7
いつものように仕事をこなすネルの髪には、ヴィクトルがくれた髪飾りが光っていた。
「あれ?ネルなんか雰囲気違うね」
「そう、ですか?」
「うん。なんかいい事でもあったのかな?」
バーノンに声をかけられ、照れるように顔を俯かせた。それと同時に、バンッ!と勢いよく扉が開かれた。
「ネル!!」
そこに居たのは、目を吊り上げた婚約……オーウェンの姿があった。
形相しい顔つきにネルは「ヒュッ」と息を飲み、手を強く握りしめ震える体を抑えようとしていた。
「……ここに隠れてなさい。出てきては駄目だよ」
ネルの様子に気付いたバーノンが、優しく手を握りながら伝えると、オーウェンの前に出て行った。
「そう声を荒らげるものじゃありませんよ」
「うるさい!司書如きが指図するな!僕はネルに用があるんだ!早く呼んでこい!」
冷静に対応するバーノンとは対象的に、オーウェンは苛立ちで周りが見えていないようだった。
(この状態で会わせるのはマズイな)
大方、ヴィクトルとの噂話が彼の耳に入ったのだろう。
(だから忠告していたのに…)
こういう状況になるのを分かっていたから私はヴィクトルにネルを近付けたくなかった。
彼女がこれ以上、傷付くのを見るは耐えられなかったからだ。
「彼女はここにはいませんよ」
バーノンは小さく息を吐くと、素知らぬ顔で伝えた。
「なんだと!?では何処にいる!?」
「部外者の方にはお教え出来ません」
「貴様ッ!僕が誰か分かっていて言ってるのか!?」
怒鳴つけ、胸ぐらを掴まれてもバーノンの顔色は変わらない。
「いくら婚約者だろうと、規則は規則。お取引を」
「ッ!!」
冷淡に要件だけを伝えると、オーウェンは「チッ」と舌打ちをしながらバーノンを乱暴に突き飛ばした。
すぐにドスドスと大きな足音が遠ざかっていくのが聞こえる。
「痛たたた…」
「大丈夫ですか!?」
突き飛ばされたら衝撃で打ったのか、腰を抑えながら立ち上がるバーノンの元へネルが駆け寄ってきた。
「すみません。私のせいで」
「大した事ないよ。彼に君を会わせる方が危険だ」
服に付いた埃を叩きながら、周りに目を向けた。他人のいざこざは好奇心と興味の格好の的となり、周囲の視線を奪ってる。
「ほら皆さん、注意がそがれてますよ。よそ見をしない」
注意を逸らすように手を叩きながら諌めると、蜘蛛の子を散らすように持ち場へ戻って行った。
「さあ、君も仕事に戻りなさい」
これ以上の心配は無用とばかりに背中を押された。
***
その日のネルは散々だった。初歩的ミスはするし、小さな段差に躓いて本をばら蒔いたし……元はと言えばオーウェンがやって来てから調子がおかしくなった。
「はぁ」
所詮は言い訳に過ぎない。
自分の不甲斐なさを嘆きながら、寮へ戻るところだった。この時、完全に気落ちしていて周囲の危険を察する事が出来なかった。
「ネル!ようやく見つけたぞ……!」
ガサッと茂みから現れたのは、殺気だった形相のオーウェンだった。ネルはオーウェンの顔を見た瞬間、顔を青ざめた。まさかこんな時間まで探しているとは思いもしなかった。
(逃げなきゃ)
そう頭では分かっているのに、足が竦んでしまって動けない。
「こい!」
逃げる間もなく、腕を掴まれ人気ない場所へと連れて行かされた。地面に投げ捨てるように乱暴に投げつけられ、ふらつきながら上半身を起こした。
「お前、最近団長に色目使っているんだってな?婚約者がいる身で随分勝手なことをしてるな」
冷静に言っているように聞こえるが、目の奥が怒りで燃えている。
(……自分だってそうじゃない)
自分の事を棚に上げてとはよく言ったもので、この男にはその言葉がぴったりだ。
「団長がお前ごときに本気になると思ってんのか?金も魅力も可愛げもないお前を?」
……そんなこと言われなくても自分が一番分かってる。
「っていうか。団長ってのはこんな女に手を出すほど女に困ってんのかね?かっこいいだの抱かれたいだの言われてる癖に、こんな女しか捕まえられないなんて大したことねぇな!つーか、僕の方が上?」
「あはは!」と高々に笑うオーウェンに、ネルは黙っていられなかった。
「ヴィクトル様を悪く言わないで!」
「あ゛?」
「私の事はいくら馬鹿にしてもいいけど、ヴィクトル様を悪く言うのは許さない」
いつもの弱々しいネルの姿はなく、強気な発言でオーウェンを睨みつけた。初めて自分に逆らってきたネルに一瞬気圧されたが、すぐにカッと怒りが湧き上がった。
「なに口答えしてんだよ!」
バシッ!と大きな音ともに、ネルはその場に倒れた。
「お前は僕のモノなんだよ!這いつくばってご主人様の機嫌を取れよ!どうせお前に選択肢何かねぇんだ!黙って僕に従え!」
倒れているネルを容赦なく蹴りつける。痛みと恐怖で体を丸めて少しでも衝撃を減らそうとするが、それ以上はどうすることも出来ずジッと耐えるしかない。
「あ?なんだ?」
「痛ッ!」
髪留めに気が付いたオーウェンは髪を鷲掴みにすると、髪留めを乱暴に奪い取った。
「これはなんだ?もしかして団長からのプレゼントか?」
見せつけるようにネルの目の前に持っていくと「返して!」と飛びついてきた。
「おっと」
この男が簡単に返す訳がない。オーウェンはニヤッと口元を吊り上げ下卑た笑みを浮かべた。
「へぇ?これがそんなに大事か?」
「やめて!」
髪留めを力強く握りしめ、すぐにでも壊せるという意図が読み取れる。
「それを返して!」
「なんだ?こんなものがそんなに大事か?」
「当たり前よ!貴方よりもずっと大事なものよ!」
「ッ!」
自分が傷けられることを覚悟の上で牙を向けてくるネルの姿に、オーウェンはギリッと歯を食いしばった。
「はっ、お前は僕のモノだと言っただろ!そんな奴にこんなものは不要だ!」
「──やめて!」
髪留めを地面目掛けて叩きつけようと、腕を大きく振りかぶった。
ネルが慌てて奪い返そうと飛び掛かったが、無情にも髪留めはオーウェンの手から地面に向かって放たれた。
「駄目!」
泣きながら手を伸ばすが、到底間に合う距離じゃない。髪留めが大事なのは当然だが、ヴィクトルから贈られたものを壊したくない思いで一杯だった。
(間に合わない──)
絶望で目の前が真っ暗になりかけた時、パシッと地面に当たる寸前の所で受け止めてくれた手が見えた。
「声がして来てみれば……」
射殺しそうなほど鋭い眼光をオーウェンに向けているのはヴィクトルだった。




