13
次の日、ネルはヴィクトルの執務室に呼ばれた。
「お呼びでしょうか?」
「ああ、来たな」
何となく重苦しい雰囲気に、体が自然と強ばってしまう。
「そう警戒しなくても大丈夫だ。これを見て欲しい」
「これは……」
「フォークナー家がオルドリッジ家に宛てた借用書だ」
そこには紛れもない父の筆跡が入っていた。
「どうして、これが……」
「俺がこれを肩代わりしたからな」
「は?」
「聞こえんかったか?君らの借金は俺が肩代わりして払い終えた」
「いやいやいや!そう言う事じゃなくて!」
思わず大きな声で言い返してしまい、慌てて息を整え出来るだけ冷静を装いつつ、言葉を返した。
「す、すみません……ですが、そこまでしてもらう謂れがありません」
少しばかり言い方がキツかったのか、ヴィクトルの鋭い目が光る。
「君は俺が善意で借金を肩代わりしたと?」
「勿論、お返しいたます」
「そんな事はどうでもいい」
……どうしよう。ヴィクトルの言っていることがよく分からない。
「君が自由になるには、これが最善だと判断した」
ヴィクトルの言う通り『借金』という枷がなくなれば、オーウェンとの婚約も簡単に破棄できよう。そうなれば、私は自由にはなれる。
騎士は国の為、国民を守る為の存在だ。団長であるヴィクトルは酷い扱いを受けている私を助けようとしてくれたのだろう。だけど──
「これは騎士としての職務を逸脱してます」
いくらなんでも、自分の資産を簡単に差し出すのはやり過ぎだ。
「勘違いするな。これは騎士としてではない。俺個人としての判断だ」
「え?」
「既にあちら側とは話が済んでいる。悪いな」
まったく詫び入れる様子のない謝罪に、反論する言葉もない。
「詫びたついでに、もう一つ……」
ヴィクトルがもう一枚紙を取り出し、ネルの前に差し出してきた。
「──え?」
それは、婚約破棄証明書。
「君の気持ちを確認せずに書類を通してしまったが……要らぬお節介だったか?」
屈託のない笑顔を向けられ、ネルはしばらく呆然としていたが、ツーと涙が頬を伝うのが分かった。
借金が無くなったから?あの男と婚約が破棄出来たから?それとも、両親が住む屋敷が守られた事の喜びか……
「……困ったお節介焼きですね……」
涙を流しながらも微笑み返すと、ヴィクトルは黙って抱きしめてくれた。
***
「オーウェン!オーウェンはどこだ!」
フォークナー邸では、父であるフォークナー男爵が鬼の形相でオーウェンを探していた。
「父様どうしたんです?」
「どうしたもこうしたもあるか!お前のせいで私の計画が全て水の泡だ!」
顔を覗かせたオーウェンを見るなり怒鳴りつけた。
「一体何があったんです?」
落ち着くように声をかけるが、男爵は落ち着く所か更にヒートアップしてくる。
「何があっただと!?そんな事、お前が一番よくわかっているだろう!」
「え?」
あまりの剣幕に、オーウェンもすぐに只事では無いことに気が付いた。
「ヴィクトル団長がオルドリッジ家の借用書を持って行った。それがどういう事か理解できるか?」
「え、あ……」
「オルドリッジ家から取れるものが無くなったと言うことだ!」
バンッ!と大きな音を立てて机を殴りつけた。
オーウェンは顔を青ざめてその場に立ち竦んでいるだけで、言葉も出ないようだった。
「それもこれも、お前のせいだ!団長なんかに目を付けられて……!だからあれほど言っておいだろ!商品は大切に扱えと!」
「ですが…」
「言い訳は聞かん!あの娘だって、行く行くは金持ちの妾に卸す予定だったんだぞ!」
それはオーウェンの知らぬ事実。驚きのあまりに、目を見開いて居るが、男爵は嘲笑うように鼻で笑った。
「なんだ?お前、あんなのが好みだったのか?安心しろ、お前にはお前に見合った相手を他に用意してある」
(色情魔で過激だと有名な女主人の元だがな……)
実の息子でも営利目的の道具として扱う。
当然、オーウェンには父がそんな事を考えているとは露ほどにも思っていなかった。それよりも、ネルが自分のものにならないと知って茫然としたままだった。
「そんなにあの娘が欲しいのか?」
男爵の言葉に勢いよく顔を上げた。
オーウェン自身も、何故ここまでネルにこだわるのかは分からない。地味で可愛げのない女だが、街で見たネルは「可愛い」と思った。
最初からああいう格好をしていれば僕だって……
「仕方ない。私とて、ヴィクトルにやられたままでは面白くない」
「どうするんです?」
「まあ、見てろ」
男爵はニヤッと不敵な笑みを浮かべた。




