第二十六話 酒場でお手伝い。
たどり着いた宿屋の前で、阿形さんは僕に、少しだけ怖い例え話をした。
それが当てはずれでもなさそうだったことで、僕は扉を開けるのを躊躇ってしまった。
ソルダートさんが紹介してくれた宿屋、道標亭の入り口は押戸になっている。
営業時間かそうでないかはわからないが、鍵はかかっていないようだ。
阿形さんの話を真に受けて、そっとドアを開けると『カランカラン』と、カウベルのような音が鳴った。
それでもベルの音が鳴ったのに、僕へ視線が集まることはないようだった。
まだ日が高いというのに、早くも十人くらい酒を飲んでる人がいる。
酒以外にも食事をする人もいるから、実際のお客さんは二十人くらいいそうだ。
酒場ということであれば、夕方から営業するものと思っていたが、ここは既に営業していた。
この道標亭は、『食堂ではあるが、昼から酒を飲む客もいる店』らしい。
ソルダートさんがこの時間に紹介してくれたのは、こういう意味もあったのだろう。
休みの日が違えば、日が高いうちから飲む人もいておかしくはない。
僕が生まれ育った環境でも、場所によってはそういうお店もあると聞く。
だから見た目が若い僕が入ってきたからといって、食事に来たと思えば、いちいち注目することもないのだろう。
エプロンをつけて、ホールとカウンターを行ったり来たい忙しそうにウェイトレスみたいなことをしている若い女性が一人。
キッチンには恰幅の良さそうな、中年の女性が一人。
店側というか宿側の人はおそらくこの二人なのだろう。
僕はウェイトレスみたいな若い女性に声をかけてみた。
「あの、すみません。女将さんにお願いがあってお邪魔したんですけど」
「わかりました。女将さんー、お客さんですよ」
するとキッチンから出てきたのは、もう一人の中年の女性。
なるほど、やはり女将さんはこちらの女性だったようだ。
「なにか私に用かな?」
「あ、はい。僕、一八といいます。色々と訳あって困っていたところですね、ソルダートさんにここを紹介してもらったんです。あの、これどうぞ」
僕は女将さんに、ソルダートさんから預かった手紙みたいなものを手渡した。
すると彼女は、ちらりと読んだだけれ納得してくれたいみだいだ。
「……うん。わかったよ。カズヤくん、でいいんだね?」
「はい」
「ちょっと今忙しいから、そうだね、落ち着くまで洗い物をしてくれないかな? 落ち着いたら食事をさせてあげるからね」
「はい。わかりました」
「私の名はメリザ、ここの女将をしている。あの子はリムザ。私の姪でね、ホールで配膳を手伝ってもらってる」
「助かった-。洗い物してる暇なかったんだよねー」
もうホールから食器を下げて戻ってきた、リムザさんが腰の後ろを両手で押しながら軽く伸びをするようにして苦笑いをしている。
「はい。一八です。改めてよろしくお願いいたします」
「うん。それじゃ、こっち来てくれるかな?」
僕はシャツの袖をまくって、準備をした。
洗い物は洗濯も食器洗いも慣れている。
父さんの経営する喫茶室で、調理をする父さんの手伝いもしていた。
実家でも、僕と父さんが料理をして、母さんと姉さんは基本食べるのが役目。
食後の洗い物を含めて家事はほぼ僕がやっていたのである。
母さんは美容室を経営していて、県内外でも有名な美容師。
姉さんは化粧品会社の専属モデルで、知らない人がいないほど全国的に有名なCMタレント。
だから僕と父さんは基本、支える側のプロになっていたんだ。
鉄製のシンクにお湯が張ってある。
隣のシンクには沢山の洗い物の食器。
洗剤のような粉と、天然の海綿みたいなスポンジ。
これならあちらの世界と勝手は同じ、すぐに洗い物を始められそうだ。
前屈みで洗い物を始める。
徐々に姿勢のせいで腰が辛くなってくるが、そこは勝手に身体の再生が始まり、痛みが緩和されていく。
阿形さんたちの眷属となって手に入れた、この再生能力の高い身体はほんとチートだと思った。
なにせ、どれだけ走っても、どれだけ動いても、疲れ知らずなのだから。
『なかなか良い匂いがするな』
(はい。あとでごはん食べられるみたいなのでら、助かりましたね)
『あぁ。その通りだ。助かったよ』




