第11話 余波2
「陛下!?」
「瑞穂のような劣等国の蛮族と直接お会いになるなどあってはなりませぬ!」
「偽物かも知れぬのです。危険です」
驚いて面会を制止しようとする列臣の中にありながら、しかし東香歌は思案顔で黙り込む。
清鈴智の陣換えと余りにも時期が合いすぎる。
これは本物かも知れない。
あの清鈴智が陣換えを行う判断をする何かが瑞穂のこの者との間に起きたのだ。
加えて東香歌には黒江成光という名に、はっきりくっきりと記憶があった。
その名を聞いて心が躍ったのは、秘密だが……
「彼の者、黒江成光殿は先頃の北宣府近郊の戦いにおいて見事に寡兵を指揮し、北方騎馬部族を撃破して撤退に追い込んだ瑞穂の勇将です。それに、此度の清鈴智将軍配下の陣換えと関係があるやも知れません。お会いなさって良いかと」
「しかし卑しい蛮族を皇帝陛下が直に引見するなど……」
官吏の1人が反対意見を述べるが、東香歌はゆっくりと頭を横に振りつつ言葉を継ぐ。
「もし私が知る黒江成光殿ならば、引見しておくべきです。彼の者らは恐らく極めて強力な援軍となりましょう」
「そうは仰いますが北王殿下。先の戦と言うならば彼の者らはこちらに使者1人寄越さないまま撤退したのですぞ。然様な背信の輩が今、南王や東王、西王に通じていないとも限りますまい」
また別の武官が言うと、今度は皇帝が発言した。
「いや、会ってみようと思う」
「陛下!」
「陛下……ありがとうございます」
列臣が否定の声を上げ、東香歌が意見採択の礼を述べると、皇帝はゆっくりと頷いてから口を開いた。
「姉上が話していた、瑞穂国から引きはがし、大陸に居残らせた哀れな者共であろう?この姉上が策を弄してまで彼の者らが言う八重という地に縛ったのだ。どの様な者達が酷い目に遭ったのか、非常に興味がある」
その言葉に周囲の者からうめき声が漏れ、策を直接実行した東香歌は少し嫌な顔をして言った。
「確かにそうですが……少し言葉をお飾り下さい、陛下」
大章皇帝への使者としてやって来た今泉忠綱は、敗亡寸前の勢力の根拠地とは思えない程整えられた城壁と都市に驚き、続いて未だ規律正しく案内をしている大章兵に再度驚いた。
少し破れたりはしている箇所もあるが、概ね屋根瓦が整い、壁も綺麗に塗られた町並みに、少なくなったとは言え商店には様々な種類の商品が並べられている。
兵の姿が多いのは時勢柄仕方の無いことだが、民人も引き籠もっている様子はない。
町並みを見る限り戦の影響は少なくない様子ではあったが、民人も兵士も疲れてはいるものの荒んだ様子がほとんど無いのだ。
「大章帝国とは何と懐の深い国である事か。かような戦乱にあっても民人が然程困窮しておらぬとは……」
「まあ、場所に拠るのでしょうが。ここは戦が起こっているとは、ましてや先頃まで包囲されていたとは思えません」
忠綱の言葉に供の者として大荷物を担ぎ、付いて来た今泉家の若侍が応じる。
そして、宮殿に案内された忠綱は三度驚いた。
「瑞穂国執権、真道大臣長規が家臣、八重郡代黒江成光の使者として参りました、今泉忠綱と申します」
「朕が大章帝国第30代皇帝東嗣成である!」
朗らかな様子で謁見する皇帝は未だ若いとは聞いていたが、廃位寸前の皇帝とは思えない程険や陰が無いが、馬鹿さや暗愚さは感じない。
北王の方針かそれとも内乱中であるからか、皇帝の服装はかなり簡素にまとめられている様子だが、生地や縫製は東の大国、大章皇帝の威に恥じぬものだ。
皇帝冠も小振りな物で、東方の貴人にあるまじきことだが、顔が見えやすい。
華美ではないが豪華に整えられた謁見の間の様子にも驚いたが、皇帝の佇まいにただならぬものを感じる忠綱。
供の若侍も思いは同じようで、後方に控えながら背筋を震わせている様子が伝わってきた。
本来謁見はこれで終わりであるが、下がろうとした忠綱に皇帝が声を掛ける。
「此度活躍したという黒江と申す者に会えぬのは残念だが、聞けば朕と同じ字を名に使っているそうな?」
「陛下、誠に恐れ多いことでは御座いますが、何分異国の出自でございます故に」
すかさず北王東香歌が言うが、皇帝は首を横に振って言葉を続ける。
「何も咎めようというのではない。肯んじ難いことなれど、今の朕は照京から追われ、この北宣府に逃れ出た身であってなあ、手元にやれる褒美が無い。故に、朕が直ぐにやれる褒美として黒江成光が我が名の字を使用することを許す」
「……陛下、それは」
打ち合せに無かった言葉を発した皇帝に、北王東香歌は戸惑いつつも窘めようとするものの、再度皇帝はそれを今度は手を上げることで遮った。
「北王よ、故国からはるばる海を越えてやって来た勇士達に十分に報いられるほどの余裕が無いのは承知している。それ故に、些かなりとも朕なりに報いようと考えた結果である」
「陛下……」
「使者殿よ、どうか朕の衷心、断ってくれるなよ」
忠綱は何も言えぬまま、黙って頭を下げてその場を下がる他無かった。
「先程は驚かせてしまい申し訳ありませんでした」
「いえ……皇帝陛下の異国の身分低き武人への心遣い、誠に心に響きました」
別室の会議室にて実務会議を行うべく忠綱を誘った北王東香歌は、そう謝罪をした。
はっきり言って厄介事だと忠綱は感じているが、今はそれも口には出来ない。
東大陸に連綿と続く系譜を持つ、大章帝国皇帝の諱を授けられた。
正確には授けられたのではなく、名乗りを許されただけであるが、如何に異国の出自とは言え、形だけでも大章帝国に属するのであれば名を変えるのが本来あるべき姿だ。
それを武功に理由を付けてあっさり許されてしまったのだ。
米なり硝石なり、あるいは弾薬や矢弾なりを褒美にかこつけてせしめるつもりであった忠綱だったが、望外とも言うべき褒美を授けられてはそれも要求しづらい。
軍の体裁を整えるには何の足しにもならない名誉を授けられてしまったが、褒美は褒美であり、ましてやこれからしばらく成とも連携しなければならない勢力の頂点に立つものからの褒美である。
断るという選択は出来ない。
これが全く面識の無い者からの仕打ちであれば、援助を渋っての策略だと疑ったところだが、あの皇帝を見てみて思うに、それは考えづらい。
単に成光に報いたいという思いと、褒美として渡されるべき物資を少し減らしたいという心積もりがあったのだろう。
つい先日まで籠城していたのだ、北王派も決して潤沢な物資があるわけではない。
北王としては止めたかっただろうが、皇帝が口にしたことを翻すのはもっと不味い。
損にはならないと思っているのだろう。
そんな忠綱の心の内を知ってか知らずしてか、北王は話し始める。
「それで……何があったのですか?」
「端的に申します。黒江成光とその一党は境山城にて犀慶将軍率いる兵3万と激突し、これを撃破。犀慶将軍を討ち取りました」
「えっ?」
「犀慶将軍が率いていた兵達は潰走しましたが、間もなくこの地に逃げ込んでくるはず。恐らくここ北宣府を先程まで包囲していた軍に吸収されることでしょう」
驚く北王とその周辺の武官、官吏達。
その北王の目の前に、忠綱は若侍に持参させた血まみれの大矛を出させる。
布に包まれていたそれは、紛う方無き犀慶将軍自慢の大矛であった。
「我が故国では武功の証に首を獲りまするが、犀慶将軍は些か酷いことになっておりましてな。此方を代わって持参致した」
忠綱の言葉を受け、若侍が大矛を部屋の傍らに置く。
そこへ城外の部隊から伝令がやって来た。
「接客中申し訳ありません!城壁守備隊から伝令!」
武官達の視線を受け、北王が頷く。
中に通された伝令兵が大矛を見て目を剥くが、直ぐに気を取り直して口を開いた。
「城壁守備より伝令!清鈴智将軍の元に敗残兵が流れ込んでおります!清鈴智将軍は陣外にてこれらを収容しようした様子ですが、果たせず敵陣が乱れております」
慌てて軍に指示を出しに行く武官を尻目に、北王が普段の優雅な所作をかなぐり捨てて忠綱に身を乗り出して問い糺すように言う。
「そ、それでっ……?!」
「成光が申しますに、3千ほどの少数の兵で構いませぬので、早急に城外へ布陣なされよ、と。さすれば敵は撤退するだろうとのことで御座いました」
北王や武官、官吏達の色めき立つ様子を余所に、静かにそう言ってから落ち着いた仕草で出された茶の椀を見る忠綱。
忠綱の発言内容の真意を測りかねた北王が武官達を見るが、武官達も首を左右に振っている。
しばらく茶碗を眺めた後、北王と武官の遣り取りを見ていた忠綱が提案した。
「それがしも成光指揮下でそれなりに武功を挙げし者にて御座いますれば、城外布陣の末席に加えて頂ければと思います」
見れば重臣と思われる者の言動だ。
自分も北王派の兵と供に城外へ布陣するというのであれば、兵をおびき出しての鏖殺という奸計の類いでは無いだろう。
それに、敗残兵が続々と北西から現れてもいる、嘘ではあるまい。
武官達は要領を得ていない様子だが、北王は決断した。
「直ちに6千の兵を動かします。清鈴智のいる南門から兵を出しなさい」
清鈴智は紫志麗からの報告を受けて珍しくはっきりと顔をしかめた。
「敗残兵の数が思ったより多く、受け入れきれませんでした」
「……仕方ない。再編成を急がせて……それから、なるべくウチの兵士達とは関わらせないようにして」
「それは……分かりました」
敗北の情報が兵達に伝わって士気が下がることを恐れていた清鈴智だったが、それにしても酷すぎる有様の敗残兵達。
一旦は陣外で収容するよう手を尽くしてみたものの、それは果たせず陣内への合流を許してしまった。
敗残兵の様子を見れば、犀慶将軍配下の軍が壊滅したことは一目瞭然で知れてしまうので今更ではあるが、それでも兵同士が直接言葉を遣り取りするようにはしたくなかった。
言葉の遣り取りがあれば、具体的な敗北の状況が知れてしまう。
それに尾ひれが付くのが常のことで、留めることは難しい。
だからと口外を禁じれば、その命によって更に尾ひれが付いてしまう。
「……最初に犀慶将軍と腹を割って話しておくべきだった。これは私の失敗」
ぽつりとつぶやいたのを聞き、いたたまれなくなる将官達。
その中で、少しためらってから副官の紫志麗が声を掛ける。
「敗残兵の収容には今しばらく掛かりますし、治療や糧食の配布も必要です」
「……北王だけならば、大丈夫だけど……」
眉を再びぎゅっとしかめた清鈴智の言葉に、紫志麗が訝る。
「北王殿下以外にこの地に敵がいますか?」
「黒江成光」
何時ものためを持たせずはっきりとその名を口にした清鈴智に、周囲に居た者達が驚く。
先だって行われた北宣府の戦いにおいて北王がその武功を直々に賞し、今また敗残兵から聞こえて来る、犀慶将軍を討ち取った瑞穂軍の指揮官の名だ。
「仕方ない、直ぐに……何?」
言葉の途中に何かの気配を感じた清鈴智が今度は不信感をもって陣の北東側、つまりは北宣府の南門を見る。
それと同時に、北宣府の南門が開かれ、わらわらとと北王派の兵士達が出て来た。
続々と兵が南門から現れ、方陣を形成していく。
陣換えをしていたことで辛うじて正面にそれを捉えることになった清鈴智軍。
しかし兵士達の動揺は大きい。
籠城一辺倒であった敵が、ここで満を持して討って出てきたのだ。
「……これは、黒江成光、随分と曲者」
無表情のまま言う清鈴智。
北王では、いかに好機と雖も安全な北宣府から討って出るという発想は生まれ得ない。
清鈴智軍が引いたことでほっとするのが精々だ。
そもそも、現時点でこの状況を好機と捉えているかどうかすらも怪しい。
戦巧者ならばここで寡兵であっても容赦なく攻撃に出るだろうし、もし清鈴智が北王の立場であれば討って出て瑞穂国軍の進撃を警戒して腰の据わらない攻囲軍を大いに打ち破っただろう。
清鈴智軍の北宣府包囲を解かせるという構想を描いたのは、きっと北西の砦にあって犀慶将軍を打ち破った黒江成光なる面妖な瑞穂の将に違いない。
それでいて、北王に積極的な攻撃をさせなかったのもいやらしい。
好機である事を理解していない軍に勢いが付かないことを知っているのだ。
今が好機と思っていない軍の攻勢は中途半端になる。
将と兵が一体となり、今が好機である事を理解して初めて士気が高まり、攻勢に出る下地が整うのであって、余所から今が攻め時だと教えられて半信半疑で攻めても、意味が理解できていない将と兵の士気は上がらず、それどころか思わぬ反撃で攻勢自体が瓦解しかねない。
それを黒江成光は理解しているからこそ、北王軍を布陣させて圧力を清鈴智にかけるだけに留めたのだ。
正に曲者、何といやらしく戦を知り尽くし、そして周囲の状況を利用することに長けている将なのか!
しかも、正面突破だけは得意な犀慶将軍を手も無く捻って討ち取ってもいる。
背筋の下から後頭部へ駆け上るぞくぞくした得も言われぬ感覚を覚え、歓喜の感情に身を震わせて全身を冒す感覚に身を委ねる清鈴智の顔は、一言で言うと呆けていた。
清鈴智の恍惚とも言うべき表情を見た周囲の者達が驚きを深める。
そんな周囲の驚きに感知せず、一瞬で何時もの清鈴智らしい無表情さに顔を戻すと、いつも通りの怜悧な口調で命令を発そうとしたが、その美貌の口唇からため息が漏れる。
素早く北西の方角を見た清鈴智の視界には、未だ敗残兵の群れのみ。
しかし夕暮れが近付く時刻。
北宣府の北西に連なる山地の裾を遠望した清鈴智は、僅かにきらめく光を見て取った。
それは明らかに銃火の光。
黒江成光は、駄目押しの攻勢に出て来たのだ。
「……陣を扇水河まで後退させる。敗走にならないよう慎重に。犀慶将軍の敗残兵が逃げるのは捨て置いて良い、自軍の兵をしっかり掌握して」
「わ、分かりましたっ」
清鈴智の指示を受けて紫志麗を筆頭に将官達が慌てて本陣から出て行く。
扇水河は北王領と皇帝直轄領の境目にある大河であり、実質的な撤退を意味していた。
北西から吹く風が、静かになった本陣に佇む清鈴智の外套を翻す。
清鈴智は黒江成光の狙いが包囲を解くことだけではなく、自分を撤退に追い込むことであったことに気付いたのだ。
正確に成光の兵力を把握していない清鈴智には、今は退く以外に方法が無い。
悔しそうに唇を噛み締めてから、それでもほうっと色っぽいため息をついて清鈴智はつぶやいた。
「……今回は負けた。でも次は攻め立てる」
北宣府守備の3千に皇帝直轄の5百を除いた最大兵力の6千5百を率いて南門前に方陣を敷いた北王の目の前で、清鈴智将軍が撤退を始めた。
犀慶将軍の敗残兵を収容しながらであるので、極めてゆっくりではあるが、南の皇帝直轄領との境界である、扇水河に向かっているのは間違い無い。
「追撃は止めておいた方が宜しいですな」
「……分かっています」
本陣に将官達と供に控える今泉忠綱に忠告され、羽扇を動揺で揺らす鎧姿の東香歌。
同じ思いでいた将官達がそわそわしているのを見て取り、前もって用意していた瑞穂風の鎧兜を身につけ、陣の中で異相を際立たせている忠綱が冷静に言葉を継ぐ。
「黒江成光が派遣した兵は僅か100余り。追撃してきたと見せかけることで清鈴智将軍とやらを疑心暗鬼に陥らせるぐらいしか出来ませぬ。それに敗残兵を収容しつつとは言え、敵は3万から5万の大兵を保持し、指揮系統に乱れもほとんどありませぬから、退却途中とは言え攻め掛かれば押し包まれますぞ」
「むう、確かに」
「それに退却しているとは言え、相手はあの清鈴智将軍です」
「相手の兵力は圧倒的ですからのう」
ようやく納得した将官や武官達がそう言い始めるのを聞き、忠綱は言う。
「我々はここで戦って勝ち、実力をもって相手を追い払ったにあらじ。あくまでも相手が別の場所のでの敗戦に警戒を強めた結果、撤退しただけでござる。勘違いなされませぬようお願い致す」
忠綱の言葉は将官達の耳には痛い。
今回の戦いも成光や忠綱を始めとする、瑞穂の地侍が主導して組み立てた。
そして、別の場所である境山城と名付けた砦の攻防で勝利を得たのは成光らであって、北王側は僅かな情報を提供したのみで全く関与していないのである。
今ここに布陣しているのも、成光からの依頼あってのことなのだ。
しかめっ面や渋い顔をする将官達を余所に、北王は笑みを浮かべて忠綱に問う。
「では、この今の状態は、瑞穂であればどう判断するのですか?」
「戦に勝っては御座いませんが、然りとて負けたわけでも御座いません。局地では引き分け、大局では相手を撤退させたので、勝ちと言えましょうな」
そう答えた忠綱の視線の前を、清鈴智将軍率いる軍が整然と撤退している。
3万を超える軍が正面をこちら側に向けたまま移動し、隙を見せないその用兵の妙に、忠綱は単純に感心する。
陣が乱れているならば、少し脅かして更にかき乱してやるべく北王に進言するつもりであったが、これでは隙がなさ過ぎる。
逆に下手に此方の陣を動かせば食い付かれかねない。
そう思考を巡らせていた忠綱に、北王が声を掛けた。
「今泉殿」
「……如何しましたか?」
「質問があるのですが……此度のこの事態、我々の勝利として喧伝しても差し支えありませんね?」
北王が悪戯っぽい笑みを浮かべながら問うと、忠綱は面白くもなさそうに応じる。
「我らの武功を正しくかつ大いに広め、我らが武名を高めて頂けるならば、その辺はお任せ致す」




