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第18話 スワレフ辺境伯

 中央歴105年11月10日 西大陸 シロン王国スワレフ辺境伯領府・シレンシア


 西大陸でも東寄りに位置し、大陸の関守を自認するシロン王国スワレフ辺境伯。

 その領都シレンシアは、現在のスワレフ辺境伯であるカヤ・スワレフ・シローナ・シレンスカヤの方針もあり、シロン王国でも有数の繁栄を誇っている。


 先代辺境伯が始めた課税軽減と宿泊統制、それに街道整備と街道護衛の制度を活用し、シレンシアへの立ち寄りと宿泊を強制する代わりに関税を免除し、街道を整備して保有する騎士団をその防衛に宛てることで治安と練度の向上に成果を上げている。


 北方や西方の騎馬部族、東方から時折現れる騎馬部族に騎士団が対処し、隊商や輸送、旅行の安全を無償で保証しているのだ。

 治安が劇的に改善したことで商人達は安全でありながら税も安いというシロン王国スワレフ辺境伯領を旅程に積極的に組み込み始め、最初に実施した強勢宿泊制度は有名無実となっている。


 東方からもたらされる絹や茶、米や大豆、陶器に磁器といった西方では生産できない特産物は、その三分の一がこのシレンシアを通って西大陸の各地へ届けられている。

 船舶を使った東西貿易の量と質は圧倒的であるので、残念ながらそこに対抗するにまではどうしても至らないが、西大陸内陸部に位置する各国は西玲帝国を経由しない交易路としてシロン王国を大いに頼っていた。


 赤いレンガと白い大理石が使われている四角い箱形に赤石で屋根が葺かれており、街路はここ数年の施策でレンガ敷きとなった。

 多数の隊商が馬や馬車で街路を行き来し、宿は隊商や旅人で埋まり、厩は馬で一杯。

 商店には路銀にするためにここで売られた隊商からの東方産物が並び、それに負けじとシロン王国産の羊毛産品や羊肉、豚肉に腸詰、豚や羊の燻製肉、大麦や黒麦にそれを醸造に使用した麦酒などの食料品、皮革産品を扱う商人が声を張り上げている。


 隊商の足となる馬の売買も盛んで、東方や西方の騎馬部族が持ち込んだ優秀な馬が、郊外で競りに掛けられていた。

 そんな繁栄を謳歌している風に見えるシレンシアであったが、ここ数年においてはその情勢も少し怪しくなってきている。


 東大陸の超大国、大章帝国の内乱が影を落し始めたのだ。


 シレンシアの南端にある一角は、ここシレンシアとシロン王国はスワレフ辺境領を代々収めるスワレフ辺境伯シレンスキ家の城館が設けられている。

 政庁とは別に設けられた私邸とも呼ぶべき施設であるが、その政庁や騎士団宿舎が隣接して設けられているので、実質上ここがスワレフ辺境領の最高府となっている。


 灰色の石材を積み上げられた城壁に、赤屋根の尖塔を多数持つ外壁と一体型の城館。

 その領主の執務室で、長くそして輝く金髪を陽光にきらめかせ、灰色の鋭い目を書状に向けていたこの城館の主にして、現在のスワレフ辺境伯当主、カヤ・スワレフ・シローナ・シレンスカヤが立ち上がって静かに溜息を吐く。


「東方情勢は宜しからず、と言ったところか?」


 その姿は一般的なシロン人の女性とは違い、男性と見紛う程である。

 黒い軍服をきっちりと着込み、銀色にスワレフ辺境伯を表わす三ツ星があしらわれた肩章に、銀糸を星形に縫付けた黒いマントを翻す。

 背は高いが、男性とは違って豊かな胸部が目立つ。

 その現スワレフ辺境伯の女性当主であるカヤは、東方に赴いていたシレンシア商人からの書状を手にして再びつぶやく。


「瑞穂国。あの辺地の島国が大陸に足がかりを得たということか……しかし、私にとっては厄介事には違いない」


 窓から外を覗くカヤの目前には、笑顔で道を行き交う人々の姿がある。

 この笑顔をもたらしたのは東方等の貿易であり、それに付随した好景気である事をカヤはそれを主導した身であるからこそよく理解していた。

 今、その東方の雄たる大章帝国が揺れているのである。


 カヤからしてみれば、このシロン王国、ひいてはスワレフ辺境伯領との交易路が途切れないのであれば、大章帝国の政権を誰が担おうが構わない。

 しかし、あっさり東王が奪取するかに見えた騒乱は、瑞穂国の介入に引き続いてその残党としか呼べない瑞穂の部将、黒江成光によって長引かされた。

 騒乱が長引き、本格的な内戦となって大章帝国の国内が荒れれば、交易路の維持どころではなくなってしまう。


 新たな交易先を見つけるか、大章帝国の内乱に積極的に関与しないまでも何らかの形で手を入れて、自分達に有利な情勢を作り出すか。

 しかしそれにはシロン国王の許可が曲がり形にも必要だ。

 如何にシロン王国有数の実力者であり、国政に関与する力と権限を持つスワレフ辺境伯といえども、対外的に事を起こすにはそれなりの手順が要る。


「独身の私を狙う諸勢力も多い。ここで我が力を見せ付けて気勢を削ぐのも一興か」


 騎士団は練度も士気も高く、対外遠征をするための財政的基盤も十分。

 シロン王国の手で瑞穂国の黒江成光を討ってこれを排除すれば、東王軍は心置きなく北宣府を攻められる。

 つまりは東王の大章帝国制覇も近付き、大章帝国に安定が訪れれば、スワレフ辺境伯領も安泰となる。


 その際には瑞穂国排除の恩を着せて交易に相応の色を付けさせることも可能であろう。

 あわよくば緩衝地帯にしている地域を削り取って自領へ編入することも出来るかも知れない。

 そうすれば、河川を通じてスワレフ辺境伯領は海に繋がる。

 河川の行き先は遠浅で大型船の航行が難しい、現在黒江成光が治める半島であるが、半島の反対側には良港があると昔から知られている。


 陸路と海路を抑え、東方交易を独占に近い状態へ持ち込めれば、先祖代々の大望であるシロン王国からの独立の目が見えてくる。


「うむ、やろう」


 カヤは力強くそう1人言うと、分厚い一枚板で出来た執務机に勢い良く腰掛け、羽根ペンをインク壺へと浸し、傍らに常備されている大章紙を取り、その紙面へサラサラと流麗な文字を書き連ねる。

 そうして書き上げた書状を乾かした後、丸めて両端に書状用の赤い蓋をはめ、赤い蝋をロウソクの火で溶かして手紙の縁を封緘すると、中指に填めた家紋である三ツ星が彫り込まれた指輪を押し付ける。


 一息入れ、寝かせていたペンをペン立てに戻すと、カヤは卓上のベルを鳴らす。

 直ぐに筋骨隆々で金髪を短くかり揃えた、執事服をびっちり着付けた執事長のチェスワフが衛士を引き連れてやって来た。


「お呼びで御座いますか?」


 衛士より良い体格をしたチェスワフが問うと、カヤは座ったままごく平静に言う。


「兵を出す」

「ハッ、どこへ出しますか?」

「境山城」


 虚を突かれたチェスワフが驚きの表情で見返すと、カヤは笑みを浮かべて頷きながら、これまた驚いている衛士を手招き、手にしていた書状を差し出す。


「国王陛下に書状を届けてくれ、極めて急ぎだ」


 スワレフ辺境伯はシロン王国の諸侯とは言えほぼ独立勢力といって良いほどの権勢を持っているが、今一歩足りない状態であり、やはり現状国王への配慮は欠かせない。

 国王に許諾を求める内容で、実際は事後報告に近い物だとしても、出さないわけにはいかないものだ。


「お預かり致します」


 衛士がカヤの書状を持って下がると、更に執事のチェスワフが進み出る。


「お嬢様……いえ、カヤ様。境山城へ兵を出す意図は理解致しますが、些か遠いかと。恐らく難航すると思いますし、何より敵は強兵。大章の大軍を一度とは言え大いに破ってあまつさえ将を討っておりますぞ」

「大丈夫だ、瑞穂軍は少数で5百から1千程度であると知れている。我が精強な騎士団や領主騎士達の攻撃には一溜まりもあるまい。それに万が一長引いても兵站は交易路を使えば維持できるし、北域大河の畔に拠点も設ける。今後はともかく、今ならまだ金庫に金はあるし糧食も豊富にある」


 そこまで話したカヤは一旦言葉を切り、しばらく考えた後、ゆっくりと思案しながら言葉を継いだ。



「いや、逆に大章との安定的な交易を維持し続けるには今しかない。これ以上大章の騒乱が長引けば、スワレフ領は廃れてしまう」


 ぐっと唇を噛み締めるカヤを見たチェスワフが根負けしたかのように肩を落す。

 それを見たカヤは、チェスワフに笑顔で言う。


「直ぐに配下の諸侯に召集令を出せ、それから北の部族に雇用交渉を持ち掛けるんだ」

「……北の蛮族を雇うのですか?」


 咎めるようにチェスワフが言うのを流してカヤが言葉を継ぐ。


「戦士1名に西玲銀貨10枚で5千名を雇う。雇用期間は半年だ」

「5万セルスも支払うのですかっ?」

「ああ、今手形を渡す」


 悲鳴じみた声を上げるチェスワフを余所に、カヤは机から手形を取り出した。


「カヤ様、北の因縁深い蛮族との交渉はお控え下さい」

「……我がスワレフ騎士団と諸侯軍の損害を減らすために必要だ」


 シロン王国と西大陸北方の騎馬部族とは因縁浅からぬ仲ではあるが、没交渉というわけではない。

 争いながらも常に何らかの形で交渉の窓口は維持し続けている関係でもある。

 精強とは言え、スワレフ騎士団の総兵力は1万2千ほど。

 配下の諸侯軍が、外征に出せる兵力として約5千。


 シレンシアの守備にも兵を2千は残さなければならないので、境山城攻撃に出せるのは1万5千となる。

 そこに蛮族戦士5千を加えれば、都合2万の兵力となる。

 ざっと兵の数と出兵に掛かる費用を計算したカヤは、ふっと笑みを浮かべて言う。


「可哀想に瑞穂の黒江成光は南から敵が攻めてきた時、牽制役となって北王の力にはなれるが、逆の西や北から自分が攻められた時、北王は頼りに出来ない……東王が気になって黒江成光の助けには行けないからだ。つまり北王は境山城に援軍を出せない、出せば背後を突かれるから」


 カヤの差し出した手形を渋々受け取り、チェスワフは一礼してから言う。


「それは、まあ、そのとおりなのですが……」


 チェスワフも、スワレフ辺境伯率いる騎士団主体の軍が大章帝国軍より強いという事に関しては疑っていないことから、兵力が少ないことには異を唱えない。

 不安があるのは境山城を攻撃している時に背後を北王に衝かれることなのだが、これも今カヤが説明したとおりの情勢であり、恐らく北王は北宣府から動けない。


 そして、大章帝国の内乱が続けば、スワレフ辺境伯がその収入の多くを頼っている東方交易が衰退し、ひいてははスワレフ辺境伯そのものの落魄に繋がりかねない。

 東方交易で財を為し、権勢を強めて独立色を出すスワレフ辺境伯を、シロンの貴族や国王はよく見ているはずもなく、万が一にも隙を見せれば彼らは一気に牙を剥くだろう。


「分かりました、北の蛮族との交渉は私が担いましょう」

「宜しく頼む」


 快活に言うカヤを苦笑しつつ見たチェスワフは、手形を大事そうに押し頂いて執務室から出るのだった。 


これ以降は、更新頻度が下がります。不定期更新となりますので、よろしくお願いいたします。

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