第14話 東王東厳君
中央歴105年10月20日 大章帝国主都 照京
絢爛豪華。
その言葉に尽きるのがここ大章帝国の首都である照京である。
赤い瓦屋根が連綿と続き、黄色いレンガや石垣が市街地を形作る。
路面は全てが灰色の角石を敷き詰められた舗装道であり、雨でも足下が汚れることは無い。
水路が縦横に張り巡らされ、平底の舟が様々な荷物を積んで行き来しており、道路には馬車や牛車、徒歩の人々が大層賑やかに行き来している。
時折牛馬が粗相しているのはご愛敬だ。
碁盤の目状に仕切られて区分けされた街路と街区が隙間無く立てられた建物によって埋められ、時折設けられた水路と組み合わせた形の池を持った公園が息をつかせる。
中央の最北端には、この大章帝国1500年の歴史を支えてきた皇帝宮殿がしっかりとその威容を主張しており、ここが正に世界帝国の大首都である事を明らかにしていた。
豪華絢爛な世界帝国大章の首府、その主である皇帝が住まう皇帝宮殿は、今は最早皇帝の座所ではない。
なぜなら、首府においてこれ程の喧噪を誇りながら、今この大章帝国は内乱の真っ最中であるからだ。
現在この皇帝宮殿を支配するのは、東王東厳君。
北王の元に身を寄せる流浪の皇帝、東嗣成の叔父に当たる人物であり、大章帝国東王領を預かる皇族でもあるが、反乱軍の首魁と称した方がぴったりと当てはまる。
皇帝宮殿の深奥、皇帝謁見の間には、その中央に一際高く雛壇が設けられており、8本の柱に支えられた天蓋が、黄金製の皇帝座を守っていた。
さすがに玉座に座るような不敬な真似はしないが、その雛壇の階下途中に自分の座を設けて座る東王。
これはこれで皇帝へ手の届く位置に自分が居ることを誇示するという不敬之極みであるのだが、今の照京にそれを咎める者はいない。
未だ皇帝宮殿のそこかしこに残る赤黒いシミが、諌言した者達の末路を如実に示していた。
その東王は、先頃届けられた書状を読み下してからとても機嫌が悪かった。
「清鈴智め、目を掛けてやった恩を仇で返しおって……ここに至って撤退だとぅ?」
「清将軍の判断であれば致し方ない面もあるかと思いますが……」
「そんなことは分かっておる!」
居並ぶ列臣の中、将官の1人が恐る恐る言うと、機嫌の悪さそのもので東王が言う。
「犀慶が討たれた上に兵糧が尽きたのであればどうしようもあるまい。それぐらいは分かるわ」
「既に相当な量の兵糧や軍費をこの戦いで消費しております。今はどこを浚っても米1合、銭貨1枚余分なものは出て参りません」
今度は文官の1人が言うと、東王は引き続き機嫌悪そうに鼻を鳴らす。
「仕方あるまい、我が東王領は広大でこそあるが貧しいのだ。蓄えは此度の北宣府攻撃で尽きたわ。来年の収穫を待つ他あるまい」
「来年になれば皇帝直轄領の収入も入って参りますので、少しはましになるかと思われます」
古参の文官、張佳岐が長く白い顎髭を扱きながら発した言葉にため息をつく東王が力を落して言う。
「そうなって欲しいものだ。南王や西王に渡す分け前も馬鹿にならん、全く……」
本当であれば照京を掌握した時点で大章帝国の国庫を開いてその財貨を接収する予定であったのに、南王と西王が先走ってこれを略奪してしまった。
しかも、その直前にこれは東王の部下も加わっていたが、官吏を相当粛正してしまった故に隠し財産や他所で保管している財貨のありかを把握しきれなかった。
加えて北王が照京から都落ちする際に持ち去られてしまったり、焼き落とされたりした物も随分とある。
結局、戦力に替えられそうな大章銭や米俵は期待したほどは接収できなかったのだ。
然りとてこのまま戦勝の勢いを失わせるのは勿体ないと考えて、手元の物資を遣り繰りして無理な攻勢を重ねさせた東王。
大方の予想通り、遠隔地であることもあって兵糧が続かず撤退となってしまった。
「清将軍であれば北宣府をも落してくれるのではと言う淡い期待もありましたが、さすがに兵糧が続かぬのでは無理で御座いました」
発言したのは、これまた古参の将軍である武錻鋭である。
厳つい顔と身体を無理に武官服に包んでいるので、姿形も合っておらず、胸元や腕がはち切れんばかりで今にも破れそうだ。
張佳岐と武錻鋭を始めとする東王配下の者達がこの場にありながら然程気落ちした様子もないのは、最初から想定されたことであったからだ。
文官筆頭の張佳岐が言う。
「さすがに照京で民人から徴発をするわけに参りませぬ……物は豊富に御座いますが」
「当たり前だろう、ここで民の支持を失っては立行かぬわ。ただでさえ我々は大過なく政を行っていた姉弟から権力を奪わんとする簒奪者なのだからな。ここは民人にわしが統治者であっても何も変わらぬと知らしめねばならぬ。今でも官吏を粛正してしまったことで若干行政に緩みがあるのだ。これ以上の混乱の種は御免だぞ」
照京を占領して官吏達を粛正はしたものの庶民には手を出していない東王。
些か占領の混乱期に不幸な目に遭った民人は居るが、多くはない。
当初は物資調達を武力をもって行おうと考えたりもしたが、その選択肢を捨てて結果的に成功した。
お陰で潤沢とは言えなかったが、物資の輸送や購入に照京商人をあてがうことができ、輜重や補給が上手く運んだのである。
これを発案したのは、現在北王領に攻め入っており、今正に撤退の書状を送って寄越した清鈴智であった。
「撤退は認めよう、それこそ仕方が無い。犀慶のことは残念であったが、此度の遠征については誰にも罰は与えぬ」
「はっ、清鈴智に無理であれば、他の誰がやっても失敗したでありましょう」
将官筆頭である武錻鋭の言葉に、東王は先程入手した書状を右手に持って左右にふらふらと振りながら言う。
それこそ正に清鈴智が今日の撤退に先だって東王へ送っていた戦況説明と撤退の事後承諾を求める手紙だった。
手紙を自分の脇の卓に置き、東王は自分の列臣達に声を落して言う。
「それよりも、だ……瑞穂の動き、どう見る?」
東王の言葉に列臣達の顔が引き締まる。
一旦は撤退となった北王討伐であるが、致命的な打撃を受けたわけではなく単なる物資不足で、兵力は多少の損耗があるものの、その程度は軽い。
それよりも瑞穂国軍の動向が予想と違ったのが、今後の戦略に影響を与えそうなのだ。
張佳岐が顎髭を扱きながら言葉を発した。
「本隊は撤退をしている様子ですので問題ありますまい。こちらから瑞穂国内部に交易をもって喰い込んでいる者から工作が成功したとの報せが来ておりますので、それに付随した動きで間違いは無かろうかと思われます」
「ふむ、真道将軍とやらの体調は良くないのか?」
「いえ、そうではありませぬ。本人にそのような風評は今のところありませんが、英傑とは言え老境に達しようという年齢、後継者選びに些か問題がある様子でして」
「どうも後継者が今ひとつ能力的に優れぬようです」
東王の疑問に張佳岐が答え、更に武錻鋭が補足で説明をする。
2人の回答を聞いた東王が面白く無さそうに鼻を鳴らした。
「それは頭の痛いことだな、真道将軍とやらもそうだが、臣共も惑うだろう」
「利をもって後継者選びを少しばかり焚き付けておきましたので、権力闘争が起きると思われます。しばらく瑞穂は荒れるかと」
張佳岐が瑞穂国本国の政治情勢が今後荒れる方向であり、今しばらく瑞穂国から直接の軍事遠征は行われないであろうという意見を開陳すると、武錻鋭が口を開く。
「問題は残った黒江成光とやら申す瑞穂の将です。これは相当できる様子ですな」
「……北王本陣を騎馬部族の奇襲突撃から守った瑞穂の低位の者だったか?こ奴めのお陰で渾身の奇策が水泡に帰した。しかもまた此度も邪魔をしおった。腹立たしいが、なかなか大した者のようだな」
忌々しげではあるが、どこか好敵手を得られたことを面白がる様子で東王が言うと、神妙な顔で武錻鋭が言う。
「犀慶は手も無く捻られた挙げ句に討たれてしまったようです。問題はあの場所に瑞穂軍が居残ってしまうと、どうしても今後北宣府を攻める際に意識せざるを得ませぬ。先に攻め潰すべきです」
「難攻不落だと聞いているが、速やかに落とせるか?」
「それはやってみなくてはと言うのが正直なところですが、此度の戦で再び北王が息を吹き返して兵力を増すような事態になれば、厄介にはなりますな」
東王の疑問に答える武錻鋭の顔は難しい。
一万の兵では北宣府で籠城する以外に取れる選択肢は無いが、三万を超えてくれば戦術の幅が広がりその限りではなくなる。
例えば成光の籠もる境山城に向かった東王軍の背後を窺うとか、補給路を脅かすなどという戦術が取れる。
黒江成光の兵力が未だ未知数であるが、場合によっては挟み撃ちになりかねない。
「ふむ、此方が黒江成光とやらを攻め立てている際に後背を衝いてくるか?成程……腹立たしいが懐柔する方が得策か……黒江とやらの年齢は分かるか?」
「確かまだ20に少し過ぎた程度かと」
将官の1人が応えると、東王は驚いて目を見開いてから苦笑いを浮かべる。
「そんな若造にしてやられたのか……ああ、いや、この際わしの腹立ちは良い。それではここは単純に銭と女で懐柔といくか。誰か妻合わせて良い者はおらぬか?」
さすがの東王の下問であっても、これには誰も反応しない。
自分の係累や子女を南海の蛮族に嫁がせようという酔狂は居ないということだ。
しかし、そんな中で武錻鋭だけが他と違う理由で黙っていた。
武錻栄に連なる将官達も思案顔だが、張佳岐がそんな沈黙を破るかのように言う。
「子女の話はともかく、銭は大章銭で千貫ほどを挨拶料として出しましょう。手形は使えませんので、現物を用意いたします」
「痛い出費だが、兵を出すよりは遥かに安く上がる。銭を用意するのは少し時間が掛かろうが、それで良かろう」
東王が張佳岐の案に同意すると、しばらく考えたていた武錻鋭が徐に東王に切り出す。
「恐れながら東王殿下、黒江成光に我が娘の武夏姫を推挙致したく」
「なに?」
東王としては正式な婚姻関係よりも、誰かが妓女を宛てるような話を出すと考えていただけに、武錻鋭の言葉は意外だったのである。
そんな東王の反応や驚く周囲の列臣達の態度、特に文官達の物好きなというものを感じながら、武錻鋭は熱っぽく言葉を継ぐ。
「私は瑞穂の武技や武略にかねてから興味がありましたが、黒江成光なる者、聞けば先の北宣府の戦いや此度の犀慶を討った戦いで恐るべき手腕を発揮したとのこと。これだけでも相当な、ああいや此度の戦いにおける最大の武功。それのみならずあの清鈴智をも撤退に追い込んだ稀代の戦巧者。この策が成るとあらば、策とは申さず是非とも我が一族に迎えたく」
「ふっ、東方随一とも名高い武将軍が然程までに褒めちぎるとはな」
東王が驚きながらも面白がるように言うと、武官や将官達が次々に発言する。
「確かに武将軍のおっしゃるとおり、彼の者の武功は群を抜いております」
「犀慶が討たれてしまったことについては残念ですが……敵ながら天晴れと」
「……僭越ながら武夏姫殿ではなく、我が娘では如何でしょうか?」
「あっ、いやそこは、私めの縁戚の娘を推挙致したく」
「馬鹿者共が!最早話は決まったわ」
将官達を怒鳴りつけて黙らせると、武錻鋭は東王に向かって言う。
「では、我が婿黒江成光に一千貫を与えると言うことで宜しいでしょうか?」
「もう婿は決定なのか?……まあ良い、その方向で話を武将軍が進めよ。使者の選定も任せよう」




