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第15話 平原と境山城

 中央歴105年10月23日 東方大陸北部、北秦大平原 


 短い草が枯れ始めた、どこまでも続く大平原。

 もうしばらくすればちらほらと雪が降り始め、全てが凍てつく季節がやって来る。

 東大陸で最も厳しい冬がここ泰北平原にやって来るのだ。

 北秦大平原をゆったりと流れるエルゲルン川は下流に行けば大章帝国の北王領、扇水河へと変わる大河の萌芽。


 これを辿れば大章に至る道となるが、今は静かに流れるばかり。

 そんなエルゲルン川のほとりに、有力な遊牧騎馬部族の1つ、ヤアルザル族の天幕が数多く張られていた。

 中でも一際大きな天幕では、天頂部から盛んに煙が出ており、天幕内が暖められていることが分かる。

 今も外でエルゲルン川の水を汲んで湧かしていた若い女が天幕へと入って行った。






 その天幕の中には、その中央部奥に大柄な50絡みの威丈夫が分厚い羊毛や毛皮、綿布で設えられた寝台に横たわり、足と顔の傷の手当てを受けている。

 既にどちらも傷口はふさがっており、縫い合わされた痕に少し血がにじむ程度だ。

 先程湯を持って天幕に入った女が甲斐甲斐しく世話をする。

 やがて傷口の清拭が終わり、湯桶を持った女が一礼をして下がると、寝台の前に胡座で控えていた小柄な若い女が快活に口を開く。


「お加減は如何なんですかっ?」

「うむ、痛みはほぼ無くなってきた……助かったぞソリル、改めて礼を言う。お主がおらねばわしはあの北宣府で瑞穂の勇士に討ち取られていただろう」


 大章から北秦と呼ばれるヤアルザル族の族長にして、この北秦平原の騎馬部族を束ねるトゥルム・ハーンは厳つい顔を優しく歪めて姪のソリルに声を掛ける。

 しかしソリルは悔しげに叔父であるトゥルム・ハーンの顔の傷を見て言う。


「いいえ~でも、本当に申し訳ありません叔父上……いやいや、トゥルム・ハーン様。ボク、戦場で不覚を取りましたっ」

「何、不覚とは言わぬ、わしの命は、王の命はお主に救われたのだ」

「いえ、実はボク……あの者に、黒江成光って言うサムライに見逃されたのだと思うのですっ」

 取りなす叔父の言葉を首を左右に振りつつ否定し、ソリルは意気込んで言葉を継ぐ。

「あの者はボクに言いました。運が良ければ戦場で、また。と」

「ふむ、なるほど……わしらがもう大章内の諍い事に関わらぬのを知っていたかのような口ぶり……ふうむ」

 唸るトゥルム・ハーンを前に、少し恥じ入るように顔を赤くして胸元へ手をやると、ソリルは唇を噛み締めながら言う。

「このボクの胸元に受けた一文字の横傷、この鋭い痛みと共に、あの者の顔が未だ思い出されます」

「許せぬのか?」

「いえ、そうではありません。戦いに負けてしまっただけでなく、お嫁に行けない傷を付けられてしまいましたからには、あの者に責任を取って貰わねばと思うのですっ」

 叔父の問いに、更に顔を赤くして答えるソリル。

「うむ、習いにより、討つか……それとも、添うか?」

「わ、分かりません、今の気持ちが何か、ボクには分からないんです。だから、それを確かめたいって思ってます」

 叔父が討たれそうになっていた時は、殺意しか湧かなかった。

 叔父を救おうと、怒りにまかせて力の限り立ち向かったが、あっさりと逆襲されてしまった。

 落馬してからも必死の抵抗虚しく、胸元をすぱりと切り裂かれてしまった。

 極めて鋭い斬撃を受けたが、叔父共々見逃された。

 あまりにも綺麗な切り傷であったが故に、今はほとんど痕も残らないほど綺麗に治癒したが、あの時の衝撃は未だに忘れられない。

 ソリルは女ではあったが、従兄弟達に武芸や馬術で負けたことが無く、自信はそれなりに持っていた上に、戦場でも大いに活躍していたのだ。

 それが馬にも乗っていない徒歩の武人に敢えなく敗れてしまったのである。

「うむ、あの者は強かった。敵ながら素晴らしき武術の冴えであった。あのような者で有れば我が一族に加えても損はあるまい。まあ、それはソリル、お主の名誉にも関わること故、全てお主に任せよう」

「はい……その、ボクはその、ええっと、そのようにっ」

 最後は消え入るような声で答えたソリルに、トゥルム・ハーンはにやりと不敵な笑みを浮かべて言う。

「では許す、好きにするが良い……そして何れにしても、このヤアルザルはお前の母族だ。何時でも戻ってきて構わんし、遊びに来ても、立ち寄っても良い。出入りは自由だ」

「本当ですかっ?ありがとう御座います叔父ちゃんっ!」



 夜半、トゥルム・ハーンの天幕から出たソリルは、直ぐに毛皮で出来た兜を被り、外に留めてあった愛馬にまたがる。

 愛用の騎射弓を背負い、湾曲した腰刀を鞍に差し、食料や水の入った背嚢を馬の左右に振り分けて積む。

 袖や襟に毛が縫い込まれた厚手の外套を着込んでおり、寒さ対策は万全だ。

 既に旅支度を終えていたソリルは、白い息を吐きながら今までの生活に思いを馳せる。

 従兄弟達と競い合った騎乗技術に騎乗戦闘術。

 放牧に出て狼とやり合った経験もしたし、居眠りしている最中に家畜に脱走されたこともあった。

 部族の仲間は温かくて面倒見が良く、ソリルは家族を亡くした傷を少しずつ癒やしてきたのである。

 父母姉弟をなくしてしまった自分を親代わりに育ててくれた、本当の家族とも言うべき叔母や叔父、従兄弟達との別れの宴も済ませ、思い残すことはない。

 聞けば瑞穂軍の本隊は既に南海の彼方へ去ったと言うが、トゥルム・ハーンに名乗りを上げた黒江成光は、境山という地に未だ居残っているという。

 しかもそれだけに留まらず、北宣府に攻め寄せた名将清鈴智率いる東王軍をも撤退に追い込んだという話が聞こえて来た。

 今は一刻も早く境山へ行き、黒江成光と雌雄を決しなければならない。

「みんなありがとう、ボク頑張りますっ」

 そうつぶやくと、ソリルは馬を走らせた。

 向かうのは南西、北宣府の先にある境山城という名の新たな城砦だ。







 ある晴れた日の早朝、境山城では三百名あまりの身軽な格好の人が集まっていた。


 すっかり地肌が剥き出しとなった境山城の麓を眺めつつ、成光と義武、忠綱は兵を指揮しながら自分達も城砦の増築と改築に取り組んでいた。

 ちなみに結希は現在境山城での警戒を担っている。


「さあて、まずは水の手の確保のためにも堰は作っとかなあかんやろ」


 義武の言葉に頷く成光が口を開く。


「とりあえずこの下流にここの川の水を使っている民は居ませんから、完全にせき止めてしまいましょう。義武兄さんお願いできますか?」

「ほい来た、わいに任せちゃれ……行くでえ」


 義武が配下の百名を率い、鉄炮を鋤や鍬、槌や荷車に替えて境山城の上流へと向かう。

 境山城を巡るように谷筋を流れる川を完全にせき止めてしまう工事をするのだ。

 幸いにも水量はそれなりであるが、流れは然程大きくないので、塞き止めること自体は可能であろう。

 続いて忠綱が言う。


「黒江君、落ちる城壁も良いが、もっと創意工夫を凝らすか、逆にしっかりとした城壁を作ってしまうべきじゃないか?」

「そうですねえ、確かに城壁はもっと本格的に作りたいところですけど、資材もありませんし……石垣を組んでその上に土壁を乗せましょう。そしてその外側にまた絡繰りを……」


 成光が言うのを聞き、忠綱が苦笑を漏らして応じる。


「そんなに絡繰り壁が好きだとは、さすがに曲者と呼ばれる方の息子だけある」

「あ~いや、それほどでも?」

「はっはっは、まあ城壁は私に任せて欲しい。悪いようにはしない」


 成光の曖昧な言に大笑すると、忠綱は配下の兵を連れて境山城へと向かう。

 成光の配下は今ここで山麓の修復作業と転がした大石の引き上げを引き続きやっているが、それも間もなく終わるだろう。

 そうすれば今度は境山城へ兵糧や水の搬入作業が待っている。


「やることはまだまだ山積しているなあ……」


 ぼやきながら大八車へ大石を乗せ、兵達を指揮して境山城から繋いだ綱を引きながらその大八車を動かす成光。

 港湾区においても波止場造成や倉庫の建築が必要であり、たった五百名ではそこまでなかなか手が回らないのが実情だ。

 遺棄された船は大小合わせて30隻程あるが、運用するために十分な人数がここには居ないので、人を遣り繰りして整備と清掃をするのが精一杯である。


 先頃、廃船を修築した船で瑞穂国へ配下の者達を向かわせてはいるが、どこまで成果を上げられるかは分からない。

 真道将軍に宛てた事の顛末を記した書状も持たせたが、受け取って貰えるかどうか分からないし、そこに石鷲長誠らが目を光らせていないわけが無く、その妨害があれば、真道将軍の手元に自分の書状を送り込むのは無理だろう。


 しかし今回船を瑞穂に派遣したのは、真道将軍への手紙が主な目的ではなく、本当のところは商人の誘致と資材や工具の購入に加えて、募兵と兵糧及び焔硝、鉄砲玉などの武具の買い付けである。

 配下の者達の頭として正兵衛を命じてあるので、その辺は抜かりなくやってくれるだろうが、身分が低いので真道将軍へ直接手紙を持っていくことが出来ない。


 それ故に故郷の係累を頼ることになるだろう。

 成光ら地侍衆の四名が今この地を離れることは出来ないので、やむを得ない措置だ。

 正兵衛には諸々の費用として瑞穂銭を一千貫渡してあるので、大抵のことはやってのけるだろう。




 昼過ぎ、境山城で作事作業や普請作業に集まっていた者達に昼食が振る舞われる。


「はい、十河家謹製の炊込飯です!」


 鮮やかな桜色の直垂を着用した結希が、境山城に新たに設けられた炊事所の大釜の前で声を張り上げる。

 袖が邪魔にならないよう白い襷でまとめ上げ、右手には大きめのしゃもじが用意されている。

 結希が左手で大釜の1つの蓋を開くと、もわっと湯気が立ち上り、周辺に甘味の強い醤油の芳香が満ち満ちた。


 蓋を取り除かれた大釜の中には、細く切られた人参や牛蒡と共に境山城周辺で採取された山菜がたっぷりと入れられており、またきじうずらの肉が艶やかな色を飯や具材の間から放っている。

 キクラゲ、椎茸、シメジ、松茸などのキノコ類もたくさん入っており、全体に醤油の茶色が利いた素晴らしい色合いだ。

 隣の大鍋では同じ具材で味噌汁が作られており、そちらにも相当の人が集まっているものの、腹を空かせて集まっていた兵達は、蓋が開けられると同時に全員が大釜の方へと引き寄せられるように集まる。


 そして飛び込んできた芳香と光景に、おおおっと感動の声を上げる。

 椀を持ち寄った兵が順番に結希や十河家の給仕番から飯をよそって貰い、汁椀を受け取ると、あっという間に大釜と大鍋の中身が無くなっていく。

 それもそのはず、結希らは物怖じせず気前よく炊込飯を大盛りに盛ってやっているからである。


 飯を受け取った兵達は、めいめいが好きな場所に行って座り込んでは箸を使って飯を食い始めるので、境山城全体が香ばしい炊込飯の醤油と味噌汁の香りに包まれる。

 もちろん結希達十河衆も警戒に就きながら給仕番の手で配られた飯を食い始めている。

 成光と義武、忠綱も最後に結希から飯を手ずから盛って貰い、最後に残った給仕番の女武者らと一緒に炊事所での食事となる。


「美味しいですか成光君?」

「おう、口に含んだだけで頭まで醤油のエエ匂いが突き抜けてくるわえ」

「キノコと根菜、鶏肉も図ったかのような柔らかさ、米の炊き具合も素晴らしいな」


 義武と忠綱が結希の炊込み飯を褒めそやし、成光は無言でコクコクと頷きながら飯をかき込んでいる。

 じーっと結希から見つめられた成光が、味噌汁を飲み下すと、ゆっくりと言う。


「美味しいですね」

「よかったです!」


 その一言で心底嬉しそうな笑顔をで答える結希に、周囲に居た給仕番の女武者達が苦笑し、忠綱と義武が憮然とした表情で飯をかき込む。


「わいらは添えもんか?」


 飯の脇に添えられた漬け物を囓り義武がこぼすと、忠綱が素っ気なく答えた。


「まあ、十河結希殿からすれば然様であろうか」


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