第二十七話 まかない料理に涙する。
何も考えずにひたすら洗い物をする。
この作業に追われて忙しい感じ、僕は案外好きだった。
ぴりぴりと指先に刺激を感じるくらいに多少熱い湯だったけれど、そこは再生が始まるから気にすることはなかった。
洗い続けていくと、腰が張ってきて徐々に鈍痛のような痛みが出てくる。
だが、その痛みが酷くなる前に、再生によって痛みは消え去ってしまう。
実に、便利身体になったものだと、僕は改めて感心した。
無心に洗い物の作業を続けていると、気がつけば目の前の洗うべき食器はなくなっていた。
手を止めて、ホールで動き回るリムザさんを眼で追いつつ、下げられて戻ってくる食器を待つ状態になっていた。
すると、僕の隣りに女将さんが立っていた。
「カズヤくん、お疲れさん。いや、仕事が出来る子は大歓迎だよ。ありがとう」
「いいえどういたしまして」
女将さんは出会ったときよりも笑顔だった。
あちらの世界でも、こちらの世界でも、笑顔は変わらない。
僕が知る限りこの笑顔は嘘じゃないと思える。
だから僕が、女将さんたちの役に立てたみたいでちょっと嬉しく思った。
「ありがとうございました」
ホールを飛び回っていたリムザさんは、最後のお客さんを見送って戻ってきた。
僕に近寄ってきてすれ違いざまに、僕の背中をバンバンと軽く叩く。
その後、女将さんのような笑顔を僕にくれた。
「お疲れ様。配膳だけに集中できたから、すっごく助かったよー」
そう声をかけてくれて、早々に二階へ上がっていった。
女将さんが言うには、夕方からの開店に備えて自室で休んでいるそうだ。
「昼の残りですまないけれど、その代わりいくらでもあるんだ。だからお代わりしてくれてかまわないからね」
「はい、ありがとうございます」
目の前にあるのは、丸く焼いたパンと、肉と根野菜の煮込み。
昼食に訪れていただろうお客さんも、そういえば同じものを食べていた。
食欲をそそるとても良い香りで、パンも香ばしい香りがする。
あの、無味無臭魚肉たんぱくブロック食品と比べたら雲泥の差。
見た目と香りだけで涎が零れそうになってくる。
「おかわりのときは呼んでくれたらいいよ。私は中で夕方に向けての仕込みをやっているからね。いやはやほんとうに洗い場を心配しなくてよかったから、今日は助かったよ。ありがとう」
「いえいえ。僕も助かりました」
まずはピッチャーからグラスに水を注いで飲む。
うん。冷えていてとても美味しい。
「いただきます」
『そうさせていただこう。いただきます』
阿形さんも蛸腕を使えば、すぐに食べられるのだろうけど、僕が食べるまで我慢をしているみたいだ。
それなら僕はお先に失礼しますという感じで、煮込みを食べてみた。
何の肉かわからないが、おそらく三枚肉あたりで脂身の多い部位。
その肉がごろごろと器に溢れんばかりに盛られている。
もちろん、煮込んであってとろけそうになっている、芋みたいな根野菜やネギみたいな茎野菜も、ごろごろと乱切りにされて入っている。
まずは肉から匙ですくって口元へ持ってくる。
とても良い香りが鼻腔をくすぐる。
大きく口を開けて、一口でぱくり。
『これは肉だ』という香り。
噛むと脂身の旨味がじゅわっと染み出てくる。
香辛料なのか、舌全体に感じる複雑な味。
どれもとても美味しく感じ、心地よい。
見た目と違って味は濃くなく、薄くもなく、ちょうどいいという言葉が似合う味つけだった。
あちらの世界で生まれ育った僕でも、十分に美味しくいただけると思う。
(おぉ、これはうんうん。久しぶりの、ちゃんとした味。レストランというより、大衆食堂って感じですね。これはかなり美味しいと思います)
スプーンで煮込んだ肉をすくうと、スプーンにぎりぎり乗る大きさの肉が一瞬で消える。
僕と阿形さんは親子みたいな間柄だ。
だからスプーンなどの共有や、料理をシェアするくらいはなんでもないのである。
『おぉお。なんとも懐かしい味がする。これは美味い、美味すぎる』
阿形さんは元々、魚の塩煮や塩焼きのように、素材の味を生かし切るくらいの薄味が好きだった。
けれど僕たちと一緒に暮らしていくにつれて、姉さんや吽形さんと同じものを食べるようになった。
ここ最近はピザまで食べるようになって、奥さんの吽形さんから『ほら、やっぱり食べず嫌いじゃないの?』と言われ、姉さんと一緒に生暖かい目で見られたことがあった。
(うん。パンは皮がぱりっとしていて、中はもちもち。歯ごたえは少し強めだけど、香りがしっかりしていてこれはいいですね)
阿形さんも僕と一緒に食べたり飲んだりしているから、手で千切ったパンも一瞬で消える。
もちろん、グラスに注いだ水も消えてなくなる。
夢中で食べていたら、料理もパンもあっという間になくなってしまった。
(心苦しいですが、おかわりお願いします?)
『あぁ、お願いしたいところだな』
僕たちは女将さんの好意に甘えることにする。
お代わりした分も、あっという間に食べ終わり、満腹、満足。
誘拐に近い異世界への召喚をされて、色々あったがやっと落ち着けた感じがした。
『うん。美味かった。こちらの世界の料理もなかなかだった』
(そうですね。美味しかったと思います)




