第22話 使者達の来訪
中央歴106年1月1日 境山城
「郡代!湊まで至急!」
「わかった」
境山城の城番に就いていた成光の元に、湊の警戒に就いている今泉忠綱からの使い番が急を知らせにやって来た。
用件を告げずに至急の要請と言うことは、おそらくまたどこからか船がやって来たのだろう。
正月もまともに祝うことも無いまま、境山城の面々は築城や湊の造成に追われ、ほそぼそと北王の援助を受けて武具や兵糧を買い、瑞穂武者を雇って兵の増強に努める日々を送っている。
つい先程、正月の祝い物を持って来ると北王から使者が来ており、ようやく正月らしい行事が始まろうかという時に騒ぎが起こった。
もうこれは今年のツキも期待は出来そうにないのでは、と自虐思考に陥る成光だったが、新たに立てた目標を思い出して身を引き締める。
「正兵衛、しばらく頼む」
「分かりやした!」
威勢の良い正兵衛の返事を背に受け、今泉衆の使い番と共に騎上の人となった成光は境山城の裏手から八重湊へと向かうのだった。
成光が八重湊に戻る少し前、境山城の前哨点
成光は自分を入れた4人の地侍の部隊をもって10日交代で境山城の城番に就くこととし、瑞穂からやって来る浪人衆も適宜それぞれの部隊に編入して兵を編制しなおした。
第一陣の浪人衆が地侍衆の商船で八重湊へ到着してから以後も続々と船は到着しており、浪人衆も既に1000名程にまでなっていた。
それに伴って、成光らの実家からも武者や足軽の増強が有り、結果、黒江隊、十河隊、鈴木隊、今泉隊はそれぞれ250名程度の部隊となり、通常時は50名程を周辺地域の偵察に出して、哨戒網を構築したのである。
残った200名の態勢で境山城を警護するとともに、それとは別に八重湊の警固については、休憩中の隊からそれぞれ15名ずつを出して、海洋の見張りを務めることにしている。
今のところ海洋勢力からの攻撃は想定される状況に無く、またどちらかと言えば南海の海洋は瑞穂国側の勢力圏内であるため、他国の艦隊は入ってこない。
東王は元々内陸部の領地を持っているだけであったことから艦隊は持っておらず、西王や南王の艦隊も瑞穂国や南照に対峙しているため軽々には動かせない。
それ故、見張りとは言っても対抗戦力として配置されている訳ではなく、商船や瑞穂からの船の来航を知らせるだけの簡単な仕事なので、少人数でも事足りるのだ。
北王からの定期的な援助で浪人衆の給与や兵糧が賄われ、また武器弾薬が瑞穂国から買い入れられることにより、境山城の防備は飛躍的に強化されており、最早かつてのボロ砦の様相ではなく、一個の軍事拠点としての地位を確立しつつあった。
そうして周辺地域への哨戒網を構築した境山城だったが、早くもその効果を発揮することとなる。
「騎馬が来ます……人は1人のみ。馬は代え馬合わせて3頭」
「本当に人は1人だけかな?」
「間違いありません」
境山城が築かれた山々の平原側、最も境山城から離れた場所に設けられた見張り台に詰めている5名の武者が、異変を感じて頭に注進に及んでから数刻後、ようやくその正体が知れた。
「あれは……この前の戦で裏切ったとかいう、北の騎馬衆か?」
「まあ、北王殿下に対しては裏切ったのでしょうが、我ら瑞穂の衆からすれば初対面での戦で御座いましたから、何とも」
1人の武者の言葉に別の武者が苦笑交じりに応じている間にも、その騎馬はどんどんと見張り台に近付いてくる。
今更ながら、ものすごい勢いで駆けており、しかもしきりに右後方を気にしているようだ。
しかし武者は一瞬その騎馬の様子に不審を感じたものの、周辺に他に人は居ないのを見て取り、自分の矢筒から大きな鏑矢を取り出して言う。
「鏑矢で射竦めてから質問するか。まあ、こんな場末へやって来るなど、あまりよい理由は持ち合わせていないであろうがの」
「いや、暫し待て」
その武者の鏑矢を番えようとする手を優しく押さえて頭が言う。
訝る他の武者達を見てから、頭は西の地平線を指さした。
そこには本来大河の川面が薄く見えているはずだけの場所であるはずが、何かがきらきらときらめいている様があった。
「何じゃあの光は?」
「……うん、しかしちらちらと能く動きおるぞ、まさか人か?」
武者達が目を細めて見るその先には、やはり川面ときらめく物があるだけであったが、自分達が警戒していた騎馬兵がしきりにその川面の方に手を向けているのを、鏑矢を番えようとした武者が訝る。
「あの騎馬衆、何やらきらめきおる川の方を示しておりますぞ?」
「何と?それは我々に既に気付いていると言うことか?恐るべき遠目力だぞ!?」
「しかし何故我らに気付きながら我らの方へやってくるのか?射られるとは思うておらぬのか?それとも、何かを伝えようという味方なのか?」
口々に言う武者達を余所に、頭はじっと目を凝らして川面を見つめ続けている。
そして、しばらくして徐に口を開いた。
「あれは軍勢だ、直ぐに境山城へ報せよ。おそらくは西方の国だろう」
頭の言葉で2人の武者が駆け出す。
そこに恐るべき早さで監視していた騎馬が麓へとやって来た。
驚く頭と残りの武者がとっさに弓矢を構えるのにも構わず、境山城の監視台に向かってソリルは騎乗のままがなり立てる。
「ボクはヤアルザルのソリル!そこに居るかどうか分からないが、サムライのクロエに会いたい!」
「突然来たりて黒江郡代に会わせよとは穏やかならず!用件を述べられよ!」
矢を番えたまま頭が怒鳴り返すと、ソリルは躊躇せず答えた。
「我が王とボクが受けた恩を返しに来た!旗下に加えて欲しい!」
「ほう?」
驚いて矢先を下げる頭に従い、他の武者達も矢を下げると、ソリルは馬上で伸び上がるようにして立つと再び大声を発する。
「あそこの川を渡っているのは西方の諸国の内、シロンはスワレフ辺境伯の軍!ここを目指しているよ!」
ソリルが指で示す方向を見れば、先程頭自身が軍勢と断じたきらめきがある。
そのきらめきは徐々に対岸からこちら側へ移りつつあり、集団が移動していることがようやくはっきりと分かるようになってきた。
西方の軍は重武装で金属製の全身鎧を装着していることが多く、きらめきもその鎧によるものなのだろう。
「彼の軍勢の所属とここを目指しているという根拠は何か!?」
「旗や家紋は交易の時に見知ったものだし、この周囲に3万もの大軍で攻めるような場所は他に無いよ!」
頭はソリルの言動を合理的なものと判断した。
何れにしても八重国を目指している可能性は否定できない以上、警戒はしておいて間違いではない。
それにソリルは間諜にしてはあからさま過ぎるし、潜り込むにしても立った1騎、しかも城の中に騎兵が居た所で何程のことも無い。
「石火矢を放て!」
「承知!」
頭の短い言葉に武者は即座に応じると、矢を矢筒に戻して弓を置き、腰に下げてあった短筒と呼ばれる小型の火縄銃を取り出した。
そして手慣れた様子で火薬の装填を終えると、矢筒から太く短い矢を取り出して筒先から短筒に装填する。
先には火薬の詰められた小箱が装着されており、導火線が伸びている。
武者は短筒を大きく頭上に掲げると、境山城の方向を見てから斜めに銃口を向け、引き金を引いた。
大きな破裂音と共に白煙が噴き出し、短筒の先から放たれた火薬付きの矢は高く天に昇ると、勢いを失うその瞬間に破裂し、音と煙を撒いた。
「案内を付ける故に、城へ向かわれたい!」
「分かったっ!」
頭の言葉に威勢良く応じると、ソリルは馬を更に励ました。
一方その頃、成光が向かった八重湊では、2隻の船が岸壁に着くなりその乗り組員達がいがみ合いを始めていた。
「ほう、そこに居るのは東王のところのちんちくりん……おっと、清鈴智殿か」
「……そういう貴方は、南照の……サル提督?」
「サーマル提督だ!」
怜悧な視線をつまらなさそうに細めて言い返す清鈴智にサーマルはいきり立ち、双方が額を触れんばかりにしてにらみ合う。
配下に付いている者達も臨戦態勢といった風情で、それぞれが武器を持ちだし、今にも抜き放たんばかりの様相を示していた。
正に剣が抜かれようとしたその時、のんびりとした今泉忠綱の声が掛かった。
「この地は瑞穂国八重郡代黒江成光の治める地である。諍いは許さぬ故に双方ともに退き候らえ」
「何を島の蛮族が!」
「指図など受けん!」
血の気の多い者達が色めき立ち、清鈴智やサーマルが留める間もなく最初の血祭りと言わんばかりに剣を抜いて今泉忠綱に襲い掛かる。
慌てる南照と東王の他の随員が叫び声を上げるが、今泉忠綱は全く少しも慌てること無く手にしていた樫の棒をひょいと持ち上げると、最初に剣を振り下ろしてきた南照の随員の手元を打ち上げて剣を取りこぼさせると、返しでその頭を打ち据えて昏倒させた。
そして突いてきた東王の随員の剣先をするりと躱してから、その首元を打って悶絶させるやいなや、別の東王の随員の剣を打ち落としてその腹を衝く。
腹を打たれた随員が耐えきれずにうずくまったのを余所に、南照の随員が横振りにしてきた剣を絡め取って落すと同時に顎先を打って気絶させた。
呆気にとられる南照と東王の使節を余所に、忠綱は樫の棒をすらりと華麗に持ち直して頭を下げた。
あっという間にいきり立った随員達を地に這わせながら、今泉忠綱は汗1つないまま口を開く。
「郡代は境山城に居りますのでな、到着するまで八重港の館でお休み頂きたく」
「お、おう」
「……う、うん」
いがみ合っていた清鈴智とサーマル提督も、冷ややかな怒気をさらりと浴びせられて思わず返事を返すのみとなってしまう。
歴戦の将軍である清鈴智とサーマルを黙らせた忠綱は、更に深く一礼すると静かに踵を返して歩き出す。
「……配下にあのような武芸者を持ってるなんて、黒江成光は相変わらず侮れない」
「う、うむ、恐るべき業の冴えであった……」
それを見送りながら、すっかり今泉忠綱の武芸に毒気を抜かれた清鈴智とサーマルは、先程までいがみ合っていたのはどこへやら、仲良くひそひそと囁き合う。
瞬間、くるりと振り向いてもの言いたげな今泉忠綱の視線にびくりと身体を震わせた2人は、慌てて倒れた随員達の介抱を他の随員に命じつつ、その後を追って歩き出すのだった。
八重湊に到着した成光の目に飛び込んだものは、忠綱の前で神妙に座る清鈴智とサーマル提督の姿だった。
境山城から八重湊に向かう途中で使い番から事のあらましを聞いていただけに、成光にはその光景は異様なものに映る。
通常であれば別々の国から来た使者を一堂に会したりはしない。
それにそもそも東王が統治権を簒奪しているとは言え、大章帝国と南照王国は犬猿の仲であり、領土を含めて目下係争中の案件を幾つも抱えている。
「ええっと、これは一体どう言う……?」
「……同盟の打診」
「む、こちらはまずは挨拶だ。収めて欲しい物がある」
清鈴智に言葉で先を越されたサーマルが慌てて言うと、南照王国の随員達が恭しく小箱を捧げてきた。
「……私もお土産は預かっている」
負けじと清鈴智が視線を送ると、東王配下の随員達が豪華な銭函を持参した。
それぞれの言葉の内容もさることながら、相次いで自分の目の前に捧げられるようにして持ち込まれた品に困惑を必死に隠す成光を余所に、同時にそれらは開かれた。
「……大章銭1千貫」
「南照金貨1枚だ……」
同時にその目録を読み始めてしまった清鈴智とサーマルは思わず互いをにらみ合うが、次の瞬間忠綱に冷眼を浴びせられ、慌てて目をそらす。
それから目の前の成光に迫る。
「「とにかく受け取って欲しい」」
「う~ん、大変有り難い申し出ですが、お断りします」
「「なぜっ!?」」
あっさりと拒絶の言葉を紡いだ成光の正気を疑うかのように目を見張る清鈴智とサーマルを余所に、成光は苦笑を漏らしつつ言う。
「私は瑞穂国の郡代です。他の勢力にも下るつもりはありませんし、この地を放棄するつもりもありません。交易や交渉、瑞穂との通信に関して仲介はしますが、それだけです」
慌てふためく南照のサーマル提督やその随員達を余所に、清鈴智が自分を取り戻し、一旦間を置いてから成光に言う。
「……でも北王の支援は受けている」
「北王殿下は瑞穂国の同盟者ですからね」
「では、北王に付くと言うこと?」
さらりと言う成光に、清鈴智が少し声を低くして問う。
「今のところはそのつもりです。そもそも瑞穂国を東大陸へ導いたのは北王殿下ではありませんか。私はその盟約を引き続き守っているに過ぎませんよ?」
「……今はその回答で納得する、しかないか。今後はどうするのか」
「この地を維持します、そして発展させていきます」
成光の言葉にふむと頷いた清鈴智をおいて、今度はサーマルが恐る恐る問い掛ける。
「瑞穂国を後ろ盾として大陸の覇権争いに加わるのか?」
「まだそこまでは考えていません……そもそも、それ程の力はありませんし」
「力が付けばいずれは、ということか。ふん」
面白く無さそうに成光の回答を補完して言うサーマル。
仕方なく土産の南照金貨をサーマルが下げさせると、清鈴智もそれに倣って銭函を下げさせる。
「交易や通信の仲介はいくらでもさせて頂きますよ」
「ふむ、差し当たってはそれで良い。これから我が国の船がこの湊を訪れることになるだろうが、粗略にしてくれるなよ?」
「はい、それは歓迎します。瑞穂の産品も用意しておきますので、買って頂ければ」
サーマル提督がにやりと笑みを浮かべて言うのに笑顔を返した成光。
その成光に今度は清鈴智が言う。
「東王としても交易は進めたい……瑞穂の鳥銃や銃弾、刀や槍はとても欲しい」
「それはまあ、用意に時間が要りますが、良いですよ」
それにもにこやかに応じた成光であったが、その次に清鈴智から発せられた言葉に笑顔をが凍り付いた。
「ところで……黒江成光は結婚に興味は無いか?」
「はっ?」
笑顔のまま驚くというなかなかに奇妙な行動を取ってしまう成光に対し、清鈴智が淡々と言葉を重ねる。
「東王配下の筆頭将官である武錻鋭将軍の娘が欲しい?ちなみに娘は美人だけど脳筋」
「それは、その、そもそもの話として要りませんが……」
「じゃあ、私はどう?」
何とか言葉を返した成光に、再び言葉を重ねる清鈴智。
「はっ?」
さすがに今度は真顔で何を言っているんだという表情で成光が言うと、清鈴智はふいっと顔を横に背けて言う。
「今の反応は素直に傷付いた。責任を取り、私を慰め癒やすためにも私との結婚を勧める」
「いやいやいやおかしいでしょそれは」
「そ、そうだ!いきなり何の話をしておるのだっ」
成光が取り乱して言うと、それまで呆気にとられていたサーマル提督も慌てふためいて援護の言葉を発するが、その次に出た言葉に成光はとうとう頭を抱えた。
「東王の縁者など以ての外!成光殿には我が国の然るべき姫君を娶って頂きたい!」
「これは……荒れますな」
思わずこぼした忠綱の顔は笑いを堪えるのに必死のそれで有り、それを見た成光は頭をかきむしる他無い。
「とにかく!何れの方とも結婚はしませんので!」
「えっ!?そんな……嘘ですよねっ?」
「あああああ姉さんっ」
時機良く現れた十河結希の言葉に、更に混乱の度合いを深めそうになった席に、急使が飛び込んできた。
「郡代至急!目的不明の軍団が現れました!その数およそ3万!」
その後ろから小柄な人影が現れ、使者の袖を引く。
「あ、あの……」
それに気付いた使者が笑顔でその小柄な人影を前に出して言う。
「その報せをもたらしてくれたのはこちらの娘御です」
「ボクは北の平原のヤアルザルの一族、トゥルムの血に連なる女ソリル。アナタに受けた恩を身体で返しに来たっ」
「だそうですが……?」




