009 虚像
僕は店主の体を持ち上げると、バーカウンターに叩きつけた。
そして馬乗りになり、再び問いかける。
「僕たちの食事に何を混ぜたか聞いてるんだけど。黙ってばっかりじゃわからないよ」
「……ぅ、うぅ……ひっ」
「黒の王蛇がそんなに怖いのかな? ここで死ぬことよりも」
「は、話せない……話したら、何をされるかっ」
僕はナイフを取り出し、振り上げた。
「鼻っ面から刃を突き刺し、脳に届かないところで止める。苦痛の中で、冷たい感触が顔の中に埋まっていくのを感じながら、いつ、どこで自分の脳が破壊され、死んでしまうのか――それを直前まで楽しむことができる殺し方があるんだけど、どう思う?」
「……っ、あ、やめて、くれっ」
「どうやら話す気がないみたいだから、実行に移させてもらうよ」
柄を握る手に、これみよがしに力を込める。
そして今にも『突き刺すぞ』といわんばかりに、肩を前に傾けた。
店主の瞳が、完全に恐怖に染まる。
未来の死を、現在の死が凌駕する。
だがなおも僕は止めない。
そのままナイフを振り下ろし――
「う、うわあぁぁあああああっ!」
店主の耳の真横に、ダンッ! と突き立てる。
冷たい風が、彼の肌に触れた。
「は……は……あ……」
「話さないのなら、次は殺す」
「お、俺は、頼まれただけなんだ。食事に、あの、薬を混ぜてくれって……」
「薬?」
「中身はまでは知らねえっ! でも最近、黒の王蛇の連中が、冒険者界隈に広めてる怪しい薬がある。精神を高揚させて、快楽を強める薬だっ!」
「普段から食事に混ぜて、冒険者たちを仲間に引き入れてたってこと?」
「そこまではうちじゃやってねえよ! ただ、今回は忠誠を誓うために食事に混ぜろって! あいつ、うちの常連だから、立ち寄っても不自然じゃないって! 俺だって嫌だったけど、家族の命まで危険だって言われたらやるしかねえだろぉ!?」
「……で、その薬はどこに?」
「裏にっ……厨房の裏の部屋の、引き出しの二番目。底にシートが引いてあるから、その下に、隠してある……」
バーカウンターから飛び降り、店主を解放。
彼は転がりながらそこから落ち、そのまま四つん這いになって僕から離れていく。
あいつはもう放っておいていい。
僕は彼に聞いたとおりの場所を探り、麻袋に入れられた白い粉末を発見した。
表に戻ると、キャミィは腰を抜かして床にへたり込んでいる。
「大丈夫?」
僕が中腰になって手を差し伸べると、彼女はそれを見て一瞬固まった。
……しまった、さっきの店主を脅すの、ちょっとやりすぎたかな。
でもあれぐらいやらないと話しそうになかったし、僕としても手段を選んでいる場合じゃなかった。
せっかく見つけた尻尾に、そのまま逃げられるわけにもいかなかったから。
ただ、キャミィに怖がられるのは、割と悲しい。
けれど今は時間がないので、諦めてすっと手を引いて――
「クリスさんっ!」
……おお?
キャミィは引きかけた僕の腕を両手で掴むと、そのまま勢いをつけて立ち上がる。
そして手は握ったまま、ぐぐっと顔を近づけてきた。
彼女の目は、いつになくキラキラと輝いている。
「か、かっこよかったです!」
「えっ?」
「すっごく、あの、すっごく暗殺者っぽくって! ズダダダダ! って二十人ぐらいを一斉に倒したところとか、あの店主さんをあのサディスティックな表情で脅してたところとか! こう、何ていうんですかね、私の中にくすぶっていた闇が燃えたぎる感覚といいますか! いかにも『ふふっ、僕は闇の世界の住人なんだ。これ以上足を踏み入れるともう戻れないよ?』とでもいいそうな雰囲気といいますか! あ、そうだ実際に言ってもらってもいいですか!」
「えーっと……僕は闇の世界の住人なんだ。これ以上足を踏み入れるともう戻れないよ?」
「きゃーっ! 闇の世界に私も連れてってぇーっ!」
この子は……本当に……何なんだろう。
僕の知ってる世界はあの屋敷の中がほとんどだから、実はこういうのが普通なのかな。
いや、違う気がする。
知らないけど、それだけは絶対に違う気がする。
なにはともあれ、嫌われたりしてないみたいでよかった。
「ところでクリスさん、その手に持っている袋は何ですか? 闇世界でありがちな危険なお薬とかの粉末ですか?」
「当たらずとも遠からずなのが怖いなあ……これが食事に混入されてたから、ディヴィーナはおかしくなったんだと思う。ほら、彼女も妹さんの性格が急に変わったって言ってたよね?」
「それも薬の効果、ということですか? あれ? というか、私もあの食事を食べてしまったんですが……」
「さしずめ、効果は凶暴化ってところかな。おそらく、同時に襲ってきた他の冒険者たちは“素”で黒の王蛇に従ってるんだろうけど」
僕はナイフを一本ずつ突き刺しただけだ。
回転を加えているため、傷口はかなり深くえぐれているようだが、それでもすでに動ける者はいるはず。
見渡すついでに、『もう手を出すな』と睨みをきかせておく。
「う……ううぅ……どうしましょう、私、ここにきて薬が効いてきた気がします……」
「どんな気分?」
「自分の中の野生が目覚めるような……う……ぐ、が……がおぉぉおおっ!」
爪を立てながら両手を上げ、僕に襲いかかるような仕草を見せるキャミィ。
それと同時に、ぐぅ~、と彼女のお腹が鳴った。
彼女はその場で固まると、みるみるうちに顔が真っ赤になっていく。
僕は思わず、その茶色の髪に手を乗せて、「よしよし」と撫でてしまった。
「キャミィはどうもないみたいだね」
「はいぃ……健康すぎて困るぐらいですぅ……」
「なら、やっぱりそういうことか」
「何がですぅ?」
僕は袋に指を突っ込むと、付着した白い粉をぺろりと舐めた。
「クリスさんっ!?」
「……うん、やっぱり少しピリっとするぐらいか」
「なんてことしてるんですか! ペッしてください! ぺっ!」
「平気だって。この粉は、体内の魔力に反応してる。魔力が強ければ強いほど、その人物に大きな影響を与えるんだ」
「そうなんですか? だから、【商人】である私には何も起きなかったんですね」
「そして僕も、大した魔力量は無いから何も起きない。けれどディヴィーナはそうもいかなかった」
「つまり……黒の王蛇が狙っていたのは、ディヴィーナさん?」
「ひょっとすると、僕たちは不運にも巻き込まれたのかもしれないね。考えてみれば、いくら彼らがこの街を侵略しているとはいえ、すぐに僕の存在を嗅ぎつけてくるとも考えにくいから」
「でも今日で名前が売れちゃいましたね」
「うん、そうだね」
「……クリスさん、どうして嬉しそうなんです?」
「そんな顔してた?」
「さっきからしてます。すごく悪そうな笑顔です。ゾクッとしてドキッとするので、その顔をするときは前もって言ってください。心の準備が必要です」
「あはは、難しいこというなあ。とりあえず、ディヴィーナを回収してここから出よっか」
「そうですね。あまり長居していると、黒の王蛇のメンバーが来てしまうかもしれませんし」
幸い、店の外にはリザード車が止めてあった。
僕は気絶したディヴィーナを抱えて荷台に乗せ、キャミィとともに酒場から離れていく。
「宿に戻りますか?」
「いや――できればディヴィーナを医者に見せたいかな。薬による変化が一時的なものならともかく、起きてもそのままだったら僕たちには手の施しようがないから」
「医者ですか……」
「キャミィは知り合いの医者とかいない? できれば黒の王蛇の息がかかってない人がいいけど」
「……いることには、います」
「紹介したくないって顔してる」
「そ、そんなことはありませんよ。さあ行きましょう、すぐ行きましょう、そしてちゃちゃっとディヴィーナさんを元に戻してもらいましょう!」
急にやる気を出したキャミィ。
彼女の感情に呼応するように、リザードは速度をあげた。
◆◆◆
クリスたちが去った酒場は、嵐が過ぎ去ったように静まり返っていた。
投げナイフが命中した冒険者たちは、その恐怖の中心にいた存在がいなくなったことで、ちらほらと立ち上がり始めている。
単純な痛み、作戦に失敗してしまった後悔、そして黒の王蛇より下されるであろう制裁に対する恐怖――あらゆるネガティブな感情が、彼らの胸中に渦巻いている。
ただ巻き込まれただけの一般客たちは、騒動が落ち着いたことで、一斉に出口に殺到していた。
店主はバーカウンターに寝そべったまま、横目でその光景を眺めている。
「どうしてこんなことになっちまったんだ……」
店主とて、悪いことだとは思っていた。
だが逆らえなかったのだ。
数多くの冒険者を客として迎えてきた彼にはわかる。
「前はそんなんじゃなかっただろ……どうしてみんな変わっちまうんだよ……」
浮かぶ涙を手の甲で拭い、ずり落ちるように彼はバーカウンターから降りた。
ひとまず、やられた冒険者たちの手当てからだ。
それから、黒の王蛇の幹部が来る前に、彼らを出来る限り逃さなければならない。
そう思い、裏に救急箱を取りに行こうとした彼の前に――一人の女が立ちはだかった。
ディヴィーナと同じ炎のような赤い色をした、長い髪。
しかし瞳は氷のように冷たく、その手には槍が握られている。
一般的に、この狭い建物内では槍のような長い武器は使いにくいのだが、彼女の技量ならば心配するだけ無駄だろう。
「リジーナ……? どうしてここ、がっ!?」
容赦なく、リジーナの槍は店主の鼻っ面を突き刺した。
貫通し、脳を破壊し、彼に優しく瞬間的な死を与える。
しかしその刹那に、店主は瞳で訴えかけた――『どうして』と。
冒険者たちは戦慄する。
「まさか、もう来たのか……?」
「早すぎるだろうっ! それに、たった一回の失敗でこんなの理不尽だ!」
「俺らは抵抗するからな、簡単に死んでたまるもんか!」
各々の武器を手にする彼らを前に、リジーナは冷たく微笑する。
槍の穂先は炎を纏い、店主の死体を一瞬で灰に変えた。
「死にたくないとか、誰が抵抗するとか、どうでもいい」
振り上げられる槍。
瞳が見開かれると、揺れる炎は一気に激しさを増し、店内を明るく照らす。
「私は、お姉ちゃんの命令を遂行するだけだから」
そして、薙ぎ払われる狂気――熱風は一瞬にして店全体を包み込み、逃げる間もなく全てを焼いた。
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