第19話 褒美と境山城の増築
その頃、北王東香歌は境山城の黒江成光を訪問するべく北宣府を発ち、平原と小川をいくつか超えて境山城へと至る杣道をゆっくりと護衛の兵達と進んでいた。
既に先触れの使者は境山城に到達していることだろう。
少し浮き立つ心を抑えるかのように、周辺を見回す東香歌。
境山城に達する道は以前より少し広くなっている。
撤退時に拡張していたのに加え、境山城を攻めて敗れた犀慶将軍配下の兵が更に拡張し、そして最近になって成光らがそこに手を加えたためだ。
街道ではなく、あくまで敵をこちらの都合の良い攻め口へ誘導する意味合いを強く持つ道なので、平坦にはしているがそれだけで、特段舗装も土固めもしていない。
歩けば足跡がつくような粗末な路面である。
しかし大きな石は取り除かれているし均されてもいるので、騎乗でも問題は無かった。
そんな道行きをしていた東香歌らの前に、境山城が見えてきた。
「山の上に城とは、山賊か叛徒のようですな……」
「しかし攻め辛く守り易い良き場所です」
「何やら瑞穂の城というのは華奢でいけませんなあ」
「臨時の城であるからではないかな。これからどんどん設備は整えられていくと思うが……城壁が無く、建物の壁が防御設備になっているというのは、斬新ですなあ」
護衛の武官達が口々に言うのを聞きながら、東香歌は進んでいく。
成光らの働きによって、境山城はどんどんと変貌していっており、未だ完成こそしていないが随分と様相は最初の頃と違っている。
麓を流れていた川は義武の造った堰で水を留められて溜め池となり、川底を晒している。
平原までの道は干上がった川を埋め立てる形で整備し直され、随分と広くなった。
銃眼を設けた土壁が造られ、壁際には逆茂木が立てられた。
櫓や弓射台が幾つも建てられ、長屋形式の兵舎が城内に並び、また城の裏側から尾根筋を伝って八重湊と名を変えられた入江之湊まで軍道が到達している。
銃弾や焔硝、兵糧や武具類、油樽などは境山城に集められることになり、既に八重湊からの移送も完了していた。
城としてはほぼ完成形に近い山城の様相を呈しており、成光は一旦普請を止めさせることにして、今は八重湊に倉庫や岸壁を造っている。
そんな境山城を見て、北王東香歌は驚きと共に瑞穂風の一風変わった城の佇まいに微笑みを浮かべた。
「似通った文化文明ではありますが、やはり違いは明白ですね」
「はい、大章では城は高く分厚い城壁あっての物。城館を直接攻撃に晒される最前線に建物を建てるということはあまりしませんから」
東香歌の言葉を受けてお付きの武官が答える。
東香歌はかねてから皇帝と協議のとおり、境山城へ直接報償について黒江成光との話し合いにやって来たのだ。
護衛の兵は800あまりで、全員騎乗であり、東香歌自身も鎧兜で馬に乗っている。
「しかし、城門がありませんな?」
「そうですね……」
境山城の麓までやって来た東香歌だったが、正面に城門らしき物が無い。
全て山の上に押し上げられており、麓はつるつるの山肌をさらしているのみで、階段や山道のような物も無く、おおよそ人の出入りが考慮されていない造りだ。
しかししばらくして東香歌の一行が城の正面から道に沿って回り込むように移動し始めると、山頂の境山城から声が掛かる。
「高所より御無礼致す!北王殿下のご一行とお見受け致す!」
「如何にも!北王東香歌殿下の御成りである!」
「承知致した!暫し待たれよ!」
山頂の声はそう言うと、止まった東香歌達の戸惑いを余所に城内へ引っ込むと、しばらくして城壁の一部を超えて竹梯子が下ろされた。
「そちら側から穏便に城内へ上がること能わず。御無礼御無体は重々承知なれど、梯子にて至られたし!」
「分かりました!」
護衛の兵達が何かを言う前に、東香歌はそう答えると馬から身軽に飛び降りて山肌に添って下ろされた竹梯子を掴んだ。
「北王殿下……」
「護衛の兵は30名程私に付いて来て下さい。後の者はこの場で待機するように」
もの言いたげな武官にそれだけ告げると、東香歌は梯子を登り始める。
それに護衛の兵達がぞろぞろと続いた。
竹梯子は縄と竹で極めてしっかりと造られており、たわみはするものの鎧兜を身に着けた数十人の人間が次々と登っても揺るがない。
東香歌がするすると登っていくと、やがて山肌を過ぎて逆茂木を越え、城壁を越すと境山城の城内が見えた。
そこには先程声を掛けてきた侍と思しき威丈夫が立って見張っており、後方には黒江成光がいることが分かる。
逸る胸を鎮めつつ、東香歌が境山城の敷地へ降り立ち、護衛の兵達が続いて現れると、黒江成光が前に進み出た。
「色々と防衛上の都合がありまして、せっかくご訪問頂いたのに、この様な形で申し訳ありません、北王殿下」
「いえ、私も戦場に身を置く者、これぐらいのことは無礼とも思いませんので、お気になさらず、黒江様」
成光が頭を下げつつ挨拶をすると、東香歌も浅く御辞儀を返しながら返礼する。
成光の横に並ぶ今泉忠綱や鈴木義武はその言葉に特段反応は示さなかったが、最後の黒江様、のくだりで成光の後ろにいた十河結希がぴくりと反応する。
そして訝しげな表情を東香歌に向けるが、首を僅かに捻るだけに留まった。
成光の先導で境山城の中央にある館へ北王一行が進む。
武者達が油断無く城壁で警備に就き、櫓にも弓を持った武者が遠方を窺っている。
その様子を見た武官が唸ってからささやくように北王へ告げる。
「瑞穂で言うところの大筒という小型砲がありますし、鳥銃も多いですな」
「……ここを我らが攻めれば如何なりますか?」
「先程の造りと合わせて考えれば、恐らく犀慶将軍の二の舞かと」
北王の問いに顔をしかめて答える武官。
その様子を見て北王は頷くと短く言う。
「よく分かりました」
しばらくして館の応接間とは名ばかりの簡素で装飾の一切ない広間に案内された北王は、近侍の武官5名を連れて成光と対峙する。
「まずは先程の戦勝、おめでとうございます。また、適切な指導と援軍をありがとう御座いました。お陰様で東王軍は撤退し、私たちは一息つく事が出来ました……黒江様、今泉殿、鈴木殿、十河殿、ありがとうございました」
礼を述べる北王に、再び引っかかりを覚える結希を除いた者達が軽く頭を下げる。
それを見ていた北王東香歌は、配下の者に運ばせていた報奨金を持ってこさせる。
「差し当たっての御礼の品です。大章銭500貫、些少ですがお納め下さい」
「これは助かります。ありがとうございます、北王殿下」
成光が嬉しそうに礼を述べるのを見て、東香歌もじんわりと良い笑顔を浮かべる。
収入がない成光にとって、この報奨金は正に喉から手が出る程欲しい物だ。
北王派閥も決して物資や資金に余裕があるわけではないが、それでも超大国大章の一端を担う勢力、貧乏地侍の小倅である成光など及びも付かない力がある。
成光の後ろから何かに気付き始めた十河結希が刺すような視線を向けてくるのに気付き、東香歌は慌てて顔を引き締めると、咳払いを混ぜながら口を開く。
「ん、こほん、喜んで頂けたようで何よりです……そして黒江様、折り入ってお願いがあるのです」
「何でしょうか?北王殿下」
「あ、その……他人行儀はおやめ下さい。香歌と呼んで頂ければ……」
「それは不敬ですのでお断りさせて頂きます」
頬を染めつつ言う東香歌に、結希がばっさりと切り捨てる。
「む?」
「お話をどうぞお願い致します、北王殿下」
不満げに頬を膨らませて睨んでくる東香歌に動じることなく、結希はぴしゃりと再度言い放った。
「私は黒江様にお話ししているのですが……」
「では本題のお話を進めて下さい」
「むむ……分かりました」
いつぞや見せた妖艶さとは裏腹の若い女性らしい反応に、成光が目を白黒させていると、東香歌はそれを好ましいものを見るかのような微笑みを向けて口を開く。
「大章帝国皇帝陛下は、黒江成光様に北西の鎮将軍の位を与えたいと考えていますが、受けて頂けますか?」
そう言ってあざとくすがるような目を向けてくる東香歌に、成光は口元を引きつらせながらも答える。
「その次第は以前お断りしたはずです」
「状況が変わりましたので、改めての申し入れです。受けて頂けるのであれば、更なる資金と兵糧の援助を致します。それに石鷲長誠殿からこの地の領主は自由にして良いと言われていませんか?」
「事情はそう変わっていませんし、援助は必要ありません。確かに石鷲殿からは勝手次第と言われていますが、やはりお断りさせて頂きます」
本当は資金源のない成光ら瑞穂国の残党勢力にとって、資金と物資の援助は喉から手が出る程欲しいが、故国との行き来も考えている現状ではそれをしてしまうと真道家や瑞穂国の朝廷との関係を損ねかねない。
成光らの苦況を見透かしたかのように東香歌が首を傾げながら問う。
「本当に大丈夫なのですか?どうしても受けて頂けませんか?」
「どうしても、です」
にべもない態度の成光に、東香歌はしばらく顎の下に人差し指を宛てて考える素振りを見せた後、渋々といった風情で頷いた。
「分かりました、そもそも無理強いをするつもりはありません。それで関係を損ねては本末転倒ですから。その代わりと言っては何ですが、皇帝陛下から境山城の勇士達全員に勧賞として銭1貫ずつ、それに馬100頭と米300石を秣付きで差し上げますので、お納め下さい。それに黒江様、今泉殿、鈴木殿、十河殿には特に大章皇帝陛下からの勲状も出ます」
「有り難く拝領致します」
今度は素直に頭を下げて礼を言う成光。
それ好ましそうに笑顔で眺めながら、結希の視線を無視して東香歌が言葉を続ける。
「では黒江様、一旦私はこれで北宣府へ引き上げます。本当は北宣府で皆様を大いに表彰したかったのですが……残念です」
「ははは、状況が落ち着けばお邪魔できることもあるかも知れませんね」
「はい、楽しみにしています」
明るい笑顔で東香歌は立ち上がり、武官達に囲まれて移動を始める。
見送る成光らと共に先程の梯子の前まで来ると、東香歌はくるりと振り返る。
「成光様、またお目にかかれる時を楽しみにしておりますね」
「は、はあ……」
戸惑う成光に結希は目を吊り上げ、その肩を掴んで揺さぶる。忠綱と義武は互いの顔を見合わせてため息をついた。
「エエ予感はいっこもせえへんなあ……」
「私も同意見だよ、鈴木殿……」




