第21話 船団到着
中央歴105年12月3日 八重湊
寒風吹きすさぶ八重湊。
海際にあるこの地はそれでも少し温かいが、一足先に冷え込む大陸から吹く風がとても厳しい。
どちらかといえば南国に当たる瑞穂国とは比べるべくも無い寒さが、成光らを苛む。
しかしそこは抜け目なく大陸の寒さを研究していた彼らは、北王から防寒具を手に入れると共に自分達の装備や衣服も寒い大陸に合わせた物へと変えている。
綿を使った鎧直垂や動物の毛皮を使った足袋と手袋、兜とその錏の内側には綿を張り、あるいは綿帽を下に被り、また鎧の上から身に着ける胴服も丈の長く綿を入れた物を使っている。
そんな北風厳しい八重湊。
周囲を整え、板で桟橋を架けただけの簡素なこの寒々しい湊に、瑞穂国の千石船が5艘もやって来たのは、ようやく寒さが少し緩む昼を過ぎた頃のことであった。
この日湊の警固に就いていたのは鈴木義武で、配下の武者から船団が迫っているとの知らせを受け、早馬を境山城へ飛ばすと共に、自分は残った武者や兵を引き連れて桟橋へと駆けつけた。
しかし、直ぐに彼の警戒心は氷解することになる。
「何やい、瑞穂も何も楠翠の船やいしょ。気遣い無いわ、入港したいんやったら直ぐに許可出しちゃれよ」
義武が緊張を解くのを見て、周囲の武者や兵達もそれに倣う。
確かに義武が言ったとおり、船の帆に描かれている家紋は楠翠国の地侍連合を示す5つ巴紋で、それぞれの船には兵糧と思しき大俵や武具類と思われる木箱が所狭しと並んでいる。
義武の命令で警固の武者が入港を許す旨の旗を掲げ、それに応じて船上から5つ巴紋の旗が掲げられた、船団はゆっくりと桟橋に向かって方向を変えるのだった。
八重湊の広場で、桟橋を使って荷揚げが進む。
船と桟橋の間に渡し板をかけ、小さな荷車等を使って荷物がどんどん陸揚げされていくのを横目に、成光は船団が持参した帳簿と現物の検分に余念が無い。
今日の成光は何時もの鎧を外し、帳簿を見やすいように鎧直垂姿だ。
とは言っても地侍の三男坊、普通の侍が身に着けるような錦を使った華美な鎧直垂ではなく、実用一辺倒の分厚い綿を使った冬用の鎧直垂だ。
成光の率いる境山城の兵達は鎧の上から胴服を身に纏っているが、瑞穂からやって来た者達はそのような防寒具の持ち合わせがなく、羽織や衣服を重ね着して凌いでいる。
彼らは皆一様に成光らの防寒に工夫を凝らした着物を見て感心しきりだが、温かい瑞穂国へ直ぐに戻る為か、あまり手に入れようとか、どうやって造ったのかとかいう質問は飛んでこない。
むしろこのような寒い地に半ば置き捨てにされたことを哀れんでか、温かい言葉を掛けてくる者達がほとんどだ。
そんな中、成光は船団から提出された帳簿を手に運び込まれる数々の品を検分する。
「米300石、麦100石に焔硝10貫目、鉛20貫目、刀槍と鎧兜が50組……んん?浪人衆100人!?」
「家族付きやで、全部で500名。他に職人や大工やら、石工やらもおるし、子供も30くらいはいてるわ」
「えええっ?」
楠翠国から送られてきた、父親である黒江成弘からの心付の目録を受け取った成光が驚きの声を上げると、義武から非難がましい目を向けられた正兵衛が身をすくめながらも飄々とした様子で言う。
「大殿からの心付だそうですぜ」
「浪人衆が!?」
正兵衛の言葉に驚愕する成光。
正直言って職人や大工などの専門職に関わる人材は大変助かるし、実際書状にも要請する旨の文章は入れた。
しかし浪人衆というのは聞いていない。
成光としては、浪人ではなく信頼の出来る地侍を勧誘したかったのだが、父はそう思わなかったようだ。
そうしている内にも船からは荷揚げが終わったのか、件の浪人やその家族達が続々と下船を始める。
背筋こそ伸びてはいるものの、浪人やその家族達は一様にやせており、衣服も古くてみすぼらしい物を着用している。
持物や鎧櫃、武具も古ぼけていて使用に耐えるのかどうか怪しい有様だ。
ただ、初めて見る瑞穂国唯一の大陸領土、八重国を見て皆が皆希望で目を輝かせていることが分かった。
それを察した成光の顔が曇る。
確かに八重国は彼ら浪人衆にとって希望の地であるかも知れないが、未だ何も無い無主の地でもあるのだ。
彼らの生活に関わる一切の責任が成光の背に掛かっていることは疑うべくも無く、また彼らもそう考えているに違いない。
今まで居た500名の兵とほぼ同数の人間が増えることについても、成光は面白くないものを感じてはいたが、それをここで露わにする訳にもいかず、成光は差し当たって八重湊の空の倉庫や待機所へ人々を案内するよう兵に申し付けた。
まずは各部隊に浪人達を割り振りその家族を住まわせる場所を早急に整えなければならない上に、職人達の工房や住み家も用意しなければならない。
未だ境山城以外の建物が十分に用意できていない状態なのに、更なる負担がのしかかることになってしまった。
ただ、人手が増えるのは悪いことではない。
「大殿は“とりあえず人は多くて困ることはない、浪人衆と言えども元は一廉の侍、正しく使えば戦力になる”とまあ、この調子でさ」
「ま、まあ……それはそうだけども」
正兵衛の真似する父親の口ぶりが意外と似ていたことに驚きつつも、成光は気を取り直す。
兵や武者が少なかったのはこれまた頭の痛かった問題である。
ここへやって来た浪人衆は100名と少数であるが、かえってその方がよい。
そもそもの兵数が500と少数であるところへ、いきなり沢山の浪人を混ぜてしまうと主導権を握ろうと邪な思いを抱くものも現れかねないし、浪人衆で徒党を組まれて意見されても困る。
ここはあくまでも黒江家、それも自分が主体となって拓いていくべき地であり、それを阻害しかねない要因は受け入れたくないというのが成光の本音だ。
それ故に、気心の知れた地侍を招致して意見を出すにしても集約させたかったのだ。
しかしながら、父親の成弘の思惑が今ひとつ分からない。
この地を成光から取り上げるなら、成弘は誰に憚ること無い隠居の身なのであるから、直接八重に来ることも難しくない。
体力的に難しいという事もなく、至って壮健である。
しかも成光の送った銭の範囲で事が為されている様子で、物資についても出し渋ったりして何らかの取引材料に使おうということも無い。
父親に何となく邪魔をされたような妙な感じがするが、それでも人数を絞って送り込んできたところを見ると、それなりに配慮はされているとも言える。
「親父殿の考えがよく分からないな……」
「まあ、無碍にはせんが、あんまり勝手はすんなちゅうことかいの」
腕を組んで首を捻る成光に、義武が処置無しといった風情で言う。
しかし正兵衛からはまた衝撃的な事実が話された。
「生之湊には5000からの浪人衆が集まっておりやしたから」
「5000!?」
「それは本当みたいですよ、私の方にも書状が届きました」
「さしずめ今回の100名は先陣と言ったところかな……」
正兵衛の言葉に再び驚愕した成光に、遅ればせながらやって来た結希と忠綱が言うと、成光は頭を抱える。
「ここはまだ不十分な土地です。5000もの人が来たら……家族を入れて2万から3万の人が来たら、支えきれません」
「しかし、戦働きだけでなく出来れば田畑が欲しい者もいるだろう。幸いにも水と土地はあるのだから、そういった者達には土地を分け与えればよいのではないかな?」
「元は侍や言うても、今は行き場の無い可哀想な連中や。受け入れちゃらんか?」
忠綱と義武が相次いで言うと、それまで困っていた成光も思案する。
無人とも言うべきこの地を早急に発展させるには、あちこちから人を受け入れるのが一番手っ取り早い方策である事は間違い無い。
しかしながらやたらめったらに人を入れるのはとても危険だ。
大章のように内乱状態であれば間者が紛れ込む可能性も高いし、同じ瑞穂国出身者といえども、政治情勢が不透明になりつつある今の時点では、やはり間諜が紛れ込みかねず、野放図に受け入れるのはとても危険であろう。
ただ、食料がまともに生産できないこの地において家族ぐるみで人を受け入れるのは無理がある。
当分は直接の戦力となる侍だけを受け入れ、家族はどこか別の場所で生活して貰う、出稼ぎ形式にしないといけないだろう。
成光に家族分の食料や生活物資を運んだり購入したりする余裕は無い。
漁民や農民、山師に木樵、金属加工や木材加工は言うに及ばず、彫金や細工師、木地師や漆職人などの農林水産業に関わる人材も必要だ。
魚は無人の地であっただけあって質量共に申し分なく、侍達が飯の種に釣りをして大物を獲得している。
山の木々も太く高く、林業も少なくとも数年は発展し続けるに違いない。
ただ、土地は実際に作物を育ててみなければ分からない部分もある。
一見肥沃には見えるが、育てる作物によっては適した土壌でない可能性もあるので、少しずつ色々な作物を試しながら規模を大きくしていく他無い。
それには経験豊富な農民の力が必要な上に、何年もの時がかかる事業となる。
諸勢力の角逐の場となりかねないこの地を、どう治めるべきか。
この地をどうするか。
この地で何を成すのか。
そしてこの地で自分はどう動くべきなのか。
米も銭も人も足りないが、最早事は動き出している以上、留めることは出来ないし、留めてしまえばそれはすなわち早期の衰退へと繋がる。
そんな未来は誰も望んではいない。
最初は自分の勲を立て、故郷の地侍達の地位向上だけを願っていたが、たった1回の防衛戦であった先程の大戦で全てが変わりつつある。
最早瑞穂国だけの問題で終わらせることが出来ない状態に自分が踏み込んでしまっていることに、今更ながら成光は気付いた。
それは先だっての北王の訪問が決定的だった。
まさか一介の地侍の小倅に過ぎない自分に東の超大国が将軍位を授けようとうする異様さに、そして遅ればせながら自分がこの新たに開かれた八重国の国主の地位に至る道程に立たされていることを自覚したのだ。
今はまだ郡代の地位に過ぎないが、東王軍を退けた戦の大功をもってすれば、無主の地である八重国の守護の地位も決して遠くはない。
八重国は新興だけにどこの“道”にも属しておらず、新たな道がこれまた新設されれば、守護の更にその上、探題の地位も見えてくる。
「力が……要ります」
黙考し後に開かれた成光の口から漏れたのは、自分でも思い掛けない言葉であった。
しかし言葉は溢れ出る。
「難攻不落の城、各地に開かれた豊かな湊町、強い武者と兵、最新鋭の武具……米や銭もたくさん集めなければなりません」
「よう言うたで!」
すかさず反応した義武が満面の笑顔で成光の背中を強くたたく。
驚く成光を余所に、義武が言う。
「やっと御前も本気になったかえ、良いことじょ!これでわいも武功立て放題やのし!」
「その言葉を待っていた!我が武技を振う機会を存分に与えてくれ給えよ!」
続いて言ったのは忠綱で、義武と反対側に回ると軽く成光の肩をたたく。
「成光君が棟梁です。思うようにやってみたら良いのですよ!」
そう言いつつ成光の手を包み込むように握る結希は、嬉しそうに微笑んだ。
そんな仲間達の反応に面はゆさを、特に手袋の上からでも感じる程の結希の温かい手をくすぐったく感じながら、成光は笑顔を周囲の人々に向ける。
「まだまだこれからです。天下に……いや大天下に、世界に我らこそ此所に有りと知らしめるべく、この地をきっちりと治めていきましょう。それには皆さんの協力と献身が必要です!我こそ此所に在らん!」
成光の時ならぬ宣言に、八重湊は大いに沸くのであった。




