10
次の日からは、ヴェクトルの屋敷から城へ向かう生活に変化した。
仕事が終わればヴェクトルが迎えに来てくれて、屋敷に着くとヴェクトルはまた城へ戻る生活。
御者もいるし一人で帰れると言っているのだが、定時の時間になると、あれこれ理由をつけて迎えに来てくれる。
オーウェンからの襲撃を危惧しているんだと思う。プライドだけは人一倍高い彼が簡単に諦めるとは思えないので、傍にヴェクトルがいるだけで安心感が違う。
ただ、嬉しい半面、ヴェクトルの負担になっているんじゃないかと思うと手放しでは喜べない。
──そんなある日、珍しくヴェクトルは城へ行かず、屋敷で仕事をしていた。
「少しお休みされては?」
「ああ、ありがとう。君も今日は休みだろ?俺の事は気にせずに好きに過ごしていいぞ」
お茶を持ってきたネルに、ヴェクトルが声をかけた。
いつもの休みは決まってベッドに寝転びながら読書が定番だったのだが、ここはヴェクトルの屋敷でベッドも客用のもの。自分のもののように使えるはずもなく、こうしてヴィクトルの世話を焼いている。
というか、私がこの人の傍にいたいってだけ。
剣を振るう姿もいいが、こうして黙って机に向かっている姿も絵になって凄くいい。自分の気持ちを認めてしまってからというもの、ヴィクトルが気になって仕方ない。その姿を目で追うようになってしまっている。
(重症だわ)
厚意で相手をしてくれている彼からしたら、こんな感情迷惑でしかない。
小さく息を吐きながらヴィクトルを見ると、バチッと視線が合い驚いた。
「な、なんです!?」
「ん、ああ、キスしたいなと」
「──んなッ!」
顔を真っ赤にしてのけぞるネルを見て「あはははは!」と笑った。
(また揶揄われた)
この人は私の反応を見て楽しむ節がある。恋愛経験のない女は新鮮で楽しいのは分かるが、その度に私の心臓に負担がかかっているのを知って欲しい。
「天気もいいしな。部屋に籠るのは勿体ないよなぁ……よし、ネル。少し出るか」
窓の外を眺めながら呟いたかと思えば、急に立ち上がって誘いの言葉をかけてくる。
「どちらへ?」
「いい所」
ニヤッと含みのある笑みを浮かべるヴィクトルに、若干の不安を抱きつつ後を付いて行った。
***
何の事はない、街に来ただけだった。
「なんだ。買い物ですか?」
『なんだ』という言葉もおかしなものなのだが……
「ちょっとな」というヴィクトルの後を黙って付いて行くと、ブティックの前で足を止めた。そこは若い令嬢らに人気のデザイナーがオーナーの店だった。
そんな店に用が?と不信感が湧きあがる。不信感なんて抱いている時点で烏滸がましいにも程があると思うが、考えずにはいられなかった。
もしかして女性にプレゼント?それを私に見繕えって言うの?
そんなのどんな拷問より苦痛でしかない。
「ヴィクトル様、いらしゃいませ」
見せの奥から顔を出したのは、ここのオーナーでデザイナーのメイベルだった。デザイナーというだけあって奇抜なドレスに身を包んでいるが、不思議なほどに似合っている。
「あら、こちらの子は?」
ネルに気が付いたメイベルは、凝視するように顔を近づけてきた。驚いて思わず後退ってしまったが、すぐにヴィクトルに背を押されて再びメイベルの前へ。
「この子にドレスを頼む」
「え!?」
「あらまあ、珍しい」
ヴィクトルの言葉に驚いたのはネルも同じ。まさか自分用だとは思いもしない。
──いや、そんな事より
「ちょ、ヴィクトル様、こんな高いもの買えません!」
「誰が君に払わせると言った」
「え?」
違うの?と顔をすると、呆れたように頭を抱えてしまった。傍ではメイベルが肩を震わせている。
「君は……まあ、いい。金は気にしなくていい」
「で、でも、ドレスなんて私──」
ドレスなんてヴィクトルの屋敷に来た時に着せられたぐらいで、最近では司書官の制服か簡素なワンピースで過ごしている。
正直、ドレスよりも動きやすくて着やすいので十分だと思っている。
「俺が君に贈りたいんだ。……この意味、分かってくれるか?」
「!!」
異性にドレスを贈るのは、その人を『特別な存在』だと言う意味がある。
(え、どういうこと?)
そのままの意味で受け取っていいの?それとも、私の知らない別の意味が?
(……分からない)
私に尋ねる度胸があればいいが、今の私にはその度胸も勇気も持ち合わせてない。
あるのは、真実を知る恐怖のみ。
「じゃあ、お嬢さんはこちらへ。」
メイベルは困惑するネルの背中を押しながら、試着室へ向かった。
「貴女、良かったわね」
「え?」
「ヴェクトル様はこの店に何度か来たことあるけど、ドレスを贈るなんて初めてよ」
体のサイズを測りながら嬉しそうに話してくれる。
「いつもつまらなそうな顔しててね。渋々付いてきたって感じだったの。当然、ドレスも買わずに出ていくのがお決まりだったわね」
クスクスと笑いながら面白おかしく話してくれた。
きっと、令嬢達はヴィクトルから贈られたと自慢げに社交の場で披露しようと思っていたのだろう。その中には牽制も多少なりとも含まれていたはずだ。
「さあ、出来ましたよ」
「わぁ……」
鏡の前に立つ自分の姿を見て、思わず声が出た。
ネルの真白は肌に映える淡いブルーを基調としたドレス。肌の露出があまりなく、派手さもない。かと言って子供っぽくもない。
髪もドレスに合うように結われ化粧までしてもらったら、まるで別人のような仕上がりに驚きを隠せない。
「お待たせしました」
メイベルに連れられてヴィクトルの前に姿を出すと、ヴィクトルは驚いたように目を見開いていた。
「……驚いた。凄く綺麗だ」
見惚れるように呟いた。




