に気づかれないようにこっそりと足元の消化器に触れる。

 幸いにも盗難防止用のロックに類するようなものは付いていなかった。

 これならいける。

 僕は深呼吸すると一気にそれを掴み、持ち上げた。

「!?」

 アリストの顔が驚愕に変わる。

 ドライバーよりこちらの方が早い。

 僕はノズルのトリガーを引いた。

 その瞬間に視界が白い煙で満たされる。

 後で掃除しないとなぁ……

「ぐああああ! 目がッ!」

 僕は目を押さえてゴロゴロと転がる彼を無視してそそくさと玄関に向かった。


   ×


「待ちなよ」

 何者かが僕の腕を掴んだ。

 僕は黙ってその腕を振り払うとそいつの顔面に消化器を叩き込む。

 雅は倒れてから少しも動かなかった。

 僕は何も言わずに消化器を捨てると学校から出た。


   ×


「さてどうしたものか……」

 僕はため息を吐いた。

 彼らの襲撃を回避する為とはいえこんな所まで来てしまった。

 最近は成績が悪くて結構危機的状況に陥っているというのに無断欠席とか留年フラグだとしか思えない。

 しかし死ぬリスクと留年のリスクを天秤に掛けるのなら僕は後者をとる。

 生命は1つしかないし、まぁなんとかなるだろう。

 こういう思考が命取りなのかもしれないが今はどうしようもない。 

「で、どうして僕はこんな所に来てしまったんだろうか」

 自問する。

 しかし答えなんてわかる訳がなかった。

 僕は顔を見上げる。

 目の前に広がるのは無味乾燥な灰色の住宅街。

 僕が暴走したルーに襲撃された場所だ。

 至る所に戦闘の生々しい傷跡が残っている。

 僕はその深い亀裂に指を這わせた。

 ザラリとした感触。

 かなり激しかったんだなぁ、と今更ながら恐ろしく思った。

 なんだか導かれるようにこんな所に来てしまった。

 静かな場所だった。

 この季節だと蝉の鳴き声でうるさそうなものだがそういった喧騒は何一つ聞こえない。

 まるで生命が最初から無かったかのような――この世界に突如現れた異世界みたいなそんな場所だった。

 ボロボロに朽ちているとはいえ家が立ち並んでいるという事はかつて人が住んでいたという証明に他ならない。

 ならばどうして住人は消えたのか。

 彼らの消失とは何が切っ掛けだったのか。

 僕は目を細める。

 その住宅街は霧で満たされていた。

 輪郭と影でしか判別できない。

 しかし夏に霧とはおかしな話だった。

 確か霧というのは水蒸気を含んだ空気の温度が露点温度に達する事で生じる現象だ。

 冬や秋ならばともかく暑い夏におきるとは不自然だった。

 ここだけ妙に寒い。

 今日の平均気温は31度だった筈。

 しかしここは明らかに5度以下はある。

 僕は半袖のワイシャツ1枚しか着ていない上半身を抱くようにして歩き出した。

 暫く歩いていると前方から何かが見えた。

 僕は目を凝らす。

 前方にあったのは塔。

 天に聳え立つ灰色の巨塔だった。

 天文学的な何かだろうか。

 近づいてみるしか知る方法はない。

 僕はそれに接近すると塔の表面に触れる。

 滑らかな材質の石を使っているようだ。

 ところどころヒビが入り、悠久なる時の流れを実感させた。

 灰色の塔は全長40メートル程だ。

 こんなものならば有名なスポットか何かにでもなっていそうなものだが今までそんな話は一切聞いたことがない。

 皆から忘れ去られた場所とでも言うのだろうか。

 僕はぐるりとその塔の周りを廻ってみる。

 すると人1人が潜れそうな程の大きさの穴を見付けた。

 その中を覗いてみる。

 中に広がっていたのはどこまでも続く長い螺旋階段。

 勿論、エレベーターの類は無い。

 この街といいこの塔といい殺風景極まりない。

 なんだか狂ってしまいそうだった。

 太陽の光すらまともに届かないこの町は昏い影が落ちている。

 なんだか昔、宗教的な儀式をこの塔でやっていた、と言われても信じてしまいそうだ。

 というか寧ろそうに違いないと思う。

「登ってみるか……」

 僕の声は塔の中で反響し、木霊こだましていく。

 この先に何があるのか。

 僕はそれが知りたいが為に登りたいと思った。

 危険な予感がするが好奇心には勝てない。

 取り敢えず大丈夫だろ、と根拠のない自身を持ちながら僕は塔の中に足を踏み入れる。

 どこまで続く階段というのは精神的に来るものがある。

 しかし天を見上げれば僅かに到着点の光が見えた。

 ならばゴールは訪れる。

 僕はそう自分に言い聞かせて階段を上り始めた。

 一歩歩くごとに疲労が溜まっていくのを実感する。

 神社まで続く長い階段を毎日上り下りしているのだから体力はそこそこあると思っていたがこれは不思議だった。

 なんだか身体が重いというか何かが纏わり付いているというかそんな徒労感。

 それを堪えてどれくらい経っただろうか。

 10分くらいかもしれないしもしかしたら50分とかかもしれない。

 つまり大体の時間というのはわからないのだが何も変わらない塔の中で確かな変化が起きた。

 それはゴールが目前にまで迫った、という丁度良いタイミングで起きたのだ。

 目の前に頂上が見えたという嬉しさから一気に階段を駆け上がろうとした時。

 どしゃっ……

 何か重い肉のような水っぽい何かが遥か高い場所から落ちて地面に叩きつけられたような音が僕の耳に届いた。

 僕は何事かと思い、強ばった身体を動かして屋上に向かった。

 やはり殺風景な場所だった。

 中央には何か魔法陣じみたサークルが描かれてあるが今はそれどころではない。

 やはり高い場所だからか風が強い。

 しかしそこから見える風景は霧によって何がなんだかわからない。

 僕は手すりも柵も何もない塔の頂から下を覗きみた。

 最初に見えたのは赤。

 僕はそれに目を凝らす。

 黒いゴシック風のドレスを着た長い金髪の少女だった。

 それが仰向けになって転がっている。

 始めに思ったのは人形か何かかと思った。

 しかしすぐにそれがおかしいと気付く。

 どうして人形がここから落ちるんだ。

 誰が落としたというんだ。

 何故血が流れるんだ。

 どうしてどうしてどうして

 その言葉が延々とループする。

 ならあれは死体じゃ……

 その思考に陥った瞬間猛烈な吐き気がした。

 危うく喉元まで出掛けた吐瀉物を飲み込み、なんとか堪える。

 酸っぱい味がした。

 警察に通報するのが先か、それともまだ生きているかもしれないあれを助けにいくべきか。

 出来れば血塗れの光景なんて見たくない。

 言い訳するかのように僕はポケットから携帯電話を取り出して警察に繋げた。

 手が震えてまともにキーが打てず、ぶん投げたくなったが何度も自制してなんとか打てた。

 僕はそれを耳に当てる。

 しかし結局繋がらなかった。

 僕は信じられない顔をして液晶画面を見詰める。

 電波は立っておらず、圏外とだけ表示されていた。

 僕は舌打ちするとそれをポケットにしまう。 

 なら救出するのが先か。

 僕は腹を括ると再び階段を駆け足で降りる。

 上っている時とは変わって今度は短時間に感じる。

 生きているのならば早く行かないと。

 しかしこの高さだと絶望的だろう。

 寧ろ生きている方が残酷だ。

 しかし僕の中の最低限残っていた良心には勝てなかった。

 そもそもそれが良心だったのかすら怪しかったが僕は構わず駆け下りる。

 そうして出口が見えた。

 僕はただひたすらにそこを目指す。

 そうして僕はあるものを見て今度こそ完全に、一瞬だけ思考が停止した。

 何故ならばそれは本来有り得ない現象だったからだ。

 出口に誰かが立っていた。

 始めは偶然通りかかった人か誰かだろうかかと考えた。

 しかしそれは違うとすぐに思い至った。

 そこに居るのならばおそらく死体か死に掛けの人が見える事だろう。

 ならば何故それを無視してまでこちらを見詰めているのか。

 そして何より一番有り得ないのがそのシルエットが落下した人物とあまりにも酷似していた事だ。

 ゴシック風の黒いドレスに長い金髪にハット。

 多分それは見てはいけないものだったのかもしれない。

 その少女は切り裂いたような不気味な笑みを浮かべていた。

 彼女と僕の距離はそんなに開いていない。

 このままでは捕まる。

 どうして動けない筈の人間が動いているんだ、と動揺するがまずは振り切るのが先決だと考える。

 僕は今まで降りていた階段を再び駆け上がる。

 しかし途中で肩を掴まれた。

 見なくてもわかった。

 しかし僕は恐る恐るその手の主を見る。

 予想通りだった。

「離せ……ッ!」

 僕は腕を半狂乱で振り回す。

 しかし腕はがっちりと僕の肩を掴んだまま離れない。

 まるで万力のように僕の肩を締め付ける。

 少女は僕の顔を覗き込んだ。

 その顔に浮かんでいるのは笑み。

 しかしそこに微笑ましさは一切ない。

 例えるならば、子犬や虫を少しの容赦もなく虐げるような子どもの笑顔。

 見たものを恐怖させ、嫌悪を抱かせるような類のものだ。

 僕は思わず尻餅をついた。

「アンタが私を殺してくれるの?」

「何を言って……」

「アンタなら私を殺せる?」

「意味がわからないよ! 殺すとか一体お前は何なんだよ?」

 そう僕が怒鳴ると彼女は暫く考えて言った。

「んー……悪魔で吸血鬼な魔女かな?」

 その言葉に一切の冗談は感じられない。

 叫んだからか僕は冷静になる事ができた。

 そして彼女の言葉を脳内で反芻する。

 こいつの言う事が本当ならばこうして傷一つなく動いてもおかしくないか。

 吸血鬼はフィクションの要素も多くあって実際よりも恐ろしく描かれがちだがその特性として不老不死というものがある。

 言葉通り死んだり老いる事のない性質。

 実際は空間の魔力を生命力に逆変換することで細胞を活性化させ、傷を超スピードで治癒、疾病も免疫力を高める事で治すというものだ。

 しかしほぼ無尽蔵にある魔力が存在する限り、殺すのはほぼ不可能。

 故に繁殖能力はかなり低いという。

 しかし意味がわからなかった。

 どうしてそんな存在がこんな辺鄙へんぴな所に居るんだ。

 どうしてわざわざこんな塔の頂辺てっぺんから落ちたりしたんだ。

「死にたいからかな」

 彼女は少しの躊躇いもなくそう言い放った。

 僕は何も言えない。

 不老不死とはいえどうして笑顔でそんな事を言えるのか僕には理解できない。

 確かに僕も辛いことがあれば死にたいとか消えたいとか思ったりするがそれを実行しようと思ったことなど一度もない。

 他人に迷惑が掛かるから、という理由もあるが何より死ぬのが怖いから。

 しかしこの少女はそういったものを一切感じさせなかった。

 完全に自殺者の思考。

 ここに弾が入った拳銃があれば間違いなく彼女は自分のこめかみ向けて発泡するだろう。

 その考えが何よりも恐ろしい。

「この世界はもう飽きたのよ。何百年も眠らされてね」

 少女は僕の目を覗き込む。

 その目には昏い光が宿っていた。

 厭世観にどっぷりと浸かり、体の隅々にまで染み込んだような存在。

 僕は何も言えない。

「で、もう一度聞くけどアンタなら私を殺せる?」

「……無理に決まっている」

 吸血鬼を殺せる力を持っているとか持っていないとかそういう話ではなく僕には殺せない。

 僕の答えを聞いた彼女はクスクスと笑う。

 しかし目は一切笑っていなかった。

 そもそもこいつに感情というものは存在するのだろうか、と僕は疑う。

「まぁ良いや。他の方法を探す事にする。元凶を殺せば良いのかなぁ……」

 僕に興味を失ったのか彼女はこちらに背中を向ける。

 そうして階段をゆっくりと降りて塔から出て行ってしまった。

 我に返った僕は慌てて立ち上がると彼女を追って外に出る。

 しかし周囲を見回しても彼女の姿はどこにも見えなかった。

 そこにあるのは時間だけが動き続ける停止した街。

 どこまでも広がる灰色は僕の心を更に不安にさせた。

 

   ×


 僕はとぼとぼと神社に向かって参道の階段を上っていた。

 今更学校に戻っても生命の危機に晒されるだけだし、ならばこちらで大人しくしていた方が良い。

 しかし人が居るだけで安らぎを覚えた。

 あれ程うるさいと思っていた蝉の鳴き声でさえもありがたく思う。

 やはり幻みたいな出来事だった。

 しかしあれは間違いなく現実だった。

 あの出来事は忘れよう、と思うがやはり頭に焼きついて離れない。

 落下した音も人形みたいな笑顔も無感情な声も何もかも。

 僕はそれを振り払うように足を早める。

 なんだか徒労感があった。

 いつもなら息切れもなく到着するのに。

 そうして僕は鳥居の下に誰かが居るのに気付いた。

 参拝客だろうか。

 しかしイベントのある日以外殆ど参拝客などやってこないこの神社に一体誰だろうか。

 そうして階段を上りきってそれが誰なのかわかった。

「蓮華と……ルー」

「こんにちは」

 2人がペコリと頭を下げる。

 僕も取り敢えず手を上げて挨拶のジェスチャーをした。

「もしかして僕を待ってたの?」

「はい、でも大丈夫ですよ。先ほど来たばかりなので」

「まぁ待たせてごめん、ここじゃ暑いだろうし上がってよ」

「わざわざすみません」

「お邪魔します」

 僕は鍵を開け、2人を天光神社に招き入れた。

 そうして客室に通す。

 骨董品が並んでいる部屋で、他の部屋に比べて豪華に見える。

 しかし祀曰く安い見掛けだけのものばかりらしい。

 見た目にこだわっているだけのようだ。

 僕は麦茶を2人に出し、菓子皿をテーブルの上に載せた。

 そこに入っているのはルマンド、源氏パイ、パイの実、ホワイトロリータなど。

「どうして崩れやすい事で有名なお菓子が?」

 蓮華が小首を傾げて尋ねた。

 うん、僕もそう思った。

 しかしこれら以外無かったのだ。

 だって阿形と吽形が好きなんだもの。

 一応祀も年頃の女の子らしく割とこういう甘いものを口にするのだが器用に食べているのを思い出す。

 対する僕は直接流し込むように食べるのだった。

 しかし何よりも気に入らないのがサクサク系ばかりでフワフワしたのが無いという点だ。

 チョコパイとミニカステラは必須だろう、と思うが贅沢は言っていられない。

 僕はパイの実を摘むと口に入れた。

 コクのあるチョコの甘さが口いっぱいに広がる。

 凍らせて食べたら美味しいかもしれない。

「でもすみません、いきなりお邪魔してしまって……」

 蓮華とルーが頭を下げた。

「いや、頭を上げてよ」

 僕は慌てて言った。

 2人あ遠慮がちに頭をあげる。

 律儀だなぁと僕は感心した。

 しかしルーは申し訳なさそうな顔でもじもじとしている。

 もしかしてトイレだろうか。

 確かに女の子なら言い出しにくいだろう。

 僕はどうやって彼女を恥じらわせず誘導できるか、と考えを巡らせた。

 駄目だ、思いつかない。

 僕は思わず頭を抱える。

「あの……大丈夫ですか?」

 困ったようにルーが尋ねる。

 僕は大丈夫さ、君の方が余程大変じゃないのかい?

「でも……私は夜行さんを傷つけてしまって……本当にごめんなさい」

 ああ、そっちだったのね。

 僕は顔を上げた。

 ルーは目に涙を浮かべて深々と頭を下げている。

 いや、謝ってもらうと逆にこっちの方が申し訳無いんだけれど……。

 という訳で僕はまた彼女の顔を上げさせた。

 やはりあの姿は幻だったのではないか。

 そう思ってしまう程普段のルーは大人しい。

 例えるならばテンプレな文学少女という感じだろうか。

 あれは暴走していたが為に起きた事故のようなものだ。

 というか被害が僕1人に留まっただけで寧ろ良かったとすら思う。 

 僕にしたって正当防衛とはいえ彼女の肩を串刺しにして壁にはりつけにしたし。

 とはいえ彼女に傷が残らなくて良かった。

 女の子の身体に一生残らない傷を残すって罪深いよな、と僕は思った。

「そういえばもう身体は大丈夫なの?」

「はい……でも夜行さんの方が……」

「いや、こっちもこの通り」

 精神的な疲労は結構あるけど。

 ルーは浮かない顔をして麦茶の入ったグラスに視線を落とす。

 溶けた氷が音を出した。

「そういえば最近この街で色んな現象が起きているんだけれど……それについて知っている?」

 蓮華から大体の話は聞いているだろう。

 案の定ルーはこくりと首肯した。

 なら話が早く進んで良い。

 僕は取り敢えず話を再確認する為に要約して今までの事を話した。

 僕がコトリバコの封印を解いてしまった事。

 祀が即、発生装置を破壊した事。

 蓮華が発生源も浄化した事。

 しかしアリスト達のようにまだ呪いの影響は残っている事(もっとも奴らは僕に対する理不尽な嫉妬もあるだろうが)。

「その呪いについてですが……心当たりもあります」

 僕と蓮華は彼女の話に耳を傾ける。

 やがてルーは意を決したように口を開く。

 彼女の話を要約するとこういう事だった。

 ルーの家……ウェアルフ家はかつて呪術によって隆盛していた。

 何人もの名魔術師を生み出した家として評判だったという。

 ルー自身も専攻が魔術であり、高い成績を持っている。

 しかし本人が使うのはおぞましい呪術などではなく、人を救うための術である治癒系だ。

 保健委員として学校では活躍している。

 そしてウェアルフ家は人から依頼を受けて、相手を呪い殺すという殺し屋じみた汚れ仕事を引き受けた。

 依頼料はかなりの高額だったが、それでも繁盛できる程には需要があったという。

 最盛期には日本のあちこちに広大な土地を持っていたという話なので相当なものだったのだろう。

 しかも当時は今と違って魔術に対する正しい知識を持った人間が殆ど存在しなかった為、彼らを裁く法も機関も無かった。

 つまりは好き勝手できたのだった。

 しかしある時、彼らの栄光の歴史は潰える事になる。

 その依頼というのは『悪魔の子を生んだ家があるので一家を滅ぼして欲しい』というものだった。

 当時のウェアルフ家当主は快く依頼を引き受け、息子に処理させた。

 いつもならば何の造作も無く相手は全身から血を吹き出して苦しみながら絶命する筈だった。

 しかしその家には何も起きなかった。

 当主は自らの何もできなかった息子を自らの手で始末し、今度はウェアルフ家で自分の2番目に高い力を持った妻にやらせた。

 しかし今度も同じ結果に終わった。

 当主は妻も手に掛けた。

 そうしてようやく重い腰を上げ、自分が呪いを掛けた。

 今まで失敗する事は無かった。

 これで解決する筈だったのだ。

 しかしそれでも相手の家には何も起きなかった。

 いよいよウェアルフ家は追い詰められた。

 彼に疑いの目が向けられるようになったのだ。

 今までは偶然だったのではないか。

 もしかしたらイカサマで、トリックか何かを使っていたのではないか。

 彼は自分を批判した者を呪い殺した。

 批判はすぐに消えたがそれでも以前のように依頼数は増えなかった。

 最早彼は呪いという自分の武器を捨てて、悪魔の子の家への放火を試みた。

 しかし何故だか着火せず。それどころか異形の化け物が彼に襲い掛かった。

 命辛々逃げることができたもののこれで手札は潰えた。

 彼は徹底的に追い詰められた。

 このままでは本当に終る。

 以前持っていた土地も殆ど売り払ってしまった。

 今の彼に残っていたのはそれでも残った僅かな家財と醜い自尊心だけだった。

 そうして当主は思いついてしまったのだ。

 最後の手段を。

 その手段は人間を何人も葬った外道の当主ですら禁忌だと認識していた術だった。

 禁断そのもの。

 考えてしまうことですらおぞましい。

 彼に選択できる程の余裕は無かった。

 どんな手段を用いてでも悪魔の子は殺す。

 彼は何人もの赤子を誘拐すると惨殺し、その血液と髪の毛と爪と指を街一番の細工師に作らせた木箱に詰めた。

 完成した『コトリバコ』はすぐに相手の家に送った。

 それから間も無く彼の耳に悪魔の子の家が謎の疫病によって滅んだという話が入った。

 そうして彼も間も無く生きたまま内蔵を腐らせて死んだという。

 人を呪わば穴二つ。

 当然の報いだった。

 そして彼らの街はコトリバコの力によって徐々に衰退したという。

 それが今の名前すら忘れ去られたあの住宅街だ。

 そしてコトリバコの儀式に使用されたのがあの塔らしい。

 後に発見されたコトリバコは強大な力を持った天光神社の術者によって封印されたという。

 しかし定期的にコトリバコの封印は破られそうになり、その度に封印し直したらしい。

 祀も油断していた、と言っていたのでそれを経験した事があるのだろう。

 そして僅かに存在していたウェアルフ家の生き残りが呪いを捨て、ひっそりと繁栄した結果として生まれたのがルーだった。

 しかし彼らにも呪いの影響はあった。

 それが半狼の呪い。

 幼かったルーも迫害を受けたという話だった。

「私が知っている話は以上です……」

 僕達は何も言えなかった。

 まさかあの場所にそんな過去があったなんて思いもしなかった。

 確かに人が消える訳だ。

 しかしそれ以上に僕が気になった事があった。

「ルー……その悪魔の家の子って……名前は何ていうんだ?」

「名前ですか? 確か……」

 僕の質問にルーが考え込む。

 知らないのなら別にそれで良いのだが、なんだか知っておいた方が良いと思ったのだ。

 暫くしてルーはその口を開いた。

 僕は耳を傾ける。

「……アレイシア・クロウリー……という名前だったと思います」

 

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