第三十七話 阿形さん、何かやったでしょ?
「あぁ、これは懐かしい匂いかも」
『あきらかに淀んでいる水。いわゆるドブになりかかっている水の匂いだな』
(そうですね。これは、うん。やりたがる人いないでしょうね……)
『だが、なぜこのような依頼を選んだんだ?』
(こういう『塩漬け依頼』と呼ばれる案件は、やってもらうために徐々にですけど依頼料が上がっていくらしいんです。嫌な仕事ほど、予算をかけてでも早く終わらせたいのはどの世界も似ています)
『なるほどな。これもあれか?』
(はい。ちょっとした豆知識のように、漫画にも書いてありましたね)
腰までの長靴ズボンを履いて、長手袋を装着する。
スコップと土嚢袋を側溝の上に置いて、足首くらいの水深がある側溝へざぶざぶと入っていく。
「うー、これはこれは……」
『臭いな、確かに。どうにかならんものか――』
そのとき、僕の周りから一瞬でドブ特有の臭さが消えた。目の前にある水の流れは、まるで僕の地元の海のように澄んでいる。
(……阿形さん、何かやりましたね?)
つい先ほどまで、足をとられそうになるほど堆積していたヘドロのようなものは、砂のようになっていた。
だが、落ち葉や木切れのようなものは消えてはいない。
『あぁ、済まん。水が汚れているのは我慢できなくて、つい、な』
(確かに、水の綺麗なところに僕たちは住んでいましたからね)
『悪いとは思ったが、それでもだな。ゴミをマテリアル化するのだけは我慢した。作業工程が不明になっては、依頼の達成が無効になっては困ると思ったからなぁ……』
阿形さんの口ぶりだと、ゴミも全てマテリアル化してしまいたかったように聞こえてきた。
(とにかく、ありがとうございます。これで僕も、作業がやりやすくなりました)
『そう言ってくれると、救われるよ』
(いえいえ。どういたしまして)
あちらこちらに引っかかっていて水の流れを阻害しているのは、落ち葉とどこからか流れてきた板材などのようだ。
ただ、その区間の長さが難点。軽く十メートル以上はありそうだ。
「さて、始めますかねー」
まずはスコップですくって水を切りながら、落ち葉を土嚢袋へ入れていく。
少しずつ、水が流れていくように、積み重なっている部分をどけてしまう感じ。
もし、一気に流れてしまったとして、この先でまた詰まわないようにしたいところだ。
下流から上流に、少しずつさかのぼりながらゴミを片付けていく。
落ち葉が終わったら大きな板材などをどけていく。すると徐々に水が流れ始める。
溜まっていた水を先に流してしまう。
そうするとあとは、流れないゴミだけが残っていく。
残ったゴミをまた、土嚢袋へ詰めていく。
片付くまではこれの繰り返し。
幸い僕は、再生の力によって疲れがすぐに癒やされる。
それはやろうと思えば、フルマラソンの距離を目一杯の速度で走りきることができるほどである。
これもまた、阿形さんたちの眷属になった加護みたいなもの。
そのおかげで、先日死にそうになったときにも、乗り切ることができた。
阿形さんと吽形さんに出会っていなければ、僕は今ここにいなかったのだから。
この程度の単純作業の繰り返したとしても、僕なら疲れも残らないから楽なもの。
阿形さんが水を綺麗にしてくれたので、実に気持ちよく進めることができていた。
ほぼ見える範囲のゴミは回収できたようだ。
最後に側溝に沿ってスコップを使って、底に残っているものを掬い上げては土嚢袋へ。
この細かなものが堆積すると、案外簡単に詰まってしまうこともあり得るからだ。
水の流れを阻害していないようだから、ヘドロだった砂はこのままにしておいても大丈夫だろう。
ここの排水が雨水排水なのか、それとも生活排水なのかわからないからなんとも言えない。
それでも、比較的綺麗な水が流れるようになったと思う。
多少汚れたって、風呂に入れた大丈夫。阿形さんに綺麗にしてもらうのもありだろう。
これでギルドで確認してもらっても、大丈夫なほどには片付いているとは思う。
あとは、土嚢袋に詰まった落ち葉やゴミをリヤカーに乗せるだけ。長靴や手袋も脱いで、上に乗せてあとは移動あるのみ。
『一八くん、お疲れ様だな』
(ありがとうございます。阿形さんと吽形さんからいただいた身体のおかげで、ぜんぜん疲れてませんけどね)
『お、おう。それはよかった』
建物によっては大きな時計が掲げてある。
その時計を見ると、お昼を回ったあたり。一時半くらいだったかな?
ということは午後一時でいいのだろうか?
丸一日かかるかもしれないと思ってはいたが、思ったより早く終わってしまった。
疲労が溜まりやすい腰や肩などの痛みは再生によって溜まることがない。
だから淡々とした仕事だとひたすら続けられる。
やはり疲れないこの身体はチートなのかもしれないと、改めて僕は思った。




